階段から二階廊下に飛び降りた辺りで、白岐さんとバッタリ遭遇した。

「あら」

走りすぎてくしゃくしゃになってた髪の毛をとっさに手櫛で直しながら、あたしは可憐で色白の姿にちょっとだけ見とれる。

(これが、夕薙君の好みのタイプか)

八千穂さんの話じゃないけど、好みかどうかって結構重要ポイントだ。

恋愛対象になるならないの、最終分岐はそこだもん。

だから八千穂さんは皆守のこと別に好きでも何でもなかったし、夕薙君は白岐さんの事が好きなんだ。

(あう)

俯きかけたら、どうしたのって、綺麗な顔に覗き込まれた。

はああ、本当に美人だな。

儚げで、繊細で、ホント、あたしなんかとは人種からして違うよね。

(好きな人から好かれないで、変なとこからラブコールがくるって、どういう事なの?)

また力の抜けかけるあたしを、白岐さんは心配そうに窺っている。

いかん、いかん。

元気くらいしかとりえが無いんだから、しゃっきりせねば!

「大丈夫、何でもないよ」

ニッコリ笑って答えたら、白岐さんはようやくホッとした笑顔を見せてくれた。

「良かった」

「エヘヘ」

「ねえ、玖隆さん」

白岐さんの細くて長い指先が、あたしのねこっ毛の髪をちょっとだけ撫でる。

「貴方の杞憂ならば、そう遠くない未来に、いずれ、全て解消されるわ」

「えッ」

「身体を大切に、無理をしないでね」

何の話をされているんだろう?

そのまま、視線がスーッと下に降りて、あたしのお腹の辺りで、ぴたりと止まった。

じっと見詰められて、あたしは何となくその辺を両手で隠す。

(太って無いよね?)

むしろもうちょっと太った方がいいような気がするんだけど。

白岐さんはまたあたしの顔を見て、ニコリと微笑んでから、歩いていっちゃった。

(なんだったわけ?)

なぞめいた気分のまま首をかしげる。

「わからん」

呟いて、あたしは踵を返していた。

白岐さんは階段を下りていった。

なら、一階か屋外のどちらかに用事があるんだろう。

多分温室だろうと思うんだけど、万が一、保健室ってこともありうる。

(鉢合わせしたら嫌だな)

何となくそんな気分で、あたしは回れ右をして、下りてきた階段を、もう一度上り始めた。

屋上に行こう。

寮に帰るつもりはないし、気分転換には、もってこいの場所だから。

「ただなあ」

あいつがいる可能性があるんだよなあ。

(でも白岐さんと会うよりはましかな)

夕薙君の事とかで、実はちょっとだけ、彼女に苦手意識を持ってたりする。

こういうの、良くないってわかってるんだけど、でもどうしようもないんだ、ゴメンね。

あたしは、そのままズンズン足を進めていった。

屋上に皆守がいて欲しいような気がして、でも悔しいから、それって違うって、一生懸命自分に否定を繰り返し続けながら。

 

*****

 

突如調査対象が教室を飛び出していくので、調査員も慌てて後を追う。

今回の任務は極秘事項の上、きわめて個人的、かつ、難易度の高い内容だ。

(カナは手厳しいからなあ)

つい苦笑いが浮かんでしまうけれど、仕事だけは確実にこなす。

それが自身の誇りであり、今件に関してのみ言えば、調査対象や依頼人への愛情の証でもあるから。

尾行はお手のものだ、空気のように気配を消して、素早く、正確に。

幾ら才気溢れる新人とはいえ、所詮は駆け出し、積んできた年季が違う。

そういえば以前にも二年ほど、対象の身辺調査及び警護の真似事をしたのだなと、少し前を行く華奢な背中に、過ぎ去った日々が脳裏に懐かしく蘇ってきた。

あの頃はまだ幼く、可憐な美少女だった。

今も変わらず愛らしい事この上ないけれど、大分貫禄がついたように見受けられる。

(それに)

これは、極めて個人的なカンのようなものだが―――

(男がいるんじゃないのかな?)

階段を下りていく足取りは、まるで子鹿のように軽やかだ。

調査対象は調査員の存在にまるで気付いていない。

仕方の無いお嬢さんだと、胸の内でこっそり笑った、その時だった。

「ねえ、そこの貴方」

振り返った視界の先に翻る、燃えるような赤い髪。

「お話があるのだけれど、少しお付き合いいただけないかしら」

調査員は微笑を浮かべた。

(早速来たか)

妖艶な眼差しに、一呼吸おいて、喜んで、と芝居じみた仕草で答える。

(予定変更、まあ、今は差し迫った問題も無かろう)

くるりと踵を返して歩き出す、背中のかもし出す蟲惑的な雰囲気が、あの子とまるで違うなと思いながら、ヒールと革靴の足音は続きあって廊下に響き去っていった。

 

*****

 

屋上に出ると、案の定の展開。

フェンスに凭れてぼんやり景色を見ていた背中が、ちらりと振り返って「よお」って片手を上げた。

「こんな所にいたの?」

「フン、毎度お馴染みだろうが」

皆守は風景に視線を戻しながら、ふわり、ふわりとパイプの先を煙らせている。

隣に行って、おんなじ様にフェンスの上に腕を乗せたら、片腕が伸びてきて抱き寄せられた。

「わ!こ、こらッ」

「寒い」

「だったら屋上になんかいなければいいでしょ!」

「うるさい、お前こそ、何でここに来たんだ」

それはちょっと、言いづらい。

黙り込んだあたしに寄りかかるようにして、肩に頭を乗っけながら、皆守は目を閉じてじっとしてる。

頬や、耳のあたり、首筋とか、緩いパーマのかかった髪がさわさわと触れていて、ちょっとむず痒い。

ドキドキもしているみたい。

(うー)

でも、同時に凄く落ち着いた気持ちにもなってるんだよね、本当に何なの、コレ。

あたしは皆守の背中に腕を回しながら、こっちからも寄りかかるようにしてこつんと頭をぶっつけた。

そのまま目を閉じる。

あったかいな、って思うより先に、少し前に起こった色々な出来事が頭の中を高速回転していく。

「はあッ」

慌てて起き上がって全身を強張らせたら、顔を上げた皆守が「どうした?」って聞いてきた。

「な、何でもない」

「そうか?―――お前、顔、赤くないか」

「えッ」

きょとんとするおでこの上に、皆守のおでこがこつんって。

「熱、は、無いみたいだな」

「う、うん」

「なあ、お前」

何、って聞く前に、キスされた。

唇が柔らかく触れ合って、ため息。

そのまま、アイツはなんだって囁いてくる。

「あいつ?」

「今日来た、転校生だ、お前とどういう関係なんだ」

皆守の目って近くで見ると、ホント、凄く深い色をしてる。

黒曜石みたいに真っ黒な瞳。

あんまり東洋人らしくない、彫の深い顔。

すっと通った鼻梁とか、ちょっと垂れ気味の目元とか、薄い唇とか、黒くて艶々した髪の毛とか。

肌の色はちょっと白っぽいけど、それはまあ、多分あんまり日にあたってないせいだよね。

(好み、といえば、好み、かも)

ふと考えて、直後に慌てて全否定した。

い、イカン、イカンッ

茹ってるのもいい加減にしなさい、そもそも、変な事考えないッ

「えーっと、フィルは、ロゼッタの、ハンターだよ」

「知り合いか」

「う、うん、同期」

「それだけか?」

「女の子が好きで、誰にでもああなの、だから、あたしが特別って訳じゃないみたい」

何、いい訳めいた説明までしてるんだろう。

暫く黙ってから、皆守は、不意に「ふうん」って呟いて、また擦り寄るみたいに肩に頭を乗っけてきた。

「こ、こらッ」

緩いパーマのかかった髪の毛がくすぐったい。

ふわりと香るシャンプーは、あたしと同じ匂い、それに、ラベンダーの香り。

あったかくて、なんだろうこれ、気持ちいい?

ドキドキしてたら、名前を呼ばれた。

「なあ、あきら」

「うん?」

「お前の他に、どれだけなんたら協会とやらからハンターどもが押し寄せて来るんだ?」

「知らない、そもそも、フィルの事なんて聞かされてないよ」

「そうか、まあ、俺には関係のないことだがな―――おい」

「なあに?」

「眠い」

「ハイハイ」

仕方ないなって頭を撫でてやると、口元がほんのり笑ってる。

寒風吹き荒れる11月の空の下、あたしたちはずっとお互いに凭れ合いながら、一緒に景色を眺めていた。

 

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