フワリと目が覚めた。

驚くほど軽やかな目覚めだった。

途方も無い夢を見ていたような気がする―――けれど、何一つ思い出せない。

傍らに残る誰かの気配。

体の奥深く刻まれた甘い感傷。

何故だろう、胸が、仄かに痛む。

「局長?」

「何だ」

「如何されましたか?」

「いや」

どうやら転寝していたらしい。

ここは気象庁指定地磁気調査部、通称ジプスの東京支局にある局長室。

生体工学に基づいて作られた椅子に深く腰掛けながら、職務中だろうと自身に呆れる。

そういえば、大きなプロジェクトが控えていたような気もするが、思い当たる予定は何もない。

職務机の向こうでは同機関所属の職員が不思議そうに上官の様子を窺っていた。

軽く溜め息を漏らし、続けろ、と促す。

「それでは、次の報告ですが、各都市における霊的防衛拠点の観測数値です、まず―――」

峰津院大和、17歳。

世間一般の同年代は、殆どが何かしらの教育機関に通うか、社会に出て勤労に励んでいる。

大和は後者で、先代の任を引き継ぐ形で役職を拝命した。

特務機関局長、それが大和の持つ肩書きだ。

うら若きカリスマ、史上最年少の政府高官とマスコミが囃し立てる所為で、野次馬達がいちいち騒がしい。

確かに自分は若い。

しかし物心ついた頃から周囲は大人ばかりだった。

畢竟、早熟も然りだ、今更何をと下世話な世俗に呆れてしまう。

社会に出るまで自らの境遇を特殊と感じたことはなかったが、今は、ふとした瞬間に空しさを覚えることがある。

同じ年頃の者達―――苦労など知らないような顔で笑い、実際負う責任を持たない、そのような姿を多く市井で見かけるたび、自分は一体何をしているのかという想いに囚われることがある。

同じ目線に立ちたいとは思わない、自らの役目に重責を覚えても厭うたことはない。

しかし、一体何のために、誰のためにこの身を呈し、私は何を守っているというのか。

国家守護という、その言葉の真に指し示すものは何だ。

(やはり、些か疲労が溜っているか)

職員の面白くない話は続いている。

こうして自らの才気を尽した結果が、無知蒙昧な愚民共に帰結するのかと思うと、心底辟易させられる。

無駄に長い話を終えて、職員が一礼して退室するのを見遣ると、不意に溜め息が漏れ出ていた。

配下も真実使える者は、ほんの一握りしかない。

この惰性、楽を覚えて骨の髄までふやけきり、退化するばかりの国家と民を、千年前と等しく守護する意義は、果たして今も有効なのだろうか。

大和はゆっくり立ち上がると、防弾処理の施された窓辺へ向かった。

ガラス越しに眺める永田町の空は、澄み切った秋晴れの中、鳥の影が一つ二つ渡っていく。

天下泰平、世は事も無く。

指先でヒヤリとした表面をなぞる。

そのまま目を閉じると、胸に淡い痛みが蘇ってきた。

―――深遠たる海の色にも似た、青。

(この記憶は)

差し出される掌、そして『行こう』と誘う声。

(何だ、これは)

寸の間の午睡の後、世界は様相を変えたように感じる。

根拠の無い感覚を訝しがる思いもあるが、確かに違う、違和感の正体は依然知れないが、違っている。

僅かに浮き足立つような感覚、これは―――期待、だろうか。

(まさか)

フッと見開いた瞳を窓から差し込む光が刺した。

世界は以前より輝いて見える。

何故?

―――分からない。

胸に繰り返し覚える痛みの間に、胡乱な面影がフラッシュバックして混乱を引き起こす。

口元に手をやりながら、再び目を閉じて窓の桟に背を凭れ掛からせた。

(これは誰なんだ)

名前すら思い出せないというのに、狂おしいほど焦がれる。

喪失感が胸を締め付け、まるで、記憶の一部がごっそりと抜け落ちてしまったかのように、酷く居た堪れない。

たまらず首を振り、何もかも気のせいだと割り切り職務に戻ろうとして―――やめた。

こんな状態ではとても仕事にならない。

溜め息と共に壁の時計を見上げると、そのまま扉脇に掛けてあるコートを取りに向かう。

(時間はある)

この後の予定は、数時間後に会議、その後、官僚達と会食、いくらかの暇であれば捻出できそうだ。

誰ともなく気晴らしだと言い訳じみた理由を胸中で呟きながら、携帯電話の直通番号をコールする。

「―――迫です、局長、ご用でしょうか」

「視察に出る、車を出せ」

「今からですか?」

「スケジュールに差障り無い、問題あるか?」

「いえ、失礼いたしました、すぐにご用意いたします」

通話を切ると、やれやれと肩を竦める。

付き合いの長い、最も信を置く配下だけれど、口うるさいのが玉に瑕だ。

今頃不承不承に車の手配をしているだろう様子を思い浮かべる。

そうしてふと、あれは以前からそういう者であったかという疑問が脳裏を掠めた。

(今更、側近の気質は一通り把握している、迫は前からこのようであっただろう)

しかし、何故違和感を覚えるのか。

―――分からない。

分からない事自体に僅かな苛立ちを覚えて、ふと卓上の電子カレンダーに目をやった。

日曜の表示を見た瞬間、何かが脳裏を過ぎったけれど、内容に思いを巡らせる前に手配完了の知らせが届いて、大和はコートの裾を翻しながら部屋を後にした。