※ゲーム未クリアの方はお読みになられませんよう、ご注意申し上げます。
「12th-Discovery」
「よっと」
有刺鉄線の絡まった外壁を軽々と飛び越えて、玖隆は夕暮れの街並みを駆け出す。
頭上を飛んでいく軍用ヘリコプターの群れを軽く一瞥して、その表情に一瞬だけ影がさしていた。
「まあ、大丈夫だとは思うけど」
これだけの騒ぎでは、もう数分もすれば何事だと周辺住人達が集まってくるだろう。
すでに同じ様に頭上を眺める姿がちらほらとあちこちの建物から顔を覗かせている。
そっち方面の知識のない民間人ばかりだから、パトカーでも登場しない限り大事には至らないだろうが、急ぐに越した事は無い。
「頑張ってくれよ、生徒会」
口元がニヤリと笑った。
これまで散々苦しめてくれたんだ、一仕事任せられるだけの実力はあると、他でもないこの俺がお前たちの力を一番買っている。
「あんな間抜けどもにやられてたんじゃ、大事なものは守れないぜ」
ドイツの軍用コートの裾が翻り、その姿はすぐ灰色の街並みに紛れて見えなくなった。
塀の向こう側から、かすかな発砲音がぬるく緩んだオレンジ色の風景を切り裂き、気の早いパーティーの開始を告げていた。
気をつけたほうがいいっすよと、夷澤は彼なりの気遣いで玖隆に忠告をしに来てくれたらしい。
挨拶ついでに軽く目礼などするものだから、何だか少し妙な気分だった。
あんな事があって、もしかしたら一目置かれているのかもしれない。
「足、大丈夫か?」
それは、どうにも気恥ずかしくて、誤魔化しついでに尋ねたら、逆に顔を真っ赤に染められてしまった。
「お、オレはどうとも、先輩こそ、怪我の具合は?」
「おかげさまでこっちも何とも無いよ、この程度なら、慣れてる」
いちいち何かあるたび開くのが鬱陶しくて、少しきつめに包帯を巻いて固定した脇腹辺りをポンポンと叩く。
それと肩、あと、足。他にも打撲、裂傷が数十箇所。
けれどどれも大騒ぎするような怪我じゃない。
もっと死にかけるような目にもあってきたし、こんなもの、かすり傷と大差ないだろう。
「慣れてる、っすか」
はあと溜息を漏らして、夷澤は感慨深い顔をしていた。
何だかんだ言っても結局は平和な日本の学生サンだ。玖隆はニコリと微笑みかける。
「それよりなんだ、改まって」
「あ、はい」
実は、俺のクラスの響って奴がッすね。
途端―――あの、気弱げな、少女のような外見をした少年の姿を思い出す。
以前夷澤がらみの一件で、酷く狼狽したまま駆けていったのを見たきりで、それきり会っていなかった。
夷澤は、その響の様子が今朝から少しおかしいのだと言う。
「オレが操られていた件もあるし、気を付けた方がいいんじゃないかと」
「なるほど」
「それに、いろいろとセンパイを狙ってる奴も多いと思うんでね」
オレの言いたいのはそれだけっすと、夷澤はやけに真剣な面持ちで玖隆を見上げていた。
「ありがとな」
答えてねぎらい代わりにポンと腕を叩くと、気の強そうな後輩はまた顔を真っ赤に染めていた。
クールな素振りは装っているだけで、本当は照れ屋なのかもしれない。
(昨日の今日だっていうのに、ずいぶん義理堅い奴だ)
玖隆は微笑んでいた。
昨夜の戦闘で、彼に取り付いていた幻影と一緒に、余計なものも内側から抜け出ていったらしい。
清々しいじゃないか、青少年と、踵を返して立ち去る姿をのんびり見送る。
背中は、どこかギクシャクして、やけに初々しい。
こうして見ている分には彼も可愛らしい年下のオトコノコ、だ。
狂犬も手懐ければただの犬か。
晃、と呼ばれて振り返ると、先に教室へ戻ったはずの皆守が廊下の途中で待っていた。
「無駄話は終わりか?八千穂は先に行っちまったぞ」
「ああ、悪い」
隣に駆け寄ると、そのまま並んで歩き出しながら、口元のパイプをユラユラと揺らしている。
「アイツ、少し顔つきが変わったな」
「夷澤か?」
「ああ」
そっけなく景色を眺めていた瞳に、不意に影のようなものがよぎる。
何を考えているんだろう。
横顔を一瞬だけ窺って、玖隆も平素の素振りを装って歩いた。
(もう―――)
こんな所まで来てしまった。
HANTに集積されたデータから推察するに、遺跡内部の未踏破フロアはすでに僅かを残すばかりだ。
最下層の玄室と、施錠されたままの二つの扉。そしてそこから連なる、幾つかの部屋で成立された区画。
いよいよ手強い化人たち。
生徒会の魔人も、執行委員から始まって、書記、会計、副会長補佐役まで退けてきた。
残す役職は―――恐らく二つ。
立ち止まった玖隆に、少し遅れて皆守が振り返った。
「どうした、晃」
玖隆は顔を上げる。
日差しの中でもなお黒い、静かな光をたたえた瞳が、じっとこちらを見詰めている。
「―――いや」
結んでいた口元を解いて、ふわりと微笑が浮かんでいた。
玖隆は緩々と首を振ると、真っ直ぐ皆守の瞳の奥を見詰め返す。
「何でもない」
「そうか」
再び歩き出す彼の、隣に並びながら、胸の奥でわだかまる感情が足元の景色を濁らせるようだ。
胸元で金属音がチリリと鳴ったような気がしていた。
退屈な午前の終わりを告げる鐘の音と共に、どちらともなく適当に誘い合って屋上まで登る。
天香学園を訪れて、いつの間にか出来上がっていた二人の習慣の一つだ。
皆守が早退したり、保健室に引き篭ったりしていなければ、大概こうして仲良く購買部のパンを片手に青空の下へ繰り出していく。
いつだったか聞いた、屋上の支配者の異名は伊達じゃないらしい。
玖隆はここで皆守以外の人間がごろごろと暇を持て余している姿を殆ど見た事が無いし、出くわしたとしても、それは共通の友人や仲間達の姿であって、他の生徒達はこの場所を敬遠しているようだった。
それは皆守のせいなのかなと考えて、つくづく勿体無い事だと思う。
こいつは、ちょっと口が悪くて無愛想だけれど、いきなり噛み付いてくるような奴じゃない。
むしろテリトリーさえ守ってやれば、それなりに付き合いやすいタイプの人間だと思うのだが。
生来の性質で面倒見はいいし、頭の回転も速い、それなりに機転も利く、おまけに最近は積極性も出てきたから、これでもう少し人当たりが良くなれば、皆守はあっという間に学園の人気者になれるだろう。
外見だけは今すぐ俺が太鼓判を押してやる。
(女の子なんか、こういうの目ざといからなあ、すぐに彼女が出来ちまうだろうし)
しかし、皆守がどんな顔で女性と付き合うのかと考えると、笑いを禁じえない。
恐らく散々甘やかして、ベタベタに甘えまくるのだろう。ぶっきらぼうに愛情を囁くかもしれない。
不器用な奴だから。
懐の広い、優しい女がきっとお似合いだ。案外面食いらしいから、見た目もそれなりにキレイどころがいいだろう。元気で明るくて、こいつを前に引っ張っていってくれる、そんな子が。
(明日香ちゃん辺り、ベストだと思うんだがなあ)
そう考えて口元に微かに苦笑が浮かんでいた。
―――俺が、それを言うのか。
四時間真面目に授業を受けて、すっかり疲れ顔の彼にカレーパンを手渡して、打ちっぱなしのコンクリートに腰を下ろすと、冬の空はやけに遠い。
コートの襟を立てて寒いとぼやいた隣で、同じ様に紫のダッフルコートを着込んだ姿がホットのコーヒーを美味そうにすすっていた。
「お前、それココアか?幾つだよ」
「失礼な、甘いものは疲労に効くんだぞ」
「けどなあ」
小突きあって二人で笑う。
パンを食い散らかして、ゴミはちゃんとまとめて、ごろりと寝転がった皆守に強引に膝を占拠されてしまったから、玖隆もそのままごろりと寝転がって空を見上げた。
薄い水色がやたらキレイだ。
年の瀬が近づいてきている。
「晃」
「ん?」
「―――お前が来てからというもの、俺のペースは乱されっぱなしだ、妙な事件に巻き込まれるわ、授業への出席率は上がるわ、八千穂はよりうるさくなるわ」
ハハハと玖隆は声を上げて笑った。
膝に、丸い頭蓋の感触が乗っている。
「良かったじゃないか」
伸ばした指先で、柔らかな髪に触れる。
「よかねえよ」
その手を掴んで、緩く握り返された。
「なあ、お前、多少は責任感じてるんだろうな?」
玖隆は答えない。
ぼんやり空を見上げていたら、皆守が不意に覆いかぶさるようにして顔を覗き込んできた。
正午の日差しに照らされて、輪郭だけ白く浮いた他は影になっていて暗い。
「そんな顔して誤魔化すな」
額をピンと弾かれる。
「いってえ」
箇所を押さえて笑うと、影の瞳は浮かびかかった熱い衝動を誤魔化すように他所を向いて、フンと呟きながら隣に腰を下ろしていた。
背中越しに見上げる横顔が、口元だけ微かに微笑んでいるように写る。
「まあ、何だかんだで俺自身楽しんできたようなフシがあるけどな」
玖隆ものっそりと起き上がっていた。
同じ様に背中を丸めて、また頭上を眺める。
季節外れの渡り鳥がインディゴを縫うように飛んでいった。
「去年までの俺なら、間違ってもこんな台詞は吐かなかったはずなんだがな」
玖隆がもたれかかると、皆守の体はわずかに揺れて、それでもまだじっとしている。
それは恐らく遠い記憶へ思いを馳せているからであって、玖隆も何も訊かずに身動きもしなかった。
9月からこちら、眩いほどの輝きを放つ、思い出の一つ一つが目の前をかすめていく。
男二人、寒風吹き荒む屋上で何をしているものかと思うけれど、コート越しに感じる体温は暖かかった。
愛しい日々。
そして、何と短き日々。
楽しい時間は過ぎるのが早すぎる。それは、まるで、陽炎のように、一瞬心に揺らめきたって、そして消えていくのだ。
体勢を変えつつコートの肩に額をこすり付けると、優しい掌がするりと髪を撫でてくれた。
「やっぱり、お前の影響は大きかったぜ、晃」
俺もだよ、甲太郎。
そっと瞳を閉じる。
あの日、胸の奥に穿たれた巨大な暗闇を、埋めてくれる誰かが現れるなんて思いもしなかった。
思い出だけ詰め込んで、ただ一人きり明日を飛んでいくのだろうと。
俺は、渡り鳥みたいなもんだから。
(けど)
―――あの場所にはいまだ、解決していない、俺達の最後のお楽しみが待ち構えている。
その日を思うと不安と決意で全身が震えるようだ。
果たして俺はこの腕でちゃんと掴み取る事ができるのか。
望みと、真実を。
かつんと音がして、玖隆はふと顔を上げる。
直後に皆守と目が合って、苦笑交じりにパッと離れた。
立ち上がってフェンスの方へ歩いていく姿を皆守が不思議そうに見上げた途端、屋上の扉が開かれていた。
「アラ」
双樹が、青空の下に踏み出しながら、間を置いてウフフと笑う。
「やあ、双樹」
振り返った玖隆の親しげな様子に、皆守はつまらなそうにパイプに火をつけなおしていた。
聡い彼女はすぐ何か察知して、お邪魔だったかしらと意地の悪い微笑を玖隆に向ける。
「そんなことないさ」
それを聞いた皆守がまた少し機嫌を悪くしたようだった。
玖隆が彼の様子をちらりと伺う姿を見て、双樹はまた笑う。
「晃くん」
傍まで歩いてくると、フェンスと皆守の間で立ち止まったままの玖隆の体にしなりと凭れかかった。
「なんだい、双樹」
「もし、あなたが―――どうしても欲しいと思ったものがあるとするわね」
「うん?」
細身の彼女を、玖隆は腕一本で支えている。
全身から匂い立つような女の色香が漂っていた。
「その、欲しい物を傍にいる人間が持っていたら」
「うん」
「あなただったら、どうする?」
濡れた瞳が挑戦的な色で見上げてくる。
突然尋ねられた理由がわからなくて、困惑したハンターはううんと唸り声を洩らしていた。
「交渉してみるかなあ」
「そうなの?」
「乱暴なのは好みじゃない、話し合いで済むなら、それに越した事は無いさ」
「晃くんは平和主義なのね」
ウフフ。
赤い口元が微笑む。
「でも、交渉が失敗したら?」
「え?」
その時は、どうするの?と、綺麗に整えられた爪の先が胸をなぞっていく。
「欲しくて、欲しくて、堪らないのよ?それは貴方の人生すら左右するほどのモノなのよ?」
「双樹?」
「相手が絶対に譲れないと主張してきたら、その時は―――どうするの?」
いつになく必死の様子に、どうしたものかと持て余していた玖隆の耳に、俺なら、の声が少し離れた場所から聞こえてきた。
「―――奪う」
二人は振り返った。
背中を向けたまま、皆守はアロマを味わっているようだった。
「他の奴のことなんて知らないさ、欲しいなら貰う、貰えないなら―――どんな手を使ってでも、確実に、奪う」
「まあ、怖い」
胸元で漏れる忍び笑いに、見下ろせばいつもの双樹だった。
先ほどまでの様子は欠片も感じられない。一体どうしたのだろうか。
「皆守は強欲なのね」
茶化すように呟いて、どこか諦めたような、それでいて完全に吹っ切れたような表情で、綺麗な顔が玖隆を見上げてニコッと微笑んでいた。
「あたしの答えは秘密よ、晃くん」
「どうしたんだ、一体」
「何でもないの、忘れてちょうだい」
温もりと共に離れていく芳香を、名残惜しいと感じながら、玖隆は引き止めなかった。
それを、きっと彼女も察している。
ヒールの底がカツンカツンと音を立てて、扉の前で双樹は振り返っていた。
玖隆と皆守の姿を交互に眺めて、ウィンクを投げてよこす。
「じゃあね、バイバイ、二人とも」
蝶番の軋む音と共に、姿はその先へと消えてしまった。
ぼんやり立ち尽くしていた玖隆の傍に皆守が歩み寄り、ポンと肩を叩く。
彼は、苦笑いのような表情を浮かべていた。
「そろそろ戻ろうぜ、晃、昼休みが終わっちまう」
「あ、ああ」
「双樹の事が気になるか?」
「彼女、一体何の話をしに来たのかと思ってさ」
さてなと背中を向けて、皆守はさっさと歩き出していた。
北風がラベンダーの香りをふわりと鼻先に運ぶ。
「恐らく―――決着がついたんだろうさ」
「何の」
「さて、なんだろうなあ」
考え込んでいる間に、ドアまでたどり着いた皆守が「早くしろ」と急かすので、結局玖隆は思考を保留にして駆け出していた。
ほのかな残り香はアロマに紛れて、玖隆の髪やコートからはラベンダーばかりが強く香っているようだった。
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