(とにかく、シャワーを浴びに行こう)

途中から、そのことばっかり考えてた。

ほかの事は何にも考えられなくて、とにかくシャワーのことだけ。

寮の玄関には誰もいなくて、あたしは極力人目を避けるように廊下を走る。

今の時間帯は、皆お風呂とか談話室でお喋りとかだから、部屋のある区画に来る人なんて殆どいないはずだ。

借り物の制服の前を片手で掴んで、自分の制服を片手に掴んで、なるべく足音を立てないように、けれど、なるべく早く。

部屋の前にたどり着いて、鍵の入っている方のポケットに手を突っ込もうとしたとき。

 

「あきら?」

 

ビクンと肩が跳ねて、振り返った。

極力、冷静を装った―――っていうか、頭の芯が冷え切っていて、まるで自分が自分じゃないような、そんな妙な感覚に陥ってたんだけど。

「どうした、そんな格好で」

怪訝な顔した皆守が立ってる。

あたしは暫く呆然として、思考が真っ白になっちゃって、急に何も考えられなくなって―――代わりに、かくんと膝が抜けて倒れそうになったんだけど、寸での所で慌てて駆け寄ってきた皆守が支えてくれた。

触れられている部分が、あったかい。

(うッ)

「ううッ」

また、わけもわからず涙がこみ上げてきて、でも今度は堪えきれずに、瞳の端から零れて落ちちゃった。

直後に皆守がギョッとした顔をしたんだけど、すぐ何か気付いたみたいに眉間を寄せて、それから物凄く怒った様な、色々ショックを受けたような、表現するのが難しい、でも真剣な表情と雰囲気で、あたしをギュッと抱きしめながら立ち上がらせてくれた。

「あきら、とりあえず、歩けるな?」

「うん」

「プール行くぞ、先に行け、中には入れるんだろう?鍵はあるのか」

「持ってる」

「なら、行け」

「うん」

「着替えなんかは俺が持っていくから気にするな、部屋の鍵を借りるぞ」

あたしが手を入れようとしていたポケットに手を突っ込んで、いくつかある鍵の中から一つ選ぶと、残りをまたポケットに戻して、ポンと背中を叩かれる。

「行け、夜会が始まっちまうぞ」

―――そうだ、そうだった。

あたしは、まるでパチンとスイッチが入ったみたいに走り出していた。

そうだ、ボケッとしてる場合じゃない。

夜会に行かなくちゃいけないんだ。

昼間阿門君にも挑発されちゃったし、今夜はきっと大変な夜になる。

(もう十分大変だけど)

足が止まりそうになるたびに、皆守の声を思い出して、走った。

寮から出て、プールまでは片道10分ちょっと。

全力で走れば更に短縮できる。

ドアの前に立つと、白い息がホワッホワッて暗闇に広がって消えた。

その時にはもう涙は消えていた、鼻水は、まだちょっと垂れそうになるけれど。

凍えた指先で鍵を開けて、プールのシャワールームを目指す。

あたしの中には、他の事は何もない。

脱衣所で、着ていたもの全部、投げるように脱ぎ散らかして、ガラスのドアを開くと、ボックスの一つに飛び込みながら蛇口をひねった。

パアッと降り注いでくる、大量のあったかい雫。

(気持ちいい)

目を閉じる。

両手を壁について、少しだけ顔を俯ける。

髪を、お湯が伝って落ちていく感触がする。

それと一緒に、震えもだんだん収まっていった。

(あたし、震えてたんだ)

泣いちゃったし、震えてもいたし、もしかしなくても、これって―――

「怖かったのかな」

声に出したら、墓地での出来事が甦ってきて、改めて思い知らされた。

あたし、怖かったんだ。

(酷い事、されちゃうかもしれないって)

凄く、物凄く怖かった。

だってやっぱり女の子だもん。

ああいう状況は、怖い。

毎日、毎晩、皆守に口止め料を『お支払い』させられてるけど、他の誰にもあんな事―――

「あれ?」

思わずぱちりと瞳を開いた。

湯気でもわもわと煙ってる、あったかい光と温度に満たされた空間で、あたしは壁をじっと見詰める。

「えーと」

今、何か、変なこと考えなかった?

落ちてくるシャワーの一粒一粒が、浮かびかけた疑問をどんどん流していく。

何だったんだろう?

大切な事だった気がするんだけど。

「ううーん?」

首をひねっていたら、物音がした。

ボックスから覗くと、ガラス戸が開いて―――裸の皆守が中に入ってくる。

「うわ!」

ビックリして引っ込んだら、濡れた足音が近づいて、ひょいっとボックスの中を覗き込まれた。

「おい」

「ば、バカッ、こっちって女の子のシャワールームだよ!」

「構うか、どうせお前しかいないだろうが」

「何しにきたんだよッ」

「さっき言っただろうが、着替え、持ってきてやったんだ」

「だからって何で裸なのよッ」

「風呂に入るのに、服着て入るバカがどこにいる」

「着替え持ってきただけなんでしょ!」

「フン、俺もこれから風呂だったんだ」

ついでだとか言いながら、皆守は隣のボックスに入って、シャワーを浴び始めた。

あたしは、何だかソワソワしながらお湯に打たれていたんだけど、途中で皆守の腕がひょいと伸びてきて、ボディソープとかシャンプーとかをいちいち手渡してくれるから、微妙に居たたまれない気分で身体を洗ったり、髪を洗ったりした。

「これ、あたしのじゃない!」

「当たり前だ、着替えと一緒にお前の部屋から持ってきたからな」

「使わないでッ」

「ケチケチするな」

「双樹さんがくれたんだよ、いい匂いのする、特別製なんだから!」

「へえ、そりゃ儲けたな」

このーッ

皆守は暢気にシャワーを浴びている。

あたしは―――気付いたら、さっきまでの怖い気持ちより、皆守へのアレコレの方が強くなっていて、いつもみたいに怒ったり文句言ったりしながら、すっかり身体も髪も綺麗に洗いあがっていた。

隣のボックスのシャワーが止まる。

皆守が、ボックスのドアをちょっとだけ開いて覗いてくる。

「おい、あきら」

「何よ」

睨んだら、そのまま腕が伸びてきて、あたしの腕を捕まえて。

「わ」

引き寄せられて、キスされた。

唇を、絡めるみたいに、深く。

ビックリしてる間に、皆守の顔が離れていく。

「今夜の夜会、行くのか?」

「う、うん」

「なら、俺も行く」

「えッ」

「外で待ってるから、なるべく早く来い、無理はしなくていい」

えっと?

もう一度キスされて、離れていこうとする腕を、今度はあたしが捕まえていた。

殆ど無意識で―――皆守は、ビックリした顔であたしを見ている。

シャワーの粒が背中にあたって、あとからあとから、流れて落ちた。

あたしの内側は膨張しているみたいに、何も考えられなくて、言葉すら浮かんでこないまま、じっと立ち尽くしていた。

しっかり掴んだ、その手の上に、不意に掌が重ねられて、皆守がボックスに入ってくる。

お湯の音だけが途切れることなくシャワールームに響き続けていた。

体が、勝手に動いて、気付いたらあちこち熱くって、くっついている温度とか、触れたりかき混ぜたりする感触とか、もっと大きくて、硬くて、やけどしそうなくらい熱を帯びた何かがあたしの中を何度も出入りして、それで。

「アッ、アン、アウウウウウッ」

ぎゅううって目を閉じたら、体の内側に、あっつい波が広がっていった。

肩口にため息が触れて、見上げると、すぐ傍に皆守の顔が見える。

「あきら」

目を細くして、優しい声で。

キスされて。

くったり力を抜いたら、抱きとめてくれる。

何だかよくわかんないけれど、でも―――

(悪い気分じゃ、ないよね)

疲れ果てたあたしは、今はちょっと自力じゃ動けない。

その辺察してくれたのか、皆守は、あたしを担いで脱衣所まで運んでくれた。

背もたれのない椅子に腰掛けさせられると、タオルで身体を拭いてくれる。

「服、自分で着られるか?」

「ん」

大丈夫って、もにゃもにゃ答えながら、持ってきてくれてた下着を穿いた。

さらしを巻くのが億劫で、でも頑張って巻いたけど、やっぱりゆるゆるしてる。

(あとでちゃんと巻かなきゃ)

ランニングを着て、シャツを着て、制服を着たら、もうすっかり目立たないし、大丈夫かも。

やっぱり、大きくならないなあ。

さっきも散々揉まれたのに。

皆守は先に着替え終わっていた。

髪の毛を乾かし終わる頃には、大分意識もはっきりして、あたしはいつもの調子を取り戻しつつあった。

まだ体が熱い。

シャワー、浴びすぎたかな。

「皆守、顔がちょっと赤いよ」

「俺はのぼせやすいんだ」

へえ、初耳だ。

あたしたちはプールを出て、あたしは端末で時間を確認する。

「うわ、もうパーティー始まっちゃってるよ!」

「そうか」

皆守は気のないそぶりでアロマのホルダに紙巻を差し込んで、火を点けていた。

木枯らしが煙の先を揺らす。

「本当に来るの?」

「ああ」

「そっか」

あたし一人だけ参加かと思ってたけど―――ちょっと嬉しいかも。

(たとえそれがこいつであっても、ね)

ようやく元気が出て、あたしは、探索用の擦り切れたよれよれの制服だけど、でも真っ直ぐに歩き出した。

目指すは阿門邸!

今夜は、色々、本当に色々な事があったけど、でもここからが本番だもん!

(頑張るぞーッ)

ついてくるラベンダーの香りが、気合の後押しをしてくれているみたいだった。

 

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