ビーカー、分度器、シャーレにフラスコ、ガラス棒。

見慣れた器具を目の前にして、八千穂さんがワクワクと実験を始めている。

六時限目の授業は化学、初歩の凄く簡単な実験が今日の学習内容。

あたしは隣で見守りながら、机の上に並べられた薬品瓶を感慨深く眺めている。

この部屋、こっそり潜入できたら、結構収穫ありそうな気がするんだけど。

たとえばあっちの戸棚に入ってる幾つかを混ぜ合わせれば混合爆弾が作れるし、あれとかだったらナトリウム爆弾、こっちは火炎瓶の材料になりそうだ。

うまくやれば、ニトロマイトだって作れるだろう。薬品合成はスクールの必須科目だったから。

(魅力的な部屋だな、ここ)

ぼんやりしてたら妙な匂いが鼻先に漂った。

振り返ると、男の子二人が青ざめている。

すぐ傍にリボンでデコレーションされた―――あれって、昼に見た爆弾?!

「うわあああ!」

気づくのが遅れた!

教室一杯に響き渡る爆発音と、巻き込まれた男の子の声。

いけない、あの至近距離じゃ、間違いなく大怪我だ!

「何?何?何が起こったの?」

きょときょとする八千穂さんを残して、あたしは慌ててその子に駆け寄ろうとした。

そしてふと、立ち止まる。

脇をあたしの後に続いていた八千穂さんが、今度はあたしをすり抜けて男の子の傍に駆け寄って行った。

(あの子)

立ち止まったのは、教室のドアの影から覗いている人影に気づいたから。

フワフワした栗色の髪、制服を改造したドレス、ティアラみたいなヘッドドレス―――あの子、昼間の爆弾騒ぎの時も、近くにいた。

「ウフフ」

ふわりとスカートの裾を翻して、見えなくなった姿をあたしはとっさに追いかけていた。

「玖隆クン?」

八千穂さんがまた慌てて後からついてくる。

さっきの男の子の事、心配だけど、先生もいるし、ほかにクラスメイトの子たちもいるからきっと何とかしてくれるでしょう。

それより今はあの子。

あんな状況で、笑っていられるなんてまともな神経の持ち主じゃない。

っていうか、こうタイミングよく何度も現場に居合わせたんじゃ、犯人か、そのお手伝いか、どっちかしか考えられない。

皆守の元彼女って線は、捨てたほうがいいみたいだ。

「ちょ、ちょっと待って!」

廊下の途中で呼び止めると、女の子はふわりと振り返って何ですのーと間延びした返事をした。

うわ、近くで見るとますます可愛い―――じゃ、なくて!

「え、えっと、あなたって?」

「あら、初めましてですわね、私、A組の椎名リカと申しますぅ」

「あ、初めまして」

「あなたのお名前は?」

「え?玖隆あ―――きら、ですけど」

―――また雰囲気に呑まれた、あたしったら!

「まァ、玖隆クンとおっしゃるの?仲良くしてくださいですぅ」

スカートの裾をつまみあげて、椎名さんは動作までお姫サマじみてる。

こんなときになんだけど、やっぱりかなり羨ましいなあ。あたしも女の子の制服着たかったよう。

(いやいや、今はそうでなくッ)

気を取り直してあたしは姿勢を正した。

「ねえ、さっきは何を見て笑ってたの?」

追いついた八千穂さんが隣に立った。乱れた息を整えている。

椎名さんは何の悪気も無いような顔でニッコリ笑っていた。

「悪い人が罰せられるところを見ていたんですぅ」

「悪い人?」

「あの人は、校則を破った悪い人なんですの、だから罰を下さなくてはならないんですの」

「罰、って」

どういうこと?

それってまさか、取手君の時と同じで―――

「リカは、なんでも爆発させる事ができるんですのよ」

話す椎名さんは相変わらず可愛らしい姿なのに、いつの間にか瞳に冷たい影が宿っている。

でもそれは、優しさが足りないとか、思いやりがないとか、そういうんじゃなくて、なんというか。

―――心が無い。

ドロッと濁っている。

まるで、前の取手君みたいに、生気がまるで感じられない。

本当のお人形になっちゃったみたいな、そんな雰囲気。ちょっと―――気味が悪い。

「フフ、試しにあなたたちもバーンってなってみますか?」

悪意がまるで感じられないから、かえって鳥肌が立っていた。

この子も、何か大切なものをなくしちゃってるんだ。

それが何なのかわかんないけど、今の台詞や、知ってるこの感覚、間違いない。

この子は執行委員だ。

(二人目の執行委員)

あたしは軽く身構える。

「せっかくだけど、願い下げだよ」

「あら、どうしてですの?」

「まだ死にたくないからね」

「死、ですかァ?それなら別にかまわないと思いますけど」

「えっ、ど、どうして?!」

八千穂さんが目を丸くして椎名さんを凝視していた。

「だって、死んじゃったら!」

「それならお父様がいくらでも代わりを用意してくれますもの、死、なんて、大した事ではないですわよねえ?」

そんな風に振られても、もちろん頷けるわけなんてなくて、あたしは首を振る。

八千穂さんほど健常では無いけれど、あたしだって常識くらいは持ち合わせている。

「死んだら、そこで終わりだよ」

「どうしてですの?」

「誰も誰かの代わりになんてなれない、死んだ人とは、もう会う事も、話すことだってできない」

死は誰にでも訪れる、甘い絶望の名前だ。

そこへ至る道は多分一番簡単で、でもたどり着いたら最後、二度と戻る事はできない。

片道切符の先に待ち受ける、不変の園、それが死だ。

生きている事は辛いし、苦しい。

実際ここんとこのあたしなんて辛い事だらけだし、いい加減全部放り出したくなる時だってある。

でも、逃げたり、やめたりしないのは、生きているから。

辛くて苦しくて、時々泣いちゃったりするけど、それと同じくらい楽しい事、嬉しい事がたくさん巻き起こる、生きてるって『今』を満喫してるから。

だから、死ぬなんて絶対に嫌だし、軽々しく口にも出したくない。

死んだらお終いなんだ。

物凄く、大したことなんだから。

「死ぬのは怖い事なんだよ」

少なくとも、あたしにとっては。

「椎名さんは本当にわかってるの?死ぬって事は、最後って事なんだよ、後はもうないんだよ?」

「な―――にを、おっしゃってますの?あなたの言う事は全部デタラメですわ!」

椎名さんは必死の形相で、何事かまくし立て始めた。

それは多分、彼女がこうなってしまった原因の、古い思い出。

そして、恐らく遺跡から手に入れたんだろう、古い知識。

イザナミ、イザナギって、この一週間の間に調べた古事記の中に載ってた。それは、古い日本の神様の名前だ。

彼女が執行委員で、あの遺跡が七瀬さんやあたし自身で推察したとおり、日本史記に関わりの深い場所なら、この言葉も頷ける。

取手君のときは、一番最初に世界を作った神様、カムスビの名前の化人が取手君に取り憑いていた。

だったら今度はきっと、その神様。イザナミか、イザナギ、もしかしたら両方が、椎名さんに取り憑いて、彼女の心を食ってる。大切な何かを取り上げている。

「あなたなんて、リカ、大ッ嫌いですわ」

失礼しますとスカートの裾をつまんで、椎名さんは歩いていってしまった。

隣で八千穂さんが訳わかんないって地団太踏んでいた。

それはまあ、そうだよね。あたしだって訳わかんないよ。

いくら治安を守る団体で、違反者を制裁する権利があるっていったって、同じ空間で暮らす身内なんでしょう?

そりゃ、仲間だなんだって言ったって、利害のためには裏切ったり、裏切られたりする事もあるだろうけど、少なくともここはそんな殺伐とした場所じゃないはず。

世界でも有数の平和でのん気な国、日本の、ここはごく普通の全寮制の高等学校なんだから。

―――まあ、ごく普通の、って部分は、微妙に訂正が必要かもしれないけれど。

でも、こんなに殺伐としているのは、少なくともあの子たちには似合わない。

あたしなんかは慣れっこだけど、ここで暮らす人達は標準的ティーンエイジャーとその模範となる先生達なわけだし。

「ねえ、玖隆クン」

教室戻ろっか?と覗き込んできた八千穂さんに、あたしは苦笑いで首を振っていた。

「ゴメン、少し考えたいから、先に戻ってくれる?」

―――いいけど」

八千穂さんは何か言いたげに顔を伏せて、それから真っ直ぐにあたしを見詰める。

なになに?急にシリアス、どしたの?

「あのね、玖隆クン」

「何?」

「あたし、君とはまだ出会ってちょっとしか経ってないけど、でもあたしは玖隆クンのこと、友達だと思ってるから」

そのまま、両手をキュッと握られる。

「だから、何かあったら言ってね?あたし、話くらいなら聞けると思うし、力になれそうだったら、頑張るから」

(八千穂さん―――

あたしは思わず、言葉が出てこない。

多分、椎名さんのことで、心配されちゃったんだろうけど、あたしの内側には全然関係ない言葉が巻き起こっていた。

話したいことなら、一杯あるんだけどなー

でも、話せない。特にあの事とか。

皆守の顔とか、協会の無茶な注文とか、色々思い出してなんかすっごく悔しくなってしまった。

大体、あたしがちゃんと女の子としてここに潜入してたら、起こらなかったことや、結べた友情だってあったかもしれないのに!

(おのれーッ、情報部のバカー!)

心と裏腹に、あたしはニッコリ微笑んでいた。

「アリガト」

手を握り返す。

「遠慮なくあてにさせてもらうよ」

「玖隆クン」

「けど、その代わり八千穂さんも頼りにしてね、頼りにするから」

―――ウンッ」

満面の笑み。

あたしも嬉しくて、つい笑っちゃう。女同士の友情の絆―――って、今あたし男なのよね。

(あーもう、もどかしいッ)

じゃあ、またねと手を振って走り出す姿を見送って、あたしはとりあえず寮に戻るつもりでいた。

何事か事情はまだ完全にわかったわけじゃないけど、でも確実にあの遺跡では椎名さんが待ち構えている。

だから、きちんと準備をして、仕事しなくちゃ。

―――でも、その前に。

はたと、夜の事を考えた途端、胸に暗雲が立ち込める。

せっかくシリアスムード満載で、やる気も全開だっていうのに、どうしてこう悩みの種が頭の上から消えてくれないかなー

(いっそ、アイツが来る前に墓地に潜伏して、夜を待って潜るか)

階段に差し掛かったとき、誰かに背後から名前を呼ばれたような気がした。

振り返ったあたしは、そのまま伸びてきた両腕に抱きしめられる。

「わッ、な、な」

何、とかいう前に、一瞬皆守の顔が見えて―――

「ん、んん、ンふ―――

重なる唇と、絡まる舌。

吐息まで吸い上げられるようなキスに、覆いかぶされて、混ざりこんできた唾液を飲み込む。

―――気持ち悪いというか、息ができないというか!

「んはッ、な、何するんだよッ」

勢いで突き飛ばそうとしたのに、また皆守に抱きしめられて、あたしは身動きが取れなくなってしまった。

耳元に、余韻を滲ませる荒い吐息。

(こんな場所で!またこいつはッ)

いい加減にしろと怒鳴ろうとしたとき、小さな声がぼそっと呟いていた。

「もう、あの遺跡の事は忘れろ」

「は?」

「死にたくなければ、もう墓地には近づくなと言ったんだ、お前が何をしにこの学園に来たのかなんて、俺にはどうでもいい事だけれどな、けど、玖隆」

墓地には行くな、そう言って、顔を上げた皆守が真っ直ぐにあたしを見下ろしてくる。

あたしは訳がわからなくて、ぼんやりとその顔を見上げていた。

急に何を言い出すのかと思えば。

「そんな事」

できるわけないじゃない。

あたしは急にグッと皆守を睨みつける。

ここ一週間の暴君ぶりにはほとほと愛想が尽きてるけど、あたしの仕事にまで口出しされる筋合いは、ない!

「どうでもいいなら口出ししないでよ、何だよ、お前なんて、滅茶苦茶ばっかりじゃないか、人の事勝手に決めようとしないで!」

あたしに命令できるのは、あたししかいない。

あたしの事はあたしが決める。

ここ暫らく調子が出なかったけど、もう限界、頭来た!

今までのあれこれ全部含めて、ここは一発、ビシッと言わせてもらおう!

「あたしは、皆守のモノじゃないんだからね!」

直後に、皆守の顔から、それこそ「サーッ」っていう擬音付きで血の気が引いていく。

あれれ?

なんか、急に様子がおかしいんですけど。

「っく、アッ」

直後に物凄い力で締め付けられて、あたしは思わず喘いでいた。こ、これは、苦しい!

「ちょ、ヤダッ」

「お前―――

直後に鳴り響く、終業の鐘の音。

「ちょっと、来い」

「痛いよッ、離せバカ!」

「黙れ、いいからついて来いッ」

そのまま腕をつかまれて、引きずられるようにして―――って、あれ、これは、この先は、昇降口?

「み、皆守、俺、まだ教科書とか鞄とか、教室に!」

皆守は聞く耳を持ってない。

「放課後になったら校舎に入れないんだぞ?もうすぐ鐘鳴るし、取りに戻れなくなったら」

「お前には必要ないだろ、そんなもん」

校舎から引きずり出されたあたしは、そのまま寮へと連れて行かれた。

歩く速度が異様に速くて、途中何度もあたしがよろめくたびに、皆守の手が痛いくらい握った部分を強引に引き上げて歩き続けさせられた。

多分、痣になってると思う。

まだ学校は終わったわけじゃなかったから、連行される途中、誰ともすれ違わなかった事だけが幸いだ。

こんな光景見られたら、昼と合わせて何事だって思われちゃうよ。

あたしって、よくこうして皆守に拉致られてる。

腕力じゃ敵い様がないのが凄く悔しい現実だ。ムキムキのマッチョネスだったら、一発殴って逃げ出してるのにッ

(あーでも、そんな体だったら気持ち悪いかも)

そりゃ、マッチョネス並に胸は小さめだけどさあ。

寮について、あたしの部屋じゃなくて、皆守の部屋まで連れてこられると、あたしは入り口で靴を脱ぐ暇も無く引きずり込まれてベッドの上になぎ倒された。

皆守がドアに鍵をかけている。

 

―――これは、まさか。

 

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