平和じゃない午前中がようやく過ぎて、迎えた平和な午後の授業時間。
―――なのに。
「おい、玖隆、俺はこれから昼飯なんだ、付き合えよ」
「ヤダッ」
「怒りっぽいのは腹が減ってる証拠だぜ?いいから来いよ、昨日は俺が付き合ってやったろ」
昨日っていうのは遺跡探索の事だ。
あたしの本職がばれて以来、仕事には毎回必ず皆守が付いてくる。
誰も頼んでないのに、その、口止め料を支払ってる見返りとか、何とか。
だったら付いてきてくれなくてもいいから、そのかわり支払いをやめさせて欲しいのだけど、それはできないと突っぱねられてしまった。
迷惑この上ない。
理不尽な状況の憂さを何にぶつけたらいいのかわかんなくて、とりあえず悶々と仕事を続けている人の気も知らず、皆守は常に暴虐無人だ。
ションボリするとぐいと腕を引かれて、あたしはその手を振り払って歩き出した。
ちょっとむっとした目に睨まれたけど、そんなものはこの際無視してやる。
「さて、何を食うかな」
わざとらしい呑気な台詞を横目で睨みつけて、どうせカレーでしょとか胸の中で吐き捨てながら、あたしは皆守と連れ立ってマミーズへ向かった。
「いらっしゃいませー、マミーズへようこそ!」
自動ドアを抜けた途端、響く元気な声。
ここの名物店員、舞草奈々子さんの声だ。いつも明るく元気な姿であたしやほかのお客を出迎えてくれる。
「何名様ですか?」
口を開きかける皆守を遮って、あたしは身を乗り出していた。
「一人」
「はーい、って、あのお、お隣にいる方は赤の他人さんですか?」
「そうです」
「玖隆、てめえ」
今度はあからさまにむっとした表情で、皆守が間に割って入ってきた。
「二人だ、二人、見れば解かるだろ」
「違います、一人です、この人は赤の他人です」
「あのなあ!」
舞草さんは困った顔で、手にしたメニューを持て余しながら首をかしげている。
「あのお、それで結局何名様なんですか?」
「改めて聞くなッ」
「えーでも、一応、マニュアルなんで」
「一人、です!」
「玖隆、お前も黙ってろ!二人だ二人、二人席に案内してくれッ」
「かしこまりましたーッ」
歩き出す舞草さんについていこうとして、入り口で立ち止まったままのあたしの腕を、皆守が掴んで歩き出す。
授業中だっていうのに、マミーズの中には結構生徒の姿があってちょっと驚いた。
皆、もしかしてサボりなわけ?
その中の何人かがあたし達のやり取りを見物していたけど、席に座る頃には、また自分達の話題に戻ったみたいだった。
うーん、ちょっと目立ったかな、午前に続いて、不本意ながら。
「あのなあ、玖隆」
向かい合って腰を下ろした皆守が、舞草さんがメニューを置いていなくなってすぐテーブルの上に乗り出しながら睨んでくる。
「お前、俺が気に食わないのは解かるが、いちいち突っかかるなよ」
「なら、こんな時まで構わないでよ」
夜だけでもう十分辛いっていうのに、何で日中までこいつに付きまとわれなきゃなんないのか。
正直胃が痛い。
皆守は大げさに溜息をついて、メニューを開こうともせず、舞草さんを呼びつけていた。
あたしは仕方なくメニューを開いてランチを選び始める。まあ、あんまり食欲は無いんだけど。
「ご注文はお決まりですか?」
「カレーライス二つ」
「かしこまりましたー」
手の中から、急にメニューを取り上げられた。
「え?」
二人分のメニューをまとめた舞草さんが歩いていく。取ったのは皆守だ。こっちがまだなにも選んでないっていうのに、勝手にメニューを返して、今はパイプの先に火をつけなおしていた。机の端に『禁煙席』の文字が貼ってある。
「あの、皆守?」
「ああ、気にするな、これはアロマだ、タバコじゃない」
「そうじゃなくて」
「トイレなら向こうだ、入るほうを間違えるんじゃないぞ」
「いや、だから、そうじゃなくて、その、俺まだオーダー決めてなかったんだけど」
「カレーライス注文しただろ」
は?
って、えええッ
「ちょ、ちょっと待て、お前じゃあ、さっきの」
「俺がふた皿も食うか、いくら好きでも腹を壊すぜ」
んな―――
あたしは硬直していた。
身勝手、わがまま、強引で、乱暴な男だとは思ってたけど、まさかこんな所でまでッ
「あ、あのねえ!」
「何だよ」
文句あるのかとでも言いたいような目つき。
もちろんありますともさ!今度はあたしがテーブルに身を乗り出した。
「何で食べるものまであんたに決められなきゃなんないの、ここに来たのだってそうだし、どうしてお前ってばいつでもそうなわけ?」
「カレーは嫌いだったか?」
「そういう話をしてません!」
「なら、構わないだろ、ここのカレーは結構気が利いてるぜ、一度くらいは試しておけよ」
だから!そうじゃなくて!
なんか急に疲れて、そのまましおしおと天板にうつぶせた鼻先にラベンダーが香っていた。
あーもう、何だかなあ。癒しのアロマとか言って、全然癒されないよ、コレ。
近くで男の子達の話し声が聞こえる。あたし以外、世界はとても平和だ。
「お待たせしましたー」
「おい、玖隆、じゃまだ、どけ」
あたしはズルズルと席に崩れた。
目の前に、カレーライスの皿がコトリと置かれる。ああ、もう、好きにして。
皆守は早速、黙々とカレーを食べ始めていた。
なんか、やけに楽しそう。もしかしてこいつの好物ってカレーなのかな?
(そんなこと、どうでもいいけど)
「おい玖隆、冷めないうちに食えよ」
「うるさいなあ」
気の進まないままスプーンを手に取って、仕方なく、カレーを一口運んで食べた。
あれ、本当に美味しい?
でもやっぱり釈然としないから、食べながらほかのメニューに思いを馳せる。
和風定食って美味しそうだったな、お味噌汁とか飲んだことないし、噂に聞いた『納豆』なるものがどんなもんなのか、ちょっと食べてみたかった。
パスタも美味しそうだったなあ、まあ、日本のパスタはアルデンテ過ぎるんだけど。
皆守はカレーを口に運ぶ合間に何か話してるみたいだった。
生徒会は役員のほかに、執行委員っていうのがいて、その人たちが学園の治安と違反者の処罰をおこなっているらしい。多くの語彙の中から必要な単語だけ抜き出して、最低限の情報を手に入れるのはあたしの特技だ。ほかの言葉はあんまりよく聞こえてこなかった。
そもそも皆守の声自体、聞きたくもないっていうのに、仕方ないよね。
「ふふふッ」
可愛い笑い声に、あたしはふと振り返った。
皆守も同じほうを見る。
「クスクス」
―――あの子。
そこに立っていたのは、栗色の緩いウェイブが掛かった長い髪の毛と、白粉を塗りたくったみたいな顔にパーツが際立つメイクをした、背の低い、お人形みたいに可愛い女の子。
制服をドレスみたいに改造して、足元にはエナメルの靴。ええと、確かこういうファッションの名称があった様な―――ヘッドドレスがまるでティアラみたいだ。
「うわー」
可愛いねえと言おうとしたら、皆守はやけに深刻な顔で女の子を睨んでいる。
何?知り合い?
(まさか、あの子って)
剣呑な雰囲気にはたと感づいて、あたしはちょっとだけ目を丸くする。
女の子は出ていっちゃったけど、皆守はまだ怪訝そうにドアの方向を眺めていた。
これは、もしかして、もしかすると?
「皆守」
「ん?」
くるりと振り返った皆守は、目で「何だ?」って聞き返す。うえ、意思疎通してるよ、あたしたち。
「さっきの子って、もしかして」
皆守は相変わらず不機嫌そう。
あらら?もしかして、ビンゴなんですか?
つぶさに表情の変化を観察しながら、そういえばこいつをこんな風に眺めたのって初めてかもしんないとか、急に思い立っていた。
出会って以来、散々振り回されて、その度いつも怒ってたから、顔なんてまともに見る気も起こらなかったわけで。
まともに会話したのも前の取手君がらみのゴタゴタの時が初めてだし、あたしたちってちょっと付き合い方の順番が間違ってると思う。
普通こういうのの方が先でしょ?エッチは、最後の手段なんじゃないんですか?
向こうの席で男の子達が何か騒いでいる。
舞草さんが歩いていった。
あたしが何か言うのを待ってた、皆守がそっちにフイと視線を移す。
横顔も結構整ってるなあ。顎のラインなんか、綺麗かもしんない。いっつも寝てるから目元だけとろんと力がないけれど、でも時々この目が物凄く強い眼光を放つ事をあたしは知っている。
夜、とか、驚くほど情熱的な顔もするんだ。あんまり思い出したくないけど。
「あひゃああああ!」
突然上がった素っ頓狂な悲鳴に、あたしもビクリとして顔を向けた。
一体何事?!
「は、はこはこはこはここの箱ッ、なんかものすごく熱いんですけど!けけけ煙とかでちゃってこれこれこれってまさか、ば、ばく、ばく―――」
―――まずい。
アレは、もしかしなくても爆弾だ。
ここまでなるまで気づけなかっただなんて、あたしったらハンター失格。あの状態じゃモノの数分もしないうちにドカンと爆発するだろう。
見た感じからして、多分薬品混合もしくは蒸気、圧力系の爆弾。殺傷力は低めだけど、傍にいたら指の一本、鼓膜くらいは持ってかれる。火傷や裂傷の恐れもある。
「おい、落ち着けって」
「え?」
振り返ると皆守が、動揺して訳わかんなくなっている舞草さんにふらりと近づいていく所だった。
わー!ちょ、ちょっとまってよ!
それはいくらなんでも、不用意すぎるでしょう?!
「み、皆守ッ」
周りの生徒たちが、異変に気づいて悲鳴を上げながら出入り口に殺到する。
緊急時の場合、対処さえ間違わなければ被害は最小限に抑えられるんだけど、一番怖いのはこういった人間の恐慌状態だ。
あたしは暴走する生徒の合間を縫って皆守と舞草さんの方へ駆け出していた。
「馬鹿ッ、いいからそこから離れて伏せろ!」
一喝して舞草さんを追い払って、振り返った皆守があたしを見て何か叫んでいる。
あたしは考えてるヒマなんてなくて、今は目前の状況判断だけで精一杯だった。
机の上、もう殆ど余裕の残されていない爆弾と、傍に立つ人影は一つだけ。
―――危ない!
「なッ」
両手を伸ばして飛び込んで、人影ごとすぐ近くの他のテーブルの足元まで倒れこんだ。
上に乗ったまま、身体を盾にしてその人を庇う。
人は両腕であたしの身体を抱えて、倒れた途端慌てて自分が上になろうとした。
あたしはそれを押さえ込んで、爆発の衝撃に備える。
上のほうから声がする。
「これは、いけませんね」
「あんたはッ」
皆守の声。
「あなたも伏せていなさい、ふんっ―――」
ガラスの割れる音と、悲鳴。遅れて響く爆発音。
とっさに腕で庇われて、無理やり反転させられた体の下で、あたしは恐る恐る目を開けた。
「おい、玖隆ッ」
目の前にある、皆守の顔。
「馬鹿か、お前、俺なんか庇う必要はないんだよッ」
あたしはきょとんとして、何度か瞬きをして、直後に猛烈に腹が立ってそのまま膝を蹴り上げていた。
丁度お腹の辺りに入ったらしい。
ウッと呻いた皆守が驚いた顔をしてるので、あたしは乗っかっている身体を無理やり押しのけて、起き上がりながら思い切り睨みつけてやった。
「俺だって、そんなつもりないよ、バカ!」
「なッ」
唖然としている皆守を尻目に立ち上がって、制服のどこも擦り切れてないかあちこち調べる。
これ、一張羅だから、汚れたり破けたりすると困るんだよね、気をつけてはいるんだけど。
「さて、皆さん大丈夫ですかな?」
すぐ傍に、いつの間にか知らないお爺さんが来ていた。
バーテンダーだと思うんだけど、銀色の髪を綺麗に整えた、なかなか素敵なオジサマだ。
格好いい人が格好いいまま歳を取ったらこんな感じになる、見本みたいな人。
あたしを振り返ったお爺さんは、ニコリと微笑んでポケットから何か差し出してきた。
「お顔が汚れておりますよ」
真っ白いハンカチ。ピシッとのりがきいている。
「あ、有難うございます」
あたしが受け取る前に、失礼、と言ってハンカチで顔をぬぐってくれた。
ようやく立ち上がった皆守が、悪いな千貫さんと苦笑いでパイプを咥えなおしていた。
「それがうちのクラスに転校してきた、玖隆あきらだ」
「左様ですか」
千貫さんは瞳を細くしてあたしをじっくり見つめている。なんというか、値踏みというより愛でられていると言った方がいいような、ちょっと微妙な視線。
父さんの目に印象が似てるかもしれない。
「あ、その、初めまして、あの」
「これは、申し訳ありません、自己紹介が遅れましたな、私は学園内にあるバー・九龍の店主で千貫厳十郎と申します、天香学園へようこそ、玖隆さん」
「はい」
この学園の中にはバーまであるのか。
カクテル好きなあたしとしてはちょっとだけ嬉しいかも。お酒は、これでも結構いける口だし。
「おい、何ニヤニヤしてる」
皆守がコンと軽く頭を小突いた。
「バーは基本的に教職員のための店だ、俺たちが行っても、牛乳しか飲ませてもらえないぞ」
「えっ」
「当然です、若人には牛乳が一番です」
我が家のぼっちゃまも―――とか話す千貫さんの声を聞きながら、あたしはかなりガッカリだ。
お酒も飲ませてもらえないだなんて、ここって本当に不便。
やっぱり早く仕事終わらせてとっとと出て行こう。
初めての学生生活は確かに新鮮だけど、それ以上に酷い目にばっかりあってる気がするし。
大体最初の調査依頼からしてメチャクチャなんだもん、この男物の服をもう脱ぎたいよ。
(あーあ)
憂鬱になってたら、入り口からものすごい勢いでモップを抱えた堺さんが駆け込んできた。
店内に生徒はもう殆ど残っていなくて、散乱した椅子とテーブル、割れたお皿、散らばった料理、それと、千貫さんが割ったガラス窓。
「これは、何とした事じゃああ!」
―――まあ、事情を知らなかったらそうなるよね。
「どこのどいつじゃ!」
カンカンになってる堺さんに、千貫さんと舞草さんが説明してる。
あたしはやっぱり上の空で、被害総額の勘定とかしていた。
だって、こっちは被害者で、面倒ごとはゴメンだもん。
(あー、カレーもこぼれちゃってる)
ちらりと皆守を振り返ると、物凄く勿体無さそうな顔で床の上の惨状を見詰めている。やっぱりこいつってカレーが好きなんだ。
黒塚君と同じで、カレーマニア?
マニアにろくな人間はいないんだけど。得意分野の話になると長いし。
まあ、そんなものなくても皆守はロクデナシなんだけど。
(でも顔は結構ハンサムだよね、もっとビシッとしてたら、いい線イクと思うんだけど)
直後にあたしは自分の考えを激しく否定していた。
いくらイイ男でも、こいつは犯罪者でヒトデナシなんだから、いい線もへったくれもあるか!
不意に振り返った皆守とバシッと視線がぶつかって、あたしはすぐにそっぽを向いた。
小さく溜息が聞こえたみたいで、それがまたイライラを増加させる。
んもー、皆守といると怒ってばっかりだよ。疲れるなあ。
「そうですか、それでは」
「よろしくお願いしまーす」
千貫さんと舞草さんがそれぞれ持ち場に戻っていった。
って事は話はまとまったんだ。
「それじゃ、俺たちも」
皆守の声に、振り返って、顎をくいとしゃくるから、つい頷いて、それからむっと顔をしかめる。
だからなんであんたが主導権を―――
「待てィ、お主らは儂の手伝いじゃ」
目の前に急に立ちはだかる、堺さんの姿。
ビックリしたあたしの隣で、皆守が何でだよと面倒臭そうに返事をした。
「どうせお主ら、授業サボってここにおるんじゃろうが、それならば、たまには大切な学舎のために働いてみたらどうじゃ」
えーっと、言ってる事はご大層なんですけど、それって結局一人じゃ大変だから人手が欲しいってこと?
目の前に突き出されたモップを思わず受け取りながら、あたしは苦笑いを浮かべる。
もしかして、回避不可能?強制連行?
(っていうか、あたしはどうしてこう毎回毎回)
そのまま立ってたら、パシンとお尻を叩かれた。
「ひゃ!」
「ホレ、ちゃっちゃと片付けてしまえ」
「ちょ、ちょっと待ってください、俺、まだ手伝うなんて一言も」
「男気のない事を言うな、儂がしっかり監督していてやるからのう」
ぺちぺちと、なんか、やたらめったらお尻を叩かれてるんですけど。
そういえばこの人って、転校初日に八千穂さんのスカートをめくったりしてたなあ。
それと今と、まあ、あたしは男だし、他意はないと思うんだけど―――
「しかし玖隆、何じゃのう」
「はい?」
「お主、いい尻をしとるのう」
はい?!
掌が、今度は叩くんじゃなくて、形をなぞるみたいにさわさわと―――触ってきた!
(ひえええッ)
や、ヤバイ、まさか!
(ばれる!)
さすがスケベ爺さんの通り名を持つ堺さん、じゃなくてえ!
「んんー、このラインが、なかなか」
スルリと指先がとんでもない所に触りそうになった。
ちょ、ま、待った!
「―――オイ」
直後に、腕を思い切り引っ張られて―――
「うわッ」
(また!)
半ば予想していた展開。だって、すぐ傍に皆守がいるんだもん。
ドンッと衝撃と一緒にシャツの胸元におでこをぶつけて、呻き声を上げたあたしをしっかり回収して、頭の上で「何してんだ」と一言。
今日一日、これで通算3度目だ。
「爺さん、あんた、ついに男の趣味までできたのか?」
「な!馬鹿おっしゃい!誰が男なんぞ、気味の悪いッ」
「なら、おかしな真似をしてくれるな、これでも一応俺のクラスメイトだからな、返してもらうぜ」
皆守はあたしの手からモップを取り上げて、堺さんに突っ返す。
「じゃあな」
「ちょ、ちょっと待てィ、儂の手伝いは」
「俺たちに関係ないだろう」
「ええい、この、薄情モノーッ」
行くぞ、玖隆と耳元で囁かれて、そのまま一緒にマミーズを出た。
堺さんには悪いけど、あんな状況でお手伝いなんて無理だ。
あの人の女の子に対する洞察力は相当侮れない。以後気をつけないと。
「玖隆」
「うん?」
見上げると、皆守が覗き込んでくる。
「お前な、本当にもう少し用心しろよ、何度も言うようだけど」
ポンと胸を叩かれた。
やたら迷惑そうな顔だ。怒ってるのかもしんない。理由はわかんないけど。
「バレたら、困るんだろう?」
あたしはすぐに察して、苦いような、何とも言いがたい気分になっていた。
そりゃ、困るけどさ。でももう皆守にはばれてるし、すでに被害は出てるし。
っていうか何でそれをお前が気にするのさ。
ヒミツの共有をネタに、こんなか弱い乙女を脅迫し続けている極悪人が。
「言われなくても、わかってるよ」
「どうだかな」
「何だよ」
睨むと、じっとこっちを見てた顔がフイと離れていく。アロマの煙が口元にふわっと漂った。
「まあ、いいさ」
皆守は何がいいのかよくわかんないまま、適当に話を切り上げて歩き出した。
あたしはというと、ちょっと迷って、それでも結局、おとなしく後について一緒に歩き出す。
別にもう用事は済んだわけだし、いなくなっても良かったんだけど、何となくそんな雰囲気だったからそうしちゃっただけだ。
何だかんだ言って、さっきは助けてもらったわけだし。
―――皆守がそのつもりで行動したかどうかはわからないけれど。
それに、爆弾騒ぎがあって、まだあたしもナイーブになってたから。
心配とかとは、違うし、そんなもんこれっぽっちもしてないんだけどねッ
「うん?」
皆守が立ち止まる。
あれこれ考えて歩いていたあたしは、背中にゴチンとぶつかっていた。
振り返った視線がチラッとこっちを窺って、また前を見た。
なに?何なの?
体の脇からぴょこりと飛び出すと、階段から降りてきた人影がやっぱり同じように一瞬足を止めて、それから親しげな顔で近づいてきた。
「よう、甲太郎じゃないか、校舎で顔を合わせるのは久し振りだな」
目の前に立ったのは、背の高い、体の大きな男の子。
皆守より多分十センチ以上は高いと思う。厚い胸板と、こんな季節だっていうのにTシャツなんか着て、制服の上着を背負った、なかなか頑丈そうな人だ。
顎に傷がある。無精髭も生えていて、かなり男らしい。
色白でスマートな皆守とは毛色が違うタイプ。
皆守も結構筋肉質だけど、あれはどっちかっていうと瞬発力に特化したような造りだから。
この人の体は、完全に攻撃系だ。
「ああ、そうか」
皆守が口元に意地の悪い笑みを浮かべながら、ちらりとあたしを見下ろした。
「玖隆は、この先輩に会うのは初めてだったな」
「先輩?」
って、あたしたちって三年生じゃない。
この学校の教育期間は三年。先輩って、どういうこと?
「おいおい、同級生に向かって、それはないだろう」
困り顔で笑った彼は、随分気安い雰囲気だ。
「ふん、こいつはな、玖隆、物好きにも俺たちより二年も長く高校生をやってるのさ、名は夕薙大和、一応クラスメイトだよ」
「そうなの?」
「ああ、まあ、だが、俺より教室にいる率は低いがな」
それってどうしてだろう。
彼もアウトロータイプの人間なんだろうか。ただ、さぼったり、適当な事をする人には見えないんだけど。
「やれやれ、初対面の人間の前で言いたい放題言ってくれるな」
夕薙君は簡単な自己紹介と一緒に、自分の事情もちょっとだけ説明してくれた。
海外生活が長くて、身体を壊して日本に戻ってきたって。
だから、教室にいないのはさぼりとかじゃなくて、彼の場合本当に具合が悪くて、しかたなく、らしい。
やっぱり、皆守とは人種が違うと思ったんだ。色々な意味で。
ただ、言葉の端々に何となく含みがあるようで、それがちょっとだけ気になったんだけど。
「まあ、人にはそれぞれの事情ってのがあるものだ、そうだろう、転校生君?」
ニコリと微笑みかけられて、あたしは思わずドキンとする。
この人、格好いいかも。
大人な雰囲気があたし好みだし、何より、なんていうか、その、丁寧だし。
「そうだね」
笑顔で答えると、君の噂も色々と聞いてるよと、渋い声が返ってくる。
ううん、なんというか、ダンディ?
皆守が何か聞いて、夕薙君は具合が悪いから寮に戻るつもりだと答えていた。
大丈夫なんだろうか、元気そうなのに。
「それじゃまたな、転校生、いや、確か玖隆だったか」
「あ、は、ハイ」
「そのうちゆっくり話でもしよう」
「はいっ」
「ハハハ、じゃ、またな」
ヒラヒラと手を振って、広い背中が歩いてく―――格好いいなあ。
「オイ、玖隆」
ボーっとしてたら嫌な声に呼ばれた。
振り返ると、皆守がパイプを噛みながらじいっとこっちを睨んでいる。
「そろそろ行くぞ、授業を受けるつもりなら、教室はその先だ」
行けって事ですか?
「知ってるよ」
言われなくてもッ
あたしはぷいと背中を向けて、廊下を歩いていこうとする。
夕薙君と話した後じゃ、こいつなんてホント疫病神でしかない。もう行こう。
さっきの爆弾騒ぎは千貫さんが収めてくれたから、怪我もないだろうし、見たところ大丈夫そうだし。
「オイ」
直後に腕をつかまれて、あたしは引き止められていた。
振り返ると皆守がまだ何か言いたそうな顔でこっちを睨んでいる。
何だろう、何で怒ってるのよ。
あたし、怒らせるようなことしましたっけ?
「何だよ」
皆守は何か言おうとして、そのたびにためらってるみたいだった。
葛藤が目の奥でぐるぐるしている。
言いたい事があるなら、はっきり言えばいいのに。
伝わらない言葉なんて無意味だよ。伝えない言葉は、知りようもないし。
「ちょっと、用がないなら離せよ、俺は」
「お前は」
「何だよ」
ぐう、と皆守が呻いた瞬間、後ろから元気な声が「あーっ」と辺りに響き渡っていた。
二人で振り返ると、八千穂さんが凄い勢いで駆けて来る。
認めた途端掴んでいた掌がパッとはなれて、溜息交じりのラベンダーがふわりと香った。
「うるさいのに見つかったぜ」
「もおー!五時限目はドコ行ってたの!授業サボってると、そのうちどんどんサボり癖がついて、しまいには卒業できなくなっちゃうんだからねッ」
や、八千穂さん、それはちょっと強引な理論のような気が―――
「聞いてるの?玖隆クン!」
「は、ハイ、ごめんなさい」
「皆守クンも―――って、あれ?いない」
振り返ってあたしも唖然としていた。
ついさっきまでそこに立って睨みつけてた、姿がもうどこにも見えない。
とんでもない逃げ足の速さだ。
八千穂さんも腰に両手をあてて呆れている。
「もォーあんなダルダルなのに、逃げ足だけは速いんだからッ」
直後に、辺りにチャイムの音が鳴り響いて、あたしたちは顔を見合わせた。
「授業始まっちゃう、行こ、玖隆クン」
「うん」
まあ、別に皆守なんて気にしなくてもかまわないだろうし。
―――八千穂さんは、それでもちょっと残念なんだろうけど。
(乙女心って、色々と複雑)
あたしのことも、八千穂さんのことも含めて。
まあ、恋は気の病って言葉もあるしね。それぞれの事情も、考え方もあるわけだし。
正午の日差し差し込む廊下を、あたしは八千穂さんと一緒に教室に向かって駆け出した。
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