渋谷駅で改めて、不安と恐怖と、そして、不信を覚えた。

何か大変な事が起こっている、それだけは、現状に巻き込まれた全ての人が察しているようだった。

(でもそんな生易しいものなのかな)

目の前に張り巡らされたバリケード。

山手沿線内部全域強制封鎖。

上空を幾つもの軍用ヘリが飛び交い、フェンスの向こうには物々しい雰囲気の自衛隊員と特殊車両が待機している。

どうにか出してもらえないかと交渉する人、詳しい状況説明を求めている人、ただ困り果てている人、今後の予定について悩んでいる人、様々な動きの中で、誰より不安気な表情を浮かべている篤郎と柚子の様子を窺いながら、和哉は考えていた。

封鎖から出られない。

それは、如いては直哉のメールにあったとおり、頭上の余命が示す運命を辿るという事だ。

(冗談じゃない)

何かしら酷く心残りな事がある訳でも無いが、まだ死ねない、死にたくない。

生命の基本原理みたいなものだと思う、死は、怖い。

和哉は篤郎たちに、余命を変えてしまおう、と言った。

機械ごときに算出されたまま踊ってみせるなんて馬鹿らしい、やれる限りの全てを試して、最後まで悪足掻きしてやろうじゃないか。

明確な方法も、確約すらないハッタリの言葉に、けれど二人は賛同して、和哉と共に行くと言ってくれた。

否定はされないまでも悲観的な言葉で反発されるかと思っていたから、内心酷く驚かされた。

死にたくない。

それは昨日電気博物館前で戦った時も思った事だ。

これまでそれほど意識したことのない自分の命が急に惜しくなった、心底行きたいと切望していた。

(二人も同じ様に感じていたんだろうな)

まず、封鎖の穴を探そうということになり、山の手沿線の駅を一通り見て回って、本当に全ての駅が閉鎖されているのか確認するために和哉達は行動を開始したのだった。

 

あちこち、異様な形にへし折られた標識、フェンス、深々とえぐられたコンクリートなどを見るたび、正直生きた心地がしない。

(悪魔の事が知れ渡るのも時間の問題かもしれない)

もし封鎖が続けば、だが。

渋谷、恵比寿、六本木とまわって、ここ新宿にたどり着いたのはそろそろ正午を回る頃合。

どの駅も全て周辺一帯から自衛隊に押さえられていた。

照りつける太陽が暑い。

日陰に隠れて小休止を取っていた、篤郎が深々と溜息を漏らした。

「あー、ちきしょう、何で真夏のこの時期に外歩き回らなきゃなんねえんだよ、暑ィ!」

「私もぉ」

朝の内にコンビニエンスストアで買い求めておいた水を飲みながら、柚子もくたびれた声を上げる。

「電気回復してないから、涼しい場所なんて日陰くらいだし、エアコンが恋しいよう」

「アスファルトの照り返しが地味に辛いよな、あんまり風も吹かないし、交通機関完全麻痺って足にダメージ半端ない」

「かなりくるよね、ふくらはぎがパンパン」

「大丈夫?」

和哉が近付こうとした途端、柚子はヒャッと変な声を出して飛び退いた。

「だだだ、ダメ、レンは今私に近付いちゃダメ!」

「何で」

「何でも!いい?ぜーったいに、近くに来ちゃ、ダメだからねっ」

ポカンと様子を見ていた篤郎が、急にニヤニヤしながら柚子を振り返る。

「ソーデコちゃんっ」

「な、何よ」

「まあまあ、不可抗力だし、そんな気にするほどでもないと思うぜ?」

「ぎゃっ、ぎゃー!このヘンタイ、バカアツロウ!何言ってんのよっ」

「へ、ヘンタイって」

噛付かれて急にしょぼんとした様子に構わず、柚子は更に篤郎を言い詰る。

「アンタがどう思おうと関係無いの、レンがっ」

そして和哉を見る。

「う、いやぁっ」

途端顔を赤くして少し離れた日陰に逃げていった柚子の一連の言動がよく分からなくて、ひたすら困惑している和哉に苦笑いの篤郎が小声で囁きかけてきた。

「汗臭いと思われたくないんだろ、女の子だしさ」

「ああ」

それを言うなら俺もじゃないかと、袖の辺りをくんくん嗅いで、思わず溜息を吐いてしまった。

昨日正午からの強行軍だ、案の定、汗と埃の混じった犬の様な臭いがしている。

俺も大分臭いよと困り顔の篤郎に、風呂入りたいよなと呟いた。

「そうだなぁ、とりあえず、こっから逃げられたら、一緒に銭湯でも行くか」

「渋いなアツロウ」

「たまに行くと面白いんだぜ、広いし、時間帯によっては他に誰もいねーからさ、泳げるんだ」

「泳いじゃダメだろ」

「なはは」

いつの間にか柚子が傍に戻ってきていた。

こちらを気にするようにチラチラ見ているので、どこかでタオルでも貰おう、と声をかける。

「そうしたら、水道あったら濡らして体拭けるだろ?」

「そっ、そうだよね、うん、そうしよう!」

「ったくよお、ソデコはよ」

「何よ、当然でしょっ」

「はいはい」

あの人はどうかな、と、和哉は二人に問いかけた。

「あの人?」

「確かジンさんだっけ?」

「ああ」

篤郎が納得したように声を上げる。

「店やってるとか言ってたじゃないか、ユズの知り合いらしいし、何枚か分けてくれるんじゃないか?こんな状況だしさ」

「そっか、お願いしてみようかな」

「何かあったら連絡してくれって言ってたもんな、好意に甘えさせてもらうか」

「うんうん」

頷いて、そして柚子は不意にまたポッと頬を赤く染めていた。

「ね、そういえばさ、レン?」

「ん?」

「あの」

言いかけて、やっぱりいいと視線を他所に向けてしまう。

黙り込んだ柚子に困惑して篤郎を見ると、やれやれ、といった表情だけ返された。

「んなことより、レン」

「うん」

「ハルさんの事」

うん、と和哉は返す。

封鎖の中で新たに知り合った人々。

渋谷センター街を拠点に活動しているというチームのリーダー、二階堂。

表参道でバー経営をしている神谷。

現在休止中のインディーズバンド『D-VA』のボーカル春沢。

そして篤郎の中学校時代の友人、高城。

二階堂とは渋谷から移動する際知り合った。

カイドーと呼ばれる彼は強面の外見にそぐわず親切で、話の出来る男だった。

実際面倒見がいい事で有名らしい。

同じく封鎖から出る方法を探しているという彼に、ついでに直哉の捜索も頼んでおいた。

探しものは人手が多いに越したことはないだろう。

神谷は、ジンと呼ばれている。

D-VAファンの兄貴的存在で、柚子とも面識があるらしい。

そのよしみで困った時は声をかけてくれと気遣ってくれた親切な男性だ。

六本木の路上でライブを行っていた春沢、通称ハル。

封鎖のストレスを少しでも解消すべく自発的に歌っていたらしいが、和哉にはもう少し違う様子に見えていた。

何と言えばいいのだろうか、彼女は、どうも少し自分に似ているような気がしてならない。

―――ハルの余命は、和哉達と同じ数値だった。

「まずは自分たちって、分かってるんだけどさ」

篤郎が額の汗を拭いながら呟く。

「死ぬって知ってんのと、そうじゃないのと、やっぱり違うし、なんつーか、その」

近くの柚子をチラリと窺う。

言いたい事を酌んで、和哉はただ、そうだね、と返した。

ハルの運命はラプラスメールで告げられていなかった。

今朝はまだ彼女と和哉達が知り合っていなかったせいもあるのだろうが、それ以上に、情報が何も無いという事は、自分たちより先にハルが死んでしまう可能性もあるという事だ。

知ってしまった以上どうにかしてやりたいと思う。

(でも、オレたちは、自分の運命からまず片付けないと)

柚子はうだるような新宿の街並みをどこか遠い瞳で見詰めていた。

「ねえ、そういえばさ」

ふと振り返って、圭介君、だっけ?と、柚子が口にした名前を聞いて、篤郎が振り返った。

「彼も、余命1、なんだよね」

「ああ、そうだったな」

呟いて項垂れた篤郎に、和哉は彼の脇を軽く肘で突く。

「ん、平気だよ」

こちらを見た顔がニコリと笑い返してきた。

「とにかく、今は自分たちの事だ、何がどうなって死ぬのかまだわかんねえけど、絶対どうにかしてやるよ、なあ?」

「ああ」

「あったりまえでしょ、絶対、死なないんだからっ」

意気込む柚子の手が僅かに震えていた。

篤郎の笑顔もどこかウソっぽい。

二人の必死な様子に、和哉も、込み上げてくる恐れをどうにか抑えることが出来ていた。

(ナオヤ)

ふと思い浮かべる、不遜な姿。

(ナオヤだったら、この状況でも、どうにかする方法を見つけるんだろうな)

悔しいが、従兄にはそれだけの力が備わっていると思う。

今いない奴をあてにしても仕方ないぞと自身を戒めた。

(自分の事くらい自分で出来るようになってみせるって決めたじゃないか、絶対やってやるさ)

それに、直哉はメールを使って力を貸してくれている。

―――ひっかかる所はいくらかあるけれど、悪意だけはないと信じられる。

なぜか。

(それは、そんな非効率的なことナオヤはしないから、それと、俺がナオヤを信じていたい)

あの月の夜の事。

今になってみれば、現在の展開を予見しての行為だったような気がしていた。

今更勘繰ってみても仕方ないけれど、直哉は既に何かしら予見の様なものを得ていたのではないか?

篤郎などはうっすら勘付いている雰囲気もあるけれど、推測の範疇を出ない以上、心配事を増やしてもいいことなど何もないだろう。

(今はとにかく、この余命表示をひっくり返してやらないと)

「行こう」

ミネラルウォーターに蓋をして、和哉は篤郎、柚子と共に日差しの照りつける路上に踏み出した。

 

 新宿、神無技町表通り。

主に美食関連の中継をする時テレビに映し出されることの多い、特徴的な看板の掲げられた商店街。

チネシティ広場付近に差し掛かったところで、あっ、と声を上げて篤郎が足を止めた。

「おい、レン!今のナオヤさんじゃ」

和哉もしっかり見つけていた。

間違えるわけがない、あの特徴的な姿格好。

「追いかけよう」

「了解!」

駆け出す二人の後から、待ってと柚子が追いかけてくる。

広場に差し掛かると奥の細い路地に消えていく後姿が見えた。

「ナオヤ!」

大声で呼びかけた、その、手前の景色の中に。

「きゃああっ」

柚子が叫んで足を止める。

和哉と篤郎も立ち止まっていた。

「悪魔っ」

COMPを握り締めて篤郎が唸る。

和哉もポケットから取り出したCOMPを構えた。

突然姿を現した異形の存在、翼の生えた少女や、雄叫びを上げる獣、羽根の生えた小人。

「くそっ、悪魔は昼夜関係ないのかよ!」

和哉も、何となく悪魔は夜に出現するようなイメージを抱いていた。

だがこうして昼の最中も現れるのであれば、寧ろここまで襲撃されずに済んでいた幸運を喜ぶべきなのだろうか、今後は、例え何時であっても油断は出来ない。

「レンっ」

駆け寄ってきてシャツの裾を握り締める柚子に、悪魔から目を逸らさず、和哉は「大丈夫」と告げた。

「昨日と同じだよ、落ち着いて、COMPを起動させて」

「う、うんっ」

篤郎もCOMPを立ち上げる。

和哉も自分の機体を起動させた。

「どうする、レン?」

「ここを突破してナオヤを追いかけるのはあんまり上手くないと思う」

「んじゃ、とりあえず逃げて、迂回して後追うか」

「そうしよう」

目の前の悪魔たちは明らかにこちらを害する気だ。

ぎらついた目の中に背筋の凍るような何かを感じる、これが殺意というものなのだろうか。

(穏便に逃がしてくれるはずもないか)

「二人とも」

篤郎と柚子が振り返って和哉を見る。

「自分の事を一番に考えて、この場は逃げるぞ、方向はあっちだ、いいな?」

「了解」

「うん!」

悪魔たちが一斉に殺到してくる。

起動させたCOMPから契約済みの悪魔を召喚しながら、三人も走り出していた。