「ご協力に感謝します」
―――その時彼は、冷ややかな目をしていた。
「だが、この施設は本来、民間人は立ち入り禁止だ、できるだけ速やかに退去を」
では、と最後に告げて、踵を返し歩き去る後姿。
(何だ、アレ)
それが天人の抱いた率直な感想だった。
大地は感じが悪いと憤慨していたけれど、腹を立てる暇すらなかったように思う。
ただ呆気に取られた。
そっけない対応に驚いて、しかし確かにそうだなと納得していた。
一介の学生でしかない自分が、国家組織と何ら関わりあう所などありはしない。
まして、ついさっきまで大学受験だ、模試だと、これからの話をしていた所だ、まだ何者にもなっていない自分が、こんな場所にいる事自体似つかわしくないだろう。
世界はただの一瞬で、様相を一変させてしまった。
昨日までの日常も、ほんの数十分前の風景も、もうどこにも存在しない。
山積する瓦礫と崩壊した建造物、混乱し、怯え苛立つ人々、傍らでは幼馴染と同級生が青い顔をしている。
(何だ、これは)
非日常と括ってしまうのは簡単だろう、けれど、受け入れる猶予すら与えられなかった変化に誰がついて行けるものか、ただひたすら目の前の事象にばかり気を取られ、その場凌ぎの対応で手一杯だ。
さて、どうしよう―――ある程度落ち着きを取り戻したのは、それから更に色々あって、件のジプスという組織の施設内部に貸し与えられた一室で一息ついた頃。
ベッドに腰掛けながら、様々な出来事を取り留めなく思い出しているうち、漸く(とんでもなくまずい事になった)(自分達はこれからどうなってしまうのだろう)といった不安や恐怖が噴出した。
我ながら暢気を呆れる。
多分、大地や維緒は自分よりずっと身近な問題として事態を現実的に受け止めていたのだろう。
譲は今ひとつ読めないけれど、大人なのだからそれなりにシビアに考えていると思う。
不安を訴えて事態が好転するわけではない、誰かを当てにしたところで助かる保証は無い、だったら自分で考え、可能な限りを尽くし、さっさと順応してしまう方がよほど理に適っている。
緊張も、怖れも、戸惑いも、当然ある。
ただ、危うげな足場を命綱無しで渡っていくような思いで、ひたすら足掻き続けているだけだ。
傍目にどう見えようが、これが俺のスタンスだと、今はそう思い込むしかない。
(俺は冷淡なのかな、どっかおかしいのか)
家の事、両親や友人たちの安否、色々気にはなっている。
けれど究極には自分の命だ、こればかりはどうあっても譲れない。
ごろりとベッドに横になってみる。
視界に映った見知らぬ天井に、改めて、ここは俺の部屋ではないんだなと実感する。
上掛けをギュッと引寄せて、ベッドの中にもぐりこんだ。
色々合って本当に疲れた、もう眠ってしまいたい。
―――目覚めて、状況が好転しているとは、とても思えないけれど。
汗ばむ手の震えに気付き、ああやっぱり怖かったんだなと今更のように天人は理解した。
悪魔なんて知らない、知らなくて当たり前だ、戦い方すら知らない、俺は平和な時代で怠惰に過ごすただの高校生でしかなかったのだから。
(平和だったんだ、ほんの数時間前までは)
閉じた眼裏に異形たちの姿が浮かび上がるようで、上掛けを頭まで被り、闇に身体を縮こまらせた。
どこからか聞こえてくる精緻に律を刻む機械音が、意識を緩やかに眠りへと誘う―――
正直な所、初見での観想は何もなかった。
怠惰で愚鈍なその他大勢、ただし、その手には分不相応の力を宿した道具を持ち、いつ悪用するとも限らないから監禁しろと命じた矢先、施設内部から姿を消した。
哀れなネズミども。
放置しておいた所で、さしたる問題もあるものか、万一牙を剥いたとしても、ネズミが虎に勝てる道理などありはしない。
しかし彼らはその後、想定外の奇跡を起し、秘めたる力の片鱗を見せつけた。
そう、あれはまさに奇跡だ、人が到底抗えぬ『神』たる存在の切っ先を砕き、自らの運命を、自らの手をもって切り拓いた、他にどのような呼び様があろうか。
セプテントリオンの先駆けドゥベを追ってたどり着いた先にあった光景は、彼らのうちの一人が満身創痍でとどめを刺す、まさにその瞬間だった。
見事としか言い様のない一撃。
怖れず、慢心せず、しかして容赦せず、感情の一切を排除して己の敵を完膚なきまでに叩き潰す。
その背に強者の貫禄を見出し、自然と賞賛の声が漏れていた。
ドゥベにとどめを刺した少年の名は、白羽天人。
こちらは政府機関に属する人間だ、民間人の情報などすぐ手に入る。
同行者はそれぞれ、志島大地、新田維緒、途中から加わった秋江譲。
全員、特殊な訓練など受けたことのない、俄仕立ての悪魔使いたち。
(それで、この戦果か)
彼らの中で、特に、白羽天人の存在が大きいように見受けられた。
確かに良い目をしている、言葉にも、強い意志のようなものが伺えた。
(しかし、まだだ)
そう、ただ一度の奇跡のみで判じてしまうには、あまりに不確定要素が多過ぎる。
単なる偶然の産物かもしれない、結果自体はあくまで結果として受け止めているが、だからといって過大評価は控えるべきだろう。
市井で安穏と暮らしていた民間人に、如何ほどの価値があろうものか。
一握に満たない、自分がその価値を認めた人間も、全てが説得に応じたわけではなかった。
結果多くの有能な駒が失われてしまったが、ならば所詮その程度であったというだけの事だ、損失を憂う必要などありはしない。
(旧世界に毒された愚物など、我が手により創造される新世界には不要)
それは、白羽天人を含む彼らも例外ではない―――だが。
(どこまでやれるか)
フッと笑い手元の資料を眺める。
明日は二日目。
アレらも人が初めの一撃を逃れると思っていなかっただろう、しかし、全てはこれから。
第二幕が引き上げられる。
目を閉じると、峰津院大和は未来の構想に想いを馳せた。