相変わらず博識の七瀬にいくつかの質問を投げかけて、思うところしきりだ。

まず、日本とエジプトの関連性について。

そして黒い砂状のものについての見解。

どちらも非常にためになる話を聞く事が出来たが、肝心の解答のほうはサッパリ獲られず、謎が深まっただけだった。

「こんな話で少しはお役に立てたでしょうか?」

不安げな七瀬に、玖隆はもちろんだと頷き返す。

「ありがとう、七瀬はよく調べているんだな」

「い、いえ、でもあの本当に凄いのは本たちの存在であって、私はただその」

慌てて謙遜する頬が赤い。

こういう時、女の子はつくづく可愛いなあと思う。玖隆がつい口の端を緩めそうになると、隣から興味のなさそうな声が聞こえてきた。

「そろそろ休み時間が終わるな、優等生さんたちは次の授業の準備でもしたほうがいいんじゃないのか?」

「やば!もうこんな時間なんだッ」

時計を見上げた八千穂が七瀬と顔を見合わせる。

「そろそろ教室に戻らないと、とりあえず皆さんは先に出てください」

あたふたと作業に取り掛かる七瀬を見送って、八千穂はくるりと皆守を振り返った。

「皆守クンは―――まさかサボるつもり?」

「七瀬のウンチク話のおかげで、俺の脳には休息が必要なんだよ」

適当な事を言ってお前はどうすると聞いてくるので、玖隆はニッコリと笑顔を浮かべる。

「授業に出るよ」

「そうか」

「お前と一緒にね」

「はあ?何言ってんだ、俺は行かないっていってるだろ」

憤慨する皆守と対照的に、八千穂が嬉しそうな声を上げた。

「おッ、熱血転校生の不良生徒更正作戦だ!」

「なんだそれは、俺はそんなもんに付き合ってやるほど暇じゃないんだよ」

面倒くさそうに言い捨てて、ぷいとそっぽを向かれてしまった。

そのまま、呼び止める八千穂の声も無視してサッサと図書館を後にしてしまう。

扉の閉じる音と共に、八千穂が唇を尖らせた。

「せっかく玖隆クンが誘ってくれたのに」

まあ、半ば予想していた反応だ。

「いいよ、八千穂さん、皆守がイヤだって言うなら無理には」

「ね、追っかけてあげなよ」

唐突に微笑まれて、玖隆は面食らってしまった。

「えっ」

「ずっと一人は寂しいもん」

ね、と覗き込まれて、すぐ気が付いていた。

―――そうか、彼女も心配しているのか。

玖隆が頷き返すと、八千穂は嬉しそうに笑顔を浮かべる。

やっぱり、とてもいい子だ。

「じゃあ、また後でねッ」

一緒に図書館を出た直後、大きく手を振って駆けて行く後姿を見送ってから、玖隆も皆守の歩いていった方向に少し足早に歩き始めた。

 

「お前も大概しつこい奴だな、大体、俺が授業に出ようがでまいが関係無いだろ」

目的の背中にはすぐ追いつくことができた。

別に玖隆がとても急いだということでなく、皆守がダルダル歩いていたせいだ。

ちらりと一瞬こちらを窺って、そのまま何もいわず歩いていってしまうから、こちらも話しかけないでずっと後について歩いていたら、どうやら我慢の限界を迎えたらしい。

あからさまに不機嫌な顔を突きつけられて、玖隆は困り顔でとりあえず笑って見せた。

皆守が何かいう前に、踊り場に立っていた二人の頭上から玖隆を呼ぶ声が聞こえてくる。

「玖隆君」

上の階から取手が降りてきた。

「取手」

傍に立つとやはり背が高い。

それでも、威圧感が殆ど無いのは彼自身の纏う雰囲気のせいだろう。

取手は親しみの篭った優しげな眼差しで、ぎこちない笑みを唇に乗せる。

「その、この前は色々とありがとう、お礼と、君に渡したいものがあったんだよ」

玖隆に掌を差し出してきた。

そこに乗っていた鍵を、進められるままに手に取って窺う。

「これは?」

同じように覗き込んでいた皆守が、どこかの特別教室の鍵だなと呟いていた。

「これは、音楽室の鍵だよ」

聞けば取手が管理を任されているものらしい。

「この学園は何かと管理が厳しいから、鍵がないと入れない部屋が多いんだ」

「そうなのか」

納得してからはたと気付いて、いいのかと見上げる玖隆に取手はうんと頷き返す。

「君にそれはきっと必要なものだろうから、あげるよ」

「そうか―――ありがとう」

うん、と答える、取手の頬が僅かに赤く染まる。

以前とは違う柔らかな印象に、こちらも少し嬉しくなるようだった。

「なあ、取手」

「な、何だい?」

「鍵が無いと入れない部屋が多いって、じゃあ、他の部屋の鍵はどこにあるんだ?やっぱりコレみたいに誰かに預けられてるのか?」

知らない、と取手は首を振る。

「ただ、生徒会が管理しているのだけは間違いないと思うよ」

確かに、天香学園内に限定していうのなら、その推察は正しいだろう。

直後にフッと、ある一つの可能性がひらめいていた。

(もしかして)

これは、あくまで想像の域を出ないことだが、鍵は件の執行委員達に預けられているのでは無いだろうか?

管理、責任を任せるという点においては、これ以上適役はいない気がする。

もしくは各特殊教室を利用した活動をしている生徒達の代表。だが、一般生徒の権限は少ない。

ならばやはり、それなりに生徒会が信任している者に預けると考えた方が妥当だろう。

取手は鍵が無いと入れない部屋が多いといっていた。

つまり、鍵は多数存在するということだ。それはすなわち―――

(やめよう)

今考え込んだって仕方ない、その時がくれば、おのずと真実は明らかにされるだろう。

ふと見れば、皆守が取手の具合を気遣っていた。

応える彼は本当に調子がよさそうで、以前の妄執めいた影はどこにも見受けられなかった。

たぶんこれが、本来の取手鎌治の姿なのだろう。

胸の奥で喜びのような感情がふわっと花開く。

もちろん、八千穂や、多分皆守もそうであったように、玖隆も彼の身を案じてはいたけれど、この間の一件はあくまで仕事の延長線上、いうなれば「ついで」で行っただけの行為だ。

慈善や、友愛なんかじゃない。

取手との交戦時、生身の人間に銃口を向ける瞬間、躊躇わなかったといえば嘘になるけれど、それでも対峙した以上乗り越える意志に僅かの迷いも無かった。

やむをえなかったとはいえ、手酷く傷付けてしまったから内心心配していたのだけれど、こうして笑っている今の取手はいたって正常そのものだ。

玖隆は、何だか少しだけ救われたような気分になっていた。

この世に起りうるあらゆる事象は全て個人に帰結する。

どんな感情であっても、それが喜びであれ、悲しみであれ、心の傷であれ、結局癒すのも赦すのも自分自身でおこなうことだ。人を縛る鎖は、人にしか編む事はできない。

そして誰かの心を解き放つ事ができるのも、やはり唯一、人だけだ。

取手はそれじゃあといって背中を向けた。

もう暫らくカウンセリングを受ける必要があると言っていたから、これから保健室にでも行くのだろう。

「自分の過去と真っ直ぐ向き合う、か」

去っていく様子を見送りながら、皆守がどこか感慨深げな声でポツリと呟いた。

「あいつは、お前のおかげで救われたんだろうか―――

横顔に僅かに寂しげな気配がよぎる。

見つめる玖隆の視線に気付くと、アロマで煙に巻いてくるりと踵を返してしまった。

「俺はもう行くからな、お前は―――勝手にしろ」

そのまま再び気だるそうに歩き出す、後ろから玖隆もまたついて行く。

目の前の後姿は、何か酷く思い悩んでいるように見えた。

 

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