流れる汗を乱暴に拭い捨てて、玖隆は喪部を睨みつける。
彼らの間には、横たわる巨漢の躯。
武装集団の総指揮を取っていたらしい、マッケンゼンとかいう男の成れの果ての姿だ。
灼熱の玄室にて、玖隆と皆守は、彼らと対峙した。
道すがら化人や兵士達の猛攻を潜り抜けて、ようやく辿り着いたときには全身に汗と血の匂いが染み込んでいた。
皆守の白いシャツも、すっかり薄汚れてみる影もない。
コートはこのフロアに入った地点で暑かったので捨ててきた。
喪部が前髪をかきあげながら、フンと鼻で笑う。
「ボクは、品のない奴が嫌いでね」
蔑みの表情からはそれ以外何も感じられない。
こんな仕事をしているのだから、むやみやたらに仲間などという言葉を振りかざすつもりもないけれど、それでもマッケンゼンの最後は哀れだった。
玖隆と戦い、敗れ、弱っていた所を、同胞の喪部にとどめを刺されたのだ。
額に穿たれた虚空からはどす黒い血が流れ落ちている。
「さて、と」
つまらなそうに視線を外して、喪部は玖隆を眺めながら、哂う。
「それじゃ、君にもそろそろ死んでもらうとしようか、僕の野望を知るものに生きていられると色々と面倒なんでね」
「お前らの内輪もめに、口を出すつもりもないんだがな」
「どうせ、ロゼッタにも諜報部員がいるんだろう?」
「俺の知り合いにはとりあえずいない」
「そうか、なら、友達を作られる前に、やっぱり死んでもらおう」
喪部はハンドガンをホルダに突っ込んだ。
「そうだ、君」
玖隆は片手に持った荒魂剣の柄を握り締めている。
もう片方の手には銃。
今朝方ようやく届いた、頑張ったご褒美に協会から送られてきたプレゼントだ。
「死ぬ前に、僕の喪部という名について、ちょっと面白い話しを聞かせてあげようか?」
「何?」
「もう少しお互い理解し合いたいだろう?僕ばかり君の事を知っているんじゃ、ズルいだろうからね」
「俺の何を知っているっていうんだ」
「色々」
クスリと肩をすくめて、そして喪部は語りだした―――自らに流れる血の話を。
「物部氏はね、どうやらボクのご先祖様らしいんだ」
異形と深いかかわりを持つ、彼らの遺伝子はその子孫達にも脈々と受け継がれている。
まくって、露になった腕の表面を、細い指先がスッとなぞっていた。
袖を直して、喪部は笑う。
「この体の中には、モノの力が宿っているんだ、ボクの言葉が偽りでない証拠に、キミに面白いものを見せてあげよう」
言葉とともに彼の気配が急に膨れ上がる。
全身が、淡い光を放ちながら輪郭自体がグラリと揺らぎ、その肌が青く変色していく。
頭上からズブズブと何か生えてきた。
あれは―――角だ。
皆守が隣で息を呑んでいる。
玖隆も、目の前で起こっている出来事を、信じられないような思いで見つめていた。
「これが」
耳まで裂けた口の端から、白い牙が覗く。
瞳は眼球ごと深紅に染まっている。中央の水晶体だけ、漆黒で細長い。まるで爬虫類の目だ。
「ボクの、真の姿さ」
喪部の、髪をかきあげる仕草だけそのままで―――彼は鬼へと変じていた。
その姿は日本の古い書物や、絵本の中で何度か見た事がある。
人の数十倍の破壊力を持ち、肉を割き、骨を噛み砕くと言われる異形の魔物。
由来は丑寅、禍刻に潜み、牛の角と虎の牙、爪、そして両者の凶暴性を掛け合わせた、凶暴なる獣、人外の存在、鬼。
「幻獣にお目にかかれるとはねえ」
ゴクリと喉を鳴らして、銃を懐に戻した。
「晃?」
皆守の小さな声に、玖隆は横顔で笑っていた。
「フッ、驚いたかい?」
喪部はいよいよ禍々しい。
声も、違う。
地の底から這い登ってくるような、聞くに堪えない耳障りな声だ。
「あまりこの醜い姿にはなりたくないんだけどね、だけど、キミの絶望する姿が見たくてさ、どうだい?とても勝てそうにないだろう?」
「―――そうだな」
玖隆は両手で荒魂剣の柄を握り締めて、刀身を目の前に真一文字にかざした。
真鋼の表面が淡く発光している。
炎の息吹だ。この剣は、振るえば裂傷とともに対象を1800度以上の業火で焼き尽くす。
「銃なんて無粋だろう?昔から、鬼退治は剣と相場が決まっているもんだ」
鬼の表情が僅かに歪む。
「勝てる気でいるのかい?頭の悪い奴だ」
忌々しげに穿き捨てて、両手を前にかざした。
指先からも長い爪が伸びている。おそらく、今の彼の最強の武器の一つに違いない。
「さあて、頼光にでもなりきるか、甲太郎、危なくない程度に離れていろよ」
「ぬかせ」
「フン」
喪部の、耳まで裂けた口の端から白い牙が覗いていた。
「それじゃ、お別れだ、ここがキミの墓場だよ―――」
同時に、地面を蹴って迫ってくる姿に、剣を青眼に構えた。
振りかざした爪と刀身がぶつかり合った瞬間、盛大に火花が飛び散る。
「さあ!キミの、もがき苦しむ姿を、ボクに見せてくれ!」
興奮した声が叫ぶ。
灼熱の地獄の中、人と鬼は古代の再現のように、合い見えた。
「―――クッ」
崩れ落ちる姿に、まだ荒魂剣を構えたまま、玖隆も両肩で激しい呼吸を繰り返している。
あちこち切られて血が滲んでいる。けれど幸い、そう大きな怪我は無い。
俺はまだ立っているから、勝ちだ。
ハンターはスコープの下でにっと笑う。
直後に喪部の表情が、屈辱に歪められていた。
「クッ、バカな、こんなヤツにボクが―――」
肌の色が徐々に元に戻っていく。
爪も牙も短くなり、角も消えた。口角も、両端から元の位置まで塞がった。
「変生も解けてしまったか、だが、勝った気になるのはまだ早いよ」
ゴウン、と大きな音がして、足元が揺れた。
ヨロヨロと立ち上がった喪部が、シャツの襟元を正しながら薄ら笑いを浮かべていた。
―――この、気配は。
「ククク、聴こえるかい?まるで地の底から響くような音が」
わかる。
どこかで砂の動くような音がする。
皆守は玖隆の後ろに立っているから、今どうしているのか見えない。
けれど、全身を馴染みのある感触が圧迫していた。ラベンダーが微かに香る。
あちこちで溢れ出していたマグマが一斉に炎を吹き上げて、その中から巨大な影が現れた。
「この遺跡には所々、霊的パワーの強い場所があるようでね、まあ、そんな事はどうでもいい、その力が僕の役に立ってくれれば、それでいいんだから」
これがどういうことかわかるかい?
喪部は笑う。
「キミは、ここで死ぬという事さ、アハハ!」
ひらりと飛びのく様子を合図に、異形がゆっくりと近づいてくる。
それは、赤胴色の肌を持つ、屈強そうな化人。
「それじゃ、そろそろキミの絶望する姿を見せてもらおうじゃないか、僕はここにいてあげるから、せいぜいいい顔で泣き喚いてくれ」
「ぬかせ、この変態め」
「酷いなあ、ボクはこれでもキミの事が気にいっているんだよ?」
嘲る声を遠くに聞いて、玖隆は荒魂剣を鞘に突っ込み、反対側に下げてあったサブマシンガンを引き寄せた。
「晃!」
背後で声が呼ぶ。スコープの下の口元がニヤリと笑った。
「心配なんて、今更だろう?」
強気の表情を引き締めて、靴底がしなやかに地面を蹴っていた。
巨大な化人の炎が、走る玖隆の後から追いかけてくる。
離れた場所に皆守の姿が見えた。
―――悲しい瞳だ。
(甲太郎)
ガス爆弾を投げつけて、攻撃を抜き放った荒魂剣の風圧で防ぎながら、感傷的な思いを必死に押し殺す。
(そうか)
―――もうすぐなんだな。
もうすぐ、その時が来ちまうんだな。
撃って、切りつけて、駆け回る。
灼熱の地獄で踊るダンスだ。汗をかきすぎて、頭の芯がぼうっと痺れたようになっている。
喪部は傷ついた身体を折り曲げながら、狂ったような笑みを顔面に貼り付けていた。
どうかしてるぜ。
俺も、あいつも、こいつらも、全部。
何もかもメチャクチャだ、けれど、長かったダンスパーティーももうすぐ終わる。
その時俺は、おそらく―――
「くらええええっ」
剣を真っ直ぐに構えて、化人の胴に突き刺した。
同時に吹き上がった炎が対象を包み込み、断末魔の声が玄室を震わせる。
一間置いて、ナビゲーションツールがプラズマの沈静化を告げていた。
これまでの化人達と同じ様に、光の粒になって消えていく中から、ひらりと何かが落ちてきた。
玖隆の足元に、それはまるで枯葉のように舞い降りた。
血の滲んだ頬をぐいとぬぐって拾い上げる。
―――それは、一枚の古ぼけた写真だった。
セピア色の中で微笑む美しい女性と、一面の、これは、おそらく。
(ラベンダーの花畑―――)
玖隆はそれを即座に制服の胸ポケットにしまい込んでいた。
振り返れば皆守が立っていて、浮かべていた表情を一瞬のうちに消し去って、玖隆を見詰め返す。
玖隆は喪部の姿を探した。
彼は、玄室の出入り口付近で、ようやく諦めたような表情をして苦々しく笑っていた。
「今日の所は、キミの勝利をボクの遺伝子で認めてあげようじゃないか」
ほらよ、と、取り出した何かを投げてよこす。
それは昨晩ファントムが奪い去っていった、生徒会が管理する『鍵』が入っているはずの桐箱だった。
「物部の伝承には、鍵は『鍵にあって、鍵にあらず』と記されている、それが本物かどうかは知らないが、ククク、せいぜい秘宝を巡って生徒会と遣り合うがいいさ、ボクは次の遺跡を探しに行くよ」
喪部は前髪をかきあげる。
「世界は広い」
そのまま、じわりと後退りをする。
「そして、現代に至るまでの間、失われた文明の数だけ秘宝は存在し、受け継ぐものを待っている――
―ボクのように優秀な遺伝子を持つものを、ね」
また会おう。
最後にもう一度だけキザたらしく微笑んで、喪部は背を向けて走り去っていった。
「いいのか?」
「追いかけたってどうしようもない」
玖隆は困り顔で笑う
「―――とりあえず目的は果たしたから、外に出よう、あの物騒な連中も、俺に苛められたって、泣きながら帰るとこだろうよ」
「そうか」
汚れた刀身を制服の端でぬぐって鞘に突っ込んだ。
サブマシンガンを脇に避けて、歩き出した背中に控えめな声が呼びかけた。
「なあ―――晃」
「ん?」
「―――いや」
何でもない。
言葉と一緒に、ラベンダーが香る。
玖隆は振り返らなかった。
今だけ、恐れる事を知らないような彼が―――怖くて、背後の気配を探る事すらできない。
暑さのせいで、何もかも乾ききっていた。
ざらついた砂が靴底で擦れる。音が、鬱陶しい。
灼熱の地底から冷たい星空の下に戻るまで、二人は何一つ言葉を交わすことなく歩き続けた。
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