腕時計で確認して、昼休みが残り10分くらいなので少し急いで教室へと歩く。
ここでの生活は細かいタイムスケジュールによって分けられていて、多分それは日本にある他のどの教育機関もそう変わりないのだろう。
スクール時代にもそれなりに時間割のようなものはあったけれど、あくまで目安程度だったから、玖隆にとっては殆ど初めてのような体験だった。
慣れれば、こうして定められた範囲内で行動し続ける事は案外楽なのかもしれない。
―――自分のような人間には、すぐ息詰まってしまうだろうけれど。
階段を下りて廊下を歩き出そうとすると、反対側から不意にオイと呼び止められた。
「皆守」
「お前、午後の授業真面目に出る気か?」
まるで待ち伏せしていたように、唐突に現れた皆守は火をつけたアロマを煙らせる。
「何もここに勉強しに来たわけじゃないんだろう?俺はこれから昼飯なんだ、お前も付き合えよ」
玖隆はすぐに笑顔でいいよと答えていた。
皆守の言うとおり、別に授業なんて受けなくても問題ない。
ただ、その他大勢の中に紛れていた方が何かと都合がいいから、保身のために従っているだけだ。
もっとも最近は少しだけ、狭い空間にぎゅうぎゅうに小一時間ほど押し込まれて、すでに所有している知識のおさらいのような講義を聴かされるのもそれなりに面白いと思えるようになったけれど、退屈は否めない。
昼食はすでに取ってしまったが、せっかくの好意を無碍にすることも無いだろう。
幸い、あと一食分くらいなら胃袋に余裕が残っている。
皆守は、気だるい午後を日の当たる窓際でコーヒー片手に過ごすのも悪くないなどと大人びた口をきくので、コーヒーは嫌いだと玖隆は言い返してやった。
「お前、その歳でコーヒーも飲めないんじゃ色々致命的だぞ?」
「だって苦いじゃないか」
「ガキじゃあるまいし」
「俺はガキだよ、たかだかまだ十八歳だ」
グッと言葉に詰まって、皆守は面倒くさそうに後頭部をガリガリと掻く。
「まあ、好みはそれぞれだ、別にお前がコーヒーを好きだろうが嫌いだろうが知ったことじゃない、それより飯だ、何を食おうか」
ぶらりと歩き出すので、まるで午前の再現のように玖隆は再びその後に続いた。
マミーズ天香高校店は、学園専属の食堂と呼んでしまうのが躊躇われるほどちゃんとした店だ。
メニューは表紙も裏表紙もついたラミネート加工のカラー印刷で、丁寧に鋲止め製本されてあるし、内装にもそれなりに気を使っている。
食事は盛り付けが綺麗でちゃんと美味しいし、おまけにウェイトレス付きだ。
支払いは入学時に予め用意させられた学園内限定仕様のカードで行う。
その、転校初日から顔見知りになったマミーズのウェイトレスの舞草に案内されて、二人はテーブルについた。
メニューを開きもせずに『いつものヤツ』とオーダーを入れる皆守に唖然としていると、敵もさるもの、舞草はそのようなものはメニューにございませんとやんわり切り返した。
「あー、カレーだよ、カレー、カレーライス」
そんな事もわからないのかとばかりにうんざりする皆守を見て、普段こいつはマミーズでカレーしか食ってないんだろうなと玖隆は改めて呆れていた。
だから部屋にあんなにレトルトのカレーを隠し持ってるのか。
勝手に忍び込んで拝借した自室の戦利品をちらりと思い出す。皆守は、どうやらカレーが好きらしい。
(あれだけあったら一個二個なくなってもバレ無いだろうと思ったけど、これからは少し気をつけなきゃな)
突出した趣味志向がある人間は、興味のある分野において猟犬並みの嗅覚を持っている。
持ち物を勝手に頂いたことに関しては、まあバディ協力の一環だと思って大目に見ていただこう。
メニューを見ながら考え事をしていたせいで、まだ迷っているのかと思われたらしく、テーブルの向こう側から皆守が聞いてくる。
「お前は?まだ決まらないのか」
「あ、俺もカレーライスを」
つい考えていたものをそのままオーダーしてしまった。
途端、皆守がやけに親しげな表情を向けてくる。
「やっぱりデフォルトでカレーライスだよな、何だ、さてはお前もカレー通だろ?」
そんなものになった覚えは微塵も無い。そもそも、通というほど食に偏りも拘りも無い。
皆守は他人がカレーを食べることすら嬉しいのだろうか?
想像にお任せするよと答えながら、玖隆は苦笑いを浮かべていた。
舞草が下がってすぐ、一段落した二人の耳に、興奮した男子生徒の声が飛び込んできた。
「ホントだって、オレ、この前見ちゃったんだよ!」
声の大きいほうを、もう片方が慌てて諫める。
どうやら秘密の相談事のようだった。
無視しようと思った直後、気になる言葉がまだ頬を高潮させている方の男子生徒の口から飛び出した。
「夜の墓地で、あの墓守が何か埋めてたんだよ、棺みたいなものを―――」
途端、全神経が彼らの会話の内容に集中する。
仕事に関わることならば、聞かないわけにいかないだろう。
他人の領域に踏み込むのは趣味では無いけれど、今回ばかりは特例措置だ。心で詫びながら意識を向ける。
話の内容はやはり墓地に関することのようだった。
所持品を埋めているという名目の墓石の下に、何故棺を埋めておくのか、その中身は本当に失踪者の遺留品なのか、気になるから、掘り返してみようとまで言い出している。
まったく、ここの人間はどうしてこう誰も彼も揃って好奇心が強いのか。
この、閉鎖的過ぎる環境が悪いのかもしれない。皆刺激に餓えているんだろう。
玖隆は自分の事を棚に上げて、僅かに嘆息していた。
「お待たせしましたー」
気付けば、舞草がカレーライス二つをトレイに乗せて運んで来ていた。
「お、来たか、冷めないうちに食おうぜ」
嬉々としてスプーンを手に取る皆守の姿に、意識を戻しながらやれやれと苦笑を洩らす。
そしてふと気が付いた。
彼も、どうやら男子生徒の話に聞き耳を立てていたらしい。
待っている間一言も声をかけてこなかった。
「そういえば、お前にはまだちゃんと話してなかったな」
「何が?」
「生徒会の中には役員とは別に、執行委員ってのがあってな―――」
玖隆に関係のあることだと思ったのだろうか、皆守はカレーを食べながら、おもむろに執行委員の説明をしてくれた。
執行委員とは、生徒会の末端組織の役員呼称であるらしい。
彼らは普段生徒達の中に紛れ込み、生徒会の決めた規則を破るものがいないかどうか眼を光らせている。
そして、それに反するものがいれば、これを処罰する権限を有しているという。
(取手も執行委員だったよな)
一週間前の墓地での事が思い出されていた。
あのときの様子や、同時に発生した出来事といい、執行委員がどのような者達であるのか、多分自分の予測は当たっている。
彼らはきっと―――あの遺跡にまつわる何らかの秘密を共有しているのだろう。
そして玖隆がこのまま進み続ければ、間違いなく障害として立ち塞がってくる。
取手がそうであったように。
あと何人いるのか、組織全体の構成図はどうなっているのか、早急に調査しなければ。
そして天香遺跡自体に関しても、もっと奥深くまで調べる必要がある。
とにかく―――課題は山積みだ。
玖隆はカレーを食べながら延々考え続けていた。
その様子を、皆守はじっと伺っているようだった。
ここに来てそれほど時間が経過したわけでないから、確証は持てないが、こいつは時折こうやって、まるで監視するような目でこちらを見ている事がある。
皆守にはどうも、他人を観察するクセがあるようだ。
半目の下からじっと、気のない素振りをして、玖隆の僅かな変化も見逃さないように神経を尖らせているように思う。いつも気付いていないフリをしているけれど。
ふと、幼い笑い声が聞こえた。
振り返った玖隆と皆守は、そこに立つ少女の姿に気が付いた。
かろうじて原形をとどめるまでに改造されたレースたっぷりの制服と、ボリュームのある栗色の髪、白粉を塗りたくったような顔、長い睫毛、まるでビスクドールのような外観の少女はなにやらクスクスと微笑んでいる。
二人の視線に気付いた途端、踵を返して店外へと出て行ってしまった。
「あいつ」
皆守が怪訝に顔をしかめた直後。
「おい、これ見ろよ」
「あれ、何だこの箱、おおい、奈々子ちゃん、これって―――」
先ほどの男子生徒達に呼ばれて様子を見に来た舞草が、煙を昇らせる箱を見た途端、悲鳴を上げて仰け反っていた。
「こここ、この箱ッ、何か物凄く熱いんですけど!」
指をさしながら、全身がガタガタと震えている。
箱から立ち上る白煙はどんどん量を増していた。
「けけけ、煙とか出ちゃってまさかこれってばく、ばくばくば」
席を立った皆守が舞草に近づいていく。
「おい、落ち着けって!」
異様な気配に気付いた店内の他の生徒達も一様に席を立っていた。
爆弾?爆弾なのかあれ?嘘だろマジかよ!助けて!―――口々に叫びながら我先と出口へ殺到する人の群れを縫って、玖隆は二人の下へ駆け出していた。
様子から察するに薬品の混合物、化学反応で爆発させる、混合爆弾の一種だろう。
殺傷力はそれほどでもないが、傍にいれば火傷程度じゃ済まされない。
(早く何とかしないと、このままじゃ二人がっ)
向かってくる玖隆に気付いた皆守が目を瞠った。
「玖隆!」
(間に合わないっ)
テーブルの影から腕を伸ばして踏み切ると、そのまま皆守に飛び掛りつつ大声で叫ぶ。
「舞草さん、伏せて―――!」
舞草がトレイで頭上をカバーしながら即座にしゃがみ込んだ。
そのまま皆守の身体を押し倒すようにして一緒に床に伏せると、不意に落ち着き払った男の声が響く。
「これは、いけませんね」
玖隆の下敷きになった皆守が僅かに咳き込んでいた。転倒の際背中を強打したためだろう。
「あんたは―――」
「そのまま伏せていなさい!」
何かを投げる気配。
ガラスの割れる音と、直後に轟く爆発音。
どうやら爆弾は店の外で爆発したらしい。
辺りを確認して、玖隆はようやく吐息を洩らしていた。
周囲はまだざわついていたけれど、どうやら誰も怪我などしていないらしく、混乱は徐々に落ち着きつつあるようだった。
「―――おい」
アッと気が付いて、玖隆は慌てて皆守の上からどけた。
不機嫌そうに立ち上がった彼は、直後に思い切り睨みつけてきた。
「お前!俺なんか、庇う必要は無いんだよッ」
心外にも随分憤慨しているようなので、玖隆も思わず顔をしかめる。
こいつ、何を言っているんだ?
「バカ、危ない時に助けるのは当たり前のことだろうが!」
感謝しろとは思っていないが、反抗されるいわれも無い。
緊急事態で行う人助けに、理由も躊躇もいらないじゃないか。
「なッ」
皆守は目を丸くして固まってしまった。
ふう、と小さく声が聞こえて、振り返ると初老のウェイターが一仕事終えた微笑と共にこちらの様子を伺っていた。
どこか隙のない、落ち着いた物腰の人物だ。
一体何があったのか、玖隆は見ていないからわからなかったけれど、先ほど聞こえた声といい、どうやら危地を救ってくれたのは彼のようであった。
周囲の生徒も皆一様に老人を注目している。
「さてみなさん、大丈夫ですかな?」
飛び起きた舞草がマスターと泣き声を上げた。
よほど怖かったのだろう、今にも抱きつきそうな勢いだ。
「爆発とはいっても、殺傷能力の高いものでない事が幸いでした、火薬の匂いがせず、全体が熱を発していたところをみると、薬品の混合か、あるいは蒸気や圧力を利用したものでしょうか?」
玖隆はまじまじと老人を見詰めてしまう。
あの状況で素人にそこまでの判断はできないだろう。
老人は温和な笑顔のまま、そちらの方はもしかしてと皆守に首を向けた。
「ああ」
皆守な簡単に玖隆を紹介してくれた。老人は千貫厳十郎と名乗った。
聞けば、学園内にあるバー九龍でバーテンダーを勤めているらしい。
マミーズには昼の忙しい時間帯に手伝いとして訪れているそうだ。
「これからどうぞ、よろしく」
丁寧な挨拶に、玖隆も会釈を返していた。
皆守がバーの説明を簡単にしてくれて、ようやく雰囲気が和みかけると、マミーズの入り口からけたたましい足音が生徒達を押しのけながら飛び込んできた。
再びの、降って湧いたような騒乱ぶりだ。
「これは何とした事じゃあァ!」
騒々しく登場した境が、大げさに額に手をあてながら仰々しい声で叫ぶ。
過剰な演出はお家芸であるらしい。
「通りがかってみれば派手にガラスが割れとるではないか!儂の仕事を増やしたのはどこのどいつじゃッ」
「まあまあ、堺さん、落ち着いて」
千貫と舞草が詳しい説明を始めた。
逃げ出そうとしていた生徒達も少しずつ落ち着きを取り戻しているようで、また店内の元いた席に戻っていくもの、帰って行くもの、その数は半々位だろう。
苦笑交じりに様子を眺めていた玖隆は、不意に制服の襟元が開いてしまっていることに気が付いた。
先ほどの転倒時にホックが外れたのだろうか。
二番目のボタンまで開いたシャツの合間で、金色のチェーンがキラリと光る。
それを見て、暗緑色の瞳が僅かに細められていた。
襟元を正して、ホックをしっかり留め直す。
隣で、皆守が何気ない素振りでそれを見ていた。
「仕方ない、外は儂が片付けるから仕事に戻んなさい」
境は二人がかりの説明でようやく納得したらしく、煩わしそうに顎をしゃくっていた。
千貫と舞草がさっさと持ち場に戻っていくので、玖隆と皆守も会計を済ませようと足を踏み出しかけた途端、薄汚れたモップに行く手を阻まれてしまった。
「まてい」
「何だよ」
「お主らは儂の手伝いじゃ」
皆守が鬱陶しそうに境を睨む。
「何でだよ」
「どうせお主ら、授業をサボってここにいるんじゃろうが」
たまには大切な学び舎のために働いてみたらどうじゃ。
聞こえはいいが、多分境は作業を一人で持て余しているだけだろう。
ガラスは広範囲にわたって飛び散っているし、生徒達がひっくり返した食器の破片や残飯もあちこちで床を汚している。これを一人きりで掃除するとなると結構な仕事量だ。
顔をしかめる皆守の隣で、玖隆はわかりましたと答えていた。
幾ら非が無いとはいえ、このまま立ち去っては少しばかり可哀相だ。
それに、三人がかりでやれば、そう時間も食わないだろう。
「俺は付き合わないからな」
あてにしていた戦力の一人は、あっけなく戦線離脱を宣告して去っていった。
まあ、皆守はそういう奴だろう。
期待は半々だったので、少しばかりガッカリしながら、それでも仕方ないと腹をくくった玖隆に、境はモップを押し付けてさっさと椅子に腰掛けてしまった。
唖然と立ち尽くしていると、早く掃除を始めないかとせっつきながら舞草にコーヒーを頼んでいる。
玖隆は今度こそ、特大の溜息を吐き出していた。
(まったく)
踏んだり蹴ったりはとこのことだ。
庇った皆守には怒鳴られるし、親切を申し出た途端、係わり合いの無い仕事を丸投げされてしまった。
悪臭放つモップの柄を握りなおしながら、玖隆は少しだけ、自分の取った行為の甘さを悔やんでいた。
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