玖隆は、少し前に出会ったばかりの人々を思い返していた。

担任の雛川亜柚子、クラスメイトの八千穂明日香、図書委員で同学年の七瀬月魅、購買で店員をしている清掃員兼任の境玄道。

そして、屋上で出会った物憂げな男子学生、皆守甲太郎。

なぜかわからないが、彼が一番印象に残っている。

それと、件の境。あの男は多分食わせものだ。確信は持てないけれど、何となくそんな予感がしている。

安穏とした学園の関係者達だからといってうかつに気を許すわけにはいかない。

どこに、どのような形で情報が漏洩するかなどわからないのだから。

(とりあえず気になるのはこの辺りか)

他は取り立てて騒ぐほどのことも無い、ごく普通の生徒ばかりのようだった。

もっとも、今日一日で校内全部の人間に面通しするなど不可能な話で、まだ出会っていない要注意人物がほかにいるかもしれない。

いざ訪れてみると、天香学園は想像以上に規模が大きく、また極めて特殊な空間でもあった。

閉鎖的、とでも称すればいいのか。

校外に出るためにいちいち外出届を出さなければならないと聞いた時には驚いた。

また、下校の鐘がなり次第、生徒は即刻寮に帰ること。例外は一切認められないらしい。

反対に単位が定めてある割には出欠などには口うるさくなくて、規定の学力さえ満たしていれば誰でも卒業は可能のようだった。

生徒の部活動所属も義務付けられている。

どこにも所属したく無い生徒のためだろう、帰宅部という文字が真面目に選択枠の中に書き込まれていて、セスナの中で履歴書を書きながら少しだけ笑ってしまった。

その時傍にいた看護婦の怪訝な表情を思い出して、なんだかまたおかしく感じる。

けれど、何より気になった校則は「学園内墓地にはいかなる所用があろうとも立ち入り禁止」という項目だった。

生徒はもちろん、教員ですら、墓地に近づくことさえ許されないらしい。

遺跡は個人の墓地である場合がある。

もしこの学園の地下にそれが広がっているならば、怪しむべきは出入りの厳重に禁じられた墓地だろう。

(入り口は多分そこに隠されているはずだ)

見当外れであっても、遺跡に関する何らかの情報が入手できる確率はかなり高いと思う

玖隆は半ば確信していた。

教壇では、化学の教師が次亜塩素酸ナトリウム溶液の説明をしていた。

馴染みの深すぎる化学反応の図式を適当に聞き流していると、授業終了の鐘の音が鳴った。

「おい、転校生」

呼ばれて振り返る。

途端、玖隆はあからさまに目を見張る。

「何ビックリした顔してんだ」

「おまえって、確か」

「皆守だ、どうせ八千穂が説明したんだろう?それともまだ何も聞いちゃいなかったか」

そんなこと無いけどと慌てて首を振りかえした。

考えている最中に姿を現すだなんて、なんてタイミングのいい男だ。

皆守は怪訝そうに顔をしかめてから、そんなことよりもう授業が終わっただろうと話を切り出した。

「寮に戻るんなら、一緒に帰ろうぜ」

「あ、ああ」

「校則は一通り知っているよな」

「ええと、生徒は放課後になり次第、速やかに校内から退出することってヤツかな」

「ご名答、その通りだ」

皆守はざっと説明してくれた。

校則の執行力は絶対で、違反者は生徒会が厳しく取り締まっているということ。

放課後校内に残っている生徒の安否は保障しかねるらしい。穏やかでない話だ。

そんなことまで学生手帳には記されていなかった。

「学生の自治団体にしては結構な権限だな」

「まあな」

話の割に、彼は余裕たっぷりにアロマをふかしている。

「どこの学校にも校則ってもんがあんだろ、そいつをうちでは生徒会が取り締まってるってだけの話だ、別におかしなことじゃない」

「それは、そうだろうけど」

「俺が、生徒会には目をつけられるなと言った意味がわかるだろう?」

「ああ、まあ」

けれど、どうも釈然としないのは何故だろう。

玖隆の様子を伺いながら、皆守は早く支度しろと彼を急かした。

二人は並んで校舎を出た。

茜色に染まった風景を眺めながら、どこか感慨深い声がぬるい大気にまったりと響く。

「すっかり日も暮れてきたな」

「そうだな、9月だもんな、日本は四季があるからいいよな」

「そういやお前、海外で生活していたんだったな」

「うん、まあ」

「あっちはどうだ、過ごしやすかったか」

暮らしてる分にはよくわからないよと適当にお茶を濁す。

本当は両親の仕事の都合や協会の研修などで各国を転々としていたため、どの国がどうであったかなど説明しきれないだけだ。

そして、実はそれこそが友達の作れなかった最大の理由でもある。

訪れた先々で短い宿を借り、すぐ次の場所へ向かう。そんな生活を苦に感じたことなどない。

それが両親の育て方のせいなのか、元来の性格のせいなのか、判断するのは難しいだろう。

多分両方の相乗効果なのだろうと、今の自分を判じて納得していた。

皆守は微妙な返事をしてから、学園内の簡単な間取りを説明してくれた。

ついでに気になる女生徒はいたかなどと聞いてくるから油断ならない。

「さすがに今日一日じゃわからないよ」

「なんだ、そうなのか?まあ卒業まで時間はあるからな、焦ってヘマをやらかさないことだ」

「皆守は彼女とかいないのか」

アロマの煙がゆらゆらと昇る。

「女なんぞには興味ないぜ」

「え、もしかしてそっちの趣味か?」

「違う」

即答されて玖隆は笑った。

皆守は、忌々しげに顔をしかめている。

「あんな面倒な生き物に係わり合いになるのは御免だと言ったんだ」

「ふうん、その口調じゃ付き合った事くらいはあるんだな」

「うるさい、いいか、この話は今後一切しないぞ」

「なんだよ、自分から振っておいて」

「黙れ、口答えするな」

妙に威圧的に拒むので、面白くてわざと可愛らしい返事をしてやった。

皆守自身もそういうキャラクターではないのだろう、バツが悪そうに頭を掻いている。

「そこの男子!」

急に呼び止められて、立ち止まった二人の前にピョコンと八千穂が飛び出してきた。

「エッヘヘ」

何故だか嬉しそうに顔を覗き込まれて、皆守は怪訝な様子で上体をわずかに逸らした。

「何だよ」

「皆守君も結構いいとこあるよね、何だかんだ言って、玖隆君に親切だし」

「あのなあ、勘違いするなよ、俺はこの転校生君にサボりの極意を伝授していた所だ」

「ええっ、それ本当?」

「ウソだよ」

オイと皆守がつまらなそうに声を上げる。

「じゃあ本当は何の話してたの?」

「うん、女の子の好みの」

「こいつに学園の間取りを教えてやって、ついでに寮までつれて帰ってやるところだ」

もし迷子にでもなられたら、探しに行くのはクラスメイトの俺達だからなと、聞いてもいないことまで説明している。

―――女性関連の話題は、彼にとって余程タブーなのだろうか。

玖隆は内心首をひねっていた。

「そっかそっか、なるほどね」

気付けば八千穂は満足げに納得している。

「やっぱり皆守君って親切だよね、玖隆君もそう思うでしょう?」

「ああ、うん」

「フン、転校初日で俺の何がわかるってんだよ」

皆守がそっぽを向いてしまったので、玖隆は八千穂と顔を見合わせて思わず笑ってしまった。

たぶん、こいつは照れているに違いない。

どうにもひねくれているみたいだから、感情を素直に表現するのが苦手なのだろう。

見ていたら軽く睨まれたので、ひょっとして多少は本当に鬱陶しいと思われたのかもしれない。

遠くから明日香と呼ぶ声がして、振り返ればテニスウェアに身を包んだ女子生徒数人が手を振っていた。

「あ、ヤバイ!部活行かないと、コーチの特別レッスンが始まっちゃう!」

八千穂は急にあたふたして、それじゃまたねと一言残して駆けていってしまった。

辺りが静かになると、皆守はアロマをふかしつつ、なんだったんだあいつはとぼやいていた。

「八千穂さん、元気だなあ」

「ああいうのはうるさいって言うんだ、それより行くぞ、さっきから眠くて仕方ない」

大あくびに玖隆もつられて、つい笑う。

皆守はまた居心地が悪そうにしている。

これまでの様子から察するに、もしかして人付き合いが苦手なのかもしれない。

他人を気遣う割には不器用なタイプなのだろうなと勝手に推測していた。

たぶん、敵では無い。

秘密を共有することはできないけれど、それでも付き合いやすそうな奴だと、随分好意的な目で彼を見ている自分に気づく。

ひょっとしたら皆守は、セスナの中で夢想した相手になるかもしれない。

(なんてな、そういうもんは蓋を開けてみなきゃわからないよな)

なかなか楽しい学生生活になりそうだと、胸の内が密かに躍っていた。

皆守は大して面白くもなさそうにしていたけれど、そんな様子すら親しげに感じる。

ルビーに染まる世界の中を、二人はのんびりと歩いて帰った。

 

次へ