「いや、若いっていいねえ」

聞き覚えのある軽い声に、玖隆は辺りを見回した。

「どこ見てんだ、こっちこっち」

振り返ると、物影からなじみの髭面がひょっこり登場する。

「グッドモーニング、よッ、元気でやってるかい?」

「お早うございます、鴉室さん」

「うんうん、元気なようで結構結構」

玖隆は傍まで歩いていった。

「どうしたんですか、こんな時間に」

「ここであったのも何かの縁だ、君に協力して欲しい事がある」

肩を抱かれて、引き寄せられて、暗がりに連れ込まれながら、何ごとかと彼の顔を窺った。

朝っぱらから青少年相手に、いかがわしい男だ。教員などに見つかったらどう言い訳するのだろう。

鴉室は、彼にしてはやけに真剣な表情で、玖隆の鼻先に指を突きつけてくる。

「これは、この学園の調査に関する重要な事でな、どうだ?協力してくれるかね」

「重要な事、ですか?」

「ああそうだ、ひょっとしたら―――生徒会なんかとも係わりがあるかもしれない、特にあの美貌の会計役とか、お姫様みたいな女の子とか」

双樹と椎名のことだろうか。

仕事に関することならば、と、玖隆も姿勢を正す。

「何でしょうか?」

「よしよし、君は中々見所があるな、こいつをやろう」

そう言って手渡されたのは、少し冷めかけたチーズバーガーだった。報酬のつもりだろうか。

「はあ、どうも」

「どうだ?もっと俺に協力したくなってきただろ」

―――それはともかく、具体的な仕事内容の話に移ってくれませんか」

冗談はもういらないと無言の圧力で鴉室を急かすと、そうか、そうだよなと呟きながら彼は耳元に口を寄せてきた。

耳朶に吹きかかる息が多少くすぐったい。

「実は、この学園を調査していてある重大な疑問がわいたんだ」

「はい」

「ここの生徒でもある君の意見をぜひとも聞いてみたくて、ここで待っていたという訳なんだが―――ときに玖隆君」

「何でしょう」

「この学園に寮があるよな?」

「はい」

「俺が推察するにあの寮、もしかして、隣の男子寮から―――

おかしな雰囲気にピンとくる。

顔をしかめた玖隆に気づかず、鴉室は、案の定な台詞を続けて言った。

「女子寮が覗けるんじゃ」

「失礼します」

話途中でチーズバーガーを突っ返して、くるりと背を向ける。

そのままどんどん歩き出すと、後ろから鴉室が慌てて追いかけてきた。

「あっ、どこ行くんだよ!ちゃんと俺の質問に答えてくれよ、なあ、えッ、どうなんだ?」

朝っぱらからくだらない事をいうふざけた大人を完全無視して、さっさとそのまま立ち去ろうとした途中、不意に険を含んだ濁声が耳に飛び込んでくる。

「おいッ、待てよ」

―――ん?」

振り返った玖隆につられるようにして、鴉室もそちらに顔を向けた。

通学用の通路の向こう、木陰に隠れるようにして、三人の男子生徒が円陣を組むように立っていた。

彼らの視線が集中する中央、頭一つ分くらい小さいもう一人の姿が見え隠れしている。

追いついた鴉室が、やれやれと呟きながら玖隆の肩に遠慮なく腕を乗せていた。

「弱い者虐めか、どこにでもいるよなあ、ああいう輩は」

「学年章が二本だから、二年生みたいですね、一つ下か」

「どうするんだい玖隆君、ここはいっちょ、助けてみちゃったりしちゃったりするのかい?正義のトレジャーハンターとして」

「何ですか、それ」

半ば呆れて答えつつ、それでも鴉室の言うとおりにするつもりだったので、彼の腕を払いのけて歩き出す。

背後から、じゃあ俺は退散するぜの声と共に、足音が遠ざかっていった。

鴉室は結局何の用だったんだろう。まさか、本気であの話をするためだけに俺を待っていたんだろうか。

暇な探偵だなと考えながら、集団に近づいていくと、興奮した彼らの怒号が聞こえてきた。

「や、やめてくださいッ」

死に物狂いで円陣から抜け出した少年が、そのまま玖隆の方へ走ってくる。

途中でハッとこちらに気づくと、アッと小さな声を洩らして、そのまま立ちすくんでしまった。

全身が小刻みに震えている。

視線や、態度から、彼が日常的にこういった行為の被害にあっているのだとすぐ推察された。

妙な言い方だが、怯え方が堂に入っている。

長期間に及ぶ精神及び肉体的苦痛を味わい続けない限り、即座にこんな仕草をして見せる者はいない。

「待てよ、響―――ん?」

追いかけてきた柄の悪そうな男子生徒達も、同様に玖隆に目を留めて立ち止まっていた。

彼らの様子もある意味堂に入っているなと、玖隆はしみじみと溜息を漏らしてしまった。

見るからに性根の悪そうな、志の低そうな人種だ。ついでに言えば顔の造詣も悪い。

不健康な暮らしを送っているのだろうけど、それに耐えうる体力は持ち合わせていないのか、内臓機関の不調が体表に現れている。鍛え方もなっていないと、姿勢の悪い立ち姿を眺めて思う。

それらを何となく感じ取ったようで、彼らはすぐ腹を立てたようにこちらを睨みつけてきた。

(カルシウムも足りていないのか、まったく、これだから、この手の人種は)

「何見てんだてめえ」

「見せもんじゃねえぞ、オラッ」

「ニヤニヤしてんじゃねえよ、三年だからってなあ、容赦は」

おい、ちょっと待てよと最初の一人が他の二人を急に制止していた。

「何だよ」

「―――こいつ、あの目の色ってさ、もしかして」

三人はもう一度よく玖隆の顔、特に瞳の色を窺ってから、何かに気づいたようにアッと声を上げた。

「や、やべえ、こいつ、オッドアイの悪魔だ!」

オッドアイの、悪魔?

「間違いねえ、奴の目の色、よく見ろよ!あれ、カラコンじゃねえみたいだし」

「じゃあ、もしかして、あの」

3Cに九月の終わりに入ってきたっていう、あの」

「玖隆晃?」

顔を見合わせた三人組に、当の玖隆自身は呆気に取られて、ただその場に立ち尽くしていた。

先ほどの少年は間に立つような格好になり、ただ怯えてキョロキョロと視線を彷徨わせている。

不意に目が合って、ビクリと肩を震わせるので、玖隆は殆ど条件反射のように笑いかけていた。

愛想がよくて調子がいいのは、長年定住地を持たずに育った彼がいつの間にか身につけていた処世術のようなものだ。

そうでなければ新しい土地、新しい人々に囲まれて、うまくやっていけるはずもない。

不意を突かれて少年は非常に驚いたようだった。

丸く開いた瞳が、その後少しだけ警戒心を解く。

三人組は逆に戦慄したようだった。

「やべえよ、玖隆晃っていったら、生徒会の連中とよくつるんでるあいつじゃねえか」

「転校早々墨木や真里野にヤキ入れたり、あの神鳳さんをまるで舎弟のように扱ったり」

「屋上で、やっぱり同じようにヤバイのとたむろってんだろ、たしか、皆守とか」

「薬でヤりまくってるって聞いたぜ」

「薬ヤりまくってるの間違いじゃないのか?」

「とにかくやべえよ、担任の女教師も、転校初日で食っちまったらしいし」

3Cの担任って、雛川か?クソ、羨ましい!マジかよそれ」

「マジマジ、でも先公共も怖くて処罰できないらしい、生徒会もやむを得ず黙認してるとか」

「双樹さんや朱堂も手篭めにしたって話だぜ、生徒会長まで、奴には一目置いてるらしい」

「オッドアイの悪魔、玖隆晃ッ」

「奴に逆らったら殺されんぜ!」

「マジシャレになんねえ!」

―――もうどの辺りに突っ込みを入れたものか。

俺の知らない間に、知らない誰かの伝説が作り上げられていた。本当に、人の噂話ほど怖いものは無い。

玖隆は昨晩からの疲れが一気に圧し掛かってきたような、そんな気分でグッタリと肩を落としていた。

幾つか、名誉のために言わせてもらえば、墨木や真里野を一方的に痛めつけたことなどないし、神鳳を舎弟にした覚えもない。皆守と薬なんか試したこともなければ、どちらの意味でもヤりまくってなどいない。そもそもそれはどういう意味なんだ。それに俺は、雛川さんとベッドを共にしたこともなければ、双樹はともかく朱堂なんかは手篭めにする予定すらない。

最後に俺はオッドアイじゃなくて、日向と日陰で目の色が変わるだけだと、頭の悪い彼らによく言って聞かせてやりたかった。

今見ていただろうが。俺の目は両方、同じ色をしている。

もう何か色々面倒だなと、後頭部をボリボリ掻いていると、少年達は急に態度を改めて、ヘコヘコと頭を下げ始めた。

馬鹿らしくて涙が出てきそうだ。

けれど、こんな奴らとやり合っても仕方ないので、下手に出るなら便乗させてもらおう。

とりあえずの目的は達成されそうだし。不本意だが、目くじら立てるほどのことでもないと判断した。

「あ、あの、すんません、俺ら、あなたが玖隆さんだって知らなくて、その、てめェとか」

「ぼ、ボク等は決して、アナタともめようとか、そんなこと考えてたわけじゃないんですッ」

「あっ、そいつ、玖隆さんに差し上げます、どうぞ好きにしてください」

「それじゃボクら、授業があるんで」

「ウィッス、失礼しまッス」

三人組はそのまま少年を残して逃げ出していた。

ナリは大きくても中身は小物かと、悔し紛れに胸の内で吐き捨てる。

残された少年は、まだ怯えながらこちらをじっと見ていた。

玖隆はゆったりした足取りで彼に近づいていった。

「大丈夫か?」

「えっ」

「怪我とかしてないか、あいつらに、何もされてないか?」

「あ、は、ハイ、あの」

助けていただいて有難うございますと、少年は消え入りそうな声と共に頭を下げた。

「あの、ボク、響です、響五葉って言います、貴方は」

「玖隆晃」

「は、ハイ、先輩、ですよね?さっきの人達の話、僕も聞いてました、その、先輩が、凄い人だって」

その言葉にはいささか語弊があるようだけれど、いちいち説明も面倒なので玖隆は何も言わずにおいた。

響はチラチラとこちらの顔色を窺うような動作を繰り返して、不意に自分の爪先に視線を落としていた。

「僕も」

「うん?」

「僕も、あなたみたいに強かったら、こんな風に怯えて過ごす事も」

不意に端末がメールの着信音を鳴らして、たったそれだけのことでも響は怯えるようだった。

小心な性質は、先天的なものか、後天的なものなのか。

困ったものだと思いながら、玖隆はHANTを開いて文章を確認する。

送信者は鴉室で、先ほどの生徒は無事助けられたかと茶化した文章と一緒に、生徒会の魔人たちが戦闘後体から噴出させる『黒い砂』に関しての興味深い考察が記されてあった。

画面を閉じて振り返ると、響は自身の手の甲をしきりに気にしている。

そこに、先ほどの騒ぎの最中に負ったのだろうか、鮮血の滲む引っかき傷が出来ていた。

「怪我してるのか」

「えっ」

玖隆は彼の手を取って、ポケットから絆創膏を取り出した。

再び目を丸くする響の、傷口に貼り付ける。

「とりあえずこれな、あとでちゃんと消毒して、もう一回綺麗な絆創膏でも張っておけ」

「あ、あのッ」

「まあ、お前がそうやって怯えたり、強い態度が取れなかったりするのは、仕方ないと思うけどさ」

頭の上に手を置いて、フワフワした髪をポンポンと叩いた。

まるで少女のような少年だ。こういうタイプは、卑しい人種の嗜虐心や征服欲を刺激しやすい。

でも男なんだからと、ニッコリ微笑みを向ける。

「逃げ出すだけが能じゃないだろ?人間、その気になればなんだって出来るもんだ」

「で、でも、僕は」

「すぐには色々無理だろうけど、小さなことからコツコツとってな、そうやって頑張っていけば、いつか怖いものなんて無くなるさ、そうだなあ、とりあえず、また何かあったら俺の友達だって言っておけ」

「えっ」

―――不名誉極まりない噂だが、広まっているなら、この際有効活用させてもらおう。

そんなもので彼の性質が向上する助けになるのなら、安いものだ。

「ど、どうして」

「うん?」

「どうして、僕なんかにそんなに親切にしてくれるんですか?」

不思議そうな響と向かい合って、玖隆は不意に微笑を浮かべていた。

「親切にするのに、何か理由が必要か?」

「えっ」

「俺なら、そんなものはいらない、したいからする、それだけだ」

「玖隆先輩」

「行動にいちいち小難しい理屈なんて考えるな、それが望みなら実践すればいいし、何か問題があるようなら、改善するか、やめるか、他の手を考えるまでだ、響は苛められたいのか?」

「い、いえ」

「じゃ、苛められなくなるにはどうすればいいか考えろ、本気の想いなら、きっといいアイディアが浮かぶはずだ、それまでは俺の名前でも使ってくれたらいいから」

じゃあ、と行こうとすると、玖隆の制服の裾を、響がキュッと握り締めていた。

「あ、あの、先輩ッ」

「ん?」

「ありがとう、ございますッ」

再び深々と頭を下げて、パッと手を離すと、そのまま踵を返して走っていく。

小柄な後姿をしみじみ見送って、玖隆はあくびを一つ洩らしていた。

そういえば昨晩からこちら、ずっと寝ていない。

保健室に行けば皆守もいるかなとぼんやり考えていた。

これからますます忙しくなるのだろうし、休めるときにちゃんと休んでおかないと、本当に体が持たなくなってしまう。

俺まで倒れてちゃシャレにならんぞと、歩き出した校舎の方角から始業を告げる鐘の音が、冬の空気を割って鳴り響いていた。

 

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