妙な出来事に遭遇してしまった。

夕薙に出くわした事がそもそもの発端だ。

何か校内が騒がしいがどうしてだと尋ねられて、簡単に説明してやったら難しい話になってしまった。

彼は超常現象の類を毛嫌いしているらしい。

「ない」ということは、確かに可能性を否定しているけれど、その真逆の意味も含んでいる。

つまり未知の領域は人にはわからないということだ。

人知が及ばないから未知という名前をつけられているのに、そんなものを正しく理解できるわけがない。

何をそんなに拒むのだろうと、話を聞いてそればかりが気になってしまった。

そこから発展して東洋の精神、肉体論に至り、結局主だった感想といえば夕薙はひどく現実的な男だという事が少しわかったくらいだった。

リアリストという点では自分もそう変わりない。

ただ、玖隆のモットーは真実の解明であって、それが叶うなら清濁併せ呑むことも厭わないと思っている。

夕薙の言葉に同感を覚える反面、決定的な違和感が溝のように横たわっているとも感じる。

直後、彼が首を伸ばすので、振り返るといつの間にか白岐が立っていた。

「こんにちは、そこをどいてくれる?」

邪魔になっていたか、すまないと横に退いた玖隆に、白岐は暗い色の瞳を向ける。

「この学園の闇に関わる事をしなければ、そういう生活ができたかもしれない」

―――彼女は一体、何を知っているというのだろう。

以前から妙な事を口走っていたけれど、その全てがここに潜む謎に直結しているような感がある。

ただの女生徒ではないということだ。

通り過ぎようとした白岐を、夕薙が止めていた。

「何を見ていたんだ」

「別に何も、ただ、外を眺めていただけ」

「嘘を言うな」

白岐は困惑気に黙り込んでしまった。

玖隆は、事の成り行きを見守っている。

「あの温室に何かあるのか?それとも、温室の方角に」

―――あの辺りは一体何があっただろう。

温室は学園のほぼ中央にある。遺跡の最初のフロア、大広間は遺跡の中心に位置しているから、あの下には暗黒に繋がる扉が並んだ大きな空間が広がっている。

それとも違うのだろうか。

夕薙の言葉の意味は一体どういうことだろう。

「転校生というのは、みんな好奇心が旺盛なのかしら?」

どこか蔑むような声に、思わず、いや、と答えていた。

この薄皮一枚の下は好奇心で満ち溢れているけれど、世界中に存在する、あまねく『転校生』とくくられる人間の全てが、そうだとは言い切れない。

夕薙は、新参者が新天地の事を知りたがるのは当然だろうと、あたかも正論であるように自身と玖隆を語った。

「二人がそんなに仲がいいとは知らなかったわ」

「男の友情は女には理解できないものさ」

玖隆は僅かに溜息を漏らす。

女性の地位向上運動をしている人間が聞いたら、目を吊り上げて食って掛かっていきそうな言葉だ。

「それよりまだ俺の質問に答えてないぜ」

なおも食い下がる夕薙を、鬱陶しげに振り払って立ち去ろうとした白岐の行く手を、巨体が遮った。

「待てよ、白岐」

夕薙が今ここで暴挙に出るとも思えないけれど、背筋に僅かに緊張が走る。

「今度、晩飯でも一緒にどうだい?」

白岐は軽く逡巡して、玖隆をちらりと振り返りながら呟いた。

「玖隆さんが一緒なら考えてあげてもいいわ」

「玖隆が?」

「どうかしら?」

二人分の視線を受けて、玖隆はおもむろに頷き返した。

「構わないよ、俺も、二人と食事をしてみたかったから」

言葉に嘘は無い。

白岐は少し表情を和らげて、私も貴方とゆっくり話をしてみたかったと答えた。

夕薙だけ複雑な表情をしている。

今度こそ逃れるように去って行く後姿を見送りながら、誰に話すでもなく、夕薙は呟いていた。

「玖隆、前にも言ったが、この学園には謎が多いとは思わないか?」

生徒達の間でまことしやかに囁かれる怪談。学園という場所にそぐわない、廃墟や墓地。

一軒無関係に見える全ての点は、どれもひとつに繋がっているような気がしてならない

彼の、鳶色の瞳は視線の向こうに何かを模索しているようだった。

「そして俺の見たところ、白岐は何かを知っている」

この学園に関する、何かの謎を。

遠ざかっていく姿がやけに希薄に見える。彼女は、朝には消えてしまう儚い幻のようだ。

チャイムの音が響いて、夕薙は、じゃあとだけ残して行ってしまった。

天香学園には秘密が多すぎると思う。

遺跡のこと、生徒会のこと、関係する人々のこと。

あの奥へと更に進んでいけば、いつか全て明らかになるのだろうか。

その瞬間を思い描いて、玖隆はブルリと身震いをしていた。

いずれにしろ真実にたどり着く日は訪れる。それは、そう、遠くない未来に。

窓の外を見ると穏やかな日が照っていた。今は正午だ。

―――闇は、形を潜めている。

今だけは歳相応の学生の顔をして埋もれていようと、踏み出す足元だけ、やけにリアルな感触がした。

 

 昼食が済んで、風にあたろうと登った屋上で、皆守がアロマを楽しんでいた。

フェンスに凭れた後姿がやけに寂しげだったので、何も言わずに隣まで歩いて、同じように両腕をフェンスにかけると、振り返らない横顔が咥えていたパイプを下ろす。

―――晃」

「うん?」

「こうして、屋上から空を眺めていると、あの流れてく雲みたいに、この牢獄から脱出して、遠い異国へ行ってみたいって気にはならないか?」

ラベンダーが風に乗って鼻腔をくすぐっている。

甘やかな、いい香りだ。この頃彼の傍にいるとやけに落ち着くのは、そのせいなのだろうか。

茫洋とした瞳がどこか遠くを見詰めているので、玖隆も空の青を見たままで答えた。

「そうだな」

自分にとって、ここは牢獄では無い。

古代遺跡の眠る地であり、宝捜し屋にしてみれば、それはただの仕事場だ。

未知の神秘と謎に満ちた、古代の叡智が眠る場所。踏破し、時に先人の眠りを妨げることも厭わない場所。

ここを牢獄と呼ぶのなら、皆守にとってはあの石室もこの屋上も同じ、自身を閉じ込める檻でしかないのだろう。

なぜか胸の奥がチリリと痛んだ。

彼の、こうした表情を見るのは初めてでは無いけれど、その度心が締め付けられる。

どうしてそんな顔をするんだ。

まるで道に迷っているような、物悲しくて痛々しい横顔。

見つめる視線に気づいてなのか、皆守の口元が僅かに笑みを浮かべていた。

「ただ、風に身を任せてあてもなくただ気儘に流れて―――何のしがらみも無く、何者にも縛られず、好きなように生きていく、そんな風に、人生を」

―――送れたら、いいだろうな。

最後を希望で締めくくる、彼の内側の闇を知りたいと思う。

仕事以外の雑事に煩わされたくないと思う反面、その欲求も日増しに強くなっていくようだった。

俺は、一体何を考えているんだろう。

皆守をどう思っているんだろう。

何がこいつをそんなに苦しめているのか、その原因を知って、一体何をしようというのだろうか。

いつもそれ以上を語ろうとしない姿は、今日もやはり同じだった。

皆守がそれきり黙りこんでしまったので、玖隆はフェンスにかけていた両腕を下ろした。

立ち去る瞬間、僅かにこちらを見たような気もするけれど、確認したわけでは無いから結局真実はうやむやのままだ。

軋む扉を抜けて、一人階段を降りていく。

ここで知りたいこと。

その一つに最近彼の名前が挙がる。

不思議に思う反面、どこか懐かしいものも感じていた。

こんな感情は、あの日、無くしてしまったとばかり思っていたのに。

「うん?」

顔を上げる。

階下から、真里野が登ってくる所だった。

「玖隆晃」

「真里野」

踊り場で再び二人は対峙していた。

「先刻は邪魔が入ったな、拙者の用件は簡単至極、今宵、墓の奥にて手合わせを願いたいのだ」

やはりそうきたか。

両手足にグッと力がこもる。

「お主の噂を聞くにつけ、是非とも、その腕前が見たくなってな、もしお主の腕前が噂通り本物であるならば、待ち受ける化人と罠を越えて拙者の元まで辿り着ける筈―――どうかな?拙者の申し出を受けては貰えぬか」

「ああ、わかった」

断る理由などなにも無くて、玖隆は頷いていた。

あれ以上進めない扉の先は多分彼の領域なのだろう。

最近少しずつ解明してきた。天香遺跡は幾つかのフロアに分かれていて、区画ごとに番人がいる。

一区画に一人ずつ、彼らを順に倒していかないと、次の扉は開かない。

大広間には十三の扉が控えてあったから、番人は確実に十三人はいるだろう。

取手、椎名、朱堂、肥後と来て、真里野で五人目。予測が間違っていなければ、残りは多分八人。

自信があるのかと真里野が尋ねてきた。

そんなもの、無ければこの仕事を続けていない。

「ああ」

胸を張って答えると、彼はフッと満足げな笑みを浮かべた。

「では、今宵、暮六ツ半、夜の七時に墓の奥で待っておる、別に仲間を連れてきても構わぬぞ?これは死合い故、お互い正々堂々と悔いの残らぬように遣り合おうではないか」

「了解した」

「では、御免」

くるりと踵を返して、背中が遠ざかっていく。

先ほどまでの感傷的な気持ちの名残も見せず、玖隆は硬い表情で見送った。

直後、上階から声が響いてくる。

「あーちゃん!」

驚いて見上げると、八千穂が軽やかに降りてくるところだった。

「どしたの、真剣な顔しちゃって」

ピョコンと顔を覗き込まれて、少し困ってたじたじと後ろに下がる。

「あ、いや」

「わかった、もしかしてあれでしょ?ツチノコの事考えていたとか?」

―――思わず苦笑いが漏れた。

(まったく、この子にかかると俺も形無しだよな)

内心やれやれと嘆息しながら、そうだよと言って微笑むと、八千穂はやっぱりと嬉しそうな笑顔を見せた。

彼女のもたらしてくれる日常は、片足を非日常に突っ込んでいる自分のような人間にとって、大変貴重でかけがえのないものだ。

二人はひとしきりツチノコ談義に花を咲かせた。

八千穂はどうやら本気でツチノコを捕まえるつもりでいるらしい。

「月魅や皆守クンは止めておけって言うけれど、捕まえないまでも見てみたいよね、何たって謎の生物だし、謎を知りたいと思うのは人間の本能だと思わない?」

「そうだな、明日香ちゃんの言うこと、凄くよく分かるよ」

事実、そういう人間だから、玖隆は今の仕事をしている。

「一緒にツチノコ探してみよう、もしかしたら、本当にどこかで見つかるかもしれない」

「うん!―――あーちゃんって、カッコイイよね」

八千穂の頬がほのかに赤く染まっていた。

玖隆はポンポンと彼女の肩を叩いて、一緒に階下に向かおうとした。その時。

「泥棒だ!誰かそいつを捕まえてくれ!」

「え?」

振り返ると、上から凄い勢いで誰かが降りてくる。

八千穂が小さく悲鳴を洩らして玖隆の陰に逃げ込んだ。

彼女を守るようにして前に出ると、気付いた人影がこちらへ駆け寄ってくる。

「ハロー、少年、君はいつぞやの」

「そういうあんたは」

玖隆は目を見開いた。

下りて来たのは宇宙刑事―――もとい、探偵の鴉室だった。

「おい、こっちだ!階段を下りていったぞッ」

鴉室は上を見上げてマズイと小さく呟くと、二人にウィンクを投げてよこす。
「じゃあな、少年、バーイ!」

彼が階段を駆け下りていくのと、廊下から男子生徒が顔を覗かせたのはほぼ同時だった。

「そいつを逃がすな!」

生徒が声を上げる。

「あーちゃん!」

玖隆は彼と八千穂を振り返って、逃げていった鴉室を全速力で追いかけた。

何がどうなっているのか知らないが、あの男からは色々詳しく事情を聞きたいと思っていた。いい機会だ。

追いついた八千穂が少し先を駆けるのを目で追って、階段を下りて、廊下を曲がった。

そこで八千穂は足を止めて周囲を見回し、廊下の向こうに消えていく後姿を指をさす。

「アッ、あそこ!早く追いかけないと逃げられちゃうよ!」

声に呼応して、玖隆は再び走り出していた。

驚異の速度に、彼と、朱堂と皆守を一緒に走らせたら誰が一番早いだろうと、くだらない考えが脳裏をよぎる。

その時不意に、廊下に面して並んでいた扉の一つが開かれた。

「っつ!」

そこから踏み出してきた、影。

「ええと、まずはD組から本を回収して―――

「月魅、危ない!」

「え?」

勢いのついた脚に、急ブレーキは効かない。

最後に見えたのはフレームの奥で目を見開いた七瀬の顔だった。

「きゃあああああ!」

鈍い衝撃と、痛覚。

もつれ合って倒れて、思い切りぶつけた頭がガンガンと響く。

「ちょ、ちょっと、二人とも大丈夫?」

八千穂が慌てて駆け寄る気配がした。

「あーっ、逃げられちゃう!」

伏せていた玖隆は、その一言でバチリと瞳を開いていた。

「あーちゃん、いつまでも倒れてないで、月魅はあたしが見てるから早くあいつを追いかけて!あッ、そこに落ちてるの、あーちゃんがいつも持ってるものだよね?」

むっくりと立ち上がって、八千穂が示した場所に転がっているHANTを握り締めて、再び駆け出す。

背後で何か聞こえたような気がした。

ぶつかった衝撃と痛みがまだ抜けていなくて、正確に聞き取ることはできなかった。

(それより今は、あの探偵モドキだッ)

玖隆は勢いよく床を蹴り上げていた。

 

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