夕薙君は、ツチノコを信じてないみたいだった。

まあそうだよね、それが普通の反応だよね。

あたしなんか仕事柄、信じる信じない以前の問題で『そういうことも在り得る』とかスクール時代に叩き込まれちゃってるから、そもそもの常識の有効範囲が違う。

まあ、いてもいなくてもどっちでも構わない、要はそれが仕事に関係するのかどうか、ただそれだけなんだけど。

だから、夕薙君が一生懸命超常現象を否定しようとする姿に、ほんの少しだけ『?』ってなった。

いるかいないかわからないんだったら、判別のしようがないじゃない。

独断と偏見で押し通すのって、あたし嫌いだ。

世の中はフェアでなくちゃ、うん。

(もっとも、今一番フェアでない状況にいるのが私なわけですが)

―――現実ってうまく行かないものだよね、ガックリ。

「君は、どこか具合の悪いところはないか?」

「え?」

唐突に聞かれて、あたしはフルフルと首を振った。

「元気なのが取り柄だから、全然、大丈夫!」

「そうか、それは良かった」

ニッコリ笑いかけてくる。

ううん、やっぱり格好いい。他に好きな人がいるだなんて、つくづく残念。

「強靭な精神力は、時として肉体をも凌駕する、俺は奇跡や呪いなど信じてはいないが、精神の意味というのを常に考えている、果たして人は精神によって、病を克服できるのか、とかな」

「夕薙君って高尚だねえ」

「そんなことはないさ」

この、ちょっと照れた顔もいい感じ。夕薙君って目が可愛いんだよね。

「まあ、この辺りは俺よりも瑞麗先生が詳しいだろう、何といっても臨床心理の」

うん、と言って顔を上げた。

あたしもそっちを振り返る。

窓の外の景色に見入っていた姿は、夕薙君の片思いのお相手、白岐幽花さん。

(あ)

―――あう。

あたしは足を止めて、そのまま回れ右していた。

「ゴメン、夕薙君、そういえば用事があったんだった」

「どうしたんだ?」

何でもない、大丈夫と、あたしは訳のわからない単語を並べて歩き出す。

目の前でモーションかけてる夕薙君の姿なんて、正直ちょっとやってらんないし。

白岐さんのことは嫌いじゃないし、恋愛は人の自由だって、そりゃあわかってるんだけどさ。

その―――こっちにだって、意地くらい、あるもん。

背中に向けられていた視線が、不意に外されるのを感じていた。

直後に聴こえる、夕薙君の白岐さんを呼び止める声。ウキーッ

(聴こえない、聴こえない)

ちょっと小走りに角までいって、曲がったところで一度足を止めて、壁に凭れたら溜息がこぼれた。

「あーあ」

ちょっとションボリ俯くあたしに、あきら君の呼び声。

「どうしたの、あきら君」

ふと顔を上げると、反対側からやってくる取手君の姿が見えた。

「あ、取手君」

あたしはエヘヘと苦笑いを浮かべる。

変なとこ見られちゃったかな。

取手君は案の定、心配そうな顔をして目の前に立った。

そのまま、大きな身体を折り曲げて、あたしの顔を覗き込む。

「大丈夫?元気がないみたいだけど」

「へ、へーき、へーき!元気なくなんかないよ、全然元気!」

「そうかい?」

首をちょっと傾げて、それでもまだ取手君は心配そうだ。

ううん、そんな顔されちゃうと、ちょっと罪悪感だなあ。

壁に凭れて、あたしが困った顔して取手君を見上げていたら、取手君はそのまま両腕を脇についてもっと顔を近づけてきた。

「あきら君、でも、何だか寂しい顔をしているよ?」

「そ、そっかな?」

「本当に、大丈夫なのかい?」

「う、うん」

目の奥をジーッと覗き込まれて、何だかあたしは変な気がする。

取手君も目が可愛いなあ。

結構睫が長い。肌の色も白くて、スベスベしてる。いいなあ。

(バスケットもいいけど、取手君にはやっぱりピアニストが似合ってるよね)

たまに聞かせてくれるピアノは、本当に素敵なんだ。

見上げていたら、瞼が物凄く自然に閉じられていた。

―――あれれ?

えっと思う間もない。

もっともっと近づいてきた顔の、唇が重なって―――

「ンッ」

あたしは、キス、されていた。

それも触れるだけじゃなくて、結構しっかりしたキス。唇の感触が伝わってくる。

(おっ、おお?)

ビックリしたあたしから顔を上げて、ふと間を置いて、取手君は直後に口元を押さえながら本気で火でも吹くんじゃないかってくらい真っ赤に染まっていた。

「あああのッ、そのッ、ぼ、僕は、僕、はッ」

あたふたと両腕を振り回して、そのままふらりとよろめいてる。

何か、自分でもよく状況がわかっていないらしいらしい。

―――えーと、雰囲気でしたのかな、キス。

でも、シャイな取手君にしては、珍しい行動だと思うんだけど。

「ごッ」

取手君は真っ赤なまま、あたしから一メートルくらい後退りをする。

「ごめんなさいッ」

思い切りよく頭を下げて、反動で両腕がぶんと投げ出された。

床にぶつかった両手首がゴキッて鳴ってた。うわ、ピアニストの命が!

「だ、大丈夫?」

慌てて近づこうとしたあたしに急いで背中を向けて、取手君は来た道を猛ダッシュで駆けて行ってしまった。

なんだったの、今の。

「挨拶じゃ、なかったの?」

よくわかんない。

ドタバタしたせいで、夕薙君と白岐さんのことは頭の中からすっかり飛んでた。

あたしはフウと肩で息をして、それから上の階目指してノロノロと歩き出していた。

色々モヤモヤしちゃって、気晴らししたい。

今日は天気がいいから、一時間くらい屋上でサボっちゃおうかな?

皆守がいないといいんだけど。

(でもまあ、あんな奴はどうとでもできるから)

いざとなれば追い出してやろう、それくらいは平気でしょ。

「何かあっても、無視、無視」

呪文のように呟いて、どうにもやる気を出さない両足を励ましながら、あたしは一段ずつ階段を登っていった。

 

それで、屋上には、やっぱり皆守がいた。こいつに関して悪い予感は外した事のないあたしだ。

不可抗力だよね、どうしようもないもんね。

姿を見つけた途端、ガッカリするあたしと逆に、皆守はフェンスにもたれたまま悠々とアロマの煙を立ち上らせている。

「よお、あきら、お前もサボリか?」

「一緒にしないで」

「一緒だろうが」

給水等の下にストンと腰を下ろすと傍までやってきた。

おんなじように隣に座って、やれやれとか言いながら肩に腕を回してくる。

「もーッ、こういうの、やめてッ」

「細かいこというな、おとなしくしてろ」

「重いッ」

「じゃ、もっとこっちに来い」

外そうとしたら逆に引き寄せられて、あたしはそのまま皆守に凭れるような格好にされた。

暖かくって気持ちいいけど、複雑な気分。

ぬーと唸り声を上げてると、皆守が空を見上げながらぼんやりあたしを呼んでいた。

「なあ、あきら」

「何よ」

―――こうして、屋上から空を眺めてると、あの流れていく雲みたいにこの牢獄から抜け出して、遠い異国へ行ってみたいって気にはならないか?」

はあ?

顔を上げると、感傷的な横顔が見える。何で唐突にポエマーになってるわけ?

(でも、皆守って時々妙に詩人だよね)

知ってたけど、実は。

こういうわけのわからない、エキセントリックなのって、ちょっと好みだけどでも皆守だったらヤダ。

あたしはフウと溜息を漏らす。

「なんないよ、そんなの」

「そうか?」

「だってあたし、別に牢獄になんて繋がれてないもん」

皆守がこっちを見た。

「大体、異国って言ったって、ここからじゃどんなに遠くても飛行機で10時間ちょっとだよ?遠くないよ、近いよ、出て行きたいならいつでも出て行けばいいじゃない、許可書があれば外出自由なんでしょ?」

「お前、宝捜し屋なんてやってるわりには、浪漫がないんだな」

そんな事言われる筋合いありません、ムキーッ

「うるさいなあ、放っておいてよ、あたしはもしも話が好きじゃないんだから」

「もしも話?」

「そうだよッ」

何だか苛々して、あたしは興奮しながら、皆守に思うところを語りだしていた。

大体、寂しい顔して「こうだといいけど、でも無理」とか「こうしてみたいけど、きっとできない」とか、そういう話は嫌いなんだってば!

「あのねえ、頑張って、できないことは無いんだよ?本気の願いなら、きっと叶えられるんだから」

―――そんな事、一概に言い切れないだろうが」

「言えるよ!」

「何故だ」

「だって、本当にそうしたいんだよ?本気の本気で、願い事するんだよ、命がけなんだよ?」

人生ってチップを欠けても惜しくないって思える、そういう願い事なら、なりふり構ってらんないはずだ。

「できないかもしれないから諦めるとか、そういうつまんない事言ってるうちは、絶対何も叶いっこないんだから」

「フン、そりゃ、強い人間の台詞だろう?」

「強いも弱いも関係ないよ、それじゃ、怪我が怖くて部屋の中に引き篭ってるのと変わらないじゃない」

そりゃ、あたしだって、世の中には色々な人がいるって、ちゃんとわかってる。

誰だって傷つくのは嫌だし、痛いのも嫌、恥ずかしい思いだって、なるべくしたくない。

それは、当然あたしだって同じ。

いつだってがむしゃらに走っていけるほど強くもないんだから、これでも。

でも―――でもね、あえて言わせてもらうなら、それでも頑張るのが、あたし流だ。

「神様はね、いるのよ」

「は?」

「だから、頑張れば、ちゃんと何かあるの」

皆守は黙ってあたしをじっと見てる。

「その何かで、まだ足りないなら、もうちょっと頑張ってみるの、そうすると、また何かあるから」

そうやって積み重ねていけば、きっといつかは頂上に手が届く。

あたしはそうやって生きてる。進んだ分だけ、間違いなく景色は変わっていくから。

「だから、やらないっていうのは、嫌なの、ゼロじゃ何も起きないし、何も変わらないじゃない」

するりと髪を撫でられた。

ラベンダーの香りが漂う。混ざって、あたしのシャンプーの匂いも。

「あきら」

皆守はいつの間にか笑っていた。

笑いながら何度もあたしの髪を撫でる。真っ黒い瞳がスッと細くなってあたしを見詰めていた。

「お前ってやっぱり、変わってるぜ」

「何よ、そのやっぱりっていうのは」

「いや」

そのまま、防御する隙もなく唐突にキスされていた。

(んなッ)

また、これか!

「こんの、バカッ」

あたしは眉間を寄せて皆守の身体をドンと突き飛ばす。

誰かに見られたら、どーしてくれるのよッ

勢いよく立ち上がって歩きだすあたしの後ろで、皆守はまだちょっと笑っているみたいだった。

ったく、いきなり語りだすわ、キスするわ、ホント、どうしようもない奴だ。

ムキになって意見したのがバカみたい。どうせ、皆守なんて何にも考えてないに違いないんだからッ

「あきら」

ドアノブを掴んだ瞬間、あたしはまた呼ばれていた。

振り返ると、皆守はアロマを咥えてぼんやりと空を見上げていた。

―――お前はそういうけどな」

でも、と声が低くなる。

「やっぱり―――どうする事もできない奴も、いるんだよ」

不意に寂しそうな表情に、あたしはきょとんとしていた。

それ以上喋りそうもない雰囲気だったから、あたしは皆守を放っておいて校舎の中に戻る。

背中にバタンと閉じる音を聞きながら、薄暗い階段を見下ろして、切ないような、変な気分だった。

あいつ、いきなりどうしてあんなこと言ったんだろう?

もしかしてその前の話、何か意味があったんだろうか。

―――昔に、嫌な思い出でもあるのかな?

「うー、奴の心配なんて、どうした、あきら!」

首を振って頬をぴしぴしと叩く。

いかんいかん、そういう関係じゃないでしょうが!

情が移ったか?

「教室、戻ろう、うん」

授業中だけどいいや、もう何かサボる気分でもないし。

てくてくと一段ずつ降りていく。

その間あたしは、ずっと皆守の事が頭から離れなくて、謝りながら教室に入って、机についても、そのことばっかり考えていた。

窓の外に、真っ青な秋晴れが遠くまで広がっていた。

 

次へ