―――結局、フィルからは何も訊き出せなかった。
あの後すぐに追いかけたんだけど、ようやく姿を見つけたときは昼休みで、フィルは教室で大勢の女の子に囲まれながらのんびり昼食の最中だった。
そんな状況で声なんてかけられるわけがなくて、仕方なく諦めたあたしは、マミーズで一人、悶々としながらお昼ご飯を食べた。
保健室にも行かなかった。
今、皆守に会ってもどんな顔すればいいのかわからないし、一緒に食事を取れるような気分にはとてもなれなかったから。
もちろん、食事の内容とか、味とか、そんな事は全然覚えていない。
ただ、舞草さんが心配して何度も様子を見に来てくれたから、その時だけ、あたしは元気なフリをした。
お昼過ぎてからフィルはずっと教室にいて、授業中は無理だし、休み時間は女の子たちと楽しそうに騒いでいて、話しかけることすら侭ならないまま、気付けば放課後。
フィルはやっぱり、周囲に女の子を侍らせて、あっという間にいなくなっちゃってた。
(ううッ)
ここまで鉄壁のガードで対抗されるなんて。
教科書を詰め込んだカバンが重い。
気分の晴れないあたしのこと、八千穂さんもたくさん心配してくれた。
でも大丈夫としか答えられなくて、そんな自分も、今の状況も、不本意で堪らない。
(何がいけないんだろう)
考える。
フィルは先輩で、おまけに物凄く腕利きのハンターだ。
そんな事はわかっている。
だから、あたし如きが簡単に手玉に取られちゃうのだって、仕方ない。
でもそれでも諦めるわけにはいかないし、こんな閉鎖された狭い空間内でそれぞれ目的を持って行動しているなら、必ずチャンスは廻ってくる筈なんだ。
―――けれど、それが、胸の奥に沸き起こってくるモヤモヤの原因なのかな?
『やる』って決めて、目的に忠実に努力している自信があるなら、憂鬱になんてならないはずなのに。
(あたし、間違ってないはずなのに、全然気分が晴れないよ)
どうして?
フィルの目的がわからないから?
真意を掴み損ねているから?
皆守のこと、色々聞かれたから?
夕陽の差し込む廊下を、俯きがちにのろのろと歩く。
足元から長い影が伸びている。
「こんなの、俺らしくない」
爪先を蹴り上げて、不貞腐れたポーズを取ってみた。
勿論、そんな事で今の気持ちが消えてなくなるわけじゃない。
自分が自分じゃないみたいで、今のあたし、何だか凄く、色々イヤだ。
俺とかいう呼称もイヤ。
男物の学生服もイヤ。
きつく巻いたさらしも、性別を誤魔化しているのも、イヤ。
ぐるぐる悩んで、うじうじしているこの状況が一番イヤ。
「あーもーッ」
あたしは咄嗟に、両手を髪の中に突っ込んで、ぐわーって掻き毟っていた。
とにかくじっとしていられなくて、ダンダンッて地団太を踏んで、カバンを持ち直して走り出す。
こうなったら行動あるのみ!
何でもいいから、普段のあたしを取り戻すんだッ
(廃屋街に行って、サバイバルゲームしよう)
懐から端末を取り出す。
足を止めずに、墨木君宛にメールを打ち始めた。
アサルトマシンガンぶっ放して、鞭であちこち叩きまくれば、少しはスッキリするよね、多分。
(そしたら改めて、フィルの馬鹿を問い詰めてやろう)
幾ら女の子でガードを固めたって、寮の中ではノーガード。
男の子をはべらす趣味なんてないはずだもん。
そこにつけ込まない手は無いってもんだ!
ここに来てようやく、性別詐称が役立つ場面到来かな?
あたしの口元に、フッフッフって笑みが浮かんでいた。
よし、元気出てきたぞ。
復活の時は近い。
メールの文章を半分位まで打った、その時だった。
「うわッ」
角を曲がった瞬間、鉢合わせした人影。
(ぶつかるッ)
かわそうとして、でもかわしきれない距離で、衝撃に備えたあたしの体は何かにギュッと捕まえられる。
そのまま突き飛ばされるかと思ったら、今度は力強く引き寄せられた。
ドンって、胸の辺りに衝突して、いたた、鼻打った。
(た、端末ッ)
―――大丈夫、持ってます。
ああでも、せっかく途中まで打った文章は消えちゃった。
画面がメインモニタに切り替わってる。
(あー)
おでこで突っかかるようにして下を向いていたら、上から降ってきた「危ないだろうが」の声。
「お前は、どこまで粗忽者なんだ」
あたしは一瞬硬直して、それから恐る恐る顔を上げる。
「いい加減気をつけろよ、俺じゃなかったら、大事になっていた所だ」
「み、なか、み」
ひりひりする鼻の頭より、いきなり心拍数の跳ね上がった心臓が、胸の中でバクバク音を立てている。
ボケッとして、それから、ボンッと赤くなったあたしを見て、皆守は怪訝そうな表情を浮かべた。
あたし、思わずヤツのシャツの胸元にギュッとしがみついて、顔を隠す。
今はちょっと、見られたくない。
「―――あきら?」
戸惑った声と気配。
間を置いて、いつもよりどこかぎこちない両腕が、そっと背中を抱いていた。
あたし、何も言えない。
そもそも声が出てこない。
固まっている耳元に、困惑気味の皆守が囁いてくる。
「どうした?」
あたしは黙ったままでいた。
ドキドキが酷すぎて気絶しそうなんだけど、何だか妙に落ち着くような居心地のよさもあって、それに。
(離れらんない)
だって、離れたら顔が見えちゃうもん!
「何か、あったのか?」
シャツにこすりつけるようにして、首を横に振る。
「気分でも悪いのか?」
もう一度横に振る。
皆守は黙り込んで、今度はゆっくり髪を撫でてくれた。
何度も、何度も。
耳の後ろや首筋に吐息が吹きかかってくる。
抱きしめられた温度はあったかくって、ずっとこうしていたいような気分。
何で?
変だ。
あたしって、確か皆守のこと嫌ってなかったっけ?
「あきら」
呼ぶ声。
もっと聞きたくて、やっぱり黙ってる。
皆守はあたしの髪や首筋、耳とか、こめかみとかに、時々軽く唇で触れながら、もう一度、今度は凄く優しい声で、名前を呼んでくれた。
「あきら」
何よ。
「どうしたんだ?」
「―――どうもしない」
「じゃあ、どうして欲しいんだ?」
シャツを握ったままだった、指先がぴくりと動く。
目を開きながら、体を押し返した。
「何も」
背中から両腕が離れていく。
何だか勿体無いような、おかしな感じ。
あたしは、意識して皆守から半歩くらいの距離を取る。
「して欲しい事なんか、ない」
俯いたまま、それだけ言うのが精一杯だった。
じっと見詰めている気配が、不意にしゃがんで、落ちていたカバンを拾ってくれた。
「ホラ」
差し出されて受け取る。
胸元に抱えた途端、あたしはそのまま途方に暮れる。
―――これから、どうすればいいんだろう。
立ち尽くしていた背中の、肩甲骨の辺りを、大きな掌の感触がそっと押していた。
「帰るぞ」
ヨロリと足を踏み出して、歩く。
皆守はあたしの隣を、まるで寄り添うみたいにしてついてくる。
優しい雰囲気が切なくて、何で?
並んで歩く廊下は、さっきまでとまるで雰囲気が違っていた。
胸のモヤモヤよりずっと酷い、ドキドキの方が断然勝っている。
時々見える、皆守の足。
何も喋らなくても、確かにそこにある気配。
階段を下りて、昇降口に向かおうとしたら、不意に「なあ」って呼ばれていた。
「何?」
(う、見ちゃった)
うっかり見上げた皆守の横顔、綺麗。
慌てて下を見る。
何やってんだろう、あたし。
「―――今日の、昼間」
皆守の言葉は、どうにも歯切れが悪い。
何か訊きたい事があって、でもそれをためらっているみたい。
ハアって、ため息。
それからすぐ肩に重みが圧し掛かってきた。
腕だ。
「なあ、お前、あのフィルとか言う外人は、本当にただの同僚なんだろうな?」
「えッ」
振り返ったら至近距離。
思考がスパークしてショートする!
(ひゃッ)
「ど、どど、どうしてッ」
「昼間」
「ひる?」
「キスしてただろう、温室で」
「き、キス?」
「―――偶然通りかかって、見えたんだ、だから、お前の口からちゃんと答えろ」
「何を」
「あいつとお前は、どういう関係なんだ」
真っ直ぐあたしを見詰める、皆守の目。
ダメだ。
何だかよくわかんないけど、凄くダメだ。
ヘビに睨まれたカエルの心境で凝視していたら、急に近づいてきた。
(うわ、キスされるッ)
慌てて目を閉じたら、やっぱり重なる唇。
柔らかい感触。
息もできなくて、苦しくて、離れるのと同時に、力が抜けた。
カクンってたおれこむあたしを、皆守は慌てて両腕で抱きとめてくれる。
「ご、ごめん」
大丈夫って逃げ出そうとしたんだけど。
「あきらッ」
そのままギュッと抱きしめられて。
「答えろ」
「フィ、フィルとは、何でもない、あの時はたまたま、不意を突かれたのッ」
(ひいーッ)
放して!放して!
(耳元に息が吹きかかってくるよ、ど、どうすればッ)
うーわーもう、何というか、ダメだーッ
「本当か?」
「き、キスなんてッ、皆守だけで十分ッ」
叫んだ直後にハッとする。
強張るあたしと、皆守も、固まってる。
―――あたし、今、何て言った?
重なっている心臓が、どっくん、どっくんって、同じくらい激しいリズムを刻んでいる。
夕闇のオレンジが届かない、薄暗くてちょっとだけ寒いコンクリートの空間。
抱き合うあたしたち、状態、混乱。
皆守の腕の力が緩んで、そろそろと起き上がり始めた。
同時にあたしの頭の中は、一気に白く染まっていく。
やばい。
このままじゃお互い、顔が見えちゃう。
やましい事は何もなくても、気まずくってやりきれない。
そういう状況だ、この際、理屈とか、そういうもんに想いを馳せてる暇はない。
視界の先にこめかみが見えて、髪が見えて、頬が見えて、ああ、もう見えちゃう、ダメ、ダメだ!
「うあーッ」
叫び声と一緒に、皆守を突き飛ばしてやった。
そのままの勢いで方向転換すると、渾身の力を込めてダッシュ!
「あきら!」
呼ぶ声に、だけどあたしは今度こそ振り返らない。
振り返れるわけがない。
スプリンターみたいな姿勢で走る。
方向なんかはどうでもよくて、とにかく、皆守のいない場所へ!
疾走して、迷走して、気付けば寮の前だった。
くたびれた両足をヨロリ、ヨロリと動かして、自室にたどり着くと、中に入って鍵をかけた。
ついでにドアの前にダンボールを積んで、窓もきっちり施錠して、カーテンを引く。
自分でも何やってんのかよくわかんないまま、ベッドにばったり倒れこむ。
心臓が口から飛び出しそうだった。
全身が熱くて、耳の奥でヤツの声がこだましている。
目を閉じると顔が見えて、でも開いたままだとそればっかり考えちゃう。
コレって何?なんなの?
「なんだーッ」
のあー!
掛け布団を握り締めて引っ張ってみたり、ベッドをどんどん叩いたりして、暴れるだけ暴れて、そのまま床にばったり倒れて、動かなくなった。
今日はもう、ダメだ。
制服グシャグシャだし、フィルから何も聞き出せていないけれど―――
「ハンター失格だよ、あたし」
メチャクチャな気分。
情けなくて、涙が滲んでくる。
仰向けになって、頬を痛いくらいバシバシ叩きながら、天井を睨みつけて繰り返していた。
「明日になったらいつも通り、大丈夫、平気、平気」
―――考えてみれば、皆守に強引に襲われちゃったときも、こんな酷い気持ちじゃなかったはずだ。
あの時と今と、一体何が違うんだろう。
怖いんじゃなくて、痛いような気持ち、胸が苦しい。
寝転がったまま、片腕を伸ばして掴んだシーツを引きずり寄せて、顔面に押し付けながら、あたしは知らぬ間に眠ってしまうまで、表面に透明な染みを幾つも作り続けた。
(次へ)