「俺は、あの女が死んでから、死に場所を求めていたのかもしれない」

北風にざわつく木立の音を聞きつつ、玖隆と皆守は、二人で屋上のフェンスに凭れていた。

 

 

長髄彦との戦闘後、崩れ行く遺跡から双子の少女たちの力を借りて地上へと戻ってきた、玖隆たちを待っていたのは、かつて敵であり、今は友である人々や、もうずっと力を貸してくれていた人々の温かい迎えの言葉と笑顔だった。

全身襤褸のようになり、皆守に支えられてかろうじて立っている姿の玖隆を見て、八千穂は泣きじゃくりながら何度もお疲れ様と手を握り締めてくれた。

白岐も、七瀬も、夕薙も、黒塚も、元執行委員の面々、それに、双樹、神鳳、夷澤、響、雛川教諭、瑞麗教諭、舞草、そして、千貫までもが、惜しみないねぎらいの心を彼に贈ってくれた。

「坊ちゃまに再び見える事ができたのも、全ては玖隆さまのお陰でございます」

有難うございますと、差し出された手を握って。

「どうも」

ニコリと、微笑んだあたりまでは覚えている。

実際笑えていたのかどうか、誰かに確認した訳ではないけど、玖隆の意識はそこで途切れた。

最後に感じた皆守の酷く動揺した気配と、掌の温もりが無性に嬉しかった。

―――ああ、生きてくれているのだな、と。

玖隆が気絶した直後、騒然とした仲間たちが混乱をきたす前に、瑞麗教諭が的確な指示を与えて、すぐさま阿門邸に運び込まれたらしい。そこで、白岐と彼女が癒しの奇跡を施してくれたと聞いた。

さすがは養護教諭というべきか、結局、彼女は最後までM+Mの特配員としてでなく、天香の教員として玖隆の助けとなってくれたのだった。

八千穂や七瀬、双樹も、随分甲斐甲斐しく看護に励んでくれていたらしい。

皆守は僅かも側を離れなかったと聞いた。

もっとも、その話を得意げに八千穂がした直後、当の本人は照れ臭そうに「そんなわけあるか」とソッポを向いてしまったけれど。

目が覚めると、あの運命を振り分けた戦いの日から、すでに二日も経過していた。

「気が付いたか」

最初に覗き込んだのは皆守で、額に彼の左手が触れる間際、薬指に件のリングの輝きを見つけた玖隆は、微笑みながら、かすれる声で「ああ」と答えたのだった。

目覚めを聞いて、駆けつけた人々の歓喜の声で、阿門邸はかつてないほど明るい雰囲気に包まれたのだという。

手放しに喜びあって騒ぐ彼らに、阿門は文句を言わなかったどころか、共に密かに喜んでいたのだと、後でこっそり双樹が教えてくれた。

そうして、仲間たち全員に感謝の意を告げて、完治間近の自身の身体と、日付の確認をしてから、とりあえず確認のために立ち上げたHANTに届けられていたメールを読んで、玖隆は初めて、用務員の境玄道が同業者であった事を知ったのだった。

遺跡が崩壊したあの日、境は玖隆が本来の目的としていた天香遺跡に眠る秘宝をこっそり回収し、それを自らの手柄として協会に報告していた。

話を聞いた仲間たち、特に皆守と八千穂は怒髪天を突く勢いで怒り狂っていたけれど、玖隆は苦笑いで彼らをなだめ、状況報告の仮メールを送信しておいた。

九龍の秘宝。

古代の叡智。

―――それは、特殊な奇跡や、尋常ならざる力を与えてくれる、そんな夢のような逸物ではなくて、天御子達の狂気の夢の残滓、現代でもまだ解明されていない遺伝子情報の刻まれていた石版であったらしい。

(そんなもんじゃないかと、思っていたんだ)

双子の少女がヒントをくれたから、玖隆は随分前から当たりをつけていた。

そしてそれが、恐らく自分の手には入らないだろうという事も。

境の姿はすでに学園内から消えていた。

「俺は、お前たちに深く関わり過ぎたんだよな」

独り言は誰にも聞かれずに済んだ。

けれど、そのことを悔やんでなどいない。

むしろ自分には、先人たちの一人も得られなかった秘宝を、この手に掴めたのだと確信している。

それはいちいち口に出すのも野暮ったい、僅かに気恥ずかしいような言葉で綴られる絆だけれど、何物にも変えがたい尊い宝だ。

翌日には自室に戻り、そこで再びHANTに届けられた―――次の仕事依頼にざっと目を通して、最後の片付けを終えた。

亀急便で荷物を送り、不必要な荷物は全て処分して、がらんとした部屋のベッドに転がって、いつまでも天井を見ていた。

誰にも何も告げずに出て行くのは、やはり不義理だろうか。

学園はすでに冬期休暇に突入しているから、新学期が始まったら戻ってきたクラスメイトたちが不思議がるだろう。

「なぞの転校生、か」

呟いて笑う。

いっそ、俺らしい呼称じゃないか。

謎は謎のまま、オカルトは、解き明かされないからこそオカルトなのだと、昔母から聞いた。

「けど、俺は、それじゃ満足できないからなあ」

世界の神秘を解き明かす。

それが、そもそもの切欠だ、今は他にもっとたくさん理由ができてしまったけれど、胸に宿る純然とした願いは変わっていない。

パソコンに端末を繋いで、学園のデータバンクに保存された自分に関するあらゆる記録を全て抹消した。

ついでにラブレターを一通、送信しておく。

「これでよし、と」

微笑んで、翌日玖隆は皆守を除く仲間全員と会い、楽しい時間をめいっぱい満喫して回った。

テニスをしたり、マミーズのメニュー全制覇を目指したり、模擬サバイバルや、歌会の真似事や、調合の実演、カラオケコンクールもどきなどもした。

誰もが幸せそうに笑っていた。

玖隆も笑い続けた。

本当に普通の、なんでもないひと時。

それが、どれほど貴重なものであるか―――知る人間は少ないだろう。

夕暮が近づき、多少疲れた様子の彼らに、玖隆は。

 

「じゃあ、またな」

 

ただ一言。

片手を挙げて、普段と何も変わらない仕草で、ぶらりとつま先を寮に向ける。

追いかけてくる者も、呼び止める者も、なかった。

ただ、北風が届ける寂しげな気配だけが、背中にいつまでも辛かった。

恐らくは―――皆、わかっていたのだろう。

だから今日一日、玖隆と共にバカ騒ぎの付き合いをしてくれた。

離れたくないから、夢のような時間を、一分、一秒でも長く感じていたいから。

自室に戻って、深呼吸して、人目を忍んで校舎へ向かった。

ドアを開錠し、薄暗い階段を抜けて、馴染んだアルミの感触を掌に掴む。

ノブを回すとまばゆいオレンジが射し込んできた。

年の瀬の、やけに胸をざわつかせる風が吹く、その向こうに―――

「晃か」

メールを読んで、ちゃんと待っていてくれた皆守を、玖隆は迷わず殴った。

皆守はよけずに、頬を張られて、よろめき、そして、微笑んでいた。

「痛ッ―――さすが、宝探し屋、魂まで揺さぶるいい拳だ、お前になら殴られても仕方ないと思うよ」

ようやく、本当の意味で、向かい合った二人の足元を、陽光に照らされて落ちた影が長く、長く、夕闇に繋げていた。

 

 

「俺は過去を忘れたかった」

皆守の声が響く。

「そうすれば、あの胸の苦しみから―――息苦しさから解放されると信じていたのさ」

彼の、過ぎるほどに黒く艶やかな髪や、その瞳にまで、深紅の日差しが眩しく映える。

遺跡の中で以前入手した古びた写真を、玖隆はポケットから取り出して差し出した。

「お前のだろう?」

皆守は一瞬目を見張り、苦笑いと共にそれを受け取った。

遠い瞳で被写体を見詰めて、大切にしまい込む。

片手に持ったアロマパイプの先から、ラベンダーが淡く香っていた。

「思い出っていうのは、そう簡単に忘れる事のできないもんだ、思い出があるから、人は今日を過ごし、明日という日を迎える事ができる―――思い出を失って、生きていけるほど、人間は強くはない」

玖隆は夕陽に染まった景色を見詰めている。

ここから見える天香学園の敷地内も、もっと遠くに映る新宿の街並みも、全て胸焦がす想いと共に、瞳に、心に、焼き付けていく。

何度も眺めた、皆守や、八千穂と、共にあった全てを忘れない。

忘れることなど、できない。

「あの双子が現れなければ、俺はまた過ちを犯すところだった」

玖隆はゆっくり振り返る。

「死んだところで、何の解決にもなりはしない」

横顔の瞳がすうと細くなる。

「残された者は、その記憶を一生背負い、心に打ち込まれた楔に苦しみ続けなければならない」

振り返った皆守は、そのまま切なく微笑みかけてきた。

「それは、俺自身が一番よく知っているはずなのに―――許してくれ、晃」

「ああ、勿論」

笑顔を向ける玖隆に、皆守は笑う。

「ありがとう、お前にそう言ってもらえて、嬉しいよ」

骨ばった手が緩いウェイブのかかった黒髪に触れる。

「甲太郎、お前が生きていてさえくれれば、これまでも、これからも、全部許す、だからもう二度と歩みを止めるな、それが唯一、俺からの交換条件だ」

そうして離れていく指先と入れ替えるように、今度は皆守の手が玖隆の肩に近い腕の辺りを捕まえた。

風が散らした前髪を、もう片方の手で除けて、そっと近づく。

いつもなら跳ね除けられてしまう距離で、瞼はそのまま伏せられた。

皆守は、吸い寄せられるように、玖隆の唇に、唇を重ねた。

 

ようやく、願い続けていた、愛情のキスを―――

 

―――やっと逃げずにいたな」

離れた直後、瞬きが触れ合う距離で囁かれた言葉に、気配が笑う。

「さすがに、フィアンセからのキスは拒まないよ」

「ぬかせ、散々焦らしたくせに、それに、気味の悪い事を言うな」

「けどお前は今もちゃんと指輪を嵌めてくれているだろうが」

起き上がった皆守は、左手の薬指に光るリングを夕陽にかざして見せた。

玖隆の鎖骨の辺りでも、同じものが煌く。

「甲太郎」

フェンスに片腕を置いて、凭れかかりながら、玖隆は真摯な眼差しをリングから皆守の瞳に移す。

「ずっと前に話したよな、確か、その時もこんな風に二人で屋上にいた」

「いつの話だ?」

「神鳳が仕掛けてきた日の事だよ」

「ああ」

ようやく思い出した様子に、僅かに視線を落として、首から下げた自身のリングを指先でなぞる。

「あの時お前が聞きたがった話、今聞かせてやるよ」

「何?」

「俺の昔話」

再び顔を上げると、玖隆の瞳はこれまでに見たこともないような綺麗な真紅に染まっていた。

 

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