「キミには果たして、秘宝を手に入れるだけの優れた資質があるのかい?」
きざったらしい口調に、うんざりしつつも視線をそらさず、玖隆は夕暮れの教室に立っている。
入り口の枠を背景に、喪部はうっすら笑みさえ浮かべていた。
八千穂を探して、三階まで登ってきて、その直後の出来事だ。
残っていた数人のクラスメイトとすれ違い、彼らの背中を見送りながら飛び込んだ3-Dの教室に人影はなく、辺りに首をめぐらせていると、背後から呼ぶ声がした。
「―――誰か、探しているのかい?」
再び振り返れば、そこにあったのは喪部銛矢の姿。
相変わらず挑戦的な態度で尋ねて来た―――「どうだい、もう秘宝は手に入れたかい?」
(やはり)
という思いと。
(ならば)
という考えが、確信へと変わる。
同業者の匂いを漂わせる、不審な態度の彼。
おそらくロゼッタの登録ハンターではない、瑞麗も鴉室も、彼の話はしていなかった。
夕薙は注意を促していた。
平素からこちらの様子を伺っていた、彼の正体は、おぼろげに見当がついている。
―――本能ってやつも、案外バカにできないなあ。
特に危険を感じなかったから、瑞麗と鴉室の素性には鈍感だった節がある。
けれど、喪部は出会ったときからずっと違う。
「いいや」
首を振った玖隆に、ニヒルな笑みがフフンと鼻を鳴らしていた。
「そうだろうね」
優しげに装った、その瞳の奥に写るのは、蔑みの眼差し。
喪部は人とチンパンジーのたとえ話をしながら、塩基配列やDNA考察などに基づく人間の優越の話を始めた。
優秀な遺伝子こそが存在の価値を決める、それが彼の自論であるらしい。
「それ以外などクズだ、なのに、なぜ、ここに眠る秘宝の力をあんな下等な連中が独占しているんだ、忌々しいクズ共、墓守の連中めッ」
ヒステリックに叫び散らす、この男には多少分裂症の兆候が見受けられる。
喪部は、恐らく俺が思っているような人物なのだろう。
偏見や思い込みで人を判断するのは嫌いだけれど、それでも彼に関しては、ここに至るまでの人生に、同情も気遣いの余地もない。
喪部は前髪をさらりとかきあげた。
きざったらしい姿だ。まるで芝居がかっている。
「僕が何を言いたいのかわかるかい?生態系の頂点に立つのは、優れた遺伝子を持つ生物でなければならない、安寧の中で時代を重ね、悪戯に殺戮と侵略を繰り返してその領土を広げてきただけの無能な人間達にその資格などはないんだよ、キミもそう思うだろう?」
玖隆は答えない。
「―――ボクの話が理解できないかい?」
瞳がすうと細くなり、背後に今日の残滓を投げかける強烈な赤色を指し示した。
「見たまえ、この鮮血のように美しい夕映えを!」
まぶしくて、玖隆の瞳が僅かに眇められる。
片手のHANTに視線を留めて、喪部はフフフと声を殺して笑った。
「神は優れた人間に素晴らしい資質を授けた、美しいものを美しいと感じる感性と、それを見抜く瞳を、ね」
キミには、果たしてその資質があるのか?
「秘宝を手に入れるだけの資質が」
逆光で影になっている、喪部の制服の内側から、電子音がクラシック楽曲を奏でた。
「来たか」
取り出して内容を確認すると、携帯電話を胸ポケットにしまいなおして、喪部はまた前髪をさらりとかきあげながら笑った。
「―――さて、そろそろショーの開演時間だ、キミとボク、どちらが早く秘宝に辿り着けるのか」
―――何か、遠方より聞こえてくる。
「どちらが優秀な遺伝子を持つのか、答えを出そうじゃないか」
クククッ
そのまま後退りをして、窓の桟に手をかけた。
窓は開かれていて、端のほうに金具が見えていた。
あれは恐らく、登攀用のロープを結びつける金具だ。
「では、ボクはこれで」
殊更芝居がかった仕草で、丁寧にお辞儀をして―――次の瞬間、喪部は窓の外にひらりと身を躍らせていた。
慌てて駆け寄り見下ろした景色の中、漆黒の痩身がひと息にロープを伝って地上へと飛び降りる。
ふと顔を上げて、口の端が上弦の月のようにヒュウと持ち上がった。
「キミが生きていられたら、また会おう、アハハッ」
駆け出していく。
どこへ?
(っつ、墓地だ!)
咄嗟に後を追おうとして、桟を越えかけた玖隆はハッと顔を上げた。
彼方より、すでに群青に染まりつつある空を、一つ、二つ、三つ。
爆音が空を割いて伝わってくる。
あれは、軍用ヘリコプターだ。
喉がゴクリと上下に動いた。
「あいつ、まさかッ」
直後に胸元の感触に思いを至らせて、シナプスが火花を散らすほど高速で状況を判断すると、玖隆は奥歯を噛み締めていた。
桟に乗せ掛けた足を、そろりと下ろす。
今、この機会を逃したら、恐らく次は無い。
襟元を握り締めて、何か決意したように振り返ると、茜の残滓の僅かに残る暗い廊下をひと息に駆け出していた。
急がなければ。
時間は僅かだ。
(皆、少しだけ待っていてくれ―――後は頼んだぞ、生徒会ッ)
手すりをジャンプで乗り越えて、次々と下の階に落下しながら、逸る鼓動が殊更足元を急かすようだった。
発砲音と、硝煙の香り。
普通の人生じゃ知る事もなかっただろう。
皆守は、身を低くして廊下を駆けていく。
ほんの数時間前に天香学園高校は、突如現れた武装集団―――レリックドーンという名の、テロ組織めいた者達によって占拠されてしまった。
学園内の人間を全て講堂に集めて、そこで起こった騒動。
黒塚が撃たれる瞬間、勝手に腕が動いていた。
以前の自分のままでいたなら、果たしてどうだっただろうかと思う。
あの場面で、即座に反応できていたのか。
(知るか、そんなもんッ)
靴音に足を止める。
息を潜めて、傍を歩いていく兵隊の一人をやり過ごした。
彼らのリーダーらしき男はマッケンゼンとかいう頭の悪そうな大男で、下卑た笑いを浮かべていた途中、他の部隊からの連絡に顔色を変えて講堂を飛び出していった。
恐慌状態に陥りそうになっていた一般生徒や教員、関係者達を静めたのは、有能な生徒会書記だった。
「ウフフ、みんな、今頃は楽しい夢の中じゃないかしら?」
倒れた兵士のマスクを剥ぎ取って、好みじゃないわと投げ捨てながら、双樹は妖艶な笑みを浮かべていた。
「こんなマスクくらいじゃ、あたしの香りは防げないわ」
「お前は」
「さあ、この連中の事はいいから、今のうちに早く逃げるのよ」
そうしてもう片方の手に持っていたランタンのようなものに、胸元から取り出したライターで火をつける。
途端、ふわりと漂い始めた香りに、辺りの緊張が急に和らいだようだった。
さっきまで悲鳴をあげていた女生徒や、錯乱しかけていた男子生徒たちも呆けたように座り込んでいる。
皆守、と双樹が小声で呼びかけてきた。
「晃くんを探してあげて」
あなたに、この香りは効かないはずだから。
「あなたまでここにいても仕方ないわ、彼らの事は、私に任せてちょうだい」
「双樹」
「少し前に校舎に戻るのを見たって言う子がいたの、本当は私が行きたいのだけれど、貴方に譲ってあげる、多分晃くんは、他の誰でもなく貴方を待っていると思うから」
双樹はイタズラな笑みを浮かべて、ちょっとだけ肩をすくめて見せた。
「ライバルから塩を送ってあげるのよ、せいぜい、頑張ってちょうだいな」
「―――けど、お前」
「貴方のことなんて知らないわ、私はただ晃くんが心配なだけ、それ以上でも以下でもなく」
早く、と駄目押しされて、皆守は双樹の言いたい事を理解した。
「礼は言わないぜ」
「されても困るわ、私が気がかりなのは晃くんだけですもの」
「そうか」
ニヤリと笑って、すれ違い様、恩にきるぜと一言だけ囁いた。
双樹は笑ったようだった。
そのまま講堂を抜け出して、一階から順に教室を見てまわった。
三階まで登りきって、玖隆の姿はどこにもなくて、今は再び一階、保健室の近くだ。
壁伝いに忍び寄り、見慣れた扉を隙間程度に開く。
「入りたまえ」
直後に声がして、素早く入室した皆守はそのまま唖然と立ち尽くしていた。
「カウンセラー」
「何だね?」
「こりゃ、一体何事だ?」
「フフフッ」
こんな状況下だというのに、平素の様に悠然と椅子に腰掛けてパイプを燻らせる、劉教諭の姿。
その背後には―――額に長細い紙を貼られた兵隊達が数人ほど直立姿勢のままそこに『あった』
「置物じゃ、ねえよな」
離れた場所でまじまじと眺める、皆守の様子に瑞麗はおかしそうに笑う。
「丁度人手が欲しいと思っていたところでね、助かったよ」
「助かったって」
その対比を何度か確かめて、皆守は不意に肩の力を抜きながらフウと溜息を漏らしていた。
「―――やっぱり、あんた、只者じゃなかったんだな」
「フフ、私はただの学校教諭さ」
「今日びの養護教員は、こんな事まで勉強させられるのか」
「これは、趣味だ」
趣味ねえと呟いて、胸ポケットにしまってあったアロマを取り出そうとして、やめた。
気づいた瑞麗が驚いた表情をする。
「そういえば、今日は吸っていないのだな」
「あ、ああ、まあな」
「どういう風の吹き回しだ、君にはもういらないものなのか?」
皆守は、僅かに俯いて「いや」と短く答えていた。
「―――ライター、壊しちまって」
「ほう?」
「それに、今はヤバイだろ、色々と」
「なるほどな」
養護教諭はふうっと紫煙を吐き出した。
どこか所在なさげに立ち尽くしている男子生徒の姿を一瞥すると、そのまま教員の顔で顎をしゃくる。
「行きたまえ」
皆守は顔を上げる。
「事情なら、大体わかっている、君の目的も、わかる」
「あんた」
「玖隆は校内にはいない」
釣り目気味の瞳の奥が鋭く光った。
「もし、私が彼ならば、このような状況に陥って、向かう先は一つだろう」
もしくは何処かへ潜伏しているかもしれないが、一番可能性が高いのは、あの場所だ。
手に滲んだ汗をズボンにこすり付けて、皆守はまじまじと瑞麗を見詰めた。
教諭はゆっくりと煙草を吸いこんで、再び優雅に煙を吐き出していた。
「のんびりしている暇は無い、急げ、皆守甲太郎―――玖隆は、待ってなどいてくれんぞ?」
しばらくの間、何か言いたげな顔で立ち尽くしていた足元が、不意に踵を返す。
保健室の窓を開いて、桟に片足を掛ける。
背後で瑞麗が声を立てて笑っていた。
「你神的保佑!」
何か、言われたのだけれど、理解できない。
皆守は答えず外へ飛び出していた。
いつの間にか日は沈み、暗黒の天井にはまばらに星が散っていた。
見上げて、すぐに身体を低くして、校舎沿いに駆け出していく。
玖隆はどこにいるのだろうか?
「ったく」
先ほどまでの出来事を反芻して、殆ど無意識に、言葉が口をついて飛び出していた。
「女ってのは本当にろくでもないぜ」
そのまま、黒い学生服は、夜の闇に紛れて見えなくなった。
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