昇降口に出る途中、真里野に呼び止められて、武道場の鍵を手渡された。

彼も自分と七瀬の仲を疑っているらしい。

まあ、これだけ騒ぎになってしまっては仕方のない事だけれど、それでもよく分からない男だとつくづく思う。

姿が入れ替わっていた玖隆は、七瀬として真里野と対峙し、彼と彼の記憶を奪った化人を倒した。

あの後七瀬は筋肉痛で二三日まともに動けなかったらしいが、それでも彼女はすでに、元の控えめではにかみがちな文学少女に戻っている。

そんな七瀬に会うために、真里野は足しげく図書館通いをしているらしい。七瀬がその事を教えてくれた。

困っているんですと耳打ちする彼女の向こうから、熱烈な視線を投げかけていた真里野の姿を思い出して、つい苦笑いがもれてしまう。

もし遺跡で出会った七瀬の人格が実は玖隆であったと知ったら、こいつはどんな反応をするのだろうか。

昇降口に下りて、あと僅かで扉を抜ける所で、玖隆は背後から威圧的な声に呼び止められていた。

「校則で定められた下校の時刻はとうに過ぎているぞ、転校生」

ハッと振り返る。

薄暗い室内を背景に、真っ黒いコートに身を包んだ大きな男が、こちらを見下ろしていた。

「こうして顔を合わせるのは初めてだな、玖隆晃」

喉が鳴った。

圧倒されそうな雰囲気が、男の全身から放たれているのが肌で分かる。

「俺の名は、阿門帝等」

深い声が冷たい空気を震わせる。

「この天香学園の生徒会長を務めている」

「へえ」

しらず、口の端が吊り上ってしまうのは性分だろう。

「こんにちは、それとも、始めましてのほうが妥当かな」

阿門はフンと鼻を鳴らした。

「お前が俺にどういった感情を抱こうと、一向に構わん」

「なるほど、噂にたがわぬ大物ぶりだ、俺に、何か用ですか?」

恐ろしいというより、さっきから興奮がやまないようだ。

これが、この学園の《生徒会》を束ねる《生徒会長》―――阿門帝等。

名前を聞くのも初めてだし、顔を合わせるのも勿論そうだ。けれど、俺は阿門を知っている。

そう、これまで遺跡の奥で幾度と無く行く手を遮ってきた生徒会執行委員達。

会長である阿門はその総元締め、ボスなのだ。

威圧感も見逃せない雰囲気も当然だろう。突然の大物の登場に、背筋がゾクゾクと震えている。

「お前に聞いておかねばならない事がある、教えてもらおうか」

阿門は低い、それでいてとても耳に残る声でそう言った。

「あの墓の中で、何を見た」

「別に、何も」

玖隆はそ知らぬふりでとぼける。

まさか、本当の事を言うはずもない。

「フッ―――まあ、いいだろう」

すぐに察したのだろうか、阿門も薄く笑っただけで、それ以上の事を聞くつもりは無いようだった。

「だが、これ以上墓に足を踏み入れるつもりならば、生徒会は玖隆、お前を不穏分子とみなし、相対せねばならない」

それこそ今更だと思う。

宝捜し屋と、墓守。俺たちはもう十分相対しているじゃないか。

「俺の忠告に従うも従わざるも、お前の自由だ、さあどうする、転校生」

「そんなもの、訊くまでもないだろう」

玖隆はニッと笑って答えた。

「答えはノーだ、生徒会長」

―――そうか」

阿門の言葉には、どこか予測していた気配が滲んでいる。

「それが、お前の選択か」

「ああ」

「だが、気をつけるがいい、もし今度墓に入るような事があれば、その時は、お前の身の安全は保証できない」

「元よりそんなつもりないさ、俺はもう『守られるべき子羊』のリストから外されてるんだろ?」

昼前に白岐から言われた言葉が脳裏に蘇っていた。

フッと阿門の口元が笑う。

「では、残り少ない学生生活を有意義に過ごす事だ」

また会おうと残して、黒いコートが翻る。

去っていく姿を見送って、玖隆は全身の緊張を解すように深く息を吐き出していた。

阿門帝等。

いつか会うとは思っていたけれど、まさかこんなに早く、しかも向こうから出向いてくるとは思わなかった。

あの気配、そして、言葉の端々に感じられる並みならぬ意志と自信。それらは全て実力によって裏づけされているものなのだろう。

ゾクリと身体を震わせて、玖隆は殊更ゆっくり踵を返していた。

たとえ、どんなものであれ、行く手を阻むものには、容赦などしない。

それがたとえ友人であったとしても、俺は薙ぎ払って見せる。仕事に私情は挟まない主義だ。

(友人であっても、か)

不意に皆守の姿が浮かんで、玖隆はなんともいえない気分で胸の辺りを握り締めていた。

「俺は何を考えてるんだ、あいつが、敵にだなんて、なる筈無いだろ」

呟いた端から不安が迫ってくるようで、つい性急に足元を運ぶ。

夕日の差し込む屋外に出た途端、どこからか、脅迫めいた怒鳴り声が周囲に響き渡った。

「遅いッ、下校の鐘はとうに鳴り響いたゾ!」

玖隆はハッと足を止める。

「貴様の行いは、神聖なる学園の生徒として言語道断でアルッ、よって、貴様を生徒会のほうの元に処罰スルッ」

響く銃声と共に、勢いよく横に飛びのく。

先ほど立っていた位置に土煙が登り、弾痕が残されていた。

「クッ、小賢しい真似をッ」

すぐさま立ち上がり、制服についた汚れを払いもしないで、玖隆は油断無く周囲を見回した。

今の発砲音と弾の飛んできた方向からして、相手は多分あちら側にいるに違いない。

ならどちらへ回るかとめまぐるしく思考を回転させていると、覚えのある呼び声が響いた。

「晃ッ」

振り返ると、校舎から皆守が猛然と駆けて来る。

「大丈夫か?」

「ああ」

隣に立って不安げに顔を覗き込むので、玖隆は薄く笑って見せた。

「ム?―――他にもまだいたのカ」

カチャリ。

装填音が微かに響く。

皆守が舌打ちをした。

「走れ、晃!」

「逃がさンッ」

ガン、ガンと連続で発砲音が響いて、二人は裏手のほうへ走る。

三棟ある校舎の連結通路付近まで逃げ込んで、制服の袖の辺りを弾丸が掠った。

一瞬走った鋭い痛みに、けれど玖隆は気づかないふりをする。

「クソッ、あの銃、一体何発弾が入ってやがるんだ」

音と威力からして、マシンガンではなく、単発ずつ打ち出すハンドガンの類だろう。

先ほどの男子生徒を襲ったものと同じであるに違いない。

立ち止まって周囲を見回すと、勝ち誇ったような声が辺りに響いた。

「どうしタ?もう逃げないのカ?言っておくが弾切れを狙おうとしても無駄でアルッ、自分にはあらゆる鉛成分から自在に弾薬を作り出す力があるのでアルッ」

―――と言う事は、やはりこいつもあの遺跡に関わるものの一人なのか。

玖隆は油断無く気配を探った。

「地獄の弾丸が貴様らをどこまでも追い詰め、必ずや正義の鉄槌をくだすのダ」

「何が正義だ、姿も見せずに物陰から人を狙うような奴に正義を語る資格があるのか?」

皆守がイライラと吐き捨てる。

「ムムッ」

声の主の、僅かに動揺した声。僅かな沈黙と、足音。

物陰からガスマスクをつけ、防弾ベストを着込んだ男子生徒らしき姿が現れる。

「自分は、3年D組の墨木砲介でアル」

改めて聞くその声に、記憶のどこかがピクリと反応していた。

「生徒会執行委員として、校則に反した貴様らに処罰を与えル、処分を下す前に、名前を聞いておこう」

これは、こいつは、確か、今日の昼、昇降口で―――

「どうした、名乗らんカッ」

―――玖隆晃だ」

玖隆が名乗った途端、墨木の体がビクリと震えた。

「その声―――貴殿は、昼間の―――玖隆晃、そうか、転校生か―――

口調に僅かに戸惑いが混ざる。

―――ただの違反者ではなく、相手が転校生とあらば話しは別ダ、貴様は神聖なる墓を犯した大罪人でアルッ」

直後に墨木は姿勢を正し、また元の調子に戻ってしまった。

「あの場所は、何人たりとも土足で踏み入ることは叶わぬ聖地でアル!わかったら、返事はァ!」

「お前が近頃評判の暴走執行委員か」

玖隆が答える前に、皆守が一歩踏み出してアロマパイプを煙らせる。

「お前は本当に、自分のしている事が正しいと思っているのか?」

「自分は―――自分は、法の執行者でアルッ、法を犯す者には制裁が必要なのでアルッ」

口元が僅かにパイプの金具を噛み締めているようだった。

それ以上何も言おうとしない皆守と、頑なな墨木を交互に窺いながら、玖隆は漠然とした違和感を感じずにいられなかった。

視線恐怖症の男子生徒と、正義。

墨木は別に英雄を気取っているわけでもなく、忠誠心に酔っているわけでもなさそうだ。

なら、彼は―――

(逃げ出したいんだろうか?)

自分を取り巻く環境から。恐れ、嫌悪する他人の視線から。

全てを拒絶することで、不安を取り除こうとしているのか。漠然と、自分の中にある暗闇から目を背けて。

「兎に角ッ」

焦燥感に満ちた声が響く。

「玖隆ッ、貴様は自分の敵ダ、自分は正義の名の元に法を執行するものであり、貴様こそが悪なのダッ」

「お前は、一体何が怖いんだ」

「何ィ」

「悪者を作り、それを罰することで、自分自身の位置を確認して、それで何が欲しい、何がしたい?正義の名の元に、一体何を望んでいるんだ」

墨木が僅かに後退りをする。

「お前の望みはなんだ」

「や、メロ」

「他人の視線が怖いのか」

「クッ、そんな目で、自分を見るナッ」

「墨木」

フウと、皆守がパイプを咥えた口の隙間から息を洩らす。

「フン、顔を隠して、コソコソしながらでなければ何も出来ないような奴に、指図される覚えは無いと思うがな」

「ウッ―――クッ―――

苦しそうに身体を折った墨木の手足がブルブルと震えている。

「ウウッ」

「何だ?」

「見、ルナ―――

いけない、と玖隆は思う。

身構えていつでも動けるようにした。皆守はまだ不思議そうな顔をして墨木を眺めている。

「そんな目で!」

唐突に、持っていたハンドガンの銃口を、真っ直ぐ玖隆に向けてくる。

「ッつ!」

「そんな目で!見るナァアアアアッ」

「晃ッ」

ガァンという無慈悲な音と、同時に巻き起こる爆風。

なぎ倒された晃は、次の瞬間それが皆守の腕であったことに気づく。

体の上から起き上がって、伸びてきた腕に引き起こされるようにして、立ち上がった玖隆の傍へ、トコトコと可愛らしい足音が近づいてきた。

「ウフフッ、残念でしたわねー、狙撃屋さん」

「お前は」

「晃サマを傷つける事は、このリカが許しませんわ、ね、晃サマ?」

リカちゃんと呟く、玖隆を見上げて、椎名がニッコリと微笑みを浮かべた。

「お怪我はありませんかァ」

「ああ、ありがとう、助かったよ」

「フフフ、そう言ってもらえると嬉しいですわ」

くるりと墨木を振り返る。彼女の、栗色の髪がふわりと揺れる。

「リカの大切なお友達、必ず守ってみせますわ」

「クッ、貴様―――裏切り者メッ」

「あら、貴方みたいな方にそんな事を言われる覚えはありませんわ」

椎名は無邪気に、けれど果てしなく残酷に笑う。こういう所は元々なのか、執行委員だった頃からあまり変わりがないようだ。

「それに、リカはもう生徒会とは関係ありませんの、リカはもう自由ですの、自分のしたいように行動し、自分の意思で、守りたいものを守りますわ」

小さな姿で、力強く胸を張って、ニッコリ微笑む彼女に、縛鎖の影は微塵も見えない。

玖隆は薄く唇に笑みを滲ませていた。

椎名は、彼女自身が言うように、今はもう何者にも縛られてはいない。椎名は自由だ。

取手も、朱堂も、肥後も、真里野も、墓守でなくなった彼らは皆、一度は手放した宝物を取り戻して活き活きと輝いているように思う。

自由は、ときに痛みを伴うこともあるけれど、それでもかけがえのない、大切なものだ。

人は自由であるからこそ、未来へ向かって歩くことができる。

何者にも縛られず、縛らず、そしてそれを自らに許す勇気。

俺は―――墨木にも、その手伝いをすることができるのだろうか。

(何を自惚れているんだ、俺は)

仕事の延長線と思い直そうとして、ふっと苦笑いが漏れる。

何を今更。

とっくにそんなつもり、無くなっているくせに。

「警備員さん、早くーッ」

少し離れた場所から、元気のいい女生徒の声が聞こえた。

一同は同じようにそちらに首を向ける。墨木が、呻き声を洩らした。

「玖隆、次に会う事があれば、その時は容赦なく―――撃つ」

銃を構えるような仕草をして見せて、墨木はそのまま校舎の向こうへと駆けていってしまった。

「今だって撃ってたじゃねえか」

ぼやく皆守と反対側から、晃サマと可愛らしい声が玖隆を呼んだ。

「リカ、警備員さんにお友達はいませんの、晃サマも無事だったようですし、そろそろ帰りまァす」

「ああ、その―――ありがとな」

振り返って代わりに詫びる皆守に、椎名はウフフと微笑を浮かべる。

「あら、皆守サン、いらしたんですのォ?」

ぐっ、と、口元が咥えていたパイプの端を噛んでいた。

玖隆はやれやれと溜息を漏らす。

「それでは、ごきげんよう、晃サマ」

椎名は玖隆だけに会釈をする念の入れようで、そのままトコトコと、来たときと同じように去っていった。

ちらりと横目で見た皆守がまだ憮然と後姿を睨んでいるので、仕方ないなと背中をポンポン叩いてやった。

「ハイ、警備員さーん、ここですよーって」

物陰からピョコンと飛び出してきた姿に、二人は目を丸くする。

「明日香ちゃん!」

「二人とも、大丈夫?」

「八千穂、ってことは、警備員なんてのは嘘だな」

八千穂はエヘヘと頬を染めた。

「だって、部活に遅刻した罰でランニングさせられてたら、銃声が聞こえてきたんだもん!それで慌てて駆けつけたらあーちゃんと皆守クンが教われてて、もうどうしようかと思って―――でも、二人が無事でホントに良かったーッ」

彼女の機転のうまさに、玖隆は可笑しくてクスクスと笑い声を洩らす。

全く八千穂らしいというか、なんと言うか。

さっきまでの緊張感が急に薄れてしまった。これも人徳なのかもしれない。

「あーちゃん、大丈夫?怪我とかしてない?」

「ああ、うちは女の子が優秀みたいだからね、明日香ちゃんのおかげで無傷だよ」

「よかったーッ」

「おい、何だその微妙にとげのある言い方は」

「あれ、甲太郎、いたのか?」

「お前ッ」

ドンと小突かれて、玖隆は笑う。

皆守はまた不機嫌に逆戻りしてしまったようだった。

「けど、あの子、放っておいて大丈夫かな?」

八千穂が墨木のかけていた方角を見詰めながら、僅かに眉を寄せた。

「どういう意味だ」

「ん、なんだか苦しんでるみたいに見えたから」

皆守も、複雑そうな表情で同じ景色を眺めている。

「ね、あのさ、あの子が言ってた正義って、何だろうね?」

「そんなもの、俺が知る訳ないだろ」

「うん―――ねえ、あーちゃんは?あーちゃんは自分にとっての正義って、なんだかわかる?」

正義の定義は人それぞれだ。何が正しくて、何が間違ってるのか、それを見極めるのは、いつだって非常に困難で苦痛が付きまとう。けれど。

「愛、かな?」

何となく、そんな気がして、半分冗談めかして答えてみた。

八千穂は僅かに顔を赤くしながら、あたしもそれ、ちょっとだけわかるよとこっそり囁く。

隣で皆守が呆れ顔でアロマを吹いていた。

「あたしね、正義っていうのは何かを傷つけることじゃなくて、守ることなんじゃないのかなーって思うんだ」

「八千穂、お前、熱でもあるのか?」

「うわ、ひっどーい!人が珍しく真面目に考えていってるのにッ」

皆守はハハハと笑う。からかうこいつもこいつだが、八千穂の答えも微妙な所だ。

「八千穂のクセに難しいこと言ってるから、知恵熱でも出たんじゃないかと思ってな」

フフンとパイプを燻らせながら、そういやお前部活に戻らなくていいのかと訊いている。

「やばッ、そうだった!」

八千穂は大慌てでグラウンドへと駆けていった。

賑やかな気配が去って、辺りは急に夕暮れ時の物寂しい空気が戻ってくる。

「やれやれ、本当に騒がしい奴だな、まあ、おかげで助かったといえば助かったが」

「そこが八千穂さんのいいところだろう?」

「お前みたいなのに好かれてあいつも本望だろうよ、さて」

皆守が首をめぐらせて、それじゃそろそろ帰るかと玖隆に促した。

「ああ」

答えて、歩き出そうとして、ビリッと走る痛みに僅かに顔をしかめる。

「晃?」

「いや、何でもない、気にするな」

声を無視して、やや強引に、皆守の腕が玖隆の肩を捕まえた。

「お前、どこか怪我でもしてるのか?」

「別に、どこもなんともない」

「嘘をつくな、いいから、見せてみろ」

「大丈夫だよ」

伸びてくる腕を遮ろうとした瞬間、頭上から、作り物めいた笑い声が茜色の空に響き渡った。

 

長すぎるので分割

ここまでも長すぎだ、スイマセン(汗)