鈍い衝撃が腹を穿ち、天人はくぐもった声を漏らす。

目眩のするような重く激しい痛みにゆっくりと見下ろせば、細長い金属が服の上から身体を貫いて、背中へ抜けていた。

剣だ。

何処に仕込んでいたのだろう。

焦点の定まらない瞳をゆっくり移動させた先で、不敵な笑みと視線が繋がった。

大和の灰色の瞳。

夜明け前の空を思わせるような、鮮やかで美しい、予兆を秘めた瞳。

その目が笑っている。

やけに愛しげな眼差しに、何故そんな表情を浮かべているのか、尋ねようとしたけれど、開いた唇から零れたのは鮮やかな赤色だけだった。

ぽた、ぽたと、顎を伝い落ち、パーカーの白い襟元を汚す。

銀の光が穿つ部分からも染み出して、見る間に天人の全身を紅く染め上げていく。

幾つもの知っている呼び声が、うわんうわんと耳鳴りのように聞こえた。

「何故?と、問いたいのだろう―――天人?」

耳元に囁く、秘めやかな吐息混じりの言葉。

「君の疑問の幾つかは容易に想像がつく、まず一つ、私は護身用に常時この手の道具を仕込んでいる、だがまあ、これは特別製だ、君のために用意したのだよ」

光栄だろうと笑い声が混じる。

「もう一つ、これに関しては実に残念な事だが―――現状、我々は思想を違える立場にある、ならば私に害されるも道理、目覚めの悪い君に荒療治も必要と判断しての行為だ、分かるな?」

痛みに耐える天人を見下ろす、大和の灰色の瞳がすうっと眇められた。

死ぬのか。

たった数日でも、命を預けあい、共に戦った、その彼に殺されるのか?

甘さを今更のように痛感する。

本気で命のやり取りをすると、まさか思っていなかった。

一時的に主義主張の違いで道を別つ事になっても、いずれ分かり合える、手を携えられるだろうと―――しかしそれは、一方通行の思い込みでしかなかったというのだろうか。

(でも)

暗闇に落ちていく世界の奥で、閃く光に気付く。

―――本当に、殺すつもりで刺したのかな。

敵対した大和は、他には目もくれず、天人一人に狙いを定めて襲い掛かってきた。

それは戦法として理解できる。

あまり自覚していないけれど、どうやら現状与している陣営の統括者は自分のようであるから、被害を最小限に抑え、早期決着を狙うのであれば、頭を叩いて一網打尽にするやり方が最も効果的だろう。

峰津院家の秘術を用いて極限まで肉体強化を施し、複数召喚した悪魔を仲間たちにあてがって、単騎戦いを挑んできた大和を、天人も正面から迎え撃った。

対峙して初めて気付いた事がある。

いつの間にか、天人は、強化を施した大和と互角に渡り合えるだけの力を有するに至っていた。

それは驚きであり、同時に慢心を呼び込んだのか、それとも、初めて大和と全力で切り結ぶ快感に足元をすくわれたのか―――理解し合うためと割り切っていたはずが、決着の手前で揺らいでしまった。

刹那、大和の瞳に垣間見たもの、それは嘆きだろうか。

戸惑いが生んだ間隙を突いて、自分よりずっと場数を踏んでいる手練の彼に腹を穿たれ、逆転された。

「素晴らしい、実に素晴らしい」

刺し貫いた天人の体を腕に抱きとめて、大和の声が熱っぽく耳元に囁きかけてくる。

「よくぞ、これだけの力を僅か数日で―――ますます君が欲しくなった」

両足から、腹から、腕から、全ての力が抜け、目が霞む。

易く抱え上げられた身体に、更に剣を突きこまれて、激痛に耐えかねた天人の目じりを涙が伝い落ちた。

辛く、情けなくはあったけれど、何故か怒りや憎しみは沸いてこない。

代わりに(ああ、やはり)という想いが胸を満たしていた。

「苦しいか、天人」

小さく頷き返した耳元で、声は急に意地の悪い気配を孕む。

「君が悪いのだ、天人、これは、罰なのだよ」

「ば、つ?」

「私の心に背き、他へと走った、その罰さ」

「かっ、て、を」

肉を抉られる感覚に一際高い声を上げて、遂に何一つ抗うことの叶わなくなった身体を、横抱きに抱き上げられる。

これほどの非道を行っているというのに、大和から伝わってくる気配は酷く気遣わしげで、壊れ物を扱うかのように慎重に、愛しい相手を抱く甘さすら滲ませている腕の感触を、とても奇妙に思う。

本当に―――本当に、俺を殺す気があるのだろうか。

意識はゆっくり闇に溶け出した。

 

「これは、連れて帰る」

大和の声だけ聞こえる。

「どのような甘言で誑かしたか知らんが、貴様等に天人は相応しくない―――身の程を知れ―――だが、これまでの働きにせめて報いてやろう、どこへなりと行き、好きなように死ぬがいい―――貴様らの生死になど興味は無い、敗者は速やかに盤を降りろ」

では、な、と、呟いた声はどこか楽しげですらあった。

仕方のない奴だと浮かべた苦笑いは、多分誰にも伝わらない。

まったく、無茶ばかりする―――だから放っておけない。

(俺は、お前のために)

その手を払ったんだと、声は届くこと無く、天人の意識も遂に途切れた。

落ち行く最中に大和が呼ぶ声を聞いたような気がしていた。

 

痛みに意識を引き戻される。

呻いて身じろぎすると、目の前に大和がいた。

「気づいたか、死なずにいてくれて安堵した」

微笑まれて、天人もくぐもった声で「刺したのに?」と聞き返す。

「ああ、そうだな」

再度全身を貫く絶望的な痛みに視線を落とすと、剣はまだ腹を穿ったままにされてあった。

柄を握る大和の手袋は深紅に染まり、二人の足元に血溜りが広がっている。

「すごい、ね」

「君の血だ」

「うん、俺、死ぬかも」

「心配要らん」

ディアラハン、と、大和が唱えると、傷が塞がり活力が蘇ってくる。

しかしすぐまた新たな痛みが全身を貫いて、再び開かれた傷口から鮮血が滴り落ちた。

こうして目覚めるまでの間に、何度同じ事を繰り返されていたのだろう。

天人の目尻に滲んだ涙をそっと拭い、泣くなと艶やかな表情が笑いかけてくる。

「君の泣き顔は美しい、が、今は嘆く時ではない」

「泣きたくて、泣いてない」

「だろうな、痛いか?」

「あたりまえ」

咽ながら血の塊を吐き出して、ふらつく天人を大和が腕に抱える。

「さて」

「さて?」

「君に問おう、天人」

見上げた大和越しの風景に、ふと思った。

―――ここはどこなのだろう。

「何故、私から離れた?」

「極端だからだよ」

「極端?」

「そう、なんでも、白か、黒か、みぎか、ひだりか、決め付けるのは、よくない、先天的な力の有無だって、あ、あるだろう?」

「当然だ、だが、故に弱者として生れ落ちてしまったのなら、淘汰されるより他にない、それは世の摂理であろう」

「仕方ないって?」

「そういうことだ、生存には常に上位争いが付き纏う、遍く活かしきる事はできん」

「ほんとうに、そうかな?」

「努力次第では、ある程度補える部分も、まああるだろうがな」

天人が言葉に詰まり、意識を失いそうになるたび、暖かな癒しの力が流れ込んでくる。

そして際限なく続く痛みに理性を奪われ、言葉を飾る余裕すらない。

―――だから大和は剣を抜こうとしないのだろうか。

「ヤマトも、努力した人間は、報われるって、思ってる?」

「無論だ、努力も才能の内だろう、それすら怠る者に救いなど無い、自らを高めようと抗う者こそ、真に人足り得ると私は考えている」

「そうか、そういうことなら、少し分かるな」

しかし、やはり大和に考える機会を与えたかったというのが、天人の真意だった。

大和は生身の人間達の暮らす世間を知らない。

理想だけ掲げて実らせた世界にどれ程の意義があるというのか、おこがましいとは思うけれど、彼の独り善がりに世界を巻き込ませるわけにはいかないと―――あえて対立を選んだ、けれど。

「ヤマト」

「何だ」

「俺は、負けたんだよな?」

ヤマトがふっと笑う。

「そうだよ」

「じゃあ、何で生かす?」

「君を殺す意義が見当たらない」

「意義?」

「そうだ」

赤い手が天人の頬に触れた。

「君は、失うに惜しい逸材だ、我が手元へ引き戻し、存分に才を発揮させたい」

「実力主義を、手伝えってこと?」

「そうではないよ、天人、確かにお前の力は魅力的だが、それだけという話ではない」

額に唇を押し当てられる。

はずみで剣の位置が動いて、呻く天人に大和は回復呪文を唱えると、目の奥を覗きながら微笑んだ。

「君が欲しい、ただそれだけの事さ、才や能だけではない、白羽天人という存在の全てを私が独占したい」

「俺の、全て」

「そう、君という人間を構成する、その何もかも、私だけのものにしたい」

「ははっ」

堪らず笑い声が漏れた。

同時に咽こみ、血を吐いて、それでも天人は笑った。

今、全くまともな精神状態ではない。

何もかも胡乱な最中で、間断なく続く痛みだけが天人に現実を知らしめている。

けれど、それでも、大和の真摯な瞳に答えなければと強く思う。

理由はまだ曖昧で、情に流されているだけかもしれないけれど、本気の言葉なら、本気の想いを返さなければ、そう、何かに胸を突き動かされた。

「天人、あまり笑うな、痛むだろう」

気遣う大和に、それなら剣を抜いてくれと返すと、口付けだけ施される。

「答えろ」

「何を?」

「服従か、死か」

「殺す理由、見当たらないんじゃなかったの?」

「従わぬのであれば致し方あるまい、惜しいが、君を誰かに奪われるより余程マシだ」

「愛されたなあ」

「フッ、今更か?もっと早くに自覚して欲しかったものだな」

「ここはどこ?」

「通天閣の展望室、簡易の結界を施しておいた、強度に欠くが、君と話す暇程度であれば事足りる」

「じゃあ、あまり時間をかけても仕方ないね」

「そうだ、理解が早くて助かる、さあ、答えろ天人」

「うん」

鉛のように重い腕をゆっくりと持ち上げる。

指先を、剣の柄を握っている大和の手に絡ませるように這わせた。

傷口を抉る痛みから意識を逸らすように目を閉じて、背中を預けた大和の胸の中で「分かった」と呟いた。

「俺は、まだ、死にたくない」

大和の手が握り返してくる。

「ヤマトを一人にも出来ない、無茶されても、困るから、でも、ちょっとは考えて欲しい」

「何をだ?」

「実力主義のやり方、力だけが正義じゃないって」

「他に何がある?」

「教えてあげる、だから、考えて、本当の意味で、皆が幸せになれるように」

「全ては救えんと言ったはずだ」

「俺だってそこまでおこがましくないよ、でも、最初から切り捨てるつもりでいたんじゃ、ダイヤの原石が混じっていたとしても、気づかないでしょう?」

しばしの沈黙の後、フッと笑う声が聞こえた。

「確かに」

唇が重なる。

「確かに、その通りだったな」

「だから、考えて」

「努力しよう」

「ありがとう」

再び口付けられた。

「キス、し過ぎだ」

天人は笑いながら目を開けた。

「こんな目に遭わせておいて、何、考えてる」

「君がいけない」

唇を指で押さえられる。

「そんなわけない、ヤマトは我侭だよ」

「結構、理解があって何より、それで?」

「―――好きにして」

大和の双眸に明らかな歓喜が充ちていく。

「ずっと、傍にいるから」

「素晴らしい」

唇から顎、そして、喉を爪の先で一文字になぞられる。

「天人、君の甘美な誓いの言葉、確かに受けたぞ―――フフ、では私からも贈ろう、永久のエンゲージを君に願う」

「何をしたの?」

「君が心変わりして、他へ感けたその時は、君の命を糧に、君自身と君が大切に想う者全ての命を奪う呪いだ、この程度で不貞を許すのだから、私は寛容なパートナーだろう?」

再び剣の柄を握ると、大和は「痛むぞ、歯を食いしばっておけ」とだけ告げて、ゆっくり腕を引いていく。

全身を貫く痛みに天人は身悶え、迸る赤色の中で嗚咽を漏らし、意識を失う寸でのところで大和が呪を唱える声を聞いた。

「―――はぁ」

癒しの力ですぐ傷口は消え去り、見る間に生気を取り戻した天人は、改めて自分の姿を見下ろして小さく吐息を漏らした。

「酷いな、これ、気に入ってたのに」

「すぐにとはいかんが、いずれ必ず同じものを贈ろう、フフ、しかし、血塗れた君も悪くない」

「何言ってるんだ、それに、ずいぶんらしくないことするね」

「何の話だ?」

「さっきの呪い」

大和が僅かに顔を顰める。

「不服か?」

「そうじゃない、意味がないって話だよ、これじゃ、ヤマトまで死ぬことになる」

「ほう、私の元を去ろうとも、心は変わらんと?」

「今がそうだったじゃないか」

「フフ、なるほど―――君の真意が漸く見えてきた、しかしな天人、これにはもっと大きな穴がある、分からんか」

「そういうこと、教えちゃっていいの?」

「構わんさ、フフ、解呪を望むのであればな、とどのつまり私の息の根を止めればよい」

大和の手の中で、天人から引き抜かれたばかりの剣が、まだ生々しい赤色を滴らせている。

「その呪は私に対しての背信行為のみに因って発動する、畢竟、私が死ねば、意義を失い消滅する」

「逃げたければ殺せって?」

「そうだ」

「どうしてそういちいち皮肉屋なんだか」

大和の手から剣を奪い取ると、力一杯遠くへ放り投げてやった。

床にぶつかり、高い金属音と共に転がっていく様子を眺めてから、天人は改めて大和を見つめる。

「―――かなり反感買ったぞ、今から説得しても、間に合わないかもしれない」

「フン、それは君を誑かした、愚か者どもの話か?」

「そうだよ、見捨てるわけには行かない」

「君も大概お人好しだ、言っておくが勝者は私だ、頭など垂れんぞ」

「説得は俺がするからいい」

それより、と、前置いて、天人は続ける。

「実力主義なんだろう?だったら、説得した皆を納得させられるだけの力を示して見せてよ」

「我が理想の正しさを証明しろと?」

「そうだよ、できるだろ?」

大和も天人を見つめ返すと、フッと笑い、伸ばした腕の中に赤い姿を捕らえた。

「当然だ、誰に、何を言っている」

存在を確かめるように力を込めて、吸い込んだ中に鉄錆びた匂いを感じる。

天人の血潮の匂い。

今、ここにいて、確かに触れ合っている、命の匂い。

捕らえて遂に鍵をかけた、二度と手放すものか。

「傍らで見ていろ、お前の伴侶が何者であるか、存分に思い知らせてやろう、天人、私に選ばれた君自身の価値と共に、いやというほど証明してやる」

「うん、楽しみにしてる」

「しかし君も言うようになったものだ、私を魅了した罪は重い、天人、君には厳科を科さねばなるまい」

「たとえば、どんな?」

「そうだな」

腕を離して立ち上がり、天人を引き上げると、再び抱き寄せて思う様唇を貪った。

全てはここから―――腐敗の禍根を断ち切り、共に価値ある世界の創造を実現させよう。

唇が離れてすぐ「これじゃ罰にならない」と天人は笑う。

大和も微笑み返して、改めて、心定めた姿を強く抱きしめた。

鉄錆びた匂いの中で、心躍る何かの気配が、終末に向かう世界に確かな明日の足音を響かせていた。

 

・同じ展開で切り口の(微妙に)違うバージョンはこちらから。