「あきら、傘取ってくるから、待っててくれ」

昇降口から覗いた景色は、いつの間にか結構な大雨。

どうりで寒いと思ったんだよね、階段降りてくたんびに、下から冷気が昇ってくるというか。

思わずくしゃみをしたら、肩を抱かれて大丈夫かって顔を覗き込まれた。

そのままついでにキス。

「ぬがー!」

怒ったら、笑いながら階段を登ってっちゃった。くっそー!油断したッ

「あいつってばどうしていっつもあんななんだろなあ」

ブチブチ呟きながら、出入り口の扉の桟に凭れて、あたしはぼんやり雨音を聞く。

さわさわって聴こえてくる、マイナスイオンたっぷりの風をすうって吸いこむ。

寒いけど、気持ちいいな。

パパとママ、どうしてるかな、クラウスは元気にしてるかな、カールは今頃どこにいるんだろ。

―――何だかちょっとだけセンチメンタル。

かたん。

物音が聞こえて、振り返ったら、奥の暗がりに誰かいるみたいだった。

あたしはピコンとアンテナが立って、こそっとそこを覗き込む。

「っつ、み、見るナ!」

「わッ」

いきなり怒鳴られて、ビックリしながらそっぽを向いた。な、何なの?

暗がりから小さく溜息が聞こえてくる。

「あ、りがとう、で、ありマス」

「はあ」

見えないけど、声の感じからして、男の子。

でもどうしたんだろ。

見られちゃ困るようなことでもしてたのかな?

(まさか、悪い事?それともエッチな事?)

直後にあたしはフルフルッて首を振る。ば、バカ、変な事考えない!

「あ、アノ」

「な、何でしょう?」

あたしはちょっとビクリとしつつ、その子の方を見ないように返事した。

「あ、あの、その、ど、どうしても、怖いのでありマス」

何が?

「その、自分を見る人の目が、怖くて、苦しくて―――恐ろしいのでありマス」

そうして男の子が何度もどもりながら話してくれたことを聞いて、とりあえず納得した。

つまり、この子は視線恐怖症にかかっているらしい。

まあ、思春期にはこの手の症例って多いらしいし、心の病なんて誰でも多少は持ってるものだからねえ。

原因はまだ詳しく解明されていないけれど、恐らくは過度のあがり症及び自己評価過小気味、そんでもって世間体とかを気にする、比較的社会性のあるタイプなのかな?カウンセラーじゃないからあんまり詳しくわかんないけど、でも性質的に狂暴性はない人種と見た。

(じゃ、ただの照れ屋さんだな)

―――ちょっと違う?

まあともかく、男の子がションボリしてるみたいなので、あたしは元気過ぎない明るい声で返事をした。

「そんな風に卑屈になる事ないよ、だって誰にでも怖いものや苦手はあるし、君の場合はそれが人の視線だっただけだろ?恥ずかしいことでも何でもないよ」

何だかちょっとだけ、視線。

雨の音がさわさわ聞こえる。

―――貴殿の言葉は何故か、自分を安心させてくれるでありマス、見も知らぬ方だからこそ、こうして安心して話せるのかもしれないでありマス」

うん、ちょっと元気が出たみたい。

灰色に霞んだ外を眺めながら、あたしはニッコリ笑った。

「良かった」

男の子はまた何か呟きながら、駆けてく足音が遠ざかってく。

最後のほうってよく聞こえなかったんだけど、まあ、ションボリが治ったならいいでしょ!

やれやれって溜息吐いてたら、今度は知ってる声に背中から呼ばれた。

「あきら君」

くるり。

振り返ると向こうから歩いてくる。

「取手君?」

曇天のせいで校舎の中は暗い。

現れた取手君は、あたしの正面で立ち止まると、何だか話し辛そうに「何してるの?」って聞いてきた。

「傘待ってるんだよ」

「傘?」

「うん、皆守が取りに戻ってるんだ」

そういえばアイツ遅いなあ。

上で捕まっちゃったのかな?あんまり遅いようなら置いて行っちゃおう。

「そうか」

取手君はますます複雑そうな顔をして、そのまま黙り込んじゃった。

辺りはまたまた雨の音。

寒いなあ。そろそろアンダーウェアも考えた方がいいかなあ。

「あ、あの」

「ん?」

見上げると、取手君は俯いてた。

髪の毛がサイドからかかって、表情がイマイチはっきり見えない。どうしたんだろ、こっちも元気ないねえ?

「あ、あのね、あきら君」

「どうしたの、取手君」

「その」

もごもごしてた口元が、物凄く、物すごーく小さい声で「この間」って呟いていた。

この間?

(なんかあったっけ?)

えーと、ううーん。

(あ!そういえば)

―――この間、取手君ってばあたしに。

「こ、この間は、本当に、その、ご、ごめん、あきら君」

「あ、うん」

いや、今の今まで忘れてたくらいだから、別にいいんだけど。

チラッと見える取手君の肌がピンク色に染まってて、声も震えてるみたいだ。

あたしはそれをきょとんと眺めている。

そんなに気にさせちゃったかな?っていうかあたしは何もしてないのですが。

「でも」

はい。

「あの、今のごめんは、その、君を驚かせたから分のゴメンだから」

―――ハイ?

疑問符を浮かべるあたしに、取手君は顔を上げた。

いつも優しい、どこかちょっと気の弱そうな視線なのに、今日の取手君は何だか少し様子が違う。

目に力というか、目力?吸い込まれそうな迫力があって、あたしはちょっと―――視線をそらすことができない。

取手君はじっとあたしを見詰めていた。

ざあざあと雨の音、さっきより少し強くなったみたい。

風も出てきた、寒いかな?でも、何だか熱い。

「あきら君」

「えッ」

「僕は、キスした事は、謝らないよ」

はいい?

「だって僕は」

長い腕がすっと伸びてくる。

あたしはやっぱりまだ、動けない。

その、ドキドキ、するんですけど。

またもや妙な予感。真里野殿のときみたい。これって、えーっと?

「きみの事が」

指先が微かに髪に触れそうになって、あたしの目はまんまるだ。

取手君はいよいよ本当に自然発火しそうなくらい赤い。

でも、いつもより数割り増しに男らしくも見えて、そのせいかな、何だかちょっと声が出せない。

ドキドキが酷すぎて、言葉が喉に突っかえてる感じ。

「き、きみの、事がッ」

指が髪に触れた。

ひゃあーッ

喉がコクンって鳴った。

取手君の唇がそのまま『う行』の形にすぼめられて、何か発声しようとした、その瞬間―――

「あきら」

みぎゃー!

多分、猫なら全身の毛を逆立てて、尻尾まで太くなってたに違いない。

取手君は言いかけた言葉をゴクンと飲み込んで、あたしはバッと振り返った。

階段の上から、傘をぶらぶらさせて降りてくる、あいつはッ

「みっ、皆守!」

今頃現れた皆守は、そのままあたしと取手君の間に割って入るように立つと、あたしを振り返ってうん?と首を傾げてみせる。

「どうした、深刻な話でもしてたのか」

そう思うんならどーしてそんな場所に立つのよ、コラ!

唖然とするあたしに、わけわかんない様子で顔をしかめて、それからくるっと取手君を振り返る。

ここからだと丁度皆守の後頭部が邪魔で二人の顔がどっちも見えない。

声だけ聞こえてきた。

「よお、取手、どうしたんだ、お前のクラスも自習か」

「そ、そうじゃないけれど、保健室に用があって」

「そうか、だったら早く行った方がいいんじゃないのか?」

「で、でも」

「倒れでもしたら大変だ、具合の悪いときに、無理はするもんじゃない」

「でもあの」

「こいつの事なら気にするな、俺がもう連れて行く、お前も早くベッドで横になってこいよ」

「あ」

「お互い体が弱くて大変だよな、でもまあ、こればっかりは個人の努力でどうなるもんでもない―――まあ、養生しろよ、じゃあな」

またこっちを振り返った皆守は、片手であたしの肩を押すようにした。

「だ、そうだから、行こうぜあきら、いつまでもこんな場所にいたんじゃ、寒さで風邪ひくぞ」

「え、でも」

「取手は具合が悪いんだ、無理をさせるな、行くぞ」

そのままぐいぐい押されて、おろおろしてたら、皆守の影からようやく取手君の姿が見えた。

「あッ」

目があった途端、またちょっと赤くなって、それから眉をハの字に寄せてハハッて笑う。

「そ、それじゃ、あきら君、またね」

「えッ」

―――いいの?

拍子抜けしたあたしの腕を強引に皆守が捕まえて、そのままどんどん歩き出していた。

天井がなくなるあたりで傘を開いて、お前も入れって引き寄せられる。

「離れてると濡れるぞ、もっとこっちに来い」

「狭いよッ」

「少しの距離だ、我慢しろ、行くぞ」

雨の中、チラッと振り返ったら、取手君はまだ校舎の中からこっちを見てるようだった。

ずいぶん寂しそうだけど―――さっきは、何を言おうとしたのかなあ?

まさかと思うんだけど、でもどうだろ、雰囲気はそんな感じだったけど、でも確証は無いし、違ったのかなあ。

(わかんないな)

皆守と双樹さん以外はあたしが女だって知らないはずだから、結局は全部闇の中だ。

取手君の言葉とか、さっきの男の子とか、他にも色々、生徒会のことなんかも。

「ックシュ!」

寒くて、思わずくしゃみをしたら、皆守の腕がさりげなく回されて反対側の肩や腕をさすってくれた。

そういえば皆守のこともよくわかんないよね。この頃はやけに優しいけど、何かあったのかな。

色々、アレコレ、何もかもサッパリはっきりしない。全部この空色みたいに、どんより鉛色。

ざんざん降りの雨の中、マミーズにつく頃には、あたしと皆守の靴はすっかりびしょ濡れ、泥まみれになっていた。

 

次へ