まるで嵐のようなひと時だった。

呆然としている玖隆に、皆守が足元に落ちていた鍵を拾い上げて手渡してくる。

「ホラ、お前が持ってろ、どうせ必要なモンだろう?」

それはどうやら墓守小屋の鍵のようだった。

 

―――さっきまでの一連の出来事。

女子寮の裏手に廻った途端、嬌声が聞こえてきて、二人はどうやら浴場の傍に来てしまったようだった。

あいにくと覗きの趣味は無いので、そのままさっさと行こうとしたら、直後に境と出くわしてしまった。

性欲旺盛な用務員は、すでに更衣室の中の光景を満喫していた最中だったらしい。

すっかり呆れ果てる二人を尻目に、まるで場所を譲るかのような事を言い捨ててどこかへ行ってしまった。

本当に侮れない人物だと思う。

初対面の印象といい、境はやはり食わせ者だ。

隣で苛々とアロマを煙らせている皆守は、痴漢と間違われたことと、訳のわからないあだ名をつけられたことですっかり憤慨してしまったらしい。

「誰がカレーレンジャーだよ」

「大変だな、甲太郎、カレーの平和を守るのか」

途端にギッと睨みつけられて、玖隆は苦笑いでごめんと詫びた。

案外、上手い呼称だと思うのだけれど。

すっかり興ざめしてしまって、そろそろ寮に戻ろうかと相談している最中、二人は聞きなれない声に呼び止められていた。

「ちょっと、そこの君達」

振り返ると、やはり見慣れない姿が立っていた。

気さくに挨拶をされて、思わずこちらも返事をすると、隣で皆守は怪訝そうに顔をしかめている。

「何だ、このおっさんは」

「おっさんって―――俺はまだ二十八だ!」

こちらも呼び方が気に食わなかったらしい。

皆守といい、どうにも彼らは注文が多すぎる。

玖隆は、自分などは本人と確認できる呼び名なら何と呼ばれても構わないと思っているから、二人の言い争いを半ばうんざりと聞き流していた。

男の名前は鴉室洋介、探偵だと自己紹介をする。

「実はここの生徒に色々と訊きたい事があってね」

「その前に」

皆守が言葉を遮る。

「天香学園は完全な全寮制で、関係者以外は敷地内に入れないようになっている」

何故探偵がこんなところにいるのか、説明してもらおうか?

理路整然とした話し方に、玖隆は思わず皆守の顔をまじまじと見つめてしまった。

時折、彼は普段の彼らしからぬ言動をする事がある。

今がそうだ。

平素から連想される反応なら、もっと投げやりで消極的な事を言ってあっさり身を引いていただろう。

確かに鴉室は現地点では不審者だが、何も一般生徒の自分達がわざわざ関わるような相手じゃない。

それこそ雛川に言われたとおり、ここから急いで逃げ出して、教員や警備員に連絡を入れたほうが断然楽だし、それが妥当だ。

皆守は正義感に燃えて行動を起こすようなタイプの人間でもない。

それなのに、どうしてわざわざ問いただすような真似をするのか。

怪訝に思う玖隆とは逆に、鴉室はその言葉に納得したようだった。

確かにそうだなと頷いて、大げさな前振りの後で重要な機密事項を暴露するかのように深刻な顔で話し始めた。

「遠い昔、遥か彼方の銀河系での話しだ、我が銀河連邦警察は―――

会話は、楽しく、弾むように。

時折ジョークも混ぜると尚良い。

初対面の人間とは、大体それでコミュニケーションがとれるはずだ。

いつだったか父親から聞いた言葉だ。

鴉室はエンターテイナーの素質があると思う。

とどのつまり、詳しい素性を明かすことはできないのだろう。

探偵という職業自体眉唾物だが、自分を省みれば立ち入ったことなど訊けるはずも無い。

話し始めの段階でそう踏んで、玖隆は結構楽しく彼の作り話を聞いていたのだけれど、最後に鴉室自身がボロを出した途端、容赦無い皆守の延髄蹴りによって薙ぎ倒されていた。

(こいつ、こんな事ができたのか)

鴉室が蹴られた事より、皆守の攻撃力の高さに、玖隆は思わず唸り声を上げていた。

眠い、眠いと嘯いて、結局やる気を出していなかっただけなのか。この野郎。

―――遺跡探索時もこれくらい頑張ってくれたら、大助かりなのに。

怨み言を言っても仕方ないと、まだ続いている目の前のやり取りを眺める。

鴉室は結局折れて、怒りに燃える皆守に辺り障りの無い事情を説明していた。

聞けばなるほどと思うけれど、その前の行為を思い返すと、この話も俄かに真実とは受け入れ難い。

それでも皆守の方は少し納得したようだった。

ただ、彼は鴉室の正体よりも、彼を手引きした協力者の存在を気にかけている様子だったが。

「またな、ベイビー」

現れた時と同じように軽い口調で、鴉室は闇に消えていった。

 

―――大騒ぎの後の静けさに、急に寒さが身に染みるように思う。

僅かに身体を震わせた玖隆の様子に気付いて、皆守が、そういえばとポケットの中に手を突っ込んだ。

「ここに来る前に缶コーヒー買っておいたんだったぜ、忘れてた、お前にもやるから」

そこまで言いかけて、ふと口を閉じる。

取り出した二つのコーヒー缶を見比べて、急に困ったような表情を浮かべた。

「お前、確かコーヒー嫌いだったよなあ」

玖隆は間を置いて、フフと笑い声を洩らしていた。

全く、暴虐無人なんだか、細やかなんだか、本当に正体のつかめない男だ。

もしかしたら皆守が一番複雑な精神構造をしているのかもしれない。

「何だよ」

皆守は俄かに不満げに顔をしかめる。

口をへの字にする様子が幼くて、やっぱり笑ってしまいそうだった。

玖隆はそのままニコニコと、悴んだ両手を差し出した。

「くれよ、寒くて堪らないんだ、せっかくだし、頂くよ」

「そうか」

皆守は少し躊躇って、それからコーヒー缶を手渡してくれた。

その時触れた指先が冷たくて、思わず捕まえて引き寄せる。

「お前、手ェ冷たいなあ!」

「お、おい、何してんだ、離せよッ」

あたふたする様子などお構い無しに、受け取ったコーヒーをポケットにしまって、両手で皆守の手を包み込んだ。何度か擦りながら息を吹きかけて、温もりを伝える。

手放すと、皆守は慌てて玖隆から距離を取った。

もう片方の手も寄こせと言ったけれど、断固として拒否されてしまった。

「ば、かやろ、俺はそんなこと頼んでねえだろうが、お前はどうして、そうやって人が頼みもしない事を勝手にしやがるんだ!」

「けど、お前の手、冷たすぎだから」

「そ、そういうお前はッ」

皆守は少しだけ俯いた。

暗いから良くわからないけれど、怒っているわけでは無いらしい。

「手ェ」

「ん?」

「暖かい、な」

ぽつりと漏れた言葉に、玖隆はニッコリと笑い返していた。

「うちの家系なんだ、体温高いの、平熱で六度八分くらいあるから」

従兄妹も同じように体温が高いんだと話すと、ふうんと気の無い素振りの反応が返ってくる。

それでも皆守は、まんざらでもないような顔をしているようだった。

暗いから、見間違えているのだろうか?

「ん?」

 

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