お昼は双樹さんと一緒に食べた。
あたしのもってきたサンドイッチを半分こして、ジュースも半分こ、楽しい気分も半分こ。
胸がいっぱいになって、それでお腹もなんだかいっぱいになっちゃった。
予鈴が響いて、教室に戻る双樹さんと階段の途中で別れた。
「あきら君は教室には戻らないの?」
「あー、うん、ちょっとね」
双樹さんは何だかキラキラした目であたしの事をジーッと窺って、意味深な含み笑いの後、じゃあねって言って歩いていっちゃった。
何か、見透かされたかな。
(でも皆守との事なんて知るわけないよね)
午後の授業はサボる事に決めていたあたしは、そのまま下に降りて行く。
「あッ」
うん?
一階手前の踊り場で。
「先輩!」
振り返ったら、上から夷澤君が顔をのぞかせていた。
あれって声を上げたら、そのままトントンって軽やかに段を降りてくる。
ううーん、この身軽さ、夷澤君は何かスポーツでもやってるのかな。
「どうしたんスか、こんな時間に、こんな場所で」
「それはこっちのセリフだよ」
「俺は、生徒会の仕事だったんですよ」
なるほど。
「俺はサボり」
「はぁ、ダメじゃないッスか」
まあ、気持ちはわかりますけど。
そんなことを言ってニッて笑うもんだから、あたしもつられて笑っちゃった。
夷澤君の顔が、急にちょっと赤く染まる。
「あーと、ところで先輩」
「ん?」
「えっと、その、今日の四時間目のこと」
「何かあったっけ?」
「忘れたんですか?」
はあ。
ため息吐かれた、えーっと。
「体育の授業の時のことです」
あ、あれか!
夷澤君は、授業の邪魔をして悪かった事と、先生に怒られなかったかとか、みっともない姿を見せたとか、そんなことを訊いたり謝ったりしてきた。
あたしとしては、全部どうでもよかったんだけど。
でも、心配してくれたんだろうし、そう思って気にしないでって言っておいた。
先生にも特に怒られなかったしね。
「そうッスか」
「うん」
「なら、いいんですけど」
もし何かひどい目にあっていたら、俺の自慢の右で沈めてやりますからね。
(って)
―――随分不穏な事言うなあ。
「えーと、夷澤君は、ボクシングか何かやってるの?」
「ええ、ボクシング部です」
「そっか」
あたしは、さっきの階段を下りてくるときの動作も含めて、謎が解けたなって思いながら、何気なく夷澤君の腕に触れた。
「せ、先輩?」
「うん、なるほどね、確かに筋肉ついてる、上腕筋、上腕二頭筋、前腕諸筋、上腕三頭筋、へえ、凄いな、これはボクサーだ」
あちこちぺたぺた触って、ひょいって顔を上げたら、いつの間にか近づいていたみたい。
すぐ目の前に夷澤君の顔がある。
「あっと」
ごめんねって言って、あたしは心持ち慌てて離れた。
別に、恥ずかしいとかそういうのじゃ無かったんだけど。
(でも、あんまり親しくない人間に近寄られるのって、きっといい気分じゃないよね)
あたしなんかそうだもん。
夷澤君は、いいえってそっけないそぶりで、メガネのフレームをちょっとだけ押し上げる。
でもやっぱり何だか顔が赤いみたい。
しかも、さっきより赤みが増してる?
(熱でもあるんじゃないのかな)
夷澤君の髪型って、全部後ろに撫で付けて整髪料で整えてあるから、おでこが丸出しだ。
ちょっと触ってみたい衝動に駆られた。
でも、流石にやりすぎ?
(ううー)
熱にかこつけて、触っちゃおうか?
悶々と考えていたら、邪気を感じ取ったらしい夷澤君が、急にそそくさと背中を向けながら歩いて行こうとしてた。
「じゃ、じゃあ、俺は、これで」
先輩も教室に戻らなきゃだめッスよとか何とか聞こえた気がしたんだけど、それ以上にあたしは。
(わ!逃げられるッ)
―――案の定殆ど聞こえてませんでしたッ
「夷澤君ッ」
「先輩?!」
(ええい、でこ触ってやるッ)
思い込んだら一目散、つい、その、勢い余って踊りかかったあたしは―――
「ぐあッ」
どすんって。
「いてててて」
「ううーッ」
気付いたら、もんどりうって一緒に踊り場に倒れこんでいました。
下敷きに夷澤君、上に、うつぶせに乗っかってるあたし。
(な、何か、以前の再現みたいな事に)
顔だけで見上げたら、メガネがずれて痛そうに呻いていた夷澤君が、呻きながらあたしを見下ろした。
「せ、先輩ッ、何するんスか!」
「アハハハハ―――ごめん」
ごめんじゃないだろって自分で自分にツッコミが入った。
そりゃ、ごめんじゃないよねえ。
(反省します)
ちょっと困り顔で苦笑いして、もぞもぞ起き上がろうとしたら。
「わッ」
いきなり、背中のあたりをぐいっと押されて、潰されるあたし。
一体何事?
耳元に熱い息が吹きかかる。
ギュウウーッて、どうやら抱きしめられているらしくって、あたしは夷澤君の肩の辺りに鼻先を押し付けるようにして、急に訳わからん気分で固まっていた。
えーと、その、ドキドキするんですが!
(何で?)
ひゃああ!
「い、夷澤君ッ」
それっきり、言葉も無く暫く抱きしめられ続けて、どれくらい時間が過ぎただろう。
多分、そんなに経ってないと思うんだけど、気分的には物凄く長い時間そのままでいたような。
しかも、階段の踊り場なんかで。
「―――おーい」
あたしはワザと調子ハズレに、夷澤君の身体をパシパシ叩きながら「ギブギブ」って声を上げた。
途端、パッて腕が放されて、ノロリと起き上がったあたしは、夷澤君の上を跨いで、横にぺたりと腰を下ろす。
後から夷澤君もふらりと起きて、真っ赤になった顔のメガネの位置を直してから、ゆっくり立ち上がった。
極力こっちを見ないように心がけているような仕草で、そのまま片手を差し出してくる。
「どうぞ」
掴まれってことかな。
引っ張ってもらって立ち上がると、一緒に制服の埃をパタパタと叩き落とした。
「夷澤君、ごめん」
「いえ、先輩、怪我とかしてないッスか?」
「うん」
「なら、いいです」
それじゃ、俺はこれで。
言葉数少なくそう言って、夷澤君は階段を上っていった。
教室に戻るのかな。
「ううーん」
失敗したなあ。
結局おでこは触れなかったし、夷澤君のことまた押しつぶしちゃったし、転ばせちゃったし。
怪我っていうなら、そうだ、夷澤君は怪我しなかったんだろうか。
ボクサーなら尚更、身体は大事なはずだよね。
(悪い事しちゃったなあ)
でも、今更反省しても遅いから、以後気をつけよう。
あたしは殆どどこもぶつけてなかったんだけど、何故か、胸のドキドキがなかなか収まってくれなくて、ちょっとだけ困っていた。
ハグなんてただの親愛表現のはずなんだけどな。
(でも、今のってただのハグじゃない気がする)
血迷ったわけでもなさそうだし、そもそもあたしの認識は男の子のはずだし。
「ううーん?」
もう一度唸ってみたけど、わからないものはどうしようもなかったから、結局何事もなかったように階段を下りただけだった。
今度こそ寮に帰っちゃおう。
そう思っていたのに。
「ん?」
端末の呼び出し音が鳴る。
開いて確認してみると、着信メールが一件。
「なに、これ」
妙な件名に首をひねりつつ、開いて中を読んで、更に脱力。
―――あの人も懲りないなぁ。
(まあでも、特に用事もないし)
仕方ないと思って、歩き出した。
あたしの足は、寮じゃなくて、温室の方へと向かっていた。
(次へ)