バレンタイン・デー【St,Valentine’s day】
2月14日、聖バレンタインの記念日。
この日に愛する人に(特に女性から男性に)贈り物をする。わが国では1958年頃より流行。
―広辞苑より一部抜粋
この国には呪わしい習慣があると思う。
老いも若きも男も女も、気にする人はトコトン気になり、そうでない人は内容すらおぼろげな、祭り好きな国民性が暴走する一大イベント、聖バレンタイン・デイ
(この季節は食品取り扱ってる店に入るのホント苦痛だよなー)
途中で立ち寄ったコンビニエンスストアの自動ドアを抜けて、北風に吹かれながら篤郎は小さく溜息を漏らした。
入り口を抜けるとすぐピンクや赤のハートで彩られたコーナーがいやでも視界に飛び込んでくる。
この世に生を受けて16年、本命のチョコなど頂いた事はなく、ギリでも貰えればまだまし、最悪母親からのエアメールのみという年もあった、幼心に随分傷ついたものだ。
(バレンタインねえ)
チョコレートは好きだ、甘すぎなければ結構おいしいと思う。
ブドウ糖は脳を活性化してくれるから、作業の供につまんだりする事もある。
(けど、この時期のチョコはホント勘弁して欲しい、いや、貰えるのはヤッパ嬉しいんだけどさ)
小さく嘆息しながらブラブラ足を運んでいたら、「アツロウ」と呼びかける声がして振り向いた。
「レン?」
自転車に跨った姿が、篤郎の傍で止まった。
「こんな所で、どうしたの」
「いや、ガッコにUSBメモリー忘れてきちゃってさ」
今日、学校は休みだ。
コートにマフラー姿の和哉はフーンと鼻を鳴らす。
「レンは?」
「おつかい」
そう言って促された視線の先を見て、篤郎もなるほどと呟いた。
前籠には自分もよく利用する電子部品の販売店名が刷り込まれた紙袋が入っている。
よく見えないが、中身はどうも和哉が自分で使いそうもない商品のようだ。
「ナオヤさん、帰ってきてんの?」
連想ゲーム式に尋ねると、和哉は「うん」と頷いた。
「そっかぁ、俺も時間あったら遊びに行かせてもらうんだけどなー」
「無理だよ、ナオヤ、全然忙しそうだし、構ってくれないよ」
「まあ、お前パシらせてるくらいだもんな」
「コレはただの横暴と物臭!」
紙袋をパシンと叩いて、和哉は眉間を寄せる。
あからさまに不愉快な表情だ。
「前はそうでもなかったのに、一人暮らし始めてから酷いんだ、実家戻ってくるとイチイチ俺をこき使う、普段全部自分でやってるから面倒なんだって、兄孝行って何だよ、ったく!」
「にっしっし、それが弟の宿命ってヤツなんじゃないの?」
「ナオヤは従兄だよ」
ご愁傷様と和哉の肩をポンポン叩きながら、篤郎はふと考えていた。
(そういえば)
コイツ、バレンタインどうなんだろうか?
―――直後に一人の少女が脳裏に浮かび上がってくる。
(くそー)
和哉が自転車を降りた。
「アツロウ」
「ん?」
「ちょっと時間、ある?」
あるけど。
和哉から誘われる事は少ない、思わずドキリとしながら篤郎は頷き返す。
「じゃ、コレ、ちょっと見てて」
「えッ、レン?」
待ってろと言い捨てて、今自分が出てきたコンビニめがけて駆け出して行く姿を見送った。
押し付けられた自転車のハンドルを持って、篤郎はポカンと立ち尽くしてしまう。
二月はまだ寒い。
突風が髪をまぜっかえして吹き抜けていく。
(さびい!何なんだよレンッ)
和哉は、ほんの数分でコンビニエンスストアから戻ってきた。
片手に小さな袋を提げている。
「何?」
問いかけると、ビニール袋を目の位置まで持ち上げて、無邪気にニコリと笑い返された。
「ちょっと付き合ってよ、肉まん奢るからさ」
先ほどの場所から、少し離れた小さな公園の一角。
「はー、あったけぇー」
ベンチに腰掛け、アツアツの肉まんにかぶりつく。
隣で和哉は包みの中で千切った一片をぱくんと口に放り込んだ。
行儀の良さは従兄の教育の賜物らしい。
時折柔らかな黒髪が風に乱されるのを鬱陶しそうに避けている。
「けど、いいのか?」
「いいのいいの」
口の中の肉まんを飲み込んでから和哉は口を開く。
「どうせ急ぎじゃないんだろうし、ナオヤなんて待たせておけばいいんだよ」
「お前、ナオヤさんが何してるか知ってんのか?」
「知らない、お前みたいにそっち方面強くないからな」
知らないのに急ぎじゃないとか言っちゃうのか。
相変わらずの横暴ぶり、けれどそういうトコも可愛いんだよなーと、和哉の横顔をしみじみ見詰めた。
篤郎は同性愛の趣味があるわけでも、性同一性障害を患っているわけでも無い。
―――にも拘らず、この、隣に腰掛けている友人と、去年の夏友人以上の関係を結んでしまった。
自分でもトチ狂ったかと思った、本当にどうかしている、電磁波の影響とか?―――馬鹿らしい。
(でもコイツ、妙に色気があるっていうか)
和哉はどちらかといえば女顔の美少年だ。
睫は長いし、二重だし、色が白くてつるつるしてるし、髪はつやつやサラサラ、その上声のトーンも柔らかい。
だから当然女子にモテる、男の中にも密かに数人変な目で見ている奴等を知っている。
そんな和哉と入学式に知り合って、一気に距離が近づき、盛り上がりのピークを迎えた昨年残暑。
以来、コッソリ肌を重ねたり、デートのように出かけたりして、幸せなお付き合いをさせて頂いている。
和哉は時々ワガママだったり気まぐれな所もあるけれど、概ね優しく暢気な性分だ。
(それと極端に世間知らず、って、コレはナオヤさんのせいらしいけど)
以前どうしてそんな事をするのかとコッソリ尋ねてみた事があった。
従兄は悪びれもせず趣味なのだと答えて笑った。
その従兄に至っては並大抵の容姿では太刀打ちできないレベルの美形で、なのに蓮見兄弟には何故恋人がいないのかと、専ら近所では都市伝説のように尾ひれつきで語られているらしい。
篤郎も、二人の中睦まじさに、時折嫉妬めいた感情を覚えてしまう。
けれど恐らく彼らの間は兄弟以上の何があるわけでもなく、その証拠に、和哉は篤郎と付き合っている。
だから知られていないだけで、少なくとも蓮見弟には恋人がいないわけではない。
「ナオヤはさ、ふざけすぎなんだよ、いつも」
「また何かあったのか?」
「俺の知らない真実が明らかにされた」
ああ。
仕込まれていた嘘が露呈したらしい。
直哉は和哉が真実を知ってショックを受けたり恥ずかしがったりする様子を見るのが好きなのだそうだ。
(あの人も大概性格悪いからなぁ)
反面、自分にとっては幾ら崇めても足りないくらいの大師匠なので、とりあえず口には出さないでおく。
今度はどうした、と、慰め半分、苦笑い半分で尋ねた篤郎に、和哉は憤慨した表情を向けた。
「アツロウはバレンタインって知ってるよな」
「当然、それが?」
「その日は、弟から兄に感謝の意を込めて手作りの品を贈る日じゃなかったんだよな?」
―――ナオヤさん、何て事を。
思わず気の抜けた笑顔が浮かんでしまった。
それは、お前今まで気付かなかったのか、とか、ナオヤさん無茶通り越して無茶苦茶だ、など、色々だ。
軽く脱力感を覚えつつ、篤郎はそうだよと和哉に返す。
「てかお前、女の人からチョコレートとか、貰った事無いのかよ」
「母さんとユズは毎年くれてたけど」
なら何故その時気付かない?
(―――てかやっぱり確実に1個はゲットしてたわけか)
谷川柚子は和哉の小学校来の幼馴染で、和哉を想っている節がある、というか、100%そうだ。
何で気付かないんだろうと呆れるほど露骨な愛情表現をされているのに、和哉は柚子を腐れ縁程度にしか見ていないらしい。
小中学までならともかく、高校進学して無自覚なんてちょっとありえないだろう。
けれど二人がくっついてしまえば当然自分の立場はなくなるわけで、色々と思う所は複雑極まりない。
(まあ、男の恋人関係なんて、長く続くはずないけどさぁ)
でも、今は嫌だ。
当分は俺を一番にしておいて欲しい。
(それでもナオヤさんの壁だけはどうやっても超えらんないんだよなぁ)
思考が脇道に逸れかけて、違う違うと内心首を振った。
「お前さ、もしナオヤさんの言うことが本当だったとして、その辺りはどう捉えてたわけ?」
和哉の唇から溜息が漏れる。
「女から男に贈り物する日だってのは知ってたよ、でも、それとは別に、弟から兄に贈り物をするんだって聞かされてた」
ああ、なるほど。
ナオヤさん流石だなと妙なところに納得する。
これなら破綻を招かず、目的を果たす事が可能だろう。
なあ、と和哉が肩を竦めて篤郎を若干上目遣いに覗き込んできた。
「な、何?」
篤郎はこの視線にとても弱い。
それに今の仕草は反則だ、やたら可愛らしいじゃないか。
「アツロウは毎年チョコレート幾つくらい貰ってるんだ?」
(うぐ)
それを訊きますか?―――はぁ。
苦笑いで「俺は殆ど母さんからだけ」と答える。
本命を貰った事がないとか、義理すら貰えなかったりするだなんて、まさか言えない。
(コイツは毎年本命チョコしか貰ってないんだもんな、畜生)
そっかと呟いて、和哉はちぎった肉まんを口に入れた。
「ま、俺みたいのはあんまり関係ない行事なワケよ」
「そうなのか」
「てか、レンはおばさんとソデコ以外から貰ってねぇの?」
「いや、あるにはあるけど、机とか下駄箱に入ってたヤツなんかは不潔だからって後で柚子に全部捨てられるし、そもそも知らない奴からの貰い物食うなってナオヤに釘さされてるから」
「へー」
まさに「へー」だ。
そうやって和哉は世間を知らずに過ごしてきたのだろう。
(こいつの知り合いだったらソデコとも知り合いだろうし、だったらソデコの手前やっぱ手渡しって厳しいよなぁ、知ってる奴からの分も結局届かないのか)
相棒のバレンタイン事情が何となく分って、羨ましいような、憐れに思うような、微妙な気分で篤郎は冷めかけた肉まんを噛む。
「じゃあ、ナオヤさんはどうなの?」
「ナオヤ?」
「バレンタイン、チョコとかスゲー貰ってんじゃないの?」
ああ、何だと呟いて、和哉は笑った。
「うん、でも有名どころ以外は全部捨ててるみたいだよ」
「うええ、マジか」
「酷いよな、手作りは完全無視、ブランド物で気にいったヤツだけ使うけど基本使い捨てだし、食い物は全部家族に押し付けてくるんだ、まあでもおかげで俺と母さんは毎年良い思いさせてもらってるんだけどね」
でもやっぱり女の人に申し訳ないよなーとぼやく和哉に、篤郎は「お前からは何あげてたの?」とうっかり口を滑らせてしまった。
途端暗い表情に変わった和哉を見て、しまったと後悔する。
「―――俺からは、毎年、手作りのチョコレート」
「へ、へえ、そーなん?」
「ナオヤから教えられてさ、小さい頃は一緒に作ってまでいたんだ」
「へえー」
親はきっと女子に渡すチョコレートを作っているのだろうと勘違いしていたに違いない。
ラッピングまで拘ってさ、とか、呟く和哉がいっそ憐れだ。
「畜生、去年までの俺の労力と小遣いを返せってんだよ」
「け、けど、和哉の手作りなら、俺も食べてみたいなあ!」
直後に篤郎は耳まで赤くなって勢い良く他所を向いた。
(うっ、何、口走ってんだぁッ)
今日は墓場がボコボコになりそうなくらい墓穴を掘りまくっている。
しかし、本音は毎年和哉から手作りのチョコレートを貰っていたなんて、直哉さん恨めしい、ではなく、羨まし過ぎる。
(しかも手作りとか、ラッピングとかって)
なんだそれッ、どーなんだよとジタバタして、畜生そんな話じゃねえんだよ、と更に突っ込みを入れ倒す。
悶絶する様子を肉まんを齧りながら和哉が眺めていた。
そのうち食べ終えて、包み紙を丸めてビニール袋に突っ込みながら、作ろうか、と尋ねる声が篤郎の耳に届いた。
「は?」
「作ろうか、今年は、お前にも」
え?
俺ならいいよ、と呟きながら、和哉はゴミの入ったビニール袋を差し出してきた。
ボケッとしたまま篤郎は受け取って、そしてようやく「ええッ」と声が出た。
「え、ま、マジで?」
「うん」
「いいの?」
「うん」
立ち上がった和哉がニコリと微笑む。
「一応、付き合ってるからな、作ってやらないこともない」
「っつ」
即座に息を呑んで、いよいよ茹でたタコのようになった篤郎はそのまま硬直してしまう。
和哉は面白そうに笑っている。
「ムカつくけどナオヤにも作る予定だし、いいよ、お前の一個増えたって別に困らないから、当日期待して待ってろ、それと」
(結局ナオヤさんにも作るのか)
てか俺はついでかと若干冷めた篤郎に、和哉は茶目っ気たっぷりのウィンクを投げて寄越すとそのまま自転車のハンドルに手をかけた。
「基本40倍返しだからな、覚悟しておくように」
(よ、40?!)
「じゃ、食べ終わったらソレ纏めて捨てといて」
「は、え?」
「そろそろ帰る、寒いし、これ以上待たせたらお仕置きされそうだから」
「ちょ、お、おい、レンッ」
「またな、アツロウ」
サドルに跨り、止める間もなく風のように走り去ってしまった。
遠ざかる後姿を見送りながら唖然とする篤郎の、手の中で肉まんはすっかり冷え切ってしまっていた。
和哉のお色気は従兄に物心ついた頃から色々仕込まれた賜物です。