路地裏に置かれたケースの上に腰掛けて、影は笑う。
元より、負けの込むような賭けなどしない。
今回もあらゆる不安要素を可能な限り取り除き、万全に備えて事に挑んだ。
首尾は上々、進行具合も申し分ない。
(何よりアレは、俺が仕込んだ駒だからな)
そのために何年も手塩にかけて育んだ。
物の考え方、いざという時の度胸、不屈の精神―――眠っている素養に揺さぶりをかけ、ゆっくりと開花させていく過程は何と楽しく心躍る日々だったろうか。
(まあ、依存が過ぎるようになったことだけが若干想定外だったが)
それはそれで好ましくもある、と、イヤホン越しの音声に耳を済ませた。
連なるように思い浮かべる姿はまだ頼りなく、月下に眠る羊草の甍を思わせる。
(かつてと違う名、違う姿であっても、内に秘めているものは同じ、アレは確実に進化を遂げるだろう)
変化が人の常ならば、愛しい駒はどのように変わっていくのだろうか。
楽しみでもあり、恐ろしくもある、そこが唯一読めない勝負だ。
影はフンと鼻を鳴らした。
運命の輪は回り始めたばかり、何一つ定まってなどいない。
籠を飛び出し、小鳥は既に羽ばたき始めた。
(後は再び、戻るか、否か)
COMP表示されている数値を指先でそっとなぞって、画面を閉じ、電源を落とした。
イヤホンを外しながら路地から出る。
やらなければならない事がまだまだ山積しているが、反して時間はあまりに少ない。
全ては唯一つの目的のために―――抜けるような青空を見上げる赤い双眸が妖しく輝いていた。
秋葉原電気街は戦後の闇市にその端を発し、現在では家電およびマニアックなアイテムのメッカとして知られている。
観光に訪れる外国人の数も年々増加しているらしいと何かのニュースで見るか聴くかした覚えがあった。
人気のない秋葉原の光景など、普段なら早朝くらいしかお目にかかれないだろう。
昼だというのに見渡す限り全ての店がシャッターを下ろし、閑散とした様子はまるで廃墟のようだ。
何か寂しいよなあと篤郎が呟いていた。
「俺さ、あそことか、あっちの店でよく買い物してたんだよな」
「うっわ、オタク」
「いいだろ別に、でも何か、こんなにガランとしてると、ここが秋葉原じゃないような気がしてくる」
「店、開いてないな」
「ああ、軒並み閉店だ、クソ、どこか一箇所くらいやってないのかよっ」
こんな状況下で営業するような奇特な店があるとも思えないが、それでも、今の自分達は何としてでもCOMP対応の充電器を手に入れなければならない。
山手線秋葉原駅一帯も自衛隊によって完全に封鎖されていた。
高架の上に狙撃班まで控えており、突破を試みれば容赦なく排除する考えらしい。
(まるで猛獣入りの檻だ)
既に政府はあてに出来ない。
これほど念入りに封鎖を行っている以上、自衛隊、ひいては更にその上の方で指示を出している者たちが悪魔の存在を認識していることは、最早疑いようもない。
天然ガス噴出による安全確保のための封鎖措置とはよく言ったものだ。
暑さと共に微妙に苛立つ気持ちを抑えながら、今度はあちらに行ってみようと振り返った視線の先に見覚えのある姿を見つけて、和哉は「あれ」と呟いた。
気付いた篤郎が同じ様に振り返って声を上げる。
「ケイスケ?」
通りを横切ろうとしていた人影はビクリと立ち止まると、和哉たちを見て唖然とした表情を浮かべていた。
「あ、アツロウ?」
駆け出す篤郎の後に和哉と柚子も続く。
「キミたち、どうして」
「どうしてって」
篤郎はきょとんとしながら探し物があると答えつつ、圭介の手にぶら下がっていた袋の中身に気付いてアッと叫んだ。
「それって手動発電機!しかもCOMP対応の高発電版じゃないか!」
どこで買えるんだと勢い良く尋ねた篤郎に、圭介は多少面食らった様子を見せてから、君たちもCOMP対応版を探しているんだね、と、どこか含みのある様子で返してきた。
「そうなんだよ!何が何でもCOMPを充電しなきゃマズイんだ!」
「そっか、それなら、案内してあげる、こっちだよ」
案内されて三人は歩き出した。
秋葉原の奥まった場所でシャッターを半分だけ上げて営業していた個人商店で目当ての機器を入手し、少し離れた日陰を選んで早速COMPの充電を開始する。
充電器のハンドルを回す和哉の傍らに柚子が座り、反対側にもう一台の充電器のハンドルを回しながら篤郎と、その隣に少し距離を取って圭介が腰を下ろした。
篤郎はさっきから嬉しそうな雰囲気でしきりに圭介に話しかけている。
「そりゃ、災難だったなあ」
「うんまあ、でも、アツロウだってそうじゃないか」
「ははは、人の事は言えないか、まあでも、こうなった以上成るようにしか成らねぇし」
「キミたちは、凄いね」
ぽつんと呟いた声に、え、と篤郎が返した。
圭介は篤郎を見て、それから和哉をジッと見詰める。
「余命がゼロから2に変わってる、そんな人初めて見たよ」
「ケイスケ」
「死の運命を乗り越えたんだね」
「―――COMPを持ってるね?」
和哉の問いかけに、圭介はポケットから長方形の機体を取り出す。
「ケイスケ、お前、それ」
「そう、ボクもCOMPを持っている、キミたちと同じ改造COMPをね」
「だからさっき逃げたんでしょ」
三人は柚子を振り返る。
「私たちの余命がゼロだって知って、一緒に居たら巻き込まれると思って」
「ユズ!やめろって!」
遮ろうとする篤郎にいいんだと声を掛けて、圭介は苦笑と共に項垂れた。
「いいんだよアツロウ、本当の事だから、ボクは逃げ出したんだ」
「ケイスケ」
「―――お詫びにね、一つ、教えてあげるよ」
そうして、圭介からもたらされた情報によって、ある危惧が和哉の中で確信に変わっていた。
人々の頭上に数字が見えるようになって、直哉のメールを読んでからずっと引っかかっていた事。
何故、数字の表示されている者と、そうでない者がいるのか。
どうして数字は各人バラバラなのか。
(そういうことか)
余命表示は9までしかカウントされないらしい。
ということは、表示のない者は十日以上生きる可能性があるという事だ。
(そして閉鎖内にいる人間の数値は、最大で6)
昨日は確か7だったはずだ、一つ減っている。
つまり、今圭介が話してくれた通り、この封鎖は―――6日後に何か大きな危機的状況を迎えて、内部にいる人間は死滅すると、そういう事なのだろう。
ホストCOMPを持たないものは余命を見ることができない仕様になっているらしく、あえて話さずにおいた篤郎と柚子は今初めて件の事実を知り、衝撃を隠しきれない様子で揃って青ざめ、閉口してしまった。
一人立ち上がった圭介がそれじゃあと行こうとする。
「どこへ行くの?」
呼び止めた和哉を振り返って、また、困ったような微笑が浮かんだ。
「優しいんだね、ボクは余命がゼロだったキミたちから逃げたんだよ?―――それにボクの余命、1でしょ?一緒にいたらせっかく余命の延びたキミたちまで巻き込みかねないから」
たとえ今日明日生き延びられたとしても―――6日後に起こる何かを止められなければ皆死んでしまう。
止める術が無いのなら、助かる手段は封鎖の外に逃れることだけだ。
独り言の様な呟きだけ残して、今度こそ圭介は去っていってしまった。
呼んでも振り返らない背中に篤郎が寂しげに項垂れる。
「アツロウ」
「ん?」
「あの、さ、私、なんか悪いことしたかな」
「いや」
顔を上げて、篤郎は気丈に笑って柚子に首を振り返した。
「アイツはああいう奴なんだよ、何か、何かがあって変わっちまったみたいだけど、本当は正義感の強い、昔のままのケイスケなんだ」
僅かに黙り込み、ややして柚子がねえ、と、余命の話を持ち出してくる。
「6日後にみんな死ぬってヤツか、今の状況じゃ軽々しく否定はできないよな」
「でもさ、山手線の内側にいる人が全員死ぬって、何があったらそんなことが起こるの?」
「分からない、でも、注意だけはしておいた方が良さそうだぜ」
出口を見つけたら皆にも教えてあげようね、と微笑んだ柚子のバッグから突然電子音が鳴り響く。
充電中の和哉と篤郎のCOMPからも同じ音が上がった。
「またメールか、今度は何だよ」
ウンザリした様子で画面を開く篤郎を横目でチラリと窺って、和哉もCOMPのメール画面を呼び出した。
「邪教の館.exe?」
もうわけわかんない、と、柚子が叫んだ。
「悪魔と悪魔を掛け合わせて新しい悪魔を創る、か、はは、とんでもねーな」
「私たちはその悪魔に何度も死にそうな目に合わされてるんだよ!?」
「けど、オレたちは悪魔の力で死なずに済んでこれたんだ」
「そうだけどさっ、これって私にとってはかなりフクザツな問題なわけ!」
何となくその気持ちは分かる。
一通り追加された機能を確認しながら和哉も思う。
「ナオヤさんって、私たちをもてあそんでるのかな?」
「そんな事はない」
「だって」
「そうだよ、今までもオレたちが生き残れるようにいろんな対策を教えてくれているし、今回の悪魔合体だってオレたちを心配して作ってくれたんだろ」
「強い悪魔を作れ!そこまでしないと生き延びられないぞ!って事でしょ?」
「そこまでは分からないけどさ、でもオレたちにとって有利になる事には違いないだろ?」
二人のやり取りを聞きつつ、和哉は独り、従兄に想いを馳せる。
今もどこかから自分たちの様子を見ているのだろう。
身勝手でやりたい放題の無茶な従兄だが、誰より、何よりも信頼している。
(今起こってること全部、何かしらの意図があってやってるんだとしたら、もしかしたらこの状況自体は不可抗力で直哉は俺に期待してくれているのかもしれない)
だとすれば嬉しいが―――どっちにせよ説明不足の落とし前だけはつけてもらうつもりだ。
充電の済んだCOMPを閉じてポケットに突っ込み、言い合いを続けている二人を振り返った。
「ユズ」
「え?」
「COMP、ユズのだけ充電まだだから貸して」
「あ、は、はいっ」
あたふたと差し出されたCOMPを受け取って、和哉は繋いだ充電器のハンドルを回し始めた。
傍らでモジモジしている柚子の様子と和哉を交互に窺い、篤郎が微妙な笑みを浮かべる。
「な、なによ」
「別にー?っと、俺のは充電済んだからしまっておこっと、レンの充電器も貸せよ、お前手ブラ派だもんな、済んだら預かっとくから」
「サンキュ」
「わ、私が持つ!」
「おっ」
柚子が身を乗り出してくる。
「バッグのスペース余裕あるし、充電器くらいなら入るからっ」
「いいの?ソデコちゃん、バッグ重くなっちまうぞ?」
「ソデコってゆーな!平気よ、それくらい」
「じゃあ、ユズに頼もうかな」
「う、うんっ」
充電が済んで、和哉から受け取った自分のCOMPと充電器を柚子はバックにしまいこむ。
「―――何見てんのよ、アツロウ」
「だから、別に何も言ってないだろー、それより行こうぜ、レン」
「ああ、出口を探そう」
「うんっ」
日陰から出ると気温は更に上昇したように感じられた。
三人は封鎖の確認の済んでいない東京方面に向かい歩き始めた。