目も眩むような炎が見える。
周囲を燃え上がる業火に囲まれ、ここは天香遺跡、最下層。
「こいつは」
ゴーグルの感度を調節しながら、玖隆はすぐ側の皆守の声を聞いていた。
「まさか、初めに俺たちが降りてきた大広間の下に、こんな部屋が隠されていたとはな」
確かに、同感だ。
遺跡の規模や形状、あちこちに残されていた情報などから推察して、恐らく下方向へ向けて集約していく様式になっているのだろうと思っていたけれど。
(なら、ここは、さしずめピラミッドの天辺ってわけか)
何となく可笑しく感じられるようだった。
地下数百メートル、こんな奥底に控えた一間が「最上階」とは。
「どうやら、この玄室が、この遺跡の終着点らしい」
「ああ」
「遂に―――ここまで辿り着いたな」
晃、と呼ばれて、振り返る。
「おめでとう」
玖隆はニッと笑った。
心にも無い事を、と、今更そんなことを言ったら、また拗ねてしまうだろうか?
(案外子供っぽいからな、いや、まあ、まだ子供なんだが)
それは俺もかと思い直して、笑顔は苦笑に変わった。
皆守は不思議そうにしている。
玖隆は彼の手を取った。
「ありがとう」
こっそり確認したけれど―――案の定、指輪はどの指にも嵌められていない。
(まあ、そうだろうな)
そんな上手い話があるわけないだろうと、案の定期待していた自身を軽く笑い飛ばしてやった。
首元に下げてもいない。
調子がいいのは性分だ。
なら―――力技で、捕まえてやろうじゃないか。
「こんな所でなんだが、甲太郎?」
「うん?」
「愛してるよ」
皆守の目が大きく見開かれた。
「ここまで来られたのも、お前が一緒だったからだ、だから、有難う、それと、愛してる」
直後に浮かんだ苦笑いと、馬鹿、の一声。
「そう、だな―――俺も、お前の事が」
けれどその先を、皆守は飲み込んでしまった。
するりと離れていく掌を、もう一度掴んでやろうと心に誓う。
甲太郎、お前は、こんな場所で燻っているべきじゃない。
「いや」
まだ。
「全てが終わったわけじゃない」
ああ。
(もちろん、そうだ)
「気を抜かないようにするんだな」
サンキュ、と微笑む玖隆から視線をそらして、皆守はパイプを指先に挟んだ。
「ちょっと待ってくれ、晃、アロマの火が消えちまった」
ライターで火をともす。
埃っぽい空気に混じって、慣れ親しんだあの香りが鼻腔に漂ってくる。
(いつもより強いな)
―――皆守が、遠い目をしていた。
「晃」
ああ。
「お前は、いい奴だ」
不安が、恐怖が、恐れが、興奮に変わっていく。
「できれば、これからもお前の友でいたかった」
(そう、か)
玖隆は綻んでしまいそうな口元を、必死にかみ締めていた。
今の俺は、多分、お前の知っている俺じゃない。
俺も本気を出してやる。
お前の欲しがっているものを、全部くれてやるよ。
「覚えているか?初めて逢った日の事を」
「忘れるわけがないだろう」
皆守はこちらを見ようとしない。
その声が、気配が、全てが、まだ吹っ切れていない何かを漂わせていた。
(ならば)
「俺は忠告した筈だ―――生徒会には気を付けろ、目を付けられるな、と」
「そうだったな」
「お前には」
ラベンダーが香る。
「―――ここまで辿り着いて欲しくはなかった」
炎の燃え盛る音が、遠くに聞こえる。
地上は冬の最中、おまけに雪まで降っていたというのに、ここは随分暑い。
(何でだろうな)
「悪いが」
ようやくこちらを向いた瞳が、玖隆の姿を見て、僅かに言葉を詰まらせた。
「これ以上、先に進ませるわけには行かない」
「そうか」
「墓を侵す者を排除せよ、それが、生徒会の掟だからな」
「そうか」
「お前は、何の力も持たない身でありながら、次々と呪われた力を持つ生徒会の魔人たちを退けてきた、実に鮮やかに、その知恵と勇気と情熱だけを武器にな」
「そうか―――随分褒めてくれるじゃないか、甲太郎」
真面目な顔で話していた皆守が、不意にフッと口元を歪ませて、笑う。
「オイ」
「うん?」
「―――お前、何笑ってんだよ」
―――自分でも気付かないうちに、ゴーグルの下には楽しげな笑みが滲み出していた。
「ああ」
玖隆はマシンガンに手をかける。
「悪い、シリアスな場面だよな、ここ」
ハッと吐き捨てて、皆守は両手をズボンのポケットに突っ込んだ。
「気付いていたのか、やはり」
「何が」
「とぼけるなよ、晃」
「あいにく俺は鈍くてね、告白は、本人の口からちゃんと聞かないと、信用できないんだ」
「ぬかせ」
足元を軽く蹴り付ける。
「なら、お望みどおり名乗ってやろうか?」
安全装置をはずして、低い声がJa、と応えた。
ゆらり。
揺らめいた炎から発せられる光の加減だろうか。
皆守の姿がまるで影のように見える。
漆黒の、暗い影。
けれどその奥に眠る輝きを―――パンドラの箱の底に残されているものを、こいつはまだ知らない。
(なら、お前すら知らない、お前の中の可能性を)
俺が見つけ出してやろうか。
宝探し屋のプライドと意地にかけて、この手に掴んでみせようか。
「玖隆晃」
久しぶりにフルネームで呼びかける、皆守の声が心地よい。
「確かロゼッタ協会とかいう所から来た、宝探し屋だな?」
「ああ」
「俺は、皆守甲太郎―――天香学園生徒会、副会長を務めている」
鼓動が一つ、爆ぜた。
「甲太郎」
「悪いな、晃、俺を信用してくれていたお前を裏切る事になっちまったな」
「そんなもん」
「だが、お前に対しての感情は嘘じゃない、俺は、今でもお前の事を仲間だと思っている」
フフッ
笑いがこぼれた。
玖隆は頷く。
「わかっているよ、甲太郎」
「こんな結末を、俺も望んでいなかった」
それは、嘘だろう。
迷い無くマシンガンの銃口を定めながら、今まで戦ってきた生徒会の魔人たちを思い返していた。
彼らは皆、この遺跡の中でだけは、傷を受けない。
それは「生徒会」という括りに在籍し続ける限り有効であるらしく、執行委員でなくなった生徒たちはその後の探索で玖隆と同じように負傷していたけれど、双樹や神鳳、夷澤などは化人に襲われてもほとんど無傷のままでいた。
(それはお前もだったよな、甲太郎)
「お前のことは忘れない、永遠にな」
彼が今まで隠してきた実力、本当の姿。
ずっと知りたかった。
皆守が副会長じゃないかと、疑いを持った頃から、多分その願望は生まれていたに違いない。
(俺は欲張りだから)
胸の奥をえぐられそうなほど、悲しく、暗い瞳が、玖隆を見詰めていた。
それは別れの―――けれど、そんな事は許さない。
「俺の忠告に従っておけば、無事に卒業まで、この学園で過ごせただろうが」
「ハハハ、なかなか笑える冗談だな」
「残念ながら、ここでお前の旅も終わりだ」
望むところだ。
「さァ、それじゃ始めるとしよう」
これほど体中の血が沸騰するような出来事は、そうそうお目にかかれない。
言葉なんて必要ないじゃないか、今の俺たちには、それ以上に。
「俺が相手だ、悪く思うなよ」
駆け出すのと同時に、引き金を絞って弾を打ち出す。
皆守に蹴られて、逃げて、反撃しながら、玖隆は歌でも歌いたいような気分だった。
こんなに楽しい戦いは初めてだ。
いつも、いつでも、遺跡探索時に発生する戦闘は、あくまで目的を果たすために乗り越えるべき障害の一つでしかなかった。
どんなに些細なものでも、どれほど苦戦しても、それは常に変わらない。
(俺は、平和主義だからな)
実際、争い事はあまり好きじゃない。
今更、偽善だ、嘘をつくなと、そしりを受けるかもしれないけれど、刃を抜けば誰かが傷つくし、この足が前に進んだ分、後ろで倒れる躯がある。
(けど)
その全部を受け止めても、願いを捨てられないから、俺は退く事などできないんだ。
思い出を繋ぐために。
彼女との、いや、俺自身の誓いを果たすために。
(リリー)
マシンガンの弾が尽きた。
マガジンを投げ捨てて、新しいものを突っ込む。
その間に接近してきた皆守が鋭く爪先を蹴り上げて、脇腹が焼け付くように痛んだ。
「クッ」
口の中に溜まった血を吐き捨てる。
狙いを定めて、更に追撃をかけてきた皆守を撃って防いだ。
「グアッ」
苦悶の声、痛みの表情。
(まだ、だッ)
背後に回って弾丸を叩き込む。
皆守が、およそ人間の動体視力では追えないような速度で動き、打たれた肩と腕の感触に視界がぶれた。
「晃」
聞こえる。
「―――お前、いつの間に怪我、治してきやがった」
フッと口の端を吊り上げる。
「ヘタなダンスじゃ、お前に悪いだろう?」
衝撃が突き抜けていく。
玖隆は胃液と共にまた血を吐いた。
「安心しろよ、ドレスも、靴も、最高品だ、お前と踊るためオシャレしてきたんだぜ」
「晃」
撃たれた皆守が屈伸して呻く。
「さっきのセリフ、嘘じゃないぞ」
「何?」
「愛してるって、言っただろう?」
渾身の一撃を、白岐から譲り受けた剣の刀身で防いで、同時に玖隆は再び弾切れになったマシンガンを体の後ろに回して除けた。
そのまま、懐のハンドガンを引き抜く。
昨日使い損ねた、協会からの贈り物だ。
「俺も腹を決めた、甲太郎、お前も、いい加減腹をくくれ」
鳩尾に銃口を押し付けて。
「あ」
一発、二発、三発、四発、五発、六発、七発、八発。
「メリークリスマス」
九発、十発、十一発。
9mmLUGER弾が食い込む。
皆守の体に当たり、けれど貫く事はなく、肌の表面で細かく砕けて消える。
シャツだけは焦げて穴が開いてしまった。
十二発、十三発。
「サンタから、プレゼントだよ」
十四発、十五発。
銃口が離れた。
皆守は―――
「クッ」
がくん、と。
膝を折って倒れこむ姿を、すかさず抱きとめて、そのまま石畳の上に座らせる。
玖隆に凭れて、うめき声を上げていた皆守は、時折むせて、乱れた呼吸を少しずつ落ち着かせながら、やがてゆるゆると顔を上げた。
「やるんじゃなかったぜ」
苦々しい笑顔に、玖隆も微笑みかける。
「当然だろう?喧嘩を売るなら相手をよく見ろ、基本だぜ」
「ぬかせ、一端の口を利くな、このヘボハンターが」
「誰の事だ」
「晃」
襟元をつかまれて。
「プレゼントって、何だ」
吐息が触れる。
玖隆は、少しずれて額にキスを落とした。
「お前が欲しかったものだよ」
「何?」
「お前のしがらみも、つまんない悩みも、今俺が全部ぶっ壊したから」
もう本当に、お前は自由だよ。
皆守が僅かに瞠目する。
身じろぎして、そして―――笑った。
初めて見るような。
純粋で、素直な、ありのままの笑顔で。
「初めから終わりまで、お前のペースだったな」
倒れたとき口から落ちた、アロマのパイプを取ってくれと言う。
「少し、ばかり―――クッ―――フフッ、アロマを、吸わせてくれ」
咥えた先端に火をつけて、深く香りを吸い込んだ。
少し落ち着いた彼の様子を伺いながら、玖隆もその香りに思いをはせる。
相変わらず周囲には、炎の気配、それと、硝煙の残り香。
ラベンダーと混ざり合って、これは天香を訪れたときから常に傍らにあったものだ。
腕の中で凭れたまま、皆守は微かに一言、二言、そして、その先を語り始めた。
―――彼の、過去を。
―――恐らくずっと封じ込めておくつもりだったのだろう、最後の封印を。
玖隆は黙って耳を傾ける。
渇望し、諦めて、それでも捨て切れなかったもの。
本当に欲しがっていた何か。
彼の憂鬱の正体と、香りにまつわる痛ましい記憶。
無くしてしまった過去と、その向こうに透けて見える―――皆守の、願い。
(世界は俺を、拒絶している)
そう思っていたんだ。
それは今も。
「俺の居場所は、どこにもない」
いつだってそうだ。
掴んだものは、全て壊れた。
この手の内に残ったものなど、何もない。
それは過去、現在、そして、未来。
恐らく俺は、ずっと暗闇の中で生き続けるのだろうと。
―――ならば、いっそ。
「甲太郎」
不意に、ぬくもりが掌を包み込む。
見上げれば玖隆が、じっと見詰めていた。
「居場所は、ここだ、甲太郎、お前のいる場所が、お前の居場所だよ―――なら、今は、この腕の中が、お前の居場所だ」
嗚呼。
(優しい、眼、しやがって)
光の加減だろうか?
瞳の色は今までに見たことのない、赤でもなく、緑でもなく―――金色に見える。
触れ合って、感じる温もり。
玖隆の体温、気配、熱。
抱きしめられて、すがりつくように―――涙がこぼれた。
次から次へとあふれてこぼれた。
掌がゆっくり、何度も髪を撫でくれる。
今、全てが遠い。
けれどそれとは別に、あふれ出してくる、新しい名前を持った光が、体の隅まで満ちていくようだった。
世界は俺を拒絶している。
けれど、この両腕は、俺を拒んでなどいない。
「皮肉な、ものだ」
人生はおよそ、予測がつかない。
「大切なものを壊し続けてきた俺が、大切なものに、壊されるなんてな」
それだけでなく、造り変えられてしまった。
欲しかったもの全部、今では両掌から零れ落ちるほど、しかも、たった一人の男によって与えられてしまった。
(こんな簡単な話だったとは、な)
拒んでいたのは果たして、世界だったのだろうか。
それとも。
「俺は自分の居場所を見つけるのに必死で、多くのものを傷つけてきた、だが、そんな事をしても俺の眼には何も見えては来なかった―――明日も、希望も、何も、ただ乾いた砂漠のような、寂莫たる後味が残っただけだった」
「甲太郎」
「あの時、俺にお前のような覚悟や、勇気があったなら、俺は別の道を歩んでいたかもしれない」
そうだろう、晃?
「ああ」
頷き返してくれる眼差しの、強さと優しさに、秘めていた何かがこみ上げてくる。
「今ならお前のそういう気持ち、わかる気がする」
皆守は笑った。
ポケットを探って―――取り出したリングを、左の薬指に嵌めた。
「甲太郎」
玖隆は心底驚いた様子だった。
ニヤリと微笑んで、その手をよく見えるように軽く掲げる。
「忌まわしい鎖を断ち切り、愛に生きるのも悪くないさ」
「お前、それ」
「ああ、まったく、気持ち悪いくらいピッタリだぜ、晃、お前いつの間に俺の指のサイズ測ったんだ?」
閉口して、赤面して、そして、困ったように苦笑いを浮かべて、玖隆の声が微かに響く。
「秘密」
その手で軽く額を叩いて、皆守はまだふらつく足元を立ち上がらせようと身じろぎをした。
即座に伸ばされた腕が、力強く支えてくれる。
「サンキュ」
両足をしっかりと踏みしめて、濡れた目じりを拭って捨てた。
お前が取り戻してくれたから、今なら俺は、はっきり言える。
俺はここにいる。
存在している。
過去も、今も、この身と共にある。
居場所はお前の隣だ、晃。
「さてっと、それじゃ―――行くとするか」
振り返ると玖隆は頷き返した。
(大丈夫だ)
皆守はラベンダーの香りを深く吸い込む。
まだ、やれる。
戦える。
俺は晃の役に立つことができる。
「この奥に眠る秘宝を手に入れるのがお前の目的なんだろ?」
「ああ」
「この墓に眠る奴を倒すためにそいつが必要なら、俺も協力しよう」
―――迷いはない。
(しがらみ全部、お前にぶっ壊されちまったからな)
俺の願いを叶えてくれたように、今度は俺が、お前の願いを叶えよう。
そのためなら、たとえ、俺はどうなろうとも―――
「甲太郎?」
玖隆が不意に不審な気配を浮かべた、その直後。
「掟を破るつもりか」
聞き覚えのある、いや、聞き馴染んだ低い声。
二人は振り返る。
そこに―――天香遺跡、最後の番人、阿門帝等の姿があった。
(次へ)