R-style 42

 

 「ふと」目が覚めた。

むっくり半身だけ起き上がって、まだぼんやりしている首をめぐらせると、時計は正午をさしている。

甲太郎はああだかううだかわからないようなうめき声を洩らしながら、頭をボリボリと掻いていた。

学校のある日はまだ午前中に起きることもあるけれど、休日は例外なくこうだ。

腹の辺りをさすって、何となく空腹を覚えていることに気づく。

乱れた上掛けからにゅうと足を出して、そのままフラフラと起き上がると、冷蔵庫の中を覗き込んだ。

よく冷えたミネラルウォーターで喉を潤してから、流しの下を漁る。

「ん?」

宝箱の中身を確認して、寝ぼけ眼が怪訝に歪められた。

「んん?あれ、何でだ」

1234―――121314―――足りない。

(この間買っておいた分と、前のと合わせて17あるはず、何でだ)

レトルトカレーの箱が足りない。

おかしいと首をひねりながら、14個目の箱を持ち上げた瞬間、あまりの軽さにギョッとした。

よく見ると、底が修繕されていて、慌てて箱を破くと、それはただの空箱だった。

甲太郎の背中を冷や汗が伝う。

急いで他のレトルトの箱も確認した結果。

14箱中、10箱」

つまり、7箱分足りない。

この学園に入学して以来、誰も自室に招いたことなどないけれど、今年に入って9月末頃からただ一人、入室を許した人物の姿が不意に脳裏をよぎっていた。

手にしていた空箱をぐしゃりと握りつぶし、奥歯をギリギリ噛み締める。

―――晃ァ」

室内着兼寝間着の深紫のトレーナーと黒のズボン姿で、部屋のドアを叩きつけるように開いて、甲太郎は裸足のまま、鬼のような形相で廊下を駆け出していた。

 

それから、一時間後。

「ヒマだ」

ベッドに転がって、ぼんやりと天井を眺めている。

足元で適当にわだかまっている掛け布団を引き上げて、上に被ってみたりして、首だけ覗かせてから、それを脇に押しのける。

あの後勢い込んでたどり着いた晃の自室のドアを、何度ノックしても部屋の主は顔をみせなかった。

居留守を使われているのかとも思ったけれど、晃に限って、そんなことありえない。

まして、訪問者が自分だとわかったなら、たとえどんな理由があったとしても部屋から出てくるだろう。

苦笑いで、バレちゃった?などとふざけた台詞を言いながら。

「あいつ、どこ行ってんだ」

煮えたぎっていた感情はそのまま不完全燃焼を起こして、怒りの矛先はカレーを無断拝借されたことより、晃が部屋にいなかったことのほうに向けられていた。

あのまま、思い切り怒鳴りつけて、困り顔のヤツに散々誤らせるつもりだったのに。

「フン」

つまらなそうに鼻を鳴らして、起き上がった甲太郎はパイプに手を伸ばし、新たなアロマの紙巻をさした。

火をつけるとふわりとラベンダーの香りが漂う。

それを、肺いっぱいに吸い込んで、そのままぶらぶらと窓辺に近寄る。

カーテンを開くと、冬の日差しがキラキラとガラス越しに差し込んできた。

僅かに肌寒かったので、部屋にいるときはつけっ放しにしているエアコンの温度の設定を2度上げた。

窓から見える景色はどこも寒々としている。

桟に凭れながら、ぼんやりと視線を泳がせる。

こうして、無為に時間を過ごす時、甲太郎は自分がここにいなくなってしまったような錯覚を覚える事がよくあった。

この部屋にあるのは、誰かが使っていた生活用品と、ラベンダーの香りだけ。

俺の存在なんて誰も気付かなくて、そのうち時間切れになって、何もかも廃棄される。

―――そうだったら、どれ程楽だろうか。

すうと細めた瞳の先、遠くに見える灰色の校舎に、溜息が漏れる。

机の上に視線を向けると、携帯電話が目に付いた。

甲太郎は何度かアロマの煙を吸い込んで、それからようやく、僅かにためらうように手を伸ばしていた。

手の中の携帯電話を、それでも往生際悪くまたためらって、ようやくボタンを押し始める。

まず電話をかけて、何コール待っても出ないので、メールを送信しておいた。

画面に表示された「メールを送信しました」の文字を暫らく睨んだ後で、急に携帯電話をベッドの上に投げつけた。

イライラとパイプを吹かして、どうして自分が怒っているのかあれこれ考えてみる。

秘蔵のレトルトカレーを、勝手に持っていかれたから?

(俺がカレー好きと知っての暴挙か、あの野郎)

怒ってやるつもりだったのに、晃が部屋にいなかったから?

(まさか逃げたんじゃないだろうな、クソ)

どこに行ったか、わからないから?

(別に俺は、あいつの行動をいちいち気にしてなんかいない、奴にも色々あるんだろうさ)

連絡一つよこしてこないから?

(俺はあいつのお袋じゃねえんだ、別に連絡してもらう義理も、欲しがる理由もないだろう)

電話をかけても、繋がらないから?

(出れない用でもあったんだろうよ、こんな昼間から墓地には潜らないだろうし、気づかなかったのか?まさか)

―――気にして、あまつさえメールまで送ってしまったから?

「アアッ、クソ!」

後頭部をバリバリと掻き毟って、パイプの先端を灰皿に押し付けるようにして火を消した。

そのままカーテンを閉めると、暖房の設定を調整して、ベッドの上にバタリと倒れこむ。

掛け布団を頭まで被って、イライラと目を閉じた。

「寝るッ」

誰に宣告するでもなく吐き捨てた。

逆立っている精神はなかなか眠りの波をつれてきてはくれない。

そのまま、まんじりともせずに、時折唸り声を洩らしたりなどして、大分経った頃にすっかり疲弊して甲太郎はようやくウトウトし始める。

晃の顔が脳裏をよぎったような気がした。

悔しくて、悔しさに紛れながら、意識は段々遠のいていった。

 

「う―――

目覚めると、真っ暗だった。

闇の中で何度か瞬きをして、それから猛烈に腹が減っていることに気づく。

そういえば、昼に起きた時は晃の一件で苛々して、とても食事を取れるような精神状態じゃなかった。

(そうだ、アイツ)

起き上がって、辺りを見回して、ベッドの中を散々探って、シーツに紛れていた携帯電話を見つけ出した。

開いて、着信を確認する。

着信履歴一件。

とろんとしていた瞳がすうと見開かれると、慌てて発信元を確認する。

「晃」

メールも届いているようだった。

早まる動悸と反比例するように急に動きが悪くなる指先で、ボタンを押して画面を開く。

―――あの、野郎」

忌々しげに呟いた瞬間、腹の虫が盛大に鳴き声を上げていた。

甲太郎は携帯電話を閉じて、ベッドからずるりと降りる。

服を着替えて、パイプに新しい紙巻を詰めなおして、鏡を覗いて髪形を少し整えた。

そして何か思い立ったように動作をとめると、急に不機嫌な顔をして頭をグシャグシャと掻き乱した。

洋服も部屋着に着替えなおす。

時計を見て、ベッドに腰を下ろすと、のんびりとラベンダーの香りを楽しみながら時間が過ぎるのを待った。

空腹はこの際、男の意地で我慢だ。

―――きっかり30分。

これ以上頑張るのは限界のようだったので、やむを得ず、靴を履き、そのままぶらぶらと晃の部屋を目指す。

部屋はカーテンでよく解からなかったけれど、廊下に出ると外はすっかり夜の闇に包まれていた。

ドンドンと乱暴にノックすると、昼間と違い、今度はすぐに扉が開いた。

「遅い」

開口一番むくれる晃に、甲太郎はフンと思い切りしかめ面で言い返してやった。

「お前が俺を責める義理か、誰だ、カレー盗ってったのは」

途端、苦笑いを浮かべながら、バレたかと答えるので、胸の奥が俄かにさざめき立つ。

甲太郎は晃の頭をパンと叩いていた。

―――昼にやろうと思っていた事だ。

「った!何するんだよ!」

「黙れ、もっと殴って欲しいのか?」

「スイマセンでした」

「全部買って返せよ」

「ハイ」

開かれていたドアノブに手をかけて、中に入ると香ばしいカレーの香りがフワンと鼻先をかすめる。

途端、腹の虫が鳴ってしまって、振り返って笑う晃に甲太郎はそっぽを向く。

少し顔が熱いようだ。

「ゴメンな、まあ、お詫びっていうんじゃないけど、夕飯ご馳走させてよ」

家庭スキルSSの晃の作る食事は、何でもとても美味しい。

絶対に言ってやるつもりなんて無いけれど、そこらのコックが作るものよりよほど美味しいと、甲太郎は常々思っている。

台所でクツクツ笑っている鍋のカレーを覗いて、思わずよだれが垂れそうになってしまった。

こうなってくると、今日一日でまだ何も食べていない事実が殊更胃にしみる。

部屋のほぼ中央に用意された簡易テーブルの前に座って、早くしろと晃を急かした。

「今日は、甲太郎のために愛情込めて作りました」

「何言ってんだ、馬鹿」

それでも悪い気のしない自分のほうがよほど馬鹿だと思う。

機嫌なんて、もうすっかり治ってしまった。

暖かな部屋の中で、調理する晃と、カレーの香り。ラベンダーの香り。

さっきまでささくれていた胸の内側が、今は温かで幸福な何かでヒタヒタと満ちている。

ハイどうぞと目の前に出されたのは、大盛りのハンバーグカレーだった。

「飲み物もあるよ、ラッシーとコーヒー、どっちがいい?」

「両方」

「ハイハイ」

「これは何だ」

脇に付け足された小鉢の中に、温泉卵が入っている。

「卵、カレーと一緒に食べなよ、きっと美味しいから」

「俺はカレーだけで十分だ」

「ハイハイ、じゃあこれ、福神漬けとラッキョウね、お好みでどうぞ」

卓の上に並べられた付け合わせを一瞥して、甲太郎はスプーンを掴んだ。

飲み物を用意するまで待たずに、さっさとカレーを食べ始める。

ハンバーグカレーのはずなのに、随分と甘口に作ってあるようだ。ココナッツミルクの量が多い。

(後で文句つけてやる)

とりあえず空腹には勝てず、甲太郎は黙々とカレーを口に運んでいく。

ラッシーとコーヒーを用意して、晃が向かい側に腰を下ろしていた。

同じようにカレーと、こちらはラッシーだけ。

すでに乗っていた温泉卵を潰して、混ぜながらゆっくりと食べる。

一皿空けるまで一言も喋らず、食べつくした直後、甲太郎は晃に一言だけ「おかわり」と皿を突き出した。

ニコリと笑って晃は次のカレーを皿に盛ってくる。

今度は大盛りじゃなかった。ハンバーグも乗っていない。

バクバク食べて、もう一皿おかわりした所で、ようやく落ち着いたのでコーヒーを飲んだ。

「オイ、晃」

「ん?」

晃も2皿目を食べている。

「ハンバーグなのに、何で甘口なんだ」

「ハンバーグがおまけだからだよ、お前、腹減ってたんだろ?」

「フン」

「ココナッツミルク多めにしておいたから、胃への負担も少なめだ、ちょっとは俺の愛情を感じてもらえたかな?」

「気持ちの悪い事を言うな」

「できれば先にラッシーを飲んで、卵と一緒に食べて欲しかったんだけど、そんなに心配してもどうせ甲太郎は聞いてくれないだろう?」

「食事に口を挟まれるのは好きじゃない」

「だと思った」

笑う晃を見ながら、甲太郎はラッシーをぐいと一気飲みする。

そしてコップを突き出してまた「おかわり」と言った。

「甲ちゃん今日はおかわりが多いのね、ママ嬉しいわ」

「黙れ、早くしろ」

「お前さあ、その命令口調、どうにかならないわけ?」

「だったらお前もそのふざけた態度を何とかしろ」

ハイハイ、すいませんねえと苦笑いを浮かべて、ラッシーの入ったグラスが目の前に置かれる。

甲太郎はカレーを食べながら、ふと視線をそらして、そういえばと小さく呟いていた。

「うん?」

「お前今日、どこ行ってたんだよ」

「え?ああ、どこも行ってないよ」

「はあ?」

目を丸くする甲太郎に、晃は困り顔で笑う。

「寝てた」

「寝てた?」

「ものすんごい爆睡してた、疲れてたんだと思うけど、なんか死んだように寝てて」

―――声がどんどん遠くなっていく。

色々と気にしていた事が急に全部馬鹿らしくなって、途端新たな怒りがこみ上げていた。

照れ笑いの晃を、険悪な色に染まった瞳が睨みつけて、最終的には手が出た。

ゴチンと殴られて、涙目の晃がまたかよと憤慨している。

「お前なあ!」

この怒りをどうぶつけたものか。

「俺が、どれだけ」

そこまで言いかけて、はたと口を閉じる。

晃が怪訝そうにこちらを見詰めている。

「どれだけ?」

―――どれだけ、腹立ててたか、わかってんのかよッ」

「だから、ごめんって言ってるだろ」

「その態度が気にくわねえんだ、大体人の部屋からモノ盗ったら泥棒だろうが、お前はいつから転職したんだ」

「人聞きの悪いこというなよ、ちょっと借りたんだってば」

「返すつもりも無いのにか」

「えー、今日ので還元できてないの?」

「できるかッ」

最後の一口を頬張りながら、甲太郎はぐいとコーヒーを飲んでいた。

バレてはいないと思うけれど、なんとも気まずい気分だ。

大体、そんなこと意地でも認めたくない。

俺に限ってありえない。あってたまるものか。

「おい、晃ッ」

「何だよ」

「おかわり!」

「お前、それ4杯目だぞ、食べすぎじゃないのか?」

「早く、おかわりッ」

「あーもう、ハイハイ、ちょっと待ってろ、たく」

面倒臭そうに皿を持って立ち上がる姿を見上げて、甲太郎は微かに、ほんの僅かにだけ―――口の端を緩ませたのだった。

背中を向けている晃は、きっと気付かない。

だからなのだけれど。

(せいぜい今日の埋め合わせをしてもらうからな)

部屋に満ちるカレーの香りと、温かな気配を胸いっぱいに吸い込んで、口をつけたラッシーのグラスの中で氷がカランと陽気な音を立てた。

甘口の、気遣いをたっぷりと詰め込んだ愛情カレーは、空腹だった体と心を十二分に満たしてくれた。

 

(了)

 

で、寝てた晃の話はこちら側で(笑)