ゲーム未クリアの方はお読みになられませんよう、ご注意申し上げます。

10th-Discovery

 

 屋上のフェンスの一角に凭れて、そこから見える景色を望んでいた。

色の無い、面白くも無い、何も変わらない日常。

情熱や、興奮などといった感情は、随分前に無くしてしまったような気がする。

いつも居場所ばかり探していた。

そして、それは、世界のどこにも存在しなかった。

―――少なくとも、少し前までは。

伸ばした両手を空の青にかざしながら、皆守は僅かに瞳を眇める。

何も掴むことの無かった手。

何も、捕まえることのできなかった手。

この指の間から、大切なものはどんどんこぼれていってしまった。

願いも、想いも、何もかも、虚空の彼方へ消え去って、残されたものは絶望だけ。

もがくこともできないまま、苦しみと憂鬱だけが存在理由だと思っていた、なのに。

「自分の信じたものを、信じ続けること、か」

時計台で聞いた、玖隆の言葉が胸を刺す。

突然目の前に現れて、強い光を放ちながら、この学園を縦横無尽に吹き荒れ始めた風。

淀んでいた日常が、止まっていた時間が、煽られて、動き出そうとしている。

眼が離せないのは、何も背負い込んだカルマのせいだけじゃない。

―――手を伸ばせばすぐに届くほどの距離で。

幾つもの魂が、あの輝きに癒され、開放される様子を見てきた。

この手を伸ばせば、お前はすぐに掴み返してくれるんだろう。

他の誰もが伸ばした掌を、残さず捕まえた、その確かな温もりで。

自分の望みを叶えるだけだと嘯きながら、誰よりも慈愛に満ちたその心で。

居場所など、どこにも見つからないと思っていた。

けれど、今は。

「それでも、俺は―――

微かな呟きが、アロマの煙と一緒に流れる。

見下ろす先の墓地を瞳に映すと、奥に潜んだ暗闇が急に色を増すように、濁る。

パイプの先から漂う、気休めと罪の香りを吸い込みながら、皆守は深いため息をひとつ漏らしていた。

 

 最近、学園全体が異様な気配に包み込まれている。

夜会の夜辺りからだ、急速な変化が訪れたのは。

顕著というわけではないけれど、玖隆のような人種には肌で感じ取ることのできる、一種野性的勘のようなものが警告を発し続けている。

他の生徒達はただ動揺しているだけのようだけれど、それでも何かしら混沌を五感のどれかが探り当てていて、誰もが神経を必要以上に尖らせているようだった。

受験も近いからかなと、七瀬の診察を待つ間、玖隆は保健室の外をぼんやり眺めていた。

彼女は最近、真夜中の徘徊癖に悩まされているらしい。

誰とも知らない声が聞こえて、気が付くと学園の、書庫や生徒会室の中で立ち尽くしているそうだ。

辺りには散乱した資料や書物。何かを探していたようだけれど、それがなんだったのか、七瀬自身に自覚はない。

「ふむ、少し気が乱れているようだな」

「気、ですか?」

東洋医学に造詣の深い瑞麗は、時折興味深い単語を口にする。

養護教諭の話では、七瀬のような体調の異常を訴える生徒は、最近とても多いとのことだった。

頭痛、目眩、肩こり、不眠、中には墓地をさまよっていたり、突然わけの分からない言葉を口走ったりする生徒もいるという。聞いただけでも尋常じゃない。

「玖隆、君はそういった症例はないか?」

玖隆はいいえと答えた。

幸い、自分も自分の周りの人間も、これといっておかしな様子は見当たらない。

七瀬は自己申告で瑞麗のカウンセリングを希望したのだった。その付き合いで、玖隆は今ここにいる。

瑞麗教諭はやや安堵したような表情をしたものの、それでも十分気をつけるようにと念を押して、二人を送り出してくれた。

保健室のドアを閉めた所で、七瀬が、ほんの少しだけ微笑を浮かべていた。

「どうやら、こういった症例に悩まされているのは私だけではなかったみたいですね、安心というわけではありませんけれど、少し落ち着きました」

「そうだな」

「晃くん、わざわざ付き合ってくれて、ありがとうございます」

「いや、気にすることないよ」

七瀬とは、体が入れ替わった一件以来、より深い付き合いをするようになった。

それは、別に男女としての間が深まったというわけではなくて、玖隆の仕事を知る七瀬が、より懇意に協力をしてくれるようになったという事だ。

天香遺跡は未明の箇所がまだ多数残っているから、知識の量では自身を上回る彼女の助けは非常に有り難い。

両親のどちらかに連絡を取る必要があるかと思っていたのだけれど、全て現地で賄えそうだ。

七瀬の症状を、詳しく聞こうと思った矢先、背中から声をかけられていた。

「よお、お二人さん」

振り返ると夕薙が近づいてくる。

七瀬が軽く挨拶をして、ついでのように書庫室の鍵の隠し場所を変えた事を伝えると、夕薙はとっくの昔に見つけ出したような口調でそのありかを言い当てていた。

困惑している彼女と、愉快そうな彼の姿を窺いながら、玖隆はこっそり笑ってしまう。

随分昔にこれとよく似たアニメを見た。知恵をめぐらせてイタズラを仕掛ける猫と、それをあっさり看破して猫をからかうネズミ、何だったか、タイトルは思い出せないけれど、いたちごっこという言葉がぴったり当てはまる。

(俺と、生徒会もそんなもんだよな)

暗闇の中で爪を研ぎ澄ます猫と、その隙間を駆け抜けるネズミ。

隠したチーズには、あと少しで手が届きそうだ。

ネズミの嗅覚がそう告げている。

「あの、もしかして、夕薙さんもですか?」

七瀬の言わんとしている事を察知して、夕薙は苦笑いで首を振る。

「いや、まあ俺は特に何ともないんだが―――そうか、保健室に用があったのは七瀬の方か」

こちらを振り返るので、勘付いた玖隆はニコリと微笑み返していた。

まあ、かなりの大怪我でも自力で手当てしている身としては、基本的に保健室などに用は無い。

七瀬の体調不良の話を聞いて、夕薙も、ここ最近墓地の様子がおかしいと、彼の知りえた情報を手短に話してくれた。

墓地でわだかまっていた重い空気が、今は殆ど感じられないのだという。

考え込んだ七瀬が、玖隆に共に図書室に来て欲しいと提案した。

「七瀬、よかったら俺も混ぜてくれないか?」

夕薙の言葉に、二人はそれぞれ驚いた視線を向けていた。

彼もまた、独自にこの学園の謎を追っているようだし、同席する事自体にはなんら異存は無いのだが。

逡巡している彼女をちらりと窺って、玖隆は頷いていた。

「俺は、構わない、七瀬さえよければ」

「えっ」

更に驚いた様子の七瀬も、結局夕薙の同行を認めた。

大方、こちらさえよければ、と彼女も思っていたに違いない。そして、夕薙も玖隆と同じように、今は少しでも情報が欲しいのだろう。

「解かりました、それでは図書室へ行きましょう」

七瀬の言葉を合図に、三人は連れ立って歩き出す。

進む足取りの合間に、玖隆は考えていた。

普段は、夕薙は皆守に、七瀬は八千穂に、転校初日に生まれたトリオ、それが天香学園における俺の日常。

隣を振り返れば皆守が、反対側には八千穂が、玖隆をはさんで三人でたわいもない会話をして盛り上がる。

時折八千穂に甘えられたり、皆守に痛い所を突かれたりして、俺はいつも笑っていて、何て暖かくて生ぬるい日々。

芯までふやけてしまいそうだ。

―――けれど。

図書室について、幾つかの参考文献を机の上に乗せて、三人は向かい合って腰を下ろした。

玖隆の隣に夕薙、向かい側には七瀬が座る。

「それではまず、これまでの情報を元に私のたどり着いた考えをお話しするために、よければ晃くんが探索してきたあの遺跡の事を、もう一度詳しく私に話してもらえないでしょうか」

まずは確信を得てから、というわけか。

玖隆は了解した。誠実で慎重な態度は、非常に好感が持てる。

「最初の大広間の所からがいいかな、少し長くなるが、構わないか?」

「むしろ仔細までお話いただいたほうが助かります」

「わかった、夕薙も、少し時間をもらうぞ」

「ああ、始めてくれ」

玖隆はこれまで見てきたこと、知り得た事を、極力感想を省いて、事実だけ話すように心がけた。

何の面白味もないただの説明になってしまうけれど、データとしてならこれで十分だろう。

個人的な意見や脚色はかえって邪魔になる。

話し終えて、七瀬を窺うと、彼女は深いため息を漏らしながらやっぱりと小さく呟いていた。

「玖隆さんも恐らく気づかれていると思いますが、あの遺跡は古事記や日本書紀等の古史古伝になぞらえて作られているようです」

「そうみたいだな」

三柱の神から、国生み、三貴子、八俣遠呂智、大国主神に天若日子の造反、国譲りと、二人の媛神をめぐる婚姻。

説明を聞いていた夕薙が、それなら次は神武東征だなと傷跡の残る顎をしゃくる。

「あら、まさか夕薙さんが日本の神話に詳しいとは思いませんでした」

「言ったろう?情報は不可欠だと」

ニヤリと笑う横顔の頼もしさに、玖隆も口元だけで笑っていた。

何が目的かは知らないが、ひと癖もふた癖もあるこの男の、根っこの部分は探求者なのだろう。

それが役に立つ、立たないを問わず、知識を得る事自体に快楽を覚える。そういう点では七瀬と同種だ。

天香遺跡が孕んだ謎の解明には必要な日本の昔話。けれど、玖隆には、どうもそれがすべてでは無いような予感がしている。

ここは、檻だ。

幾つもの魂を封じ込めて、厳重に鍵をめぐらせた強固な檻。

伝記、伝承のモチーフは恐らく警告なのだと思う。

そこから連想される「王」に近づけさせないための、知恵あるものにだけ解かるキーワード。

解からないものは、ただ死ぬだけ。

そして理解したものは、奥に潜む闇の存在に踵を返す。

(けど、残念なことに俺は宝捜し屋なんだよなあ)

危険を危険とも思わず、あえて渦中に飛び込み、虎の子を攫って依頼主の元に届ける酔狂な人々。

それがトレジャーハンター。命知らずの大バカ者の通り名だ。

「王」が何者なのか、ここに何が眠っているのか、理解した所で、今更歩みを止められるわけもない。

仕事として引き受けてしまった以上、確実にやり遂げるだけ。俺みたいな人種には生死すら問題ではない。

あるのは二束三文の懐勘定と、乗るか反るかの選択、それだけ。

やりがいという名の快楽さえあれば、どこまでだって突き進んでいける。

究極の快楽主義者だ。痛みすら、興奮の前では霞む。

俺はもしかしたら皆守以上に我侭なのかもしれないと、玖隆は自分自身をあざ笑っていた。

「晃くんは本当にこれから先もあの遺跡の奥を目指すつもりですか?」

七瀬の問いかけに、ハンターは優しく微笑んでいた。

「もちろん」

僅かに面食らったような表情が、夕薙と顔を見合わせて、苦笑する。

彼女の深い賢察と思慮に富んだ言葉、膨大な知識は今回も大いに役立ってくれた。

古い思い出に縛られて、誰かの記憶を封じ込めた闇はこの先もまだ尚のこと深く広がっている。

それを全て解き明かした時、俺は何を掴むのだろう。

ここに居る人達は、どうなってしまうんだろう。

「鍵を探せ、か」

「え?」

独り言めいた呟きをすぐに否定して、夕薙もまた何か考えているようだった。

始業の鐘の音が鳴り響いて、次の教室へこのまま移動すると告げた七瀬と、玖隆たちは図書室で別れた。

歩いていく七瀬の背中を見送って、さてと夕薙が振り返った。

「玖隆、君は教室へ戻るのか?」

「いや―――

今はとてもあの狭い小箱の中に戻る気になれない。

首を振った玖隆に、夕薙はからかうような視線を向ける。

「おや?本当にいいのか、君がいないと甲太郎や八千穂が寂しがるんじゃないのか?」

二人の名前を聞いた途端、内側の激情がフッと凪いだようだった。

いつも傍にある温もり。

初めて得られた、友という名の人たち、優しい彼等。

思い描く姿には、いつでも強い郷愁と例えようのない愛情を覚える。俺は、ここで出会った彼らを愛していると、つくづく思う。

「なかなか心憎い事を言うね、夕薙は」

玖隆は苦笑していた。

「俺も、そう思うよ」

「大切に思っているんだな」

君たちは本当に仲がよさそうに見えるよと、どこか羨望の眼差しで夕薙は微笑んでいた。

「まあ、甲太郎は意地でも認めないかもしれないが」

「ハハハ、愛の力で、意地でも言わせてみせるさ」

「愛していると?」

「さてね」

「そういえば、俺は今まで君の口からはっきりと聞いた事がなかったんだが」

不意に真面目な顔をするので、玖隆は冗談の続きでないとすぐに悟った。

夕薙が、玖隆の目の奥を覗き込むようにして、正面から真っ直ぐ視線をぶつけてくる。

「君は一体、何者なんだ?」

午前の日差しが、ガラス窓から廊下一杯に差し込んでいた。冬の、暖かで透き通った光だ。

照らされている玖隆と夕薙の足元には、ほんの小さな影だけがわだかまっている。

少しだけ間を置いて、玖隆は常備している端末を掲げてみせた。

「俺は、玖隆晃」

けれど夕薙の望んでいる答えはそんなものじゃない。

茶目っ気を含んだ赤い瞳が、すうと細くなる。

「別名、世界をまたに駆ける、将来有望で非常に有能なトレジャーハンター」

「トレジャーハンター?」

「ああ、和訳は宝捜し屋さん、だな」

お宝を、探してなんぼの、仕事かな。

読み上げたくだらない川柳に、何度か瞬きを繰り返して、夕薙は満足した表情を浮かべたのだった。

「そういう事だったのか、君は初めからこの学園に眠る秘宝を目当てにやってきたと、そういう訳なんだな」

「ご明察、っていうかこれはオフレコで頼むよ、一応極秘で潜入調査って名目だし」

「そのわりには協力者が多いな、ハンター殿」

「言ってくれるなよ」

苦笑いの玖隆に、夕薙は心底愉快そうに笑っている。

初めて見た明るい笑顔だ。彼も、こうしているとただの体格のいい男にしか見えない。

急に親近感が沸いて、同じように笑いかけていた。

夕薙とは、いい友人になれそうな気がする。

「それじゃ、俺は用事があるから行くよ」

清々しい声で、くるりと広い背中が向けられた。

「せっかく自主休講するんだ、君も有意義に過ごすといい」

「ああ」

「じゃ、またな」

そのまま歩いていく姿を見送って、玖隆も踵を返していた。

さっき二人の事を思い出してしまったから、なんだか急に会いたくなってしまった。

―――困った感情だと、人知れず口の端で笑う。

(こういうのは、俺は、ダメだなあ)

同時に沸き起こる胸の痛みに気づかないフリをして、歩き出そうと一歩踏み出した直後、響いた鈴の音に、思わず足を止めていた。

 

―――午前の白昼夢。

 

またか。

眼を凝らした景色の先、同じ姿をした二つの影が、ぼんやりと浮かび上がったのだった。

 

次へ