あーもう、ツチノコツチノコって、今日は一体どうしちゃったわけ?
階段の踊り場であたしは頭を抱えている。
今さっき、また真里野殿に出くわして、何事かと思えば決闘を挑まれてしまった!
今宵、暮六ッ半って一体何時よ?
(七時っておとなしくいえばいいのに、お侍さんって頭が硬い)
正々堂々を散々繰り返して、真里野殿はよっぽど潔癖な性質らしい。
ま、あたしにそんな事言ってもどうしようもないと思うんですが。
不意打ち上等、卑怯千万、目的のためなら手段を選ばない、それがあたしなんだから。
「まあ、行くけどねえ」
あきらクン、ねえねえと八千穂さんが階段を降りてくる。
「どうしたの、難しい顔して」
「八千穂さん」
「あ、わかった、ツチノコの事考えてたんでしょ?」
―――うう、ますます頭が痛い。
「ねえねえ、そんなに気になるならやっぱり探しに行こうよ、皆守クンはやめとけとかいってたけど、きっと本当は見たいと思うんだ」
「ツチノコを?」
「そう!」
はあ、そうですか。
なら皆守と二人でいってらっしゃいよ、あたしはもう疲れたから、寮に帰らせていただきます。
「行こうよォ、あきらクンが一緒だったら、絶対頼もしいもんッ」
腕ごと身体をブンブン振られて、あああってなってたあたしと、八千穂さんの上に、声が降ってきた。
「泥棒だァ!」
へ?
―――今日はまだ、どっこも探索していませんが。
「誰かそいつを捕まえてくれッ」
見上げた上階がちょっとした騒ぎになっているみたい。
「そいつ、うちの教師じゃないぜッ」
「えっ」
あたしと八千穂さんは目を丸くしていた。
階段を駆け下りてきたのは、確か鴉室とか名乗っていた宇宙探偵。
何でこんな時間にこんな場所にいるのか知らないけれど、踊り場に立つあたしに気づいてニッと笑う。
「おっと、君はいつぞやの」
「こっちだ、階段を降りていったぞ!」
男の子の声に、宇宙探偵はヤバイと呟いて反対側の階段を降りていった。
な、何が起こっているのやら!
「そいつを逃がすな!」
誰かの声を聞いて、固まっていた八千穂さんが唐突にビクリと身体を震わせる。
「あきらクンッ」
「え?」
「追いかけてッ」
お、追いかけて?
「早くッ」
何だかわけがわからないけど―――
「よし、まかせとけッ」
あたしは床を蹴り上げる。
背後で八千穂さんが黄色い悲鳴をあげていた。何だか変な反応。まあいいか。
こう見えて、本気出すと結構足速いのよ。全身の空気抵抗が少ないのが理由なんじゃないかとか、何とか。
小さくてガリガリでも、役に立つ事もあるんですッ
ああでも男子の制服じゃ走りづらいなあ、せめて女子の体操服でも着ていたら。
(ハンターは時と場合を選ばず、乙女の俊足舐めんなあッ)
階段をジャンプで降りて、廊下を曲がって、ダッシュをかける。
後からまた八千穂さんの声が響いた。
「あきらクン、あっち!」
見えてますッ
少し手前のドアが、急にカラカラと開かれる。
「えーと、次はD組で本を回収して」
な、七瀬さん?!
「くらええっ」
後ろからも声。
何か飛んでくる気配。
「月魅、危ない!」
「え?」
―――ウソでしょお?!
(まーにーあーえー!!)
両手を伸ばして七瀬さんを抱きかかえるのと、あたしの背中に何かぶつかるのは同時だった。
そのままバタン、ごろごろドンと床やら壁やらにぶつかって、あちこちがしこたま痛い。
(ひーッ)
そっと目を開くと、腕の中で七瀬さんは呆然としていた。
何が起こったんだかよくわかっていない感じ。それは、もちろんあたしも一緒だ。
「あきらクン、月魅も、大丈夫?」
慌てて駆け寄ってくる足音に、あたしははたと思い出していた。
宇宙探偵は?
(逃げられる!)
ヨロヨロと立ち上がって前を見ると、もうあの派手なジャケットの背中はどこにも見当たらない。おのれ!
「あ、あきらさん」
「七瀬さん、体、どこか痛い?」
「いえ、特には」
「そう、ならよかったッ」
あたしは落っことしたHANTを拾い上げてまた駆け出した。
背中にあなたは大丈夫なんですかと七瀬さんの声が飛んできた。
「大丈夫!」
まだ誰か何か言ってるみたいだったけど、もう気にしてられませんってば!
こうなったら何が何でもあのお騒がせ親父を捕まえてやるッ
あたしは、校則無視の猛ダッシュをかましていた。
そこから廊下のどん詰りまで走って。
「だーれだッ」
お茶目な声と一緒に視線を覆った誰かを、踵で思い切り蹴り上げる。
「ぐおッ」
吹っ飛んだ姿は、やっぱり宇宙探偵だった。
辺りに置いてあったダンボールに突っ込んで呻いてる、いい気味。
「うぐ、み、鳩尾に―――君の友人もそうだが、君もなかなかどうして、暴力的だなあ」
「鴉室さんッ」
「名前、覚えていてくれたとは、光栄だねえ」
ふらりと立ち上がったヒゲ親父は、エヘヘと照れたように笑っていた。
―――何だか、前会った時と反応が違う?
(まあいいか)
あたしは宇宙探偵に詰め寄っていた。
「どうしてこんな時間に、こんな場所にいるんですか?」
「いやなに、ちょっと調べたい場所があってね」
「調べたい場所?」
うん、そうと頷きながら、あたしの顔をしげしげと見つめている。
「それってどこですか?」
「ん?ああ、まあ、仕事に関係する場所とだけいっておくかな、しかし何だな、君」
顎をさすって、ううんと唸り声を上げた。
何だか本当に変、一体どうしたんだろう。
あたしの顔に、何かついてる?
「何ですか?」
「君は、その、何というか―――真面目に可愛いなあ」
―――はあ?
あんぐりと、口が開く。
あたしは唖然と宇宙探偵を見詰める。
―――何を言い出すのかと思えば、何それ、どういうこと?
(というより、あたし今男の子なんですけど)
とりあえず、そういうことになっている。皆守と双樹さん以外、本当の事は知らないはずだ。
ってことは。
(ちょっと待って、そっち方面の趣味の人だったわけ?)
茂美ちゃんと同じタイプなんだろうか、だったらやだなあ、男のフリしてるだけでも結構屈辱的なのに。
(仮)同姓愛好者は、まじまじとあたしの顔を眺めて、それから爪先から頭のてっぺんまで見回して、もう一回顔をじいーッと見る。
そう思うと、今更ですが、この視線が非常に肌に心地悪い。
いや、痛いというか、気持ち悪いというか。
「ううん、やっぱり、今がそれなら将来が楽しみだ、おまけにいい匂いもするし」
近づいてきた鼻先があたしの髪をくんくんした。
「うわあッ」
き、気持ち悪ッ
「何するんだよッ」
「おっと、そういう言葉遣いはよくないぜ」
は?
「もっと可愛く『キャ、やめてくださいッ』とか言ってくれないとー、ホレホレッ」
うひゃー!
(へ、変態だ、ほんまもんの変態だッ)
皆守以上だ、ヤバイ、これは真正だ!
あたしが怪訝な視線でジリジリ後退りをするのを、変態はニヤニヤ眺めている。
「うーん」
制服の、袖の辺りや、腰周り、足とかにいちいち目を留める。
「細いなあ、あの破壊力は、一体どこから生み出されるんだ?」
知りませんってば!
(これは、日々の鍛錬の賜物ですッ)
皆守に襲われつつ、遺跡に潜りつつ、それでもほぼ毎日の筋肉トレーニングは欠かさない―――涙ぐましい努力の結晶です!
もっとも、ウェイトよりバネ重視のメニューを組んであるから、筋肉質では無いんだけどね。
ヒゲの下の口元が、何だかスケベに笑っていた。
これ、見たことある。用務員の境さんも時々こういう顔であたしのこと見ている。
でも境さんはもっぱら女の子専門みたいだから、まさか変な事しないと思うんだけど。
(それとも気に入ったらゴーサインが出るタイプなのかな?だったらちょっとヤバイかも?)
うへえ。
「その学ランを脱がせて、ぜひ身体検査をしてみたいなあ」
はあ?
ギョッと目を向いたあたしが、咄嗟に前をバッと両腕で覆うのと、変態に天罰が下ったのは殆ど一緒だった。
横様に吹っ飛んで、今度は壁にガッツンって小気味のいい音を立てながら衝突している。
その、元いた場所には、鬼のような形相の皆守。
(うわ、いつの間に?)
怖ッ
「オイ」
つかつかと歩み寄って、派手な色のシャツの襟元を掴みあげた。
なんだかメチャクチャ怒ってるみたいなんですけど。
(でもなんで?)
皆守は宇宙探偵に凄む。
「このままうちの教師の前に突き出されるのがいいか?それともとっとと姿を消すか?」
「しょ、少年、平和的にいこうじゃないかッ」
「黙れ、俺の気が変わらないうちに、どっちか決めろ」
そのままアロマを片手にとって、耳元に何か囁きかける。
鴉室さんははたと目を見開くと、皆守をまじまじと見た後で、ちょっとだけ苦笑いを浮かべていた。
「と、とりあえず、この手を離してもらえないか」
突き飛ばしながら手放すもんだから、また壁にしこたま背中をぶつけてる。
起き上がって、ゲホゲホむせながら、だからガキは嫌なんだよ、手加減を知らないとか何とかブチブチ文句をこぼしてた。
手加減以前の問題で、皆守は元々暴力的だから、多分誰に対しても同じだと思うんだけど。
鴉室さんは外れかけたサングラスをかけなおして、ついでに髪形も整える。
シャツの襟元を正しながら、あたしを振り返ってばつの悪い笑顔を浮かべていた。
「色気出したら、この様だもんな、妙な気は起こすもんじゃないな、ホント」
妙な気、って、じゃあやっぱり剥くつもりだったんだ。
(そんなの、とんでもないってのッ)
これ以上秘密がばれたらシャレにならないよ。
いや、日中の学校の、こんな人目につかない奥詰まった場所で、そんな事態に陥ったら間違いなくとんでもないことになるだろう。
―――い、一体何をされることやら。
「オイ」
皆守の怖い声が響く。
待て待てと手を振って、鴉室さんは慌てて少し後退りをする。
「ったく、本当に、君はどうにもカルシウムが足りないぞ、もっと小魚を食うべきだ」
「余計なお世話だ」
「まあ、用事はもう済んだし、とりあえずお兄さんはそろそろいなくなるとしますか」
玖隆君、と呼びかけられる。
「縁があったら、また会おう」
一緒にウィンク。
唖然とするあたしの目の前で、皆守の蹴りが飛びのいた宇宙探偵のシャツの裾を破いた。
ひらりと派手な色の切れ端が宙を舞う。
しっかし、相変わらずいい蹴り持ってるなあ。
あれを探索活動中に活かしてくれたら、少しは見直してやっても良いんだけど。
「またな、ベイビーッ」
そのまま駆けていく背中に舌打ちを洩らして、皆守はくるりとあたしを振り返った。
「おい」
近づいてきて、両肩を掴む。
「な、何?」
「―――何も、なかっただろうな?」
は?
「その、大丈夫か?」
はい?
あたしはきょとーんと皆守を見上げていた。
えーと、これは心配?それとも、バカにされてる?
皆守はむすっとしたまま、あたしの髪の毛を手櫛で整えている。
体の埃をパンパンって払って、目の位置まで腰を折った。
「オイ、何とか言ったらどうだ」
「は、あ、え、えーと」
―――何だか、変な感じ。
なんで急にこんなに親切にしてくれるんだろ。
やっぱり裏があるんだろうか?
(は、まさか、助け賃!)
誰も助けられたつもりもないけど、またそんなむちゃくちゃな事とか言い出す気なんだろうか?
ちょっと強ばったあたしに、皆守は不意にくんくんと鼻を近づけてきた。
ま、またッ
(双樹さんのシャンプーって、男にはたまらない匂いでもするのかな?)
花のオイルって言ってたから、男より女の子に好まれそうな匂いだと思ったんだけど。
「なあ、あきら、おまえさあ」
「な、何だよッ」
「―――ちょっと臭わねえか?」
「えっ」
ちょっと、何それ、女の子としては屈辱的な言葉なんですけど。
「た、確かに、走ったから少しは汗かいたかもしれないけど、でも臭くなるくらいには」
―――ん?んん?
あたしの鼻先にフワンと香った、なまぐさい臭い。
あれれ、ホントにちょっと臭うかも?
皆守は顔をしかめて、まだくんくんとあっちこっちの臭いをかいでる。
うわあ、やだなあ、なんかこの構図って。
(でもこれ、あたしだ)
あたしも自分であちこちくんくんしていると、背中に回った皆守があっと声を上げた。
「あきら、お前、これどうした?」
「え?」
あたしは首を折り曲げる。でも、背中だから見えない!
「ジャケット脱いでみろ」
「で、でも」
「心配するな、誰もいない、何ならこっち来て脱げ」
あたしはもう少し影になっている場所まで行って、制服のジャケットを脱いだ。
背中の部分を見ると、なんだか大きく染みになってる。
これ、何?
「臭いの元はコレだな」
鼻先に近づけて嗅いでみた、これは―――腐りかけた牛乳の臭い。
「あっ」
途端、あたしは思い出す。
七瀬さんと鉢合わせした時、飛んできた何かから彼女を守ったんだ。
その時背中にそれがぶつかって、はじけた。
ビシャッて水音がしてたけど、まさかこれ。
「牛乳爆弾?」
皆守が顔をしかめている。
「だろうな、おそらく」
うわあああああ。
もしかしたら、さっき鴉室さんを追いかけてた男の子の一人が、マーキング代わりに投げたのかもしれない。
でもあたしに当たっちゃったよう。
おまけにコレ、メチャ臭い!
「これは、このまま教室戻ったら、ちょっとした公害発生源だぞ、お前」
「うう」
言われなくてもわかりますってば。
明日からあたしはゲロ臭い男として、周りの皆に認識されちゃうんだ。うう、屈辱。
制服を握り締めて、ガックリと肩を落としたあたしの背中を、皆守がポンポンと叩く。
「まあ、他に何もなかったんだったら、それでいいさ」
「良くないッ」
うー、人事だと思ってッ
皆守がハハと笑っている。
わーらーうーなー!
「仕方ないな、寮に戻るぞ、あきら」
「へ?」
「そんな格好じゃ授業なんて受けられないだろ?」
た、確かに。
顔を上げたあたしに、皆守は自分のジャケットを脱いで、渡してきた。
どういうこと?
「とりあえずそれを着ろ、そっちのそれは、手に持っておけ」
「で、でも」
「サイズ違いは勘弁しろよ、早いとこ戻って洗濯しないと、臭いが抜けなくなるぞ」
あたしは皆守の制服をじいっと眺める。
それから、散々ためらって、ようやく袖を通した。
やっぱりちょっと大きい。それと、ラベンダーと皆守の匂いがする。
「ダボダボです」
襟のホックは無くなってたから、一番上までボタンを留めても、喉の辺りが丸見えになっちゃう感じ。
手の甲まで袖はあるし、丈も長くてスカートみたいだ。皆守がまた笑う。
「なかなか似合ってるぞ、あきら」
そりゃ、どうも。
「さて、誰か来る前にさっさと戻るか」
「うん」
皆守はこの寒空の下、Tシャツ姿だ。
何だかその、ちょっとだけ申し訳ないような。
「ね、ねえ、皆守?」
「ん?」
「寒くないの?」
背の高い後姿が、あたしをチラッと振り返って、ニヤリと笑う。
「平気だ、行くぞ」
そのままどんどん先に歩いて行く、あたしも、変な気分のままあたふたと後からついて行った。
(次へ)