自室に戻ると感慨深いものが広がっていく。
初め、ここを訪れたとき、こんな状況を果たして想定していただろうか。
「現実は、いつでも俺の予測の上を行くなあ」
だからこそ楽しいのかもしれないと、暢気な見解に口元をほころばせる。
実際楽しい日々だった。
9月から今日まで、夢のような時間の連続だった。
皆守、八千穂、白岐、夕薙、七瀬に黒塚、舞草、雛川教諭、瑞麗教諭、生徒会元執行委員の面々、役員たち、双樹や、響、鴉室さん、千貫さん、そして、阿門。
こんな生活などしたことがなかったし、遺跡の探索も、常に死と隣りあわせだったとはいえ、それこそが本分であったから、楽しかった、充実していた。
永遠に続けばいいと、思わなかったわけじゃない。
けれどそれは同時に、儚いものだとも知っていた。
宴はいつか終わる。
制服の上着を脱ぎ捨てると、やけに身軽になってしまったような気がした。
玖隆はシャツの襟元を少し開いて、ネックレスに僅かに触れてから、ベッドの下やタンスの中から武器や防具の類を取り出していく。
―――もう、必要と思われる最低限の装備しか残っていない。
「準備のいいことで」
自ら皮肉りながら、弾薬の数や薬品の類にチェックを入れて、報告書を仕上げて協会へメール送信したところで、ノックの音が部屋に響いた。
「はーい」
玖隆は武器の類を見えない場所―――ベッドの上に簡単に除けて、扉を開く。
「甲太郎」
瞳が玖隆を見詰めて、笑う。
「よお」
「どうしたんだ、こんな時間に」
さっきのセリフそのままの応酬に、皆守は苦笑して、ちょっといいかと声を潜めた。
「部屋まで付き合って欲しいんだ、頼む」
「いいぜ」
―――どうせ、本当は、準備なんか当の昔に済んでいる。
結局は確認と、気合を入れなおしていただけだ。
あっけない返事に皆守は少しだけ拍子抜けしたようだった。
鍵を取って戻ってきた玖隆を伴って、部屋を後にする。
扉に施錠して、出しっぱなしの武器はそのまま放置してきてしまった。
何らかの事情があって自室に踏み込まれたとき、もしかしたら大事になるかもしれないが、どのみち素人目にはモデルガンと実銃の区別なんてつくはずもない。
(それに今更、だしな)
「お邪魔します」
部屋に入って靴を脱ぐと、皆守の部屋はだいぶ暖房の温度設定が高いようだった。
「これ、ちょっと暑くないか?」
辺りを見回して尋ねると、寒がりはフンと鼻を鳴らした。
ベッドに腰掛けた玖隆と向かい合うように、机に備え付けられたイスに腰を落ち着けて、皆守は不意に苦笑を浮かべながらアロマの先に火をつけなおす。
「まったく、最悪な青春の一ページだな」
「何が」
「いつもならこの時期はクリスマスだなんだって騒がしいんだが、まあ、昨日の今日じゃそんな気になれないか―――今夜は、嫌な夜だな」
「まあ、確かに」
玖隆も同じように笑いながら足を組みなおした。
「大の男が雁首揃えて、こんな狭苦しい一室で難しい顔つき合わせてるって点じゃ、確かに嫌な夜だよな」
直後に舌打ちと、あからさまに嫌気を滲ませた皆守を見て、笑顔がすぐにゴメンと詫びる。
「冗談だよ、甲太郎」
伸ばされた掌に、叩かれるのかと思った。
けれど。
「っつ」
思わず体を引いてしまった。
皆守は、引き寄せようとした対象に逃げられて、空いてしまった片腕を何となく惜しげに戻す。
―――穏やか過ぎるような表情をしていた。
「馬鹿」
動揺している玖隆の胸元で、リングが微かに音を立てる。
皆守は、それに一瞬気付いたようなそぶりを見せて、けれどすぐ―――視線を、どこか遠くを見るように細くした。
「そうか、よく考えたらお前が転校してきてからもう三ヶ月も経つのか」
指先に移したパイプから細く煙が立ち昇っている。
「長かったような、短かったような、なんか不思議な感じだな、お前はどうだ、晃?」
「そうだな」
玖隆は姿勢を元に戻す。
何故だろう。
これまでずっと一緒に―――それこそ、もう本当に、どんな時も一緒だった。
嬉しいとき、楽しいとき、辛いとき、苦しいとき、何でもないような時ですら、常に傍らには皆守の姿があった。
―――なのに。
「そうか」
皆守は微笑む。
ベッドと机の間は、いや、自分と皆守の距離は、恐らく一メートルもない。
―――なのに。
「なあ、どうして何もかも、かわっちまうんだろうな」
僅かに俯けた表情の、唇からこぼれる声はどこか自嘲的な気配が滲んでいた。
「どうしてずっと、このままでいられないんだ―――」
苦悩を押し込めた表情、切ない姿。
前にも見たことがある、あれは―――そう、椎名との一件、もう遺跡へ行くなと忠告されたときの事。
見知った人間が死ぬのは嫌だと、玖隆に言い捨てた時よりずっと、辛そうな顔をしている。
皆守は、今度も気付いていないのだろうか。
それとも。
「変化なんてのは鬱陶しいだけだ、そこに平穏があるのなら、そのままだっていいだろう?」
なあ、晃。
まっすぐ見詰めてくる瞳の、けれどそこに映る色は取り留めなく移り変わり、揺れ続けているようだった。
「変わらずにあって欲しいと、願う事は間違いじゃないだろう?なあ、晃」
玖隆は降ろした手元に視線を落とす。
暖房が効きすぎた室内で、けれど暑いはずなのに、どこか空虚な寒さが忍び込んでくる。
それは心に、だろうか。
「遠い、な」
微かな呟きを、聞き逃した皆守が困惑した様子を滲ませた。
「甲太郎」
顔を上げた玖隆は、今までのどの時よりも真面目な表情をしていた。
「変化は、常に起こっているものだ、望む、望まないに関らず」
晃。
痛ましい声が耳の奥に響く。
「生きている限り変化は続くものだ、昨日と、今日と、明日は、確実に同じじゃない、時を止めてしまえば、死んでしまえば、変化なんて訪れないかもしれない、けど、俺達は生きている、そして願いがあるなら尚更―――俺達は、変わらずにはいられない」
「それなら」
「いっそ死ねばなんて、寂しいこと言うなよ?」
皆守の体が僅かにびくりと震えたようだった。
「平穏を望む事それ自体は決して悪くないさ、けど、甲太郎、それは本当に望んだものなのか?」
「な、にを」
「今、お前は確実に、おまえ自身が望んだ地平に立っていると言えるのか?」
「晃」
「お前の望みは何だ、今が続く事じゃないだろう?詭弁はよせよ、今更、臆病なフリなんてするな、お前が本当に望んだ事は」
何だったんだと、続けるより先に。
「っつ!」
突然立ち上がった皆守が、晃の体を思い切りベッドに押し付けた。
襟元を締め付けるように両手で握って、至近距離にある瞳が激しすぎるほどの迸りを放つ。
「晃、何故―――お前は、いつもそうだよ、どうして俺にそんな事を言う?」
「こ、うた、ろッ」
「俺みたいなどうしようもない奴に、どうして!」
グッと更に締め付ける感触を、振り払えないまま、一瞬意識が途切れそうになる。
直後にハッと我に返ったような気配があって、両手の力が緩んだ。
「わっ、悪い」
当人が一番衝撃を受けたような顔をして、皆守は慌てて玖隆の上から退いていた。
むせ込んで身じろぐ体を必死にさすり、起き上がる手助けまでしてくれる。
「晃、大丈夫か?」
「フフ、これくらい、平気だ」
覗き込まれて、苦笑いを浮かべながら頷くと、見えたのは酷く傷ついた表情だった。
まるで、寄る辺の無い幼子のように。
「甲太郎」
伸ばした掌で頬に触れると、覆うように皆守の掌が重ねられる。
「晃、俺は、お前となら、一歩先へ―――ここから先へと踏み出すことができる気がする」
お前なら、きっと―――
唇がそのまま固まり、言葉に詰まった後で、自嘲的な微笑に形を変えた。
「わかってる」
「何」
「お前が、今だけじゃなく、ずっと俺に手を差し伸べてくれていた事、本当は知っていたよ」
「甲太郎」
玖隆は言葉につまり、再び苦笑を口元に滲ませた。
「―――人が悪いぜ」
「ああ、まったくな」
皆守の表情が悲しく歪む。
玖隆はただ見詰めている。
「けれど」
本当にそれでいいのか?
「許されるのか、そんな事が」
被さったままの掌が、微かに力を帯びる。
「お前の手を取ってしまえば、俺は楽になれるんだろう、けど―――それで俺の罪は消えるのか?俺は俺自身のせいで大切なものを幾つも壊してきた、それでも差し伸ばされた手すら、振り払って―――足らずに―――壊した、なのに」
何故再び訪れたのだろう。
世界は相変わらず俺を拒絶しているというのに。
「晃」
皆守の瞳は救いを求めている。
けれど同時に、決して自身を許す事などできないのだと、暗い嘆きも感じられた。
それはまるで、自ら巻きつけた戒めの鎖のよう。
「そんな俺が、この学園から開放される事が、本当に許されていいってのか?」
「甲太郎」
晃は、そっと双眸を閉じて、深呼吸をする。
頬に触れる手が熱い。
今ここにあらゆる可能性があるけれど―――恐らく、まだ、彼には伝わらない。
本当の望みはなんなのか。
俺は何を望んでいるのか。
「お前は、もう、赦されているよ」
再び見開くと、甲太郎は瞠目したまま固まっていた。
「言葉が欲しいなら幾らでもやろう、ここから出たいなら手を貸す、けど、甲太郎、お前はもうずっと自由だったじゃないか」
「な、に」
「壊したなら、また創ればいい、それこそ、幾らでも、お前が望むなら何度だって、生きている限りどんなチャンスでも巡って来るんだ、願いなら、叶えればいい」
「晃」
「俺達には等しくその権利が与えられている―――勿論、お前にもだよ、甲太郎」
胸元でリングが微かに鳴った。
「赦されるのが望みというなら」
玖隆は笑っていた。
内側からあふれてくる想いのままに、飾り気も何も無い、純粋な姿で。
「俺が叶える、だから、お前はもう赦されているよ、甲太郎」
一瞬、全ての仮面を取り払われた、素顔の皆守が覗いた気がした。
サッと頬を染め、直後に狂おしいまでの情念を瞳に宿らせ、言葉に詰まり、俯いて、低く、押し殺した声で吐き出す。
「馬鹿、野郎」
―――涙すら浮かんでいないのに、まるで泣いているようだ。
「人の気も知らないでッ」
そのまま強引に引き寄せられて、今度こそ腕の中に抱き込まれてしまった。
玖隆はもう一度目を閉じる。
皆守は震えていた。
それは、嘆きのようであり、また歓喜しているようでもあった。
「―――まったく」
「甲太郎」
「お前らしい―――本当に、お前らしい説得の仕方だよ、ありがとう、な」
晃。
耳元で囁かれて、再び見れば、皆守は笑っていた。
今度こそ、本当に―――紛れも無い覚悟と、別離の予感に満ちた顔で。
「もっと早くお前と出会えていたら、俺は」
「甲太郎」
ゆっくりと離れていく、彼の動きにあわせて起き上がり、玖隆が少し距離をとると、皆守はこれまで見たことの無いような真摯な様子へ表情を変える。
「9月の末にここへ来てから、お前の歩んできた道を誰よりも近くでいつも見ていたのは、俺だ」
「そうだな」
「晃、例え何が起こっても、俺はお前と過ごしたこの三ヶ月を忘れない、お前がいたから、今の俺がある」
ここにいるのは紛れも無い、俺の戦友、皆守甲太郎。
それは皆守にとっても同じだと信じたい。
けれど。
「だから、お前も忘れるな」
悲しげな声の奥底から、鼓動が聞こえてくる。
それは回りだした歯車の音。
止められない運命の音。
「俺が、ここで、お前と共に在った事を、忘れるなよ、晃」
先ほど圧し掛かってきたときに投げ捨てられたアロマパイプは床の上に転がり、火の消えた先端からラベンダーの香りだけが淡く漂っていた。
この部屋は後悔と感傷の残り香だらけだ。
玖隆は苦笑いを浮かべながら、首の後ろに手を回した。
「―――なら、甲太郎」
指先でつなぎ目を探り当て、そのままそっと外す。
「約束をしようじゃないか」
ネックレスから指輪を一つ、抜き取る仕草を皆守は黙って見ていた。
「お前が自分を忘れるなっていうなら、俺のことも忘れてくれるな、甲太郎」
これは、その約束の証に。
差し出された指輪を呆然と眺める。
「前に話したな、覚えてるか?これは、俺の魂の片割れ、命の次に大切な、思い出の一片だ」
「あ、きら?」
「これを、お前にやる」
「なッ」
「だから、俺のことも忘れてくれるな、甲太郎」
玖隆は指輪をベッドの上に置いた。
「贈るのは俺の一方的な申し出だから、どうするかはお前が決めたらいい、けど、俺はこれをお前にやる、そう決めた、だから、これはここに置いていく」
「待てよ、お前」
何を考えているんだと。
立ち上がった玖隆に、皆守はすがるような視線を向けてくる。
今更―――
(こんなものを託されて、お前は困っているんだろう?)
けど、俺は望みを、そう易々と諦めたりなんかしない。
(決めたんだ、全部)
―――夕暮れを共に見たあの日から、ずっと考えていた。
結論は、それより前にもう出ていた。
あまり遠くないうちにこんな日が訪れるだろうと、知っていた。
(まさか、イヴの日に重なるとは思ってなかったけどな)
世界や、荒吐神なんて、正直知った事じゃない。
けれど必要なら救うし、倒す。
(それが仕事だしな)
ただの協会の探索依頼が、随分大事になったものだ。
皆守はリングをじっと見詰めていた。
決意して、ためらってを繰り返していた眼差しを、ふと玖隆に戻す。
「こんなものより」
「おいおい、そりゃないだろう、こんなもの呼ばわりとは」
「晃、俺は、お前が欲しい」
「―――相変わらず言ってくれるねえ」
伸びてきた腕が、再び玖隆を捕まえる。
引き寄せられて、正面で膝を折って、見上げるような形で見詰め合った。
「クリスマスプレゼントをくれよ、晃」
口付けようとした皆守を、けれど、片腕がそっと制止した。
「ダメだよ」
「晃」
「まだ早い、イブの夜はおとなしく寝てるもんだ、悪い子にサンタは来ないぞ」
「どうして」
「どうしても」
「俺は、今すぐ欲しい」
「我侭を言うな」
「もう待てない、晃、俺は」
「それでもダメだよ、甲太郎」
悲しげにゆがめられた表情が、そのまま俯いて溜息を落とす。
「―――そうか」
玖隆はどんな表情も浮かべていなかった。
今、心の中を現してしまえば、皆守は想いをぶつけるように俺を抱くだろう。
きっと―――
(でもそれじゃダメなんだ、甲太郎)
このままでは何も変わらない、変われない、俺も、お前も。
(最後の扉を開かないと、俺はまだお前の口から、真実を聞いていない)
皆守はまだ隠している―――それが、すでにほとんど露呈していると、彼自身気付いていたとしても。
脱力した掌を振りほどいて、再び立ち上がった玖隆が部屋を出て行こうとした、その時だった。
「うん?」
着信を告げる電子音に、取り出した端末のイヤホンを引き出して、片耳に嵌め込みながら、機能を直接通話モードに切り替える。
「はい、あれ、明日香ちゃん?」
珍しいと思う間もなく、イヤホンの向こうから八千穂の泣きそうな声が響いてきた。
「さっき白岐さんが倒れて、凄く苦しそうで―――」
唖然とする玖隆の耳に、今度は別の声が響いた。
「晃くん」
「双樹?」
「彼女、とても危険な状態だわ、とりあえず私たちが看ているけれど、貴方は早く遺跡へ向かって」
「何で」
「この子がさっきからずっとうわ言のように繰り返しているの、早く遺跡へ向かって、荒吐神を倒してって、貴方によ、何度も、何度も」
「あーちゃんどうしよう、ねえ、どうすればいいのッ」
「落ち着いて明日香ちゃん、双樹も、二人とも白岐を頼む」
「わかったわ」
「俺はこれから遺跡へ向かうよ」
「あーちゃんッ」
「大丈夫、心配いらない、じゃあ二人共、また後で」
通信終了して、イヤホンをしまっている間に、皆守が床のパイプを拾い上げていた。
「晃」
「甲太郎」
立ち上がった姿はいつものように気だるげな眼差しを玖隆に向ける。
「―――行くんだろう?」
「ああ」
「そうか」
咥える部分を軽く払って、唇の隙間に押し込めながら、ライターを取り出した。
「なら、俺も行くぞ」
玖隆は静かに頷いた。
わかっていた。
いつも、いつも、その予感と、覚悟は常に身の内にあった。
パーティーの開幕は唐突だったけれど―――そんなのはいつもの事じゃないか。
(ようやく)
玖隆は皆守に、準備ができたら連絡すると言い残して、彼の部屋を出た。
(ようやく、逢えるな)
本当のお前に。
お前が隠そうとして、結局隠しきれなかった、真実に。
自室に戻って鍵を開けて、ベッドの上に散らばったままの武器や防具、薬品を眺めながら、気付けば自然と口の端がつりあがっていた。
例えようのない不安と、恐怖と、期待に胸を躍らせて、玖隆晃は微笑を浮かべていた。
それは、紛れもない、彼の本職、宝探し屋の顔で。
「きっと掴んでみせる」
秘められた宝を見つけ出す事。
それが、俺の仕事だから。
「さあ、メインイベントの始まりだ、気合入れろよ、玖隆晃」
抗弾チョッキにアサルトベスト、マシンガンに爆薬、救急キット、そして、白岐から託された一振りの剣。
コートを着込み、降下用具を装着して、支度は済んだ。
仕事の時間だ。
窓縁に金具を引っ掛けて、飛び出した屋外の空気は張り詰めたように寒く、火照った体を心地よく引き締めてくれる。
纏う香りはもう花のように穏やかなものでなく、馴染んだ硝煙と血と埃の匂いだった。
約束どおり皆守に連絡を入れながら、駆け出す姿はかつてないほど浮かれた足取りで、まるで風のように夜闇の奥へと消えていった。
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