気づいたら半臓門線のホームだった。
ボンヤリしてるなよと幼馴染に声を掛けられハッとなる。
ここは、というより、今は、あの事件の直前の場面―――なのか?
(皆忘れてる)
何もかも元の通りの風景。
屈託無い笑顔を見せる、大地と維緒の姿。
ついさっきまで三人で遊びまわっていた、今はその帰り道、半ば強引に維緒を送ると宣言して連れ立って行ってしまった二人と別れて、一人家路を辿りながら思う。
誰も、何も憶えていない、世界は一見して変化したように感じられない。
それなら全ては俺が見た白昼夢だったのだろうか。
(そんなはずは無い)
好みに刻まれた確かな感覚、記憶、気配や声すら覚えている。
仲間たちと世界を救った。
管理者を名乗る無慈悲な神の御手から過去を呼び戻し、望みをこの手で勝ち取った。
命のやり取りをしたこと、人外の存在や謎めいた力を自在に操っていたこと、そして、その最中常に傍らにあった気配も、いまだ生々しく刻まれたままだ。
だが、硬く絆を誓い合った仲間たちの、誰一人として運命に抗えなかった。
―――その訳に、自分なりの仮定を立ててみてはいる。
恐らく、あの世界は管理者への謁見が叶おうが否が、滅びは確定していた。
アカシックレコードにあらかじめ起こりうる全ての事象が次元を超えて記されていたとして、けれど、どの場面を再生するかは管理者の手に委ねられているだろう。
件の滅亡が確定されたシナリオの一遍であるならば、そのものを無くしてしまう事は不可能に違いない。
だから自分たちは、恐らく滅びの未来へ至る分岐点、その手前の過去まで戻り、いくらかの再生を経て真実事が動き出す場面と同じ時間枠へ送り込まれた。
つまり、この世界は厳密に言えば、あの世界のやり直しなどではなく、管理者へ可能性を示すため与えられた新たなステージなのだろう、そう考えればこの記憶の説明も容易につく。
異なる因子の存在が在ればこそ、バタフライエフェクトも可能となる。
自分は別の未来へ分岐するための起点とされた。
ただ一人残された記憶はそのためのもの、世界変革の代償とでも呼ぶべきだろうか。
(俺、リーダーだったんだな)
最期まで自覚は無かったけれど、仲間達が呼ぶとおり、神も自分に足る価値を見出したらしい。
(いい迷惑だ)
遠ざかってしまえば、あの日々の記憶は空しいばかりだ。
今や自分はどこにでもいるありきたりな高校生でしかなく、行ける場所、出来ること、もしかしたら未来の可能性さえ分相応の制限がかかっているかもしれない。
それでも唯一、良かったと思えるのは、身近な友人たちの中に確かな変化が起こっていると、それを知れたことだった。
彼らは誰も戦いの日々を覚えていないけれど、物の考え方や行動など、明らかに強く逞しくなっていた。
その理由を自分だけが知っている、そして、何も知らず当たり前の様な顔をしている彼らを見ていると、誇らしくて、僅かに寂しい。
一人きり、ちぐはぐで何処か噛み合わない気分。
多くの失われた日々や命を想って回帰を願ったけれど、同時に自分は多くを失ったのかもしれない。
ふと立ち止まり、夕暮の空を見上げた。
(―――大和)
一つ年下の、けれど自分よりずっと力強くあった、勇ましい姿を思い浮かべる。
(もう逢えないよな、流石に)
恐らくあの一件が無ければ出逢うべくもない人物だった。
今も政府高官を務めているらしい、しかし以前と違いジプスは表立った組織として存在している。
メディアで見かける彼の姿は大きな変化だけれど、それ以上の事は何も分からない。
まだあの思い出深い施設は国会議事堂の地下深くに存在しているのだろうか、大和は、そこで辣腕を奮っているのだろうか。
他の皆にも会いたいけれど、その中でも誰より逢いたい、そして、確かめたいことがある。
(お前は満足できたのかな)
大和の望みは世界の変革だった。
力ある者が認められ、力の無い者は淘汰される世界、それは、ある意味正しいありようと思えるし、天人も一理あると理解できたけれど、同調はとても出来なかった。
流された多くの涙を取り戻したい―――そのために、彼と真っ向からぶつかり合う道を選び、結果望みを砕いてあまつさえ協力まで仰ぎ手伝わせたけれど、その対価として取り戻した世界に、大和は再び絶望しているのではないだろうか。
もしそうなら、彼は再びこの世界を滅ぼそうと考えるようになるだろう。
願いが届き、結果やはり何も変わっていないと判じた管理者が、再びこの世界に滅びをもたらす事になれば、その時俺は―――
(知りたい、今、大和が何を思っているか)
恐らく何も覚えていまい。
それどころか会う方法すら皆目見当がつかない、政府にアポイントを取る伝手も無ければ、仮に視察に下った大和に呼びかけたとして、恐らくは相手にされず、警護の者に取り押さえられるのがオチだろう。
(それでも会いたい)
会って話をしたい。
素直な想いを晒してしまえば、真実それだけだった、逢いたい、大和に逢いたい、もう一度会って、叶うのであれば訊いてみたい―――まだ、僅かでも、俺を覚えてくれているか、と。
(俺って勝手だよな)
自分の願いを優先させておいて、まだ彼の心を欲しがるなんて。
(本当に、勝手だ)
息苦しくて目を閉じる。
この痛みと同じものを大和も煩っていればいいのに、と、微かに思った。
市井はなんら変わる事なく、大和は僅かに落胆していた。
そしてはたと思い至る。
何を期待していたのだ?
(バカな、くだらん)
けれど否定しきれない想いに、もう何度目か分からない溜め息をそっと吐き出した。
出発前の騒動で迫が同伴を外れたので、大和は一人でバックシートに腰掛けている。
上官を突き飛ばして民間人を気遣うなど、部下にあるまじき行為と憤りもしたが、あれはそのような者であったとすぐに呆れて、さっさと車に乗り込んだ。
世に蔓延る愚者共にいちいち心を裂いていては身が持たないと思う反面、そうした在り様を認める思いもある。
結局、見解の違いなのだろうと、窓の外を流れる景色に瞳を眇めた。
夕暮間近の今頃は、平日であればこの辺りには会社帰りの姿が多く見られるが、今日は休日、オフィス街は寧ろがらんとしている。
かつては市井に人材を求める事もあったが、すぐ失望して見切りをつけた。
誰も彼も凡庸で取るに足らない人物ばかり、配下の者も素養はあっても開花する事自体稀だ。
そして、開花した所で、たかが知れている。
仮初の平穏を享受するばかりで自らを律することすら忘れた現代人に、如何程のスペックがあるだろうかと空しさを慰めても、かえって虚ろな想いが募るばかりだ。
―――ただ、共に有る事を望み、望まれる誰かを得たいだけだというのに。
視界の端に捉えた風景に気が惹かれて、気まぐれに運転手に停車を命じた。
「少し歩く」
ビルの合間に覗く、そこそこ規模のある公園。
会社員達の昼食や軽い運動といった利用目的のため設えられた、遊具など何もないタイル張りの広場だ。
明らかに人工の植樹が等間隔で周囲に並び、小奇麗に整えられている。
子供が遊ぶにはそっけなくて、影になる場所も多くはないから恋人同士の睦み合いにも向かないのだろう、辺りはがらんとして、人の姿は見えなかった。
気晴らしには丁度いいとゆっくり敷地内へ歩を進めていく。
空に渡る鳥の影が一つ二つ、飛ぶ翼の白に、見上げた瞳を眇めた。
ふと脳裏を何かが過ぎる。
白、青、フワリとそよぐ様、それに―――白い羽根。
「しら、は?」
足が止まる。
ジワリと滲むように痛む胸の奥で、また、何故だという想いが沸き起こり、大和を混乱させる。
茜色に染まった空の果てで輝く西日が視界を焼き、手を翳すようにして、地に落ちた影の様な黒いコートの姿は再びゆっくりと歩き出した。