騒々しく駆け込んできた玖隆の姿を見咎めて、保険教諭の瑞麗が僅かに顔をしかめる。
見回すと、八千穂はベッドの上でグッタリと横たわっていた。
顔色はすっかり青ざめて、なんだか姿も小さく見える。
こんなのは、いつもの彼女じゃない。
辛くて、苦しくて、俯く玖隆に教諭は声をかけた。
「玖隆、君は彼女がこうなった原因に心当たりはあるのかね?」
「はい」
多分これは例の―――隣人倶楽部とやらの仕業だろう。
もっと早くに彼女を止めていれば、もっと早くに気づいていれば。
後悔はいつだって先に立ってはくれない。
俺はいつもそうだ。
後になって、悔やむ事が多すぎる。
八千穂から視線を瑞麗に戻すと、教諭は最近こういった症例で保健室を訪れる生徒が多い事を話してくれた。
「彼女の皮膚には、他の者同様微量なウィルスと思われる物が付着していた」
「ウィルス?」
隣で皆守が眉間を寄せる。
「そうだ、恐らくこれらが体内に入り込み、正常な身体機能を阻害したのだろう」
簡単にウィルスの説明を受けて、隣人倶楽部の名を呟いた皆守に、瑞麗が瞳を細くする。
「君にしては情報が早いな、いつもは他人の事などどうでもいいという顔をしているのに」
それは、皆守が自分と一緒にいたからだ。
玖隆が口を開くより先に、皆守は自分で弁明していた。
「勿論、どうだっていい、ただ晃の近くにいると嫌でも入ってくるんだよ―――俺は毎度巻き込まれてるだけだ」
「だが、それが不快でないからこうして玖隆と行動を共にしているんだろう?」
思わず口詰まる姿を、玖隆は隣で見ている。
―――そうなの、だろうか?
複雑な表情の二人を前に、保険教諭は面白そうに笑い声を上げた。
「まあ、何にせよいい傾向だよ、君にとってもな、そうして人と関わる事を避けずに生きていけば、いつかソレも必要なくなる」
それ、とは、たぶん皆守のアロマパイプのことだろう。
転校初日に見かけて以来、喫煙していない彼の姿を見た事が無い。
もっとも、これは香りを吸引しているだけだから、厳密に言えば煙草などとは異なるものであるけれど。
ニコチン中毒気味な人間なら多数知っているが、こういう形でアロマに依存している人間を見たのは初めてだった。
理由を聞きたいと思うけれど、聞いてはいけない気がする。
これだけ目立った特長を、自分で説明する気が無いのは多分そういうことなのだろう。
他人の立ち入った話は苦手だ。
関わってしまえば、無視できなくなってしまうから。
玖隆はあえて、二人の会話の聞き役に徹していた。
「玖隆のようないい友達もできた事だしな?」
さらりと聞き逃そうとして、少し釣り眼気味の瑞麗に見つめられて、直後に頬の辺りがカッと熱を帯びる。
―――友達?
それは、俺のことなのか?
ちらりと皆守の様子を伺って、彼が何も言わないので、動揺した玖隆は思わず口篭ってしまった。
他人から見た俺達は、友達同士なのか。
八千穂ともそうなのか。
それじゃあ、取手や、黒塚や、椎名や、朱堂ともそうなのか。白岐とも?
胸の奥に何かがぐんぐん満ちてくる。
友達。
いい響きだ。セスナの中の夢想が蘇ってくる。
「は、はい」
不意に笑みがこぼれていた。
こんなときに不謹慎かもしれないけれど、今、単純に嬉しい。
瑞麗は笑って、君は素直だなと優しい表情を浮かべた
直後に皆守がガリガリと後頭部を掻き毟っていた。
「クソ、こんな事ならわざわざ来るんじゃなかった、とっとと」
帰る、と言いかけた向こうから、ううんとくぐもった女生徒の声が聞こえた。
玖隆はすぐ振り返ってベッドサイドに駆け寄る。
「あ、れ?」
ゆるゆると瞼が持ち上がって、困惑気味な瞳が玖隆を見上げた。
「晃、クン?」
視線を転じて、皆守クンと呟いていた。
皆守も隣に来ている。瑞麗がベッドの足元から同じように様子を見ていた。
「気分はどうだね?」
「あ、はい、何だかフワフワするけど」
大丈夫です―――そう答える八千穂の姿は、全然そんな風には見えない。
明日香ちゃん、と呼びかけると、少しは心配してくれた?と聞き返された。
「そんな事、それより大丈夫なのか?どこか痛い所は?倒れた時に怪我はしなかったのか」
「玖隆、彼女は怪我などしていない、意識も見たところ正常だ、君こそ落ち着きたまえ」
フフ、と八千穂が笑った。
「晃クン、えへへ、ありがと」
「ごめん、俺、動揺して」
「いいよ、心配かけてごめんね」
「謝ることなんて無い、それよりこんな」
こんな、こと。
八千穂が無事であったとわかった途端、不安は怒りに変わっていた。
誰だか知らないが、絶対に理由を聞かせてもらう。
こんな理不尽なこと、見逃したりなどするものか。悔しくて、息が詰まる。
隣で皆守が、八千穂にもうあの集会へは行くなと話しかけていた。
「でも」
「でもじゃないだろ、お前がこうなったのはあの隣人倶楽部のせいなんだよ」
吐き捨てるように話す。皆守も、きっと腹を立てている。
けれど、二人を見上げる八千穂はどこか困ったような、悲しげな顔をするばかりだった。
「でも、でもね、例えそうだったとしても、タイゾーちゃんがみんなを救いたいって思ってる気持ちは、嘘じゃない気がする」
玖隆は閉口していた。皆守も口を閉ざす。
八千穂は、隣人倶楽部の主催者は、なにか訳があってこんな事をしているんだと、懸命に説明を続けている。
ただ、やり方を間違えているだけなのだと。
「何より救われたがってるのは、タイゾーちゃん自身なんだと思うの」
「―――取手や椎名のように、か」
皆守の言葉に、うんと頷く。
玖隆は見えないように掌を握り締めていた。
それならば―――タイゾーという人物は、執行委員ということになる。
取手も、椎名も、朱堂も、彼らは全員異能の力を持って、障害としてあの遺跡の中で立ちはだかってきた。
墓の存在を知るものに処罰を。
共に掲げた使命のために、全力で玖隆に挑んできた。
そして、魂を盗んだ化け物。
戦闘後に現れる巨大な異形を倒して、思い出を取り戻したとき、彼らを縛る墓の呪いは消滅する。
詳しい事は分からないが、それが取引の代価であるらしい。
掛けるものは心、与えられるものは力。そして墓守は、墓を守るため、墓に縛られる。
八千穂はタイゾーの中にもそれを見出したのだろうか。
「ね、晃クン、そうじゃないかな?」
弱々しい問いかけに、玖隆は静かに頷いていた。
―――胸の内に燃える、怒りの炎を隠して。
傷つけるなら、陥れるなら、俺にすればいい。どうせ連中が目障りなのは宝捜し屋の俺だけだろう。
(だったらッ)
いずれ、こうなるかもしれないとわかっていたのに、今更悔やむ自分が心底憎らしい。
あの晩多少手荒な事をしても八千穂の申し出を断ればよかった。
皆守を連れて行かなければよかった。
友達なんて、作らなければ―――
「晃クン、あたしは大丈夫だから」
八千穂は、こんな事になってしまったというのに、健気にも―――笑顔を見せてくれた。
玖隆を心配そうに見上げている。眼差しが、優しい色を湛えている。
「晃クンや皆守クン、月魅や白岐サンや夕薙クンや、ルイ先生やヒナ先生や、みんながいて、全然大丈夫だから―――」
「明日香ちゃん」
「でも、タイゾーちゃんは一人ぼっちのような気がするから」
だから、晃クン、お願い。
玖隆は八千穂の髪に触れた。
驚いたのは彼女だけでなかったようだった。
そっと撫でて、微笑み返す。
「わかった、明日香ちゃんも早く、元気になってくれ」
「うん」
―――俺が、何とかしなくては。
責任は取る。ハンターとして、彼女を巻き込んでしまった始末は、きちんとつける。
安堵したような八千穂の顔は、少しだけ血色がよくなったようにみえた。
玖隆は瑞麗にくれぐれも後をよく頼んで、保健室を出た。皆守も一緒に付いて来る。
その直後、二人は白岐と遭遇していた。
彼女も、倒れた八千穂を案じてここまで来たらしい。
ここはいつからお節介焼きの溜まり場になったんだと背後で皆守がぼやいていた。
「八千穂さんの具合は?」
「とりあえず、生き死にに関わるような話じゃないのは確かだ」
「そう、よかった」
相変わらず血の気の無い顔が、儚い笑みを浮かべる。
「汝の隣人を愛せ」
「え」
「あの集まりでは確かにそう説いている、彼らは魂を吸い取られて衰弱しきっていく事すら幸せへの道と信じて疑わない、愛すべき隣人のために全て差し出す事が幸せへの道だと」
けれど、その言葉だけが独り歩きをして、本来の意味を損なっている。
白岐の長い睫が僅かに伏せられた。
「あなたは、この前に語られるべき言葉を知っている?」
「―――汝、自らを愛するがごとく」
聖書でお馴染みの言葉だ。
そう、と白岐が答える。
「汝自らを愛するが如く、汝の隣人を愛せ、裏を返せば自らを愛することなく他者を愛することなどできないということ、あの倶楽部で教えを説いているものに欠けているのは、まさにその感情」
「自らを省みないものに、真に他者を思いやることなどできない、か」
「そう、だからこんな悲劇が起こる」
皆守は感慨深い顔をしている。
「どうしてそんな事をわざわざ俺達に?いや、ひょっとすると晃に、っていうのが本音じゃないのか?」
「わからない」
フルフルと振られる首の動きにあわせて、長い髪が揺れた。
「私自身も、玖隆さんに何を期待しているのか―――彼女が倒れたことにどうしてここまで動揺しているのか、私にもよく解からないの」
白岐はそのままふらりと背中を向けてしまった。
皆守の呼び止める声も無視して、思い詰めた足取りでゆっくり去っていく。
「あいつ、何なんだ」
まるで謎掛けのようだ。
けれど、いくつかわかった事がある。
立ち尽くす玖隆の肩を叩いて、皆守がとりあえず教室に戻ろうと言ってきた。
「まずは着替えに戻ろう、話はそれからだ」
もうすぐ下校の鐘が鳴る。二人はジャージを着たままだった。
頷いて歩き出す玖隆の姿を、隣で皆守が密かに見守っていた。
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