午前中だけで随分な人数と出会ったと思う。
神鳳、双樹、夷澤、そして、トト・ジェフティメス。
体育の授業の後で、先に着替えが終わって、外で待っていた玖隆に話しかけてきたのは、今朝八千穂がぶつかった留学生だった。
片言の日本語で、エジプトの話をしたらひどく喜んでいた―――彼は、これまでの生徒のように、古事記になぞらえた物騒な話をして、忠告めいた一言と共に去っていった。
三人目という言葉の意味は分からないけれど、自らを墓守と名乗ったトトは間違いなく執行委員だろう。
ならば、今度の相手は彼なのだろうか。
(それとも役員が出てくるんだろうか、顔見せにも来た事だし)
役員より役職が下の執行委員がまず出てくるのが妥当だろうから、その可能性は多分低い。
また生身の人間に銃口を向けるのかと思うと、正直気が重かった。
いくら特殊能力を持っているとはいえ、やはり同じ学舎で過ごす生徒を撃つのは気が引ける。
仕事だ、と言い聞かせても、こればかりは性分なのだからどうしようもない。
(そういえば)
それはとても大切な感情だと、はるか昔に言われた言葉が脳裏をよぎった。
玖隆は、指先で胸元をそっと伝いながら寂しい笑みを唇に乗せる。
過ぎた日々の残り香は、時折こうやって古い記憶を呼び起こす。それは、近頃特に。
瞳を閉じると、トトが去った後で玖隆に問いかけてきた皆守の姿が思い出されていた。
「なあ、晃、人を信じるってのはどういう事だ?たとえばお前は、俺の事を―――信用してるのか?」
何を言うのだろうと、瞬間的に玖隆はひどく不安になっていた。
近頃は皆守の様子がおかしいと思う場面が増えたような気がする。
それは、俺があいつに慣れたから、細かな感情の変化を読み取れるようになったのか、あいつが俺に心を開いて、何かしら隠している事実を少しずつ明らかにしようとしてくれているのか、正直よくわからない。
けれど、あいつは簡単には話せない心の闇を抱えている。
それはもう疑う余地もない。そして、その秘密は多分俺と関係がある。
(嫌だ)
玖隆は腿をグッと握っていた。
(皆守とだけは、戦いたくない)
どんな形であろうと、あいつとだけは傷つけあいたくない。
真実がどのようなものであっても、このまま隠し続けられても構わない。
(いや、もし俺の想像が真実になるなら、いっそ)
―――話してくれないほうがいい。
なんて女々しい考えだろうと思う。
俺は、いつだって真実を追い求めてきたのに、今更目をそらそうとするなんて。
(けれど、俺は)
皆守の真剣な問いかけを、玖隆は冗談めかしてはぐらかす事しか出来なかった。
我ながら幼い反応だったと思う。けれど―――怖くて、たまらなかったから。
疑っていると答えてしまったら。
何か隠し事があるんじゃないかと訊いてしまったら。
―――何もかも壊れてしまいそうな気がして。
俺と、お前と、八千穂と、時々七瀬や夕薙、白岐なんかで楽しく笑い合う、そんな何でもない時間。
最近ではそれがひどく愛しい。
今はすっかりこの生ぬるい空気の中に溶け込んでしまった。
いずれ来る別れすら、それを思うだけで胸が張り裂けそうになる。辛くて、痛くて、堪らない。
(何を情けない事を言っているんだ)
制服の胸元をグッと握り締めて、玖隆は奥歯を噛み締めた。
俺は、宝捜し屋だ。
今ここにいるのは、仕事のため。協会の依頼を引き受けたため。彼らと馴れ合うためじゃない。
布の下に感じる、硬質な感触に、つい言葉が口をついて出ていた。
「ich bin plover」
それが俺の誓い。俺の願い。
「ich bin Wandervogel dies
ganze Welt bereisen」
一つ所になど、留まってはいられない―――
思い出の残り香がまた強く香る。
息苦しい気分に耐え切れなくて、玖隆は席から立ち上がった。
「晃、どうした?」
直後に、戻ってきた皆守に声をかけられていた。
―――二人は今マミーズにいて、つい先ほど昼食を終えていた。玖隆は皆守を待っている最中だった。
「あ、いや、俺もその、トイレに行こうかと思って」
そのまま、曖昧な笑顔で答えると、ふうんと呟きながら皆守は向かい側の席に腰を下ろす。
「じゃあ早く行ってこいよ、あんまりのんびりしてると置いてくぜ」
「つれないなあ」
「フン、待っていてやるだけでもありがたく思え」
玖隆はハイハイと答えて、やむを得ずトイレに向かった。
本当は店を出て行くつもりだったけれど、冷静に考えればそんな不自然な行動、取れるはずもない。
(いつか、お前の本音が聞けるのかな、甲太郎)
玖隆の背中を見送りながら、皆守は深く、深くアロマの香りを吸い込んでいた。
放課後、周囲の人間がソワソワと夜会の話題で盛り上がっている様子を眺めながら、八千穂にあーちゃんはパーティーが好き?と尋ねられて、苦笑いを浮かべる。
「好きだけど、今夜のパーティーは素直にはしゃげない気分だな」
「それってやっぱり夕薙クンが言ってたことのせいなの?」
「まあね、ホラ、俺は」
玖隆は八千穂の耳元に唇を寄せて、生徒会ともめてるから、と囁く。
冗談交じりで言ったのに、彼女は頬を染めてあたふたとしていた。
「そ、そっか、そうだよね、でも皆ついこの間までファントムファントムって騒いでたけど、今は全然話とか聞かないよねッ」
「そうだね」
クスッと笑う。
八千穂はそのままムッとした顔をして、直後に眉をハの字に寄せていた。
「ねえ、あのね、あたしはやっぱり夜会、楽しみだな」
「そうなの?」
「うん、皆でやる楽しい事はなんでも好きだもん、だからね、あーちゃん、一緒に行こうよ、ね?」
皆守にも夕薙にもつれない事を言われて、八千穂はどうやら夜会に行くのは自分ひとりだけになるのではないかと心配しているらしい。
そういえば七瀬もメールを受け取ったようだが、用事があるから行けないと言っていた。
「美味しいゴハンにダンスもあるって噂も聞いたことあるし、ね?」
女の子のこういう顔に、つくづく俺は弱い。
玖隆はやれやれと肩をすくめた。
「そう明日香ちゃんに誘われたんじゃ、断りようがないな」
途端、八千穂が瞳を輝かせて身を乗り出してくる。
「ホントに?」
「俺でよければ喜んで、エスコートさせていただきましょう、ミス明日香」
「うんッ、あーちゃんと一緒に行けるなら余計に嬉しいよ!―――エヘヘッ」
そういえば皆守クンと夕薙君は来るのかなと時計で時間を確認して、調子を取り戻した八千穂はそのままアーっと声を上げた。
「こうしちゃいられない、部活行かなきゃ、あーちゃんは寮に帰るんでしょう?」
皆守は昼休み直後に姿を消してしまった。夕薙にいたっては4時間目からすでにいない。
「ああ」
「じゃ、途中まで一緒に行こっか」
「そうだね」
席を立って、八千穂と一緒に歩き出す。
廊下に西日が差し込んでいた。
途中で肥後に出会って、夜会に出席するつもりだと言ったら散々心配されてしまった。
彼も、今では玖隆に力を貸してくれる心強いバディの一人だ。
「晃くん、ボクはとっても心配なのでしゅ」
本当の意味で隣人を愛せるようになった、今の彼の流す涙は清らかだ。
廊下でいきなり泣き出されてしまって、玖隆は八千穂と二人で何とかなだめ賺しながら別れた。
去り際、気をつけてと何度も念を押されてしまった。
「タイゾーちゃんも変わったんだね」
どこか嬉しそうに呟く、八千穂の姿に瞳を細くする。
校舎を出て、中庭を歩く途中、茜色に染まった風景の中で、彼女は片手にラケットを握り締めて大きく背伸びをした。
「あーあ、もうすぐ部活部活って言ってられるのもおしまいなんだよね、この学園を出て、皆バラバラになって―――なんて、全然思いつかないよッ」
この物悲しい風景がセンチメンタルな気分にさせるのかと、玖隆はフッと笑う。
「明日香ちゃんはここが好きなのか?」
「うん、今はここがあたしの家だもん、三年も皆と一緒に暮らしてたんだから!」
そうか、そんなものかと思う。
それは玖隆みたいな人種にとっておそらく生涯縁のない言葉だ。
俺には故郷という言葉すら存在しない。一つの場所にそれほど長く留まったことなどないのだから。
「ねえ、あーちゃんは?」
「え?」
くるり。
振り返った八千穂の姿が、逆行で暗く染まる。
「あーちゃんは、遠くから来たみたいに、またどこか遠くへ行っちゃうの?」
―――揺れる瞳を目の前にして、玖隆はすぐに答える事が出来ない。
以前なら、そうだよと何のためらいも無く答えられたはずなのに。
「わからない」
それだけ言うのが精一杯だった。
八千穂を悲しませたく無いと思う。
けれど、いつかこの温もりから離れなくてはいけない。そしてその日は着実に近づいている。
楽しくて忘れかけてしまう時もあるけれど、現実は相変わらず非情だった。
八千穂は少し俯いて、そっかと小さく呟いた。
「そうだよね―――先のことなんて、誰にもわかんないもんねッ、だからきっと人生って面白いんだよ!」
なんちゃって、エヘヘーとやたら明るく笑ってみせる。
玖隆が僅かに視線をそらすと、じゃあ9時5分前にお屋敷の前で集合だよと残して駆けていってしまった。
夕暮れに小さくなる背中が、胸に痛い。
もうすっかり葉の落ちた木々を眺めながら学生寮の前に到着すると、物陰から不意に声をかけられた。
「晃君ッ、こっち、こっち!」
怪訝に振り返って周りを見回すと、見たことのあるヒゲ面が手招いていた。
「鴉室さん?」
そういえば、放課後すぐに彼からメールが送られてきた事を思い出した。
ナンバーを教えてもいないのに、どうやって俺の天香サーバーの個人アドレスを入手したのだろう。
足早に近づくと、そのまま強引に引きずりこまれた。
「いやー待ちくたびれたよ、メール、見てくれただろう?」
「ええ、まあ」
「よしよし、それでその反応って事は、了承してくれたって事だな」
メールには今夜墓地を調査する手伝いをして欲しい旨が記されてあった。
調査と言っても玖隆の行っているような遺跡探索ではなく、実際に墓石の一つを暴いて、中を確認するのが鴉室の目的であるらしい。
言葉の端々に感じる胡散臭さに玖隆が顔をしかめるたび、まるであやすように話をつなぎながら、それでも彼から入手した情報はなかなか有益なものだった。
今夜の夜会は、もしかしたら鎮魂の儀であるかもしれない。
それは、玖隆にとって少なからず衝撃的だった。
生徒会主催の会合なら何か意図があるはずだと踏んではいたけれど、こんな形で繋がっていたとは。
「どうよ、俺もね、毎日遊んでるわけじゃないだろ?」
「確かに」
素直に感心して答えると、鴉室は非常に満足した様子だった。
ニコニコしながら頭を撫でられて、ついでに肩まで抱かれてポンポン叩くものだから、そこまでされてはと苦笑する。
「さ、そうと決まれば早速行こうぜ、あっという間に日も暮れちまうさ」
空は端から群青に染まりかけた中で、金星が輝いている。
鴉室と連れ立って墓地へと向かいながら、玖隆はなんとも奇妙な感覚を覚えていた。
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