「あーダルい」

「お前な、いい加減その台詞を聞かされ続ける俺の身にもなってくれ」

心底嫌そうな皆守の横で、玖隆は苦笑いを浮かべている。

三時間目、体育。今日の男子の授業内容はサッカーだ。

担当教諭がとりあえずペアを組めと適当な事を言うものだから、生徒たちは各々仲の良い相手と二人組ずつになって結構楽しげにシュートの練習をしている。

中にはあぶれ者同士で仕方なく組んでいるものもいるようだけれど、そういったペアはむしろ皆守と同じように早く授業が終わって欲しいと考えているのだろう。

「大体シュートの練習なんて何の役に立つっていうんだ、反射神経を養うのか?それとも将来Jリーガーでも目指すのか?」

不毛だ、明らかに不毛だとぼやく皆守の脇腹を、玖隆は肘で突いた。

「何だよ、お前だってそう思うだろ、晃」

「つべこべ言わずにやる、お前は文句が多すぎる」

「あァ、そーかよ、それじゃお前は好きなだけ不毛な弾蹴りでもしてな」

「俺は結構、楽しんでるんだぞ?」

不機嫌気味にしかめていた表情をふと戻して、皆守は後頭部をボリボリと掻いた。

「フン」

僅かに視線を逸らされた直後、ゴールポスト付近で練習成果を見ていた体育教諭が二人の名前を呼んだ。

「やれやれ、究極に無駄な時間がやってきたぜ」

ぼやく皆守は諦めの悪い溜息を漏らす。

「だが、まぁ」

ダラダラと、いかにも面倒臭そうに歩き出した。

玖隆は途中で立ち止まって、皆守の背中を見送った。

「お前相手にやる以上は、手なんか抜いてやらないがな」

「お手柔らかに」

ゴールの中央辺りに立って、振り返った姿がどこか楽しげであることにふと玖隆は気づく。

彼らしくも無く、僅かに身構えるようにして、何だ、案外やる気じゃないかと、思わず口の端がつりあがった。

「あーちゃん!」

声に振り返ると、ゴールの脇にいつの間にか八千穂が立っていた。

「ガンバレーッ」

「何で来てんだよ、女子はあっちで陸上だろうが」

「だって、今順番待ちでヒマなんだもん」

「明日香ちゃん!」

玖隆は頭上で大きく手を振る。

「そいつ、ふっ飛ばしてやるから、見ててくれよ!」

「お、格好いいー!」

頑張れーともう一度声に出して、同じように手を振り回す八千穂と玖隆を交互に見て、皆守が呆れた様子で溜息を漏らす。

「あ、皆守クンも頑張ってね」

「とってつけたように言うなっつの」

ふてくされ気味の彼は、まあ、外野なんてどうでもいいと軽く肩をまわした。

「来いよ、晃」

もう一度構えなおして、瞳の奥に好戦的な色が宿る。玖隆ははたと目を見張った。

(こいつ)

―――こんな表情もするのか。

「あーちゃん、頑張って!皆守クンもしっかりーッ」

ゴールポスト脇で相変わらず声援を送り続けている八千穂に、振り返った皆守が邪魔だからあっちに行ってろと片手で追い払う。

「はあーい」

八千穂は可愛らしい返事と共に少し離れた場所へ移動した。

さて、と、皆守は再びこちらに向き直って強気の笑みを口の端に乗せる。

「さ、早く蹴れよ」

玖隆もフフンと鼻を鳴らして、唇の端を吊り上げた。

こちらも、手加減するつもりはさらさらない。相手が皆守であるならますますもって、だ。

足の下で転がしていたボールを爪先で拾って、軽くリフティングしてまた地面に戻した。

直後、ゴールの向こうで瞳を輝かせている八千穂の姿に気づいて、ハッと息を呑む。

すぐ近くで、体育教諭もじっと様子を伺っていた。

(まずい―――すまん、甲太郎ッ)

グッと足に力を込める。

皆守の視線が、ボールに注がれた。

直後―――

「えッ」

呆気に取られた八千穂の声と、拍子抜けした皆守の顔。

「ホームラン、か?」

玖隆の蹴った球は、ゴールポストを越えて校舎に向かって飛んでいく。

適当な距離まで吹っ飛んで、放物線を描きながらポトリと堕ちた。

転々と転がっていくボールの行方を目で追っている八千穂と皆守に、苦笑を浮かべた玖隆の傍を通りかかった男子生徒の一人が「お前、相変わらず運動できねえなあ」と笑い声を上げて去っていった。

「玖隆、お前、バスケットもそうだが、信じられんほどセンスがないな、大丈夫なのか?」

「スイマセン先生、どうも、苦手なんですよねえ」

「まったく、そんなことじゃイカンだろ、じゃー次、皆守」

言葉の半分も聞かずに、ズンズンと土埃を巻き上げて近づいてきた皆守がいきなり玖隆の頭を殴る。

「ってえ!」

「お前ーッ」

ガシッと肩を捕まえて、そのままゴールの傍まで引きずられていった。

耳元に顔を近づけると、皆守はコソコソと、激しい憤りのままに玖隆に噛み付いてくる。

「わざとだろッ」

「え?」

「え、じゃねえ、何で本気でやらねえんだよ、このボケッ」

「仕方ないだろ、お前だって俺の事情は」

「んなこと俺の知ったことか、あのなあ」

せっかく人が、と言いかけて、急に口を閉じる。

「何だよ」

尋ねた玖隆から顔を背けて、別にと不機嫌気味に口を尖らせた。

「せっかく何だよ甲太郎、せっかく本気で相手してやろうと思ってたのに、か?」

じろりと睨みつけられて、アハハと苦笑いを洩らした玖隆と、皆守を呼ぶ教諭の声が響いた。

「ゴメンな、甲太郎」

「フン」

「今度、遺跡で決着つけようぜ?」

何気なく呟いた一言だったのに、瞬間的にビクンと身体を震わせて、皆守は目を見張った。

(え?)

「皆守クン、危ないッ!」

突然八千穂の声が響く。直後―――

「ぐはっ」

目の前でばったり倒れた皆守の傍で、ポンポンとボールが跳ねながら転がっていく。

「みッ、皆守クン、大丈夫?」

駆け寄ってくる八千穂の姿と、苦笑いで歩いてくる夕薙の姿。

「痛てててて」

後頭部をさすりながら、玖隆に支えられて起き上がった皆守は、そのまま勢いよく振り返った。

「誰の蹴ったボールだ!この野郎ッ」

「いやー、悪い悪い、まさか当たるとは思ってなかったんでな」

「大和ォ―――てめェのゴールはこっちじゃないだろッ」

夕薙は悪びれた様子も無くハハハと笑っている。

「ちょいと足が滑ってな、お前なら避けるだろうと思っていたんだが」

「いくらなんでもそんなの無理だよ、後ろに目のついてる人なんていないもん」

「何だ、甲太郎、飛んできたのに気づかなかったのか?」

確かに、背後からいきなりボールが飛んできたらとっさにはわからないだろう。

緊張している場面ならともかく、こんなのんびりとした午前の授業中に、急接近してくるボールの気配まで感じ取れるはずがない。

(に、しても弛緩してるよな)

気づくわけないだろと怒鳴っている皆守を眺めながら、玖隆は微かに溜息を漏らした。

遺跡で時折見せるあの俊敏さの欠片もない。やっぱり、あちらのほうがまぐれなんだろうか。

「あっ、そうだ」

八千穂が急にパチンと両手を叩き合わせる。

「そういえば夕薙クンは夜会の招待状、来たの?」

「ん?ああ、まあ、来たには来たが」

どこか含みのある様子で頷いて、夕薙は急に玖隆を振り返った。

「玖隆、君のところにも来ているんだろう?君は行くのか?」

「ああ、一応は」

「そうか」

ひとつ間をおいて、瞳が急に硬質な気配を帯びる。

「まあ、気をつけて行ってくるといい」

「えッ」

八千穂が驚いたように夕薙を見上げた。

「気をつけろって、どういう事なの?」

彼女に視線を向けて、今度はどこか明後日の方角を見上げながら、夕薙は無精髭の顎をさする。

「まあ、俺も正確なことは知らないんだがな、ただ、この学園の支配者が選ばれたものだけを集め、何をするつもりなのか―――そこが気にかかるということさ」

「なるほどねえ」

八千穂は言葉を素直に受け止めたようだった。

「そういえば、白岐の姿が見えないようだが」

体調不良で休んでいるのだと、今度は八千穂が答えた。今は保健室で休養しているらしい。

「白岐さん、大丈夫かな」

八千穂の心配そうな声にかぶさるように、校庭にチャイムが鳴り響く。

どうやら皆守のシュート練習の順番は飛ばされてしまったらしい。

呼ばれて、八千穂は慌てて駆けていってしまった。

反対側では体育教諭の号令で礼をして、クラスの男子が解散している。

「やれやれ、ほったらかしにされてしまったな」

苦笑いする大和をちらりと見て、皆守がつまらなそうに鼻を鳴らす。

「ようやく無意味極まりない時間が終わったな、おい晃、お前どうするんだ?」

「うん?」

「白岐の見舞い、行くのか」

玖隆は少し考えて、イヤ、と首を振った。

「それは多分明日香ちゃんが行くだろうから、俺は遠慮しておくよ」

「そうか」

振り返ると案の定八千穂が大きく手を振り回している。どうやら女子の授業も終わったらしい。

玖隆が否定の意味を込めて手を振ると、察したらしい彼女はそのまま駆けて行ってしまった。

「ほら、な?」

「随分と親しげだな、お前ら」

「なんだ甲太郎、ヤキモチか?」

夕薙の言葉にギョッとして、何か言いかけた甲太郎が、ふと他所へ視線を向けながら口を閉じる。

「うん?」

振り返った玖隆と夕薙も、近づいてきた人影に思わず目を見張った。

「噂の《転校生も》こうして見る分には普通の学生さんですね」

―――興味深げに話したのは、髪の長い男子生徒だ。

「ふふッ、でもいい男は何を着てても様になるわ」

―――赤い髪の蠱惑的な女生徒が、品定めするような視線を玖隆に向けている。

「お前らは」

皆守の微かな声に、玖隆はちらと彼を窺う。

「《転校生》か―――どうやら俺の忠告は、お前にとっては意味が無かったようだな」

「阿門」

名前を呼んだ玖隆を、今度は皆守が驚いた顔で振り返る。

何で知っているのかと聞きたいような素振りだった。

三人は玖隆達から少し離れた場所で立ち止まった。

「あの時、俺がいった言葉を忘れたわけではあるまい?」

阿門は相変わらず威圧的な態度で玖隆を見下ろしている。

身長の高い彼は、むしろ見下すという表現の方があっているかもしれない。

「もちろん、よく覚えてるさ」

「だが聞く耳は持たないという訳か」

「あの時ちゃんとノーと答えたはずだ、お前だって覚えているだろう」

フッと笑う生徒会長の隣で、髪の長い男子生徒が片手で顎をしゃくっている。

「フム、思ったより礼儀を知っている方のようですね」

「んー、真面目すぎてちょっと物足りないかしら」

女生徒のほうは少しつまらなそうだ。

玖隆と目があった途端、不意に艶のある笑みを浮かべてみせた。

―――なかなか、油断できない。

「今夜の夜会はお前にとっても特別なものになるだろう」

「特別?」

「そうだ、お前が明確な目的を持った《転校生》ならば、必ず参加する事だ」

阿門の表情からは相変わらず何も読み取る事が出来ない。

むしろ能面じみたこの風貌にこそ皆は萎縮するのかもしれないと、何となく、そう思う。

「ではまた、今夜」

初対面の時と同じように、黒のコートを翻して去っていく後から、髪の長い男子生徒と妖艶な女生徒も付き従うように歩き出した。

去り際、女生徒が玖隆にウィンクを投げて、同時に甘い微香がふわりと鼻先をかすめていた。

―――あれが生徒会役員か、さすがに執行委員とは貫禄が違うな」

夕薙の声に、腹の奥のほうにギュッと引き締まるようだ。

天香学園高校の全権を有する組織、生徒会。

その役員が総ぞろえとは、俺も随分買われたものだ。

彼らは、いずれ仕事の障害として立ちはだかってくるのだろう。

会長の阿門に従っていた二人の生徒達。役職はなんなのだろうか。

「貫禄ねえ」

隣で皆守が興味なさそうに呟いた。言葉にどこか揶揄するような気配が紛れているような気がする。

「まあ、確かにあれが三人揃ってると、圧倒的に傍に寄りたくないがな」

「だが普通に廊下で見かけることのできる顔ぶれじゃない、玖隆、君は彼らに興味があるんじゃないのか?」

後姿を目で追っていた玖隆は、振り返って少しだけ笑う。

「かもな」

「そうか、まあ、情報収集は大切な戦略の一つだからな」

頷く夕薙の姿を見て、皆守は口元のアロマパイプを上下に揺らしている。

フウ、と吐息を洩らして、そうだなと微かな呟きが漏れた。

「確かに、今となってはもう知っておいた方がいいのかもしれないな―――まァ、俺も大して詳しく知っている訳じゃないが」

前置きをして話し出す、皆守の姿を玖隆はじっと見つめていた。

生徒会長、阿門帝等。同伴していた生徒達はそれぞれ、男が神鳳充、女が双樹咲重、役職は会計と書記。

それ以外にも、阿門家とこの学園の繋がりと、神鳳と双樹の人格考証の参考になりそうな幾つかの事柄を、手短にまとめて説明してくれた。

―――それで終わりか?」

「何がだよ」

拍子抜けしている夕薙と、玖隆も同じような気分で閉口する。

皆守の説明は流れるように流暢だった割には、情報量が圧倒的に少ない。

これだけコンパクトに縮尺できるのだから、もっと多くの事を知っていてもおかしくないはずなのに。

「ああ」

思い出したように口元のパイプが揺れた。

「そういえば、副会長補佐なんてふざけた役職の奴がいたな」

(補佐?)

「待ってくださいってば!」

急に聞こえてきた呼び声に、噂をすればと皆守が振り返る。

つられて向けた視線の先から、眼鏡をかけた神経質そうな男子生徒が慌てて駆けてきた。

「ちょっと、センパイ方!待ってくださいよッ、オレの話聞いてんすか?クソッ」

彼からは、先ほどの三人に感じたような強烈な存在感は殆ど感じない。

そのかわり滲み出す下っ端根性に思わず苦笑が漏れた。男子生徒は、悔しそうに地面を蹴りつけている。

「彼は確か2-Aの夷澤凍也だったかな」

夕薙の声に、夷澤がくるりとこちらを向いた。

「何見てんすか」

眉間を寄せて、あからさまに怪訝な表情を隠そうともしない。

「オレに何か用でも?」

今にも食って掛かってきそうな気配に、玖隆は頭を振ってみせる。

「いや、別に、挨拶しようと思っただけだよ」

「それはどーも」

夷澤は爪先から頭のてっぺんまで無遠慮に玖隆を見回して、眼鏡のフレームをくいと押し上げた。気取った仕草だ。

「じゃ、用がないんなら失礼しますよ、《転校生》のセンパイ、あ、いっときますけどオレは何の特にもならない争いをする気はないんで」

そのまま阿門達が去った方角へ悠々と歩いていく。

余裕を見せ付けたいのだろうか、背中から思惑が透けて見えるようだ。

「彼が二年で唯一の生徒会役員か」

夕薙の反応も先ほどとは打って変わっていた。

僅かに呆れているようなところを見ると、どうやら彼にもお見通しであるらしい。

「確か二年生にしてボクシング部ではすでに最強を誇っているそうだが、どれ程の実力の持ち主か気になるところだな」

「それより俺はあいつの性格の悪さのほうが気に触るがな、ま、なんにしろどうでもいい話だ」

あっさり切り捨てられて、こうなると俺くらいは同情してやったほうがいいのかもしれない。

皆守が、それより早く着替えに行こうぜと話題を切り替えた。

「そうだな、急がないとジャージで次の授業を受けるハメになりそうだ」

夕薙にも促されて、玖隆は彼らと一緒に歩き出す。

会長、会計、書記に、副会長補佐。

―――補佐役の付いている、副会長はどうしたのだろう。

皆守は説明を忘れたのだろうか、それとも、一時的に空席になっているのか。

補佐がついているくらいだからその可能性は大いにあるけれど、ならば夷澤をその役にあててしまえばいい。そのほうがずっとシンプルだ。

(それとも)

玖隆は考える。

(それとも、副会長は在籍しているけれど、職務遂行不可能だから補佐がついているのか)

職務遂行不可能な副会長。

どこの誰なんだ、それは。

「晃?」

皆守が覗き込んでくるので、玖隆はビクリと肩を震わせた。そして、直後に笑いかけていた。

「悪い、聞いてなかった、で、何だっけ?」

「おいおい、しっかりしてくれ玖隆、君まで呆けていたら世話がないぞ」

「アハハ、悪い悪い」

皆守はまた何か言いたげだった。

彼がよく今みたいな顔をして、こちらを窺っていることに、玖隆は大分前から気づいている。

けれど―――結局何も語らないことも、よく知っていた。

「夜会のことなんだがな」

そうだ、その話をしていた。

夕薙の言葉に適当に相槌を打ちながら、玖隆の思考はすぐ生徒会へと戻ってしまう。

隣を歩く皆守が、やけに沈んだ表情をしていた。

 

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