―――それは、半ば予想していたような出来事だった。
「こんばんは」
暗闇の温室にただ一人佇む、白岐が振り返ってそう囁いた瞬間、すぐにわかった。
「―――こんばんは」
ニコリと微笑みかける。
玖隆は、ハンターの顔をしている。
「こんな夜更けにお誘い有難う、けど、それはどちらの白岐からなのかな」
白岐―――いや、姿だけは彼女の、しかし違う誰かの意識は、柔らかな笑みを浮かべた。
「初めまして、というべきかしら、玖隆晃さん」
「俺は君の名を知らないが」
「私は、封印の巫女」
封印の巫女。
口の端に載せると、巫女は静かに頷いた。
「私は遙か昔、この子の血と肉に溶け込んで生きてきた存在、長い長い年月を、この子の遺伝子の奥底で眠り続けてきた―――けれど」
澄んだ眼差しが、不意に暗い色に染まる。
「その眠りは、妨げられてしまった」
巫女の両側に、俄かに輝きが訪れた。
それはゆっくりと人の形を取って、現れたのは―――件の双子の姉妹、小夜子と真夕子の姿だった。
巫女に寄り添うようにして立つ、彼女達を傍らに控えて、その身を覆う神々しい輝きが僅かに強さを増す。
「お見せしましょう、これが、私たちの真実の姿です」
光はいっそう強くなり、それが一瞬、辺りを覆いつくしたと思った、直後。
「白岐」
呆然と呟いた玖隆の目の前にいたのは、白岐幽花によく似た、美しい一人の女性だった。
榊の冠を被り、麻の清浄な衣をまとい、二人の少女たちは勾玉に姿を変えて彼女の両耳の下で揺れている。
懐でHANTが電磁波反応があることを示す警告音を鳴らしていた。
玖隆は片手を差し込んで、停止スイッチを入れた。
辺りの植物たちが、風もないのにざわめいている。
温室の―――大気が、急に濃くなったような気がした。
「玖隆晃―――私は、大和の巫女、貴方の活躍をこの少女や双子の瞳を通してずっと見てきました」
貴方には、強い運と運命を切り開く才能があるのかもしれません。
巫女はまっすぐに玖隆を見詰めている。
「本来であれば、私は、この墓に封じられた存在と共に永久の眠りについたままでいようと思っていました、ですが、封じられし恐ろしき力は、今や目覚めようとしています―――私はその事を一刻も早く貴方に伝える必要があった」
「俺に?」
「ええ」
瞳を縁取る、長い睫がそっと伏せられる。
「少女の血と共に受け継がれてきた記憶と、彼女達が見てきた光景が交わったときに示される真実を―――貴方には、真実を知る勇気がありますか?」
「随分と、思わせぶりなセリフじゃないか」
玖隆は首の後ろに片手を当てて、いいぜ、と笑いかける。
死に物狂いでここまでたどり着いたのだ、今更、引けるわけがない。
「美人の誘いは断れない性質なんだ、話してもらえるか、その、真実とやらを」
巫女はふわりと、まるでその答えを欲していたかのように、満足げに微笑んだ。
「わかりました、では―――語りましょう、この国の、血塗られた古い歴史を、隠された真実を」
―――そして、白岐の地の中で眠りについていたという、太古の巫女は話し始めた。
衝撃を受けるに値するだけの、およそ想像を超えた、古代の惨劇と、嘆きを。
(そりゃ、UMAや宇宙人飛来説、人類火星移住説ってのは、まあよく聞く話だが)
ここまで突拍子ないと、理解の範疇を超えている。
いや、わかる、わからないという以前に、全て本当のことなのだろう。
今目の前で起こっている神がかり的な出来事や、この学園を訪れてから何度も自身を命の危機にさらした数々の出来事が、その証だ。
遙か昔、天から降りてきた『天御子』という、当時には存在し得ない、いや、現代においても遠く及ばないほどのテクノロジーを有した存在と、彼らのモルモットにされた古代日本の一部族。
人類の、いや、あらゆる全ての生命体の夢、永遠の若さと、不死の体。
(そんなもんの何が有難いのか)
玖隆は思う。
永遠、や、不死などというものは、およそろくでもないものだ。
人は死ぬからこそはかなく、美しい、そして無限の可能性を秘める。
永久になってしまえば、未来も過去も、今すら存在しない、それは死と同等だ。
不老不死と死は等しい、いや、生きている人間の欲する完全なる死の形を、不老不死と呼ぶのだろう。
(死んだ後の事なんて、誰にもわからないからな)
それを知るのは、ただ死者のみ―――
玖隆は胸の辺りをそっと握り締める。
「荒吐神」
以前聞いた神の名を、巫女も語った。
それが、この天香学園に封じられているものの正体だと。
「迷走する技術が生み出し、創り上げてしまった異形の神は、最早創った者達にすら制御の叶わぬ脅威と成り果てていました」
天御子はその咎を、自ら被ったのだ。
「研究者達は、直ちにその研究施設を放棄し、研究データと一緒にその狂える神を奥底に封じ込め、厳重に鍵をかけました」
「鍵」
「そうです、そしてそれを、人目につかぬ場所に隠したのです」
「まさか、それは」
巫女は、自身の体をそっと撫でる。
「この、少女の血の中に」
玖隆はほんの一瞬だけ、巫女から視線をそらしていた。
直視に耐えない。
それほどの苦痛を、恐らく生まれたときから背負わされて、白岐は生きてきたというのか。
あの物憂げな態度も、暗い瞳も、全てそのせいだというのか。
―――時計台の小部屋へ迎えに行ったときの、彼女の姿が不意に思い出されてきて、胸の奥が締め付けられるように痛む。
罪深く、冷酷な所業。
怒りよりも沸き起こるそれは、悲しみ。
巫女が、玖隆の思いを見透かしたように、ほんの少しだけ微笑んだ。
「荒吐神が蘇ろうとしているのは、貴方が墓に入った事だけが原因ではありません、その鎮まる事のない念が千年以上の刻をかけて地上に侵食してきた結果、彼が地上に放たれれば、この学園だけでなく―――世界が狂気に包まれるでしょう」
彼、といった、その言葉が気にかかる。
彼女はもしや、今も―――
「荒吐神が完全に地上に出る前に、倒さなければなりません」
決意に満ちた眼差しが玖隆を見詰めていた。
「荒吐神が鍵を見つけるのは時間の問題です、封印が解かれる前に、貴方に真実を伝える必要があった、だから、私はここに貴方を呼び出したのです」
「なるほど、じゃあ、今夜のお誘いは、白岐でなく巫女様からのものだったわけか」
「はい」
貴方に世界を救って欲しいから、と、巫女は白岐によく似た顔をそっと伏せる。
「あの御方を倒すためには、彼と共に封印された秘宝の力を使うしかありません」
「秘宝?」
「九龍の秘宝の力を」
その力なら、きっと荒吐神を倒す事ができると。
―――しかし、玖隆は別のことを考えていた。
天香遺跡、古代の英知、封じられた神と、以前双子から聞いた『九匹の龍の力を得たものは富と栄光を手にする』の言葉。
(九龍の秘宝、それは)
巫女は、祈るような眼差しで両手をそっと胸の前で組み合わせた。
「貴方なら、人の持つ知恵と勇気を武器に、ここまで辿り着いた貴方ならば、必ずその秘宝を手に入れ、荒吐神を倒す事ができるはずです、私はそう信じています」
その願いに答えるように、玖隆は口の端に笑みを浮かばせる。
瞳はまっすぐ巫女を見つめて、自身の決意の固さの証とした。
巫女は、安堵したように、僅かに気配を綻ばせた。
「―――誰か来ました」
言われる前に玖隆も人の気配に気付く。
言葉と共に輝きは失われ、温室の空気が元に戻ったようだった。
巫女は白岐に変わり、振り返った先、木陰が揺れて影が覗く。
「晃、こんな夜更けに密会か?」
―――反応が早すぎる。
玖隆は皆守に向き直ると、親しげな笑みと共に「おう」と片手を軽く挙げた。
「よお、ん?そこにいるのは白岐か?」
「こんばんは、皆守さん」
「中々に珍しいツーショットじゃないか、お前たちがそういう関係だとは、知らなかったぜ」
まるで白々しいセリフに、玖隆は思わず噴出しそうになってしまった。
嘘のヘタな男だ。
もっとも、それは今に限った事でもなかったけれど。
「中々嬉しい言葉だな、だが、彼女の名誉のために言わせてもらえば、残念ながらそれは間違いだ」
「へえ―――ならなんで、こんな時間に二人揃って、こんな場所に居合わせているんだ?」
玖隆は肩をぐるりと回す。
「別に理由なんかないさ、温室で白岐が花の世話をしていて、そこに、気晴らしに俺が現れて、のんびりさせてもらっていただけだ」
「こんな時間にか」
「まあ、白岐がどうしてここにいたのかまでは知らないがな、少なくとも俺はそうだぜ、植物の多い場所はマイナスイオンが強い、心も、体も、休めるのに丁度いいんだ」
皆守の表情からは何も読めない。
こんな事は珍しい事だと、ふと思い当たる。
たまに同じようにしている事があるけれど、そういう時は大体が、生徒会や遺跡がらみのときだ。
「―――貴方こそ珍しいわね、温室に来るなんて」
白岐がそっと口を開く。
「たまには、花を眺めて過ごしたい時もある」
けれど何故か痛ましい気配を滲ませる姿から、玖隆は目が放せなかった。
「玖隆さん」
呼ばれて、振り返ると、白岐が植え込みの中を指差した。
「そこを」
近づいて調べると、錆付いた一振りの剣が姿を現す。
「貴方に」
柄だけ握ると崩れ落ちそうな気がして、両手でそっと持ち上げてみたのだが、内側は案外しっかりとしているようだった。
玉水でもかければ本当の姿を拝めるだろうか。
再び振り返った玖隆は、今度は白岐を見詰めながらいいのかと尋ねる。
「ええ、それが、私たち、いえ、私の願いだから」
「願い?」
「そう―――それは、この先貴方を待つ運命との戦いで、貴方に必要なもの、だから、貴方が持っていて、そして、貴方が振るって」
「何なんだ、それは」
皆守の声。
けれど白岐はほんの僅か視線を送っただけで、彼の問いかけには答えなかった。
「お願い、玖隆さん」
濡れた漆黒の眼差しが、再び玖隆を見上げて、祈りにも似た呟きを漏らす。
「荒吐神を―――長髄彦を、倒して」
夜風がふっと抜けた。
直後に白岐は玖隆の脇をすり抜け、温室の闇に姿を消した。
長い髪が通り過ぎるときの気配と、淡く香った沈香のような香りの後で、間をおいて温室の扉の開閉音が離れた場所から響いてきた。
「―――やれやれ」
皆守は、どこか所在無さげな様子で後頭部を掻いて、それから玖隆を見る。
「どうやら俺は、邪魔だったようだな」
「まったくだぜ、せっかく白岐ともっとお近づきになれそうだったってのに」
途端、不機嫌な表情に変わって、本気かと低い声で尋ねられるので、玖隆は笑いながら彼の肩をポンポンと叩いた。
「冗談だよ、あんないい子、俺にはもったいないさ」
「だな」
「おいおい、ちょっとは否定してくれよ」
フンと漏らしながらパイプの先に火をつけて、煙らせる皆守を玖隆はじっと見詰めている。
―――何故、ここにいるのかと。
(訊くまでもないじゃないか、こいつなら、当然の事だ)
理解する自分が悲しかった。
残すフロアは後一つ。
そこに、巫女の語る荒吐神―――長髄彦が眠っているのだろう。
そして、阿門や白岐、この学園と、そして―――
(俺たちの、運命も)
なんとなく居たたまれなくなってしまった状況に、皆守がふと「行こうぜ」と肩を叩いた。
玖隆も頷いて歩き出す。
まずは自室に戻ろう。
そして、装備の確認、状況の整理、恐らくそう遠くないうちに訪れる、ラストダンスを踊りきるためのドレスと靴を用意しておかなければ。
この剣の調査もしておこう。
(白岐がいるものだと言うなら、本当にそうなんだろうからな)
漆黒に塗りつぶされた緑の気配の合間を通り抜けながら、一つの花壇に目を留めて、玖隆は呟いていた。
「ラベンダーか」
皆守が、一瞬だけ足を止めて、すぐに歩き出す。
背中を追う玖隆の鼻腔に、季節外れの花の香りが微かに香っていた。
(次へ)