午後の最後の授業は化学。

お得意の薬品調合に、うっかり鼻歌を歌いそうになって、玖隆は周囲を見回す。

生徒達は真剣だったり、少し浮かれていたり、その様子は様々だけど、誰も一様に浮かべているものは同じ。普段見慣れないアレコレに対する好奇心。

この程度の調合で楽しんでいられるなんて、羨ましい。

こっちは生活かかってんのよと、卓上の薬瓶の一つをこっそりポケットの中に落とす。

「オイ」

珍しく参加していた皆守が、即座に白い目を向けてきた。

「おお、友よ、クラスメイトのよしみだ、これは内々で頼む」

「何が内々だ、お前、それじゃ本当にこそ泥と何も変わらないぞ」

「やだなあ甲太郎、俺を誰だと思ってるんだよ」

「玖隆晃、9月に転校してきた変態だ」

「なんだとッ」

殴りかかろうとすると、こら、そこ、と早速教員に注意されてしまった。

向こうの作業台の傍で八千穂がクスクスと笑いながらこちらを見ている。

「あーん、明日香ちゃんに笑われた、お前のせいだぞ甲太郎」

「お前なあ、そんなことより、もっと気にすべき所が」

うう、と聞こえてきた呻き声に、二人は同時に首を向ける。

「どうしました?」

急にしゃがみ込んだ男子生徒の元へ、教員が近づいていった。

他の生徒たちも彼の様子を伺っている。男子生徒は、顔が真っ青に変色して、額に玉のような汗が噴出していた。

「何だ?」

「大方腹痛とか、そんな所だろうよ」

それよりお前なあと、改めて皆守は玖隆に説教をしようとして、そしてもう一度振り返った。

玖隆も―――目の前の異様な光景に、瞠目している。

「ううう」

「ううう、うう―――うぐあアアアッ」

「あ、頭が、痛い、いやああ!」

一様に悶絶する生徒達。教員も、同じように半ば白目を剥きながら喉の辺りを押さえて吼えている。

「ちょ、ちょっと、何がどうなって―――あいたたッ」

同じようにうずくまりかけた八千穂の姿に、玖隆と皆守は咄嗟に駆け寄っていた。

「大丈夫か、八千穂」

「ん、何とか、急に頭痛が」

「晃、お前は?」

振り返った心配気な表情に、玖隆も首を振って大丈夫だと答える。

「俺もなんともない、お前こそ、平気か、甲太郎」

「ああ、まあな」

「それってやっぱりアロマとカレーの匂いしかわからないから?」

八千穂の突っ込みに、皆守がガクリとこける。

「お前な」

「なるほど」

「晃!ったくお前ら、この非常事態に何馬鹿なこと言ってやがるッ」

怒る様子に八千穂と顔を見合わせて笑う、玖隆の肩を、誰かがガッと掴んだ。

振り返った瞬間、目前に拳が迫っていた。

「あーちゃん!」

玖隆は手前でスルリとかわし、殆ど脊髄反射のようにしゃがみ込んで対象の足を薙ぎ、次いで片足の一撃で対象を後方に蹴り飛ばす。

流れるような動作に、傍で皆守が口笛を吹いた。

うめき声を上げて倒れた男子生徒の向こうから、色のない表情をした教員と生徒達が、ふらり、ふらりと近づいてくる。

「玖隆―――お前か、お前が全ての元凶か―――

「玖隆晃」

「玖隆―――墓荒らしに死を―――

「え?え?何で、どうしちゃったの、皆、どうして」

しがみついてきた八千穂の背中に腕を回して、玖隆は油断なく周囲を見渡す。

「今流行りの霊的障害ってヤツか、どいつもこいつも、何かに取り憑かれてるってのがぴったりだな」

皆守は相変わらず傍で悠々とアロマを煙らせている。

けれど瞳だけ、鋭い眼光をたたえて、彼らの動向を抜け目なく窺っているようだった。

「甲太郎」

「ああ、とっととここから出よう、このままじゃ奴ら一人一人殴り倒さなきゃならなくなる」

ちらりと先ほどの男子生徒を窺って、振り返った二人は頷き合うと、玖隆は八千穂を庇いつつ、その後から皆守が続いて、三人は教室の外へ出た。

「くそっ」

直後、皆守が舌打ちを洩らした。

「ウウ、ウウゥ」

「玖隆晃」

「玖隆―――

「墓荒らしに死を―――

「随分有名になったじゃないか、晃」

「モテ過ぎるってのも困りモノだな」

「ぬかせ」

まさか学園中がこんな感じじゃねえだろうなと呟いて、背中を合わせる皆守と、反対側から八千穂が怯えた様子で見上げていて、玖隆は周囲に意識を張り巡らせながら、ジリジリと駆け出す方向を定めようとしていた。

二人を守りながら、どこまでいけるだろう。

皆守は―――多分、心配はいらないだろうから、安全な場所まで誘導して、八千穂を預けて、そのまま俺だけ他所へ移動すれば、とりあえずこいつらに被害は及ばない。

その間に原因の究明もできるかもしれない。

唇を噛む横顔に、何か勘付いたらしい皆守が、オイと首だけ向けて睨みつけてきた。

「今は、お前の事だぞ」

「わかってる」

「人の心配なんて、そんな余裕無いだろうが」

「皆守クン?」

振り返った玖隆は、俄かに困り顔で微笑んでいた。

「わかってるなら、今回ばっかりは素直に従ってもらえないかな」

皆守がまた何か言いかけた瞬間、リインと響き渡った鈴の音が空間に清廉な波紋を作り出す。

―――この、感覚は。

 

―――荒ぶる魂たちよ、鎮まりなさい

 

目の前に、まるで蜃気楼のように―――姿かたちの全く同じな、二人の少女が浮かび上がる。

「え?ええっ、この子たち、もしかしてあの六番目の怪談の」

 

―――彼らは私達が収めます、それよりも玖隆、どうか急いでください、この階に王の気配を感じます

 

「あ、あーちゃんのこと、どうして」

「明日香ちゃん、詳しい説明はまた後だ」

玖隆は八千穂をぎゅっと腕に抱いた。

彼女の細い指が、不安げに制服の前を握り締めていた。

 

―――これ以上彼女に、鍵を探させてはいけない

―――図書室に急いでください、彼女と王は、そこに

 

「図書室?彼女って、まさか、月魅が」

行こう、と短い返事を返して、玖隆は踵を返すと、八千穂を抱いたまま床を蹴り上げる。

待ってと慌てて声を上げて、しがみついたままよろけるように腕の中で八千穂も懸命に走り出した。

皆守が、後から続き、三人は図書室を目指した。

あの双子のことなら、たぶん心配はいらない。

器物の霊だというのなら、俺なんかよりずっと対等にやりあえるだろう。

これまでに二人から邪な気配を感じた事はなかったし、手助けしてくれるというなら、この状況、素直に甘んじていた方がよさそうだ。

(それに)

さっきの話が本当だとすれば。

「七瀬ッ」

三人は廊下を走り、角を曲がって、図書室の表示を見つけ出し、その下の扉を叩きつけるように開く。

直後に腕の中からするりと抜け出して、八千穂が数歩前に飛び出して七瀬の名前を連呼した。

「月魅?ねえ、月魅、いないの!」

「七瀬、どこだッ」

「おい晃、書庫室が開いてる、行ってみよう」

皆守に促されて、三人は書庫室に踏み込んだ。

薄暗い室内には湿った空気とかびた臭い、整然と並ぶ書物のほかに、何も無い。

「月魅?」

八千穂が呟いた直後。

「っつ!」

「扉がッ」

バタンと大きな音を立てて、ひとりでに閉じた扉を振り返り、玖隆と皆守は舌打ちを洩らす。

八千穂が再び傍に身を寄せてきた。

―――やはりここでしたか」

声に、振り返ると、棚の影からすっと髪の長い男子生徒が姿を現していた。

(こいつは確か)

生徒会役員、書記。

「神鳳充」

片手に長い包みを持ち、華奢な体の背筋をピンと伸ばした神鳳は、細目の奥の瞳に張り詰めた気配を漂わせて玖隆をじっと見詰めている。

「やはりここでしたか、玖隆君、僕がどうして来たか、もうお解かりでしょう?」

「この騒動の首謀者は、お前か」

八千穂がエッと声を洩らして神鳳を凝視した。

「なるほど」

傍らで皆守がアロマを燻らせている。

「大和の言ってた墓荒らしってのはお前だな」

夕薙は皆守にまで、件の話をしていたのだろうか。

自分の知らないところで、知らない情報がやり取りされていたらしい。玖隆はちらりと皆守を見た。

「荒らした?僕が?」

心外そうな表情で、神鳳は顎をしゃくってみせる。

「とんだ誤解ですよ、皆守甲太郎君」

―――玖隆はもう反応しない。指先が一瞬だけ、ピクリと揺れた。

「僕には聞こえるんですよ、さまよう霊魂の嘆きが、あの墓地に眠る霊達が墓荒らしに裁きを下せと呪う声が、だから僕は、玖隆君に恨みの声を上げる霊たちを解き放ってあげただけです」

「じゃあ、皆があんな風になっちゃったのは、キミのせいなんだね?」

「悪いのは、この地に土足で踏み込んできた彼の方です」

神鳳は玖隆から視線をそらさない。

嫌な気配があたりに満ちていく。

(これは)

気配を殺し、にじり寄ってくる何か。

目には見えない、悪意の塊のようなもの。

背中にじわりと、嫌な汗が滲み出していた。

「玖隆君、君は、本当に自分のした事の責任を取れるつもりでいるんですか?」

「でなきゃ、こんな所にいないさ」

お節介にも、と玖隆は思う。

ただの宝捜し屋が、とんだ騒ぎに巻き込まれたもんだ。おまけに妙な使命感まで抱え込んで、本当に馬鹿げてる。

―――けれど

「俺は、俺が背負える以上のもんは、背負い込まないって決めてるんだ」

神鳳がフッと笑った。

「口先だけなら何とでも言えます」

不意に目の前がぐらりと揺らぐ。

「くっ」

よろめいた玖隆の傍で、八千穂が頭を抱えてうずくまっていた。

「やッ、あ、頭がッ」

―――残念ながら、ただの口寄せ師という訳ではないんですよ」

耳の奥で、高い金属音のようなものが反響している。頭が割れそうなほど痛い。

「うッ、く」

伸びてきた両腕が、玖隆の肩を捕まえていた。

「くそっ」

こんな事が以前にもあった。

もつれる足元で、そのまま支えてくれる胸元にもたれかかった瞬間、奥のほうから何かが割れるような音が響いてきた。

神鳳が瞳を一瞬見開き、ハッと首を向ける。

「この気配は」

焦りの滲んだ声。

駆け出す足音がだんだん鮮明に聞こえてきて、玖隆はようやく調子を取り戻していた。

顔を上げると正面に皆守がいて、気遣うような視線をよこしている。

「晃」

「甲太郎、悪い、またお前に支えられたな」

急に表情を曇らせて、そっぽを向く皆守になんとも言えない気分になりながら、玖隆は振り返って八千穂の具合を窺った。

「あたしは大丈夫、でも、あの人は」

「ヤツなら奥だ、どうする、晃」

「行こう」

そのまま先頭に立って部屋の奥を目指す。

ばさばさと何かが落下する音、何かを壊す音、ない、ないと呟く誰か。

棚の影から覗き込んで、八千穂が「月魅!」と呼びかけた。

書庫の奥では―――表情の無い月魅が、何かを夢中になって探し回っていた。

傍には神鳳もいる。

玖隆と皆守は身構えた。

「どこだ、鍵だ、鍵はどこだ」

振り返った視線が、玖隆の姿を捉えた。

「人の子よ、墓荒らしの子鼠よ、貴様はもう、見つけたのか」

その、ドロッと濁った瞳の色に、足元が思わずジリリと後退する。

底果てのない悪意と、混沌、そして、嘆き。

マイナスの感情を集めて凝固させたような漆黒の闇。その、光のない眼差しに、思わず屈服しそうになる。

背筋を這い登るのは、紛れもない―――これは、恐怖。

半ば本能めいたその感情に、喉がゴクリと上下した。

(こいつは)

―――いや、まだ、だ」

答える声が震える。

七瀬に宿る何者か、強い気配を放つ存在は、フンと鼻を鳴らして、あざ笑うような視線を投げてよこした。

「あれだけ墓を彷徨って、未だ見つけられぬというのか」

今ここにいるのは、七瀬では無い。

玖隆は油断無くその姿を窺っている。

姿は彼女のものでも、意識を支配しているものは別の存在だ。

一体何者なのか。

それは、もしや―――王、なのか。

「月魅!一体どうしちゃったの?」

隣で八千穂が声高に叫んだ。

皆守も、黙って様子を伺っているようだった。

「これは、僕の呼んだ霊とは違うようですね、あなたは何者ですか」

神鳳の問いかけに、七瀬の唇の端がおよそらしくない、上弦の月のように釣りあがる。

「ククク、魂の無い者がいるな、さては墓守か」

途端、ビクリと神鳳の肩が揺れた。

玖隆は咄嗟に隣を窺った。

―――皆守が、僅かに怪訝な表情を浮かべて、七瀬を睨みつけている。

(ああ)

やはり。

知りたくなかった事実。知ってしまった事実。

俺の想像は空想じゃない、それはきっと、真実だ。

目の前で起こっている超常現象とあわせて、言いようのない感情が胸の奥で渦巻いている。

「忌々しい墓守ども」

七瀬の姿を借りている何者かが吐き捨てた。

「よくも長きに渡って我をあのような場所へ封じてくれたな、だがそれももうすぐ終わる、もうすぐだ―――

「あなたは、どうやらここにいるべき存在では無いようですね」

去れ、悪霊よと、神鳳は長い包みの中から取り出した弓の弦を鳴らした。

鳴弦、といっただろうか。日本に古くから伝わる祓い技の一つだ。

七瀬は不意にくわっと目を剥き、神鳳を凝視した。

「むうッ、墓守の小僧が、なかなか面白い技を使う―――だが、我を貴様の操れる低霊どもと同じと思わぬ事だ」

ククク、と嘲笑して、全身がぐらりと揺れる。

「待っておるぞ、人の子よ」

先ほどの濁った瞳が、再び玖隆を捉えていた。

「お前達が我の元へと辿りつくのを―――

同じように、視線をそらせない玖隆の中で意識の津波が巻き起こり、翻弄されて喉を上下させると―――次の瞬間気配は消えて、七瀬は糸の切れた操り人形のようにかくんと膝を折った。

倒れかけた体に咄嗟に腕を伸ばして抱きとめる。

慌てて駆け寄ってきた八千穂が七瀬の顔を覗き込んだ。

「月魅、しっかりして、月魅!」

「大丈夫ですよ、気を失っているだけでしょう」

まるで聞こえていない八千穂の傍らで、玖隆は神鳳を振り返っていた。

弓を包みの中に戻しながら、彼は何ごとか呟いている。

「あれが、僕達の守ってきたものなのか?我々生徒会の、いや―――

あの方の、と。

七瀬を抱く腕に、僅かに力がこもった。

皆守は一瞬ちらりと神鳳を窺って、何か考え込むようにあさってを見ながらパイプを煙らせていた。

いたたまれなくて、伏せた瞳を玖隆は一瞬だけ硬く閉じる。

俺はまだ、何も見ていない、と。

こつ、と音がして、見上げると神鳳がこの場を立ち去ろうとしていた。

「あ、ねえッ、どこ行くの!」

「僕の、あるべき場所へ」

背中は振り返らずに答える。

―――たとえそれが何であろうと、僕は守らねばならない」

皆守はそっぽを向いたままだった。

ここからでは逆光になってしまって、どんな表情をしているのか伺い知れない。

ただ、どこかよそよそしいその姿は、今にも夕陽に飲み込まれて消えてしまいそうに思う。

―――カーテンを引かれた書庫の窓から、オレンジの光が細く差し込んでいた。

「玖隆君」

「何だ」

「君は、たとえこれ以上どんな警告を発したとしても、あの場所へ来るのでしょう?」

―――ああ」

「君さえ来なければ、僕にはこれ以上争う理由は何もない、それだけです」

去っていく姿に、誰も、何も、かける言葉は一つもなかった。

神鳳の姿が完全に消えた頃、腕の中からううんと呻き声がして、見下ろすと七瀬がゆるゆると瞳を開きかけていた。

「あ、月魅!気が付いたんだね」

「八千穂さん?それに―――晃くん」

「七瀬、大丈夫か?」

ええ、と答える彼女が立つのを助けて、八千穂はほーッと胸を撫で下ろしていた。

「わ、私は何を」

「具合はどう?何ともない?」

「はい、ああ、また知らない間に」

「大丈夫だって、それより月魅が無事で、ホントによかったよ」

「八千穂さん―――ごめんなさい、心配かけて、晃くんにも結局ご迷惑をおかけしてしまって」

「気にするな、七瀬が無事ならいいさ」

七瀬は少しだけはにかんだように笑い、制服の乱れを整えると、眼鏡のフレームをくいと押し上げた。

―――何も問題ない、いつもの彼女だ。

「今回の事で、ひとつだけはっきりした事があります」

憑依されている間、おぼろげながら存在していた意識に、誰かがずっと呼びかけていたのだと、七瀬は話を始めた。

「私に取り憑いていたものがあの遺跡に眠る何かであることは間違いありません、鍵というのが何のかはまだはっきりしませんが、恐らく私のほかにもその鍵を探している人が、いえ、探させられている人がいると思います」

「つまり、月魅の他にも遺跡の霊に操られている人がいるって事?」

「恐らく、ですが」

鍵、と玖隆は胸の内で反芻する。

これまで遺跡を探索して、幾度となくあの分厚い蛇の絡みついた扉を開けてきたが、そのたびに鍵が必要だった。

それは、珠であり、剣であり、何かのモチーフや、証であった。

それらと同じように鍵と称される何かが、遺跡の最奥に至るために必要なのか。

七瀬に取り付いていた何かを封じ込めている扉の鍵が、この学園のどこかに存在しているのか。

(それが秘宝?)

鍵が、それとも、眠る何かが?

もしくはそれら全てを踏破した先に現れる―――何か、なのか。

けれどあの双子は以前それを『叡智』と呼称していた。

叡智、それは形のないもの。目に見えないもの。記憶の中でのみやり取りされる、知識の結晶。

遺跡にある秘宝というのは。

(もしかして―――

「あっ」

八千穂の小さな声を掻き消すように、放課後のチャイムが室内に鳴り響いていた。

―――わからないものは、どのみち知りようもない。

「ああ、今日もまた日が暮れるな」

どこか感傷的な声に、玖隆は皆守を振り返っていた。

「晃、今夜も行く気なら十分気をつけていけよ、何か、妙に嫌な予感がするからな」

「皆守クン」

微妙な雰囲気が、俄かに漂う。

「さて」

くるりと踵を返して、背中は何ごともなかったようにフラフラと歩き出していた。

「そろそろ外に出てみようぜ、もしかしたら騒ぎが収まっているかもしれないし、どのみちここに居座っていても、生徒会の奴らに見つかって処分を食らうのがオチだ」

「ああ、そうだな」

そっと廊下まで出てみると、周囲はさっきまでとはうってかわり、放課後独特のしんとした空気に包まれていた。

異様な気配も、教員も、生徒も誰もいない。ただ風景を鮮やかな夕陽が彩っている。

「あーちゃん」

八千穂の呼び声に、玖隆は振り返った。

「皆守君も、悪いけど、月魅の事が心配だから、あたしたちはルイ先生の所によってから帰るよ」

「そうか」

「すみません、晃くん」

「別に、構わないけれど」

でも何かあったら必ず連絡をくれと言うと、八千穂はニッコリ微笑んでうんと頷き返してくれた。

「じゃあね、あーちゃん、皆守クン」

「さようなら」

寄り添いながら去っていく少女達の姿を見送る、玖隆の傍らで、皆守がアロマのパイプを手に持ち直す。

「まったく、今日は散々な一日だったな」

「そうだな」

―――なあ、晃」

振り返ると、オレンジの日差しに照らされて、同じように光を反射した瞳がじっと見詰めていた。

玖隆は、何故だか一瞬、胸の奥がざわめくのを感じていた。

「よかったらちょっと、屋上に寄って行かないか?」

「なんだよ急に」

「別に、無理にとは言わないさ」

視線を反らそうとするので、間を置いて、玖隆はフッと微笑み、皆守の肩をポンと叩く。

「いいぜ」

振り返った瞳にまた少し動揺を覚える。

―――どうしたんだろう、俺は。

「ああ、たまにはまともに夕陽を拝んでみるのも悪くないだろ」

行こうぜと促されて、八千穂たちが歩いていった方向と逆に歩き出しながら、玖隆は先に行く背中をずっと目で追いかけていた。

廊下に、二人分の影が長々と照らし出されていた。

 

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