「峰津院―――大和か?」
問われて大和は「そうだが」と答える。
逆行であまりよく見えないが、どうやら男性のようだ。
中肉中背、ただ、異様な気配を感じて、僅かに身構える。
「貴様は何だ」
男は引き攣るように笑った。
ひとしきり肩を揺らしてから、今日はついてる、と、低く呟いた。
「議事堂からお前の車が出てきてさ、どっか走ってくから、気になったんだ、つけてきて正解だったな、まさか、警護もナシで散歩だなんて、やっぱり自信のあるヤツは違うよな」
大和は男の様子を窺っている。
迂闊だったことは否めないが、目的が分からない以上、安易に判断は出来ない。
男はまた笑い、そう警戒するなよ、と、からかうような口調で肩を竦めた。
「アンタにさ、話があるんだ、若くして政治の中枢にいる、アンタに」
大和も口の端に笑みを滲ませてフッと笑い返す。
「私は話など無いが」
「俺があるって、言ってんだろ」
男の声が僅かに怒気を帯びた。
安直で短絡的、こちらの思いつきの動向を把握する程度に粘着気質だが、先ほどの言葉を額面どおりに受け取るなら、計画的ではない。
ただ、まだ単独犯と判断するのは尚早だと、正面の男に意識を集中させながら、周囲の気配も抜かりなく探り続ける。
「アンタ凄いよなあ」
風がザワザワ鳴っていた。
「十七歳で政府の偉いさんなんだろ?日本を守ってるんだ、マジでスゲーよ、アンタみたいなヤツを天才とか特別とか言うんだよな、色んなヤツラにちやほやされて、しょっちゅうマスコミで取り上げられてさ、スゲェよ、マジでスゲエ、どうせ、金なんて腐るほど持ってるし、美味いもん食って、女なんか抱き放題なんだろ?」
下衆な言葉に反吐を吐きたくなる。
所詮民衆の認識などその程度のものだと、分かっていてもやはり苛立ちを押さえきれない。
確かに現在国家を動かしている施政者の殆どは、自らの利権と富にしか興味の無い愚物ばかりだ。
しかし自分はそうではない。
事を成すため、意志を貫くため、必要だから権力を得て、財を築く。
本来富も名声もそのようにあるべきただの『道具』だ。
大和は、少なくとも自ら意識している範疇で、個人的な楽のため、悦のために、富や地位を望んだことなど一度もない。
所詮『道具』でしかない紙切れや形を成さない不特定多数の認識に固執する性分こそ愚かの極み。
溜め息代わりに瞳を眇める。
男はゆっくりと懐に手を差し込んだ。
「アンタみたいのがいるからさ、俺みたいにうだつの上がらないヤツに、妙なレッテルが貼られるんだよ」
その手が再び引き抜かれていく。
「うら若き実力者?日本の未来を担う希望?はは、ご大層な肩書きだよな、全く」
西日を反射した鋭いきらめきが大和の目を刺した。
「けど、国の建築事業に入札できなくて、俺は首を切られた、アンタのせいだ」
いよいよ燃え立つような世界の中で、黒い影法師が放り出した片手の先に銀色の刃が輝いていた。
恐らくは刃渡り十五センチほどの文化包丁。
やはりそういう展開かと呆れを通り越し寧ろ嘆かわしくすら思う。
愚劣極まりない思想と行動、しかしこちらの動向を追い続けた粘着だけは認めてやろう。
他人に割く暇があるのなら、新たに職を探すなり、身の振り方を考えた方が余程建設的だというのに、その程度の判断すらつけられない。
民は、そして、国は、やはり腐りきっている。
今更何を期待しろというのだ。
軌跡すら起こりそうもない世界で、何故、この場所を訪れた。
(別の気晴らしを考えるべきだったな)
冷たい風が頬を撫でていく。
園外から伝わる街の喧騒が俄かに遠くなったように感じられた。
つま先から伸びる長い影が、男の足元まで届きそうに見える。
「何でも防衛施設だそうじゃないか、ってことは、お前の管轄だよなあ?親会社の損失が、まわりまわって子会社の、末端の俺のところにきやがった、散々だぜ、俺よりずっと若いヤツが甘い汁啜って、俺みたいのは底辺で這いずり回るしか出来ないなんて、世の中おかしいと思わないか、オイ」
「確かに、おかしいな」
「何分かったような口利いてんだ、テメエ」
閉塞感に息が詰まりそうだ。
自分はただ、命を賭して守るべき存在を、全身全霊をかけられる何かを、求めているだけだというのに。
(何故、こうも愚か者ばかりなのだ)
そういえば以前、何かを熱望して、誰かに歓喜した覚えがある。
以前、だったろうか。
比較的最近の出来事ではなかったか。
(まさか)
不意に呼ぶ声がした。
甘い響き、力強い声で「ヤマト」と呼ぶ、懐かしい声。
その手を取り、何かを願った、彼の創る未来と、この世界に希望を抱いた。
彼?―――あれは誰だ、私は、あの時何を願ったのか。
「うざいんだよ」
男は文化包丁を構えながら薄笑いを浮かべている。
「アンタを刺せばさ、俺もちょっとは、マスコミに騒がれるようになるんじゃねえの?」
それが望みなら、もはや救いようがない。
「死ねよ、当然だろ、お前みたいなの、この世にいちゃいけないんだよ」
男の言葉は真理かもしれない。
自分が世界を受け入れられないのは、世界が峰津院大和という存在を拒んでいるからなのか。
(だが)
こんな愚物に刺殺されて下りる幕など御免だ。
身構えた大和に、別の方向から声が叫んだ。
「ヤマト!」
覚えている―――確かに聞こえた、鋭く、雷にも似た衝撃と共に振り返る。
同時に大和の瞳は、卑怯にも死角から襲いかかろうとしていたもう一人の姿を捉えていた。