Light Prayer1ST DAY

 

 暗くて深い海の底に居るような感覚。

―――これは、覚えがある。

突然世界は奪われ、混乱と悲しみの中、彷徨っていた頭上から差し込んだ光。

導かれながら酷く名残惜しかった。

―――あの人から離れてしまうことが寂しい。

どうして?

赤い水の底から手を伸ばした、何度も、何度も、繰り返し伸ばし続けた。

金の焔、笑う姿、けれど指先は届かなくて―――唯一つ残された、これは、決して断つ事の出来ない―――

 

おかえり、と、懐かしい声に「ただいま」と和哉は笑顔で答えた。

 

 

「ん―――」

不快な感触で目を覚ます。

べたつく肌を時折撫でる風が心地良い。

サワサワと樹木の触れ合う音がして、それ以上にローターの爆音と拡声器の声が辺りに響き渡っていた。

固い感触に背凭れたままぼんやりしていたら、おはようレン、と聞えて、顔を上げた。

「少しは眠れた?」

逆光で見下ろす柚子が苦笑いの様な表情を浮かべている。

和哉は僅かに混乱して、それから、ああ、と思い至っていた。

昨日は大変な一日だった。

そして、それはまだ継続中―――なのだろう、異様な雰囲気は少しも解消されていない。

パタパタと駆けてくる足音を聞いて、振り返ると篤郎も和哉に気付いた様子だった。

「ああ、レン、おはよ」

「おはよう、アツロウ」

顔を上げて柚子にも改めておはようと告げる。

柚子は少し頬を染めて、ニコリと微笑みながらうんと頷き返してきた。

「今、ちょっと見てきたんだけどさ」

二人の傍に立って、篤郎は話し始めた。

「ここを中心に、大体五メートルくらい、ぐるっと変な形の足跡だらけだ」

柚子が僅かに身じろぎをする。

「あの子の言った通りだった、昨日も何度か悪魔っぽい影が近くを通ってたけどさ、こっちには気付かなかったみたいだ」

「結界、だよね」

「うん、私も見たよ―――も、もう明るくなったから、動いてもいいんだよね?」

振り返り、窺うような視線の柚子に、和哉は頷き返した。

途端ホッとした表情でしゃがみ込んで、よかったと言いながら溜息を漏らす、その様子は彼女の昨夜の心理状態を如実に表しているようだった。

「まあ、墓場で寝るなんて、二度としたく無い体験だよな」

笑っている篤郎も恐らく色々なものを懸命に堪えているのだろう。

自身の内に淀む不安を自覚しながら、和哉もほんの少し笑顔を浮かべて見せる。

辺りを見回して、まだ停電は継続中なんだろうな、と、状況整理する篤郎の話を聞きながら、寝覚めて間も無い思考をぼんやりと巡らせていた。

COMP、悪魔、死体―――分からない事だらけだ。

あれは全部夢だったのではないかと思うけれど、少し離れた石畳に広がる黒い滲みは消えていない。

ただ、死体だけ何故か消えている。

翔門会が片付けたのかもしれないし、もっと嫌な事が起こったのかもしれない。

気にしないでおこうと和哉は視線を背けた。

それより今は、自分たちの事だ。

(直哉は)

今頃、どうしているのだろうか。

「うわっ」

大仰に驚く声と殆ど同時に電子音が響き渡る。

ヘリコプターは他の地域へ飛び去ってしまったようだ。

今は夏の朝のすがすがしい気配だけが辺りに満ちている。

COMPに着信?誰からだ?」

「と、とにかく読んでみようよ」

あからさまに怪訝な様子の二人を見てから、和哉も自身のCOMPを開いた。

昨日直哉から預かったCOMP、改造が加えられていて、悪魔を呼び出せる特殊な機体。

開いたら悪魔が飛び出してくるのではという懸念が一瞬脳裏を過ぎったが、起動させたCOMPはデスクトップ画面にメールの着信を知らせるアイコンが表示されているだけだった。

メール画面を呼び出し、発信元を確認して、和哉の眉間に皺が寄る。

着信したメールは二通。

一通は、ラプラスメールとかいう、昨日の不気味なメールと同様の見出し。

そしてもう一通は―――

(直哉)

不安と期待がない混ぜになったような気持ちで文面を呼び出すと、綴られた文字を目で追い、そして、一同は暫し沈黙した。

「よ、余命表示?」

何だよそれ、他人の死ぬ日が見えるって事かと、篤郎が青ざめた様子で声を震わせる。

ゆっくり顔を上げた柚子が、怯えた視線を和哉に向けた。

「そういえばレン、前に私たちの頭の上に、数字が見えるって言ってたよね」

―――そうだ。

今も見えている。

昨日、渋谷の電気博物館前で悪魔との戦いに勝利した時から道行く人々や自分達の頭上に表示された謎の数字。

仕組みも意味も判らないのでとりあえず放置しておいたが、昨日と数字が変化していた。

(これが、まさか)

掌が汗ばんでくる。

悪い冗談だと思いたい。

「ねえ、レン?」

「―――言ったよ」

途端ユズの瞳孔が開き、つかみかかるような勢いで身を乗り出してきた。

「何日?ねえ!私の数字、何日なの!?」

「―――ゼロ、だろ?」

和哉は篤郎を見上げた。

「前にさ、オマエ、オレたちの数字が1だって言ってたよな?あれって昨日の話だ、つまり、今のオレたちの数値はゼロ、なんだろ?」

淡々と喋る口調と裏腹に、全身から否定を願う気配が滲み出している。

思わず目を逸らした和哉に、言えないんだな、と、篤郎が力なく呟いて笑った。

「は、はは、参ったぜ―――オレ、今日死ぬのかよ」

「―――もういい」

傍で項垂れていた柚子の声が小さく聞えた。

「もういいよ!そんな話、したくもないよ!」

顔を上げて絶叫する。

呼気は荒くなり、瞳孔が開いている。

和哉は柚子を痛ましい想いで見つめてから、掌の汗をそっとズボンで拭った。

「それより早く帰ろ?こんなのどうせウソだよ!早く家に帰ろっ―――」

「電車は止まっているはずだよ」

思わず口にしていた。

振り返った柚子が絶望的な眼差しを和哉に向けてくる。

「な、何言ってんのよ!」

「落ち着けよ、ソデコ」

篤郎の声にも緊張があるけれど、それを悟られないよう隠している気配が感じられる。

「もう一通のメールを確認したんだ、書いてあっただろ?駅施設の全てが封鎖、ってな、あれが本当なら駅は使えないはずだ」

「うっ―――でも、でも!行ってみなきゃ分かんないでしょ!今度は外れるかもしれないじゃない!」

必死の様子に胸が痛くなる。

自分だって無論怖い、けれど。

「駅へ行ってみよう」

和哉は篤郎を見上げた。

「何がどうなってるのか詳しく知りたい、それに、このメールが事実だっていう証拠が無い」

いつまでもこんな場所で水掛け論を交わしていても、それこそ無意味だろう。

今だって不安も恐怖も無くなりはしないけれど、それ以上に頭の一部がやけに覚めているような、おかしな感覚を覚えている―――これは、興奮、だろうか?

「そうか」

呟いた篤郎から片手を差し出された。

「そうだな、こんなところで腐ってても仕方ない」

その手を取って和哉は立ち上がる。

「駅まで行ってみようぜ!」

「ああ」

「神様っ、どうか渋谷駅が無事でありますように!」

胸の辺りで両手を組み合わせて祈るように呟いた柚子を見てから、再び篤郎を振り返った。

視線だけで頷き合って、歩き出した和哉の後から二人が続き、一路渋谷駅を目指した。