その後、品川、上野と見て回ったが、結果は同じだった。
足が痛い、疲れたと、柚子だけでなく篤郎までが時折漏らすようになり、汗を拭いながら見上げた空の陽は大分西に傾きだしている。
(そろそろ、今日の寝場所を確保しにいったほうがいいかもしれないな)
先頭を歩いていた和哉はふと立ち止まった。
「レン?」
次いで柚子も立ち止まり、後ろから篤郎がどうしたと声をかけてくる。
「今、何か」
聞こえたような。
微かだったけれど、誰か―――人の歌声のような。
「あれ?今、何か、歌声が聞えたような?」
篤郎も辺りをキョロキョロと見回し、ややして柚子がアッと大きな声を上げた。
「これってハルの曲だよ!行ってみましょう!」
疲れているはずなのに駆け出していく柚子の背中を、和哉と篤郎も急いで追いかけた。
イベントの行われていない時には正門が閉じられているはずなのだが、何故か今は開いていた。
嫌な予感がする―――勢い、駆け込んだ和哉達の目の前に。
「キャー!ハルさんっ」
柚子の叫び声を聞いて、白い姿がハッとこちらを振り返る。
正面入り口前の階段に佇むハル、そして、その周囲を取り囲む、数多の悪魔の姿。
「危ないっ!逃げて!」
「そうだ!早くこっちに!」
振り返った柚子が金切り声を上げる。
「何言ってんのよ!そんな事したら危ないじゃない!」
篤郎もすっかり度を失って怒鳴り返した
「しょうがねえだろ!あんなに囲まれてるんだぞ!」
「二人とも落ち着けっ」
和哉の声で、我に返ったようにお互い上げかけた言葉を飲み込み、二人は再びハルに視線を向ける。
「ねえ、どうしよう、どうしようレン、ねえ、レンっ」
「―――てかさ、あの人、全然焦ってないけど」
「え?」
「大丈夫、なのか?」
「バカ!そんなこと言ってないで早く助けないと!」
再び柚子が叫んだ。
しかし―――篤郎の言う通り、確かに和哉も妙な違和感を覚えていた。
ハルは慌てていない。
それどころか、遠くてよく聞えないが、何か呟いて手元のシーケンサーのスイッチを押している。
「ハルさん!危ないから逃げて!私たちが、そいつら何とかします!」
ハルは動かない。
やがてシーケンサーの操作を止めて、そのまま困ったような表情を浮かべて立ち尽くしていた。
(何だ、あの人)
自分の状況がわかっていないとは思えない、しかし。
(死ぬのが怖くないのか?)
「レン!」
柚子の声に振り返る。
「あの人どうして逃げないんだよ!?クソっ、こっちから助けに行くしかない!」
「うん!早く行こう!」
篤郎が和哉に視線を送りながらCOMPをバッグから取り出した。
頷き返して和哉もポケットのCOMPを手に取る。
「待っててハルっ」
起動させたCOMPの画面が怪しく揺れて、小さな枠から光と共に悪魔たちが飛び出してきた。
悪魔召喚プログラムは二体召喚までが仕様であるらしく、それ以上悪魔を呼び出すことは出来ない。
和哉の傍らに、熊とも猪ともつかない巨大な体を持った鉤爪の妖怪と、大型のむく犬が出現した。
篤郎の傍らには背中に翼を持った少女と口ばしの生えた老女、柚子の傍らには熊の頭をした巨漢と木の実に手足が生えたような小柄な妖精が姿を現す。
「行くぞ、レン!」
「ああ、アツロウは右に回りこんでビルヴィスを、ユズは左に回りこんでワイラを叩いてくれ!」
「了解!」
答えて篤郎が駆け出す。
ビルヴィスもワイラも、共に以前戦ったことのある悪魔だ。
一度遭遇するだけで戦闘時に悪魔の名前と姿、特徴などがCOMPのモニタに表示される。
細やかなところまで配慮を忘れないのは完璧主義の従兄ならではの仕事ぶりだろう、つくづく感心してしまう。
「やっ、あ、れ、レンっ」
「わかってる、大丈夫」
まだ戦闘時は多少怯えの残る柚子に視線で合図して和哉は左側に駆け出した。
柚子が慌てて追いかけてくる。
「フォローはちゃんとする、だから、ユズは、そいつらを叩いてっ」
「う、うん!」
行ってジャンパヴァンと柚子が叫んだ。
熊頭の巨漢が手にした棍棒を振りかぶると、併せて発生した炎がワイラたちを焼き尽くす。
「アギ!」
まだ息絶えていないワイラに向けて和哉は力ある言葉を叫んだ。
―――これが、改造COMPに組み込まれている機能の一つ、ハーモナイザーだ。
ハーモナイザーの詳しい説明は篤郎が昨日してくれた、COMP所持者の持つ何かを同調させて、悪魔からの攻撃を軽減してくれたり、今和哉が使った魔法の様な力を顕現させてくれる機能らしい。
よくわからないが、便利なものは全て使おう。
それは幼い頃から従兄を見て学び取ってきた、和哉の無意識に組み込まれている考え方の一つだ。
使えるものは使う、そして。
「きゃあああっ」
倒しきれなかったワイラに柚子が襲われたようだった。
けれど和哉はそのまま駆けて、正面にいる翼の生えた少女達に向かって行く。
「ワイラ!」
鉤爪の妖怪が飛び出して、振りかぶった腕で突風を巻き起こした。
少女の一人が悲鳴を上げて消える。
別の少女が和哉に向けて放った氷のつぶてを、むく犬が飛び出してきて身を盾にして庇った。
その影から和哉は再び炎を放ち、翼の燃えた少女に向かって拳を突き出す。
更に別の少女を鉤爪の妖怪が再び突風で消滅させた。
あと少し―――駆け寄り見上げた階段の、壇上で。
柚子の悲鳴が上がる。
和哉より先んじたワイラの振りかざした鉤爪がハルめがけて振り下ろされた。
「くっ!」
だが。
「ってえな!クソ悪魔っ―――あ、れ?」
アタシ、死んでないと、ハルは唖然とした様子で呟いている。
彼女は腕が少し切れているだけで、致命傷と思しき傷はどこにも見あたらない。
驚いたのはワイラも同じだった様子で、一瞬攻撃の手が緩んだ。
それを見逃さず、踊りかかるようにして、和哉はワイラに手を翳す。
「アギ!」
燃え上がるワイラの影からハルの手を引き、階段を駆け下りる。
「アンタたちは」
小さく声が聞こえた。
「アタシの事なんて放っておいて、逃げた方がいいよ」
和哉はチラリと背後を振り返り見た。
細い腕、白い肌、冷たい手。
少し皮肉な表情で微笑んでいる、その瞳の奥に僅かに揺らぐ寂しげな気配。
「見捨てることなんて出来ない」
咄嗟に口をついて出ていた。
ハルは苦笑いの様な表情になって「ありがとう」と答えた。
「まあ、ムリしないでいいから」
「レン!」
顔を向けると、駆けてくる篤郎の姿を見つけた。
後から柚子も歯を食いしばって走ってくる。
「―――どこに行っても、悪魔、悪魔―――アタシの事なんて、放っておいてくれりゃいいのに」
ハルの誰に伝えるでもない呟き。
和哉の背後に迫るワイラを、むく犬が咽ぶえを噛み千切って消滅させる。
「ハルは無事だ!アツロウ、左の木陰にビルヴィス!」
「はいよ!」
振り返った篤郎が指先から雷を迸らせてビルヴィスを消し去った。
「モーショボーちゃん、ヨロシク!」
はぁい。
可愛らしい声が答えて、篤郎の傍らを羽ばたいていた少女が同時に迫りつつあったオグンに氷のつぶてを放つ。
「レン!後ろっ」
まだ残っていたワイラが更に迫りつつあった。
和哉はハルの腕を引き、多少強引に背後に庇うようにして、翳した掌から炎を飛ばしてワイラに打ち込んだ。
「ヘアリードッグ、トドメだ、食いちぎれ!」
むく犬が飛び出してワイラの体を裂き、消滅させる。
―――周囲から悪魔たちの気配が消えた。
和哉は肩で息を繰り返しつつ、伸ばした掌でむく犬の頭をワシワシと撫で回し、傍に寄ってきた鉤爪の妖怪の背中をバンバンと叩いた。
「ありがとう、戻れ」
COMPの画面を落す。
それと同時に悪魔たちも消える。
篤郎と柚子も悪魔を戻して駆け寄ってきた。
「レン!」
「ハルさんっ、大丈夫ですかっ」
縋りつく柚子を見てハルは苦笑いを浮かべたままだった。
ハルの腕を放し、和哉は隣に立った篤郎を振り返って様子を窺う。
「怪我は?」
「ん、擦り傷程度、キキーモラに治してもらったよ、お前もディアっとく?」
「俺は平気」
ユズ、と呼ばれて、ハルにディアをかけていた柚子はハッと和哉を見た。
「怪我、大丈夫か」
「う、うん、平気、さっきキジムナーにディアしてもらったよ」
「そうか」
「でもハルさん、無事で本当に良かった!」
再び振り返り、ハルを見詰めて瞳を潤ませている。
―――本当にハルが好きなんだな。
和哉は苦笑しながら三人のやり取りを眺めていた。
そして密かに心を曇らせていた。
自分の性格くらい理解しているし、それなりに把握も出来ているつもりだ。
幼い頃から絶大な影響力を及ぼしてきた従兄の存在も。
(さっきはアレで良かったんだろう、多分)
悲鳴を上げた柚子を優先しなかったこと、友人を駒のように扱ったこと。
(直哉ならきっとそうしてる)
既にしてしまった行為に後付けのような理由を持ち出して納得するのは酷く卑怯な気がしている。
今日一日でどれだけ同じ場面を繰り返しただろう。
戦いになると何かのスイッチが入って、結果だけに意識が傾いてしまう。
(これは良くない)
今更、微かに手が震えていた。
けれど的確な状況把握とそれに応じた指示無しに果たしてハルを助けられただろうか。
彼女の頭上の数字は、今は和哉達と同じ2に増えた。
つまりハルの運命の分岐点はこの場所だったというわけだ。
干渉して変えられた事自体は素直に喜ばしいが、同時に予定調和のようで若干腑に落ちない。
(俺ってこういう奴だっけ)
三人の会話に相槌を打つ間も一向に気持ちは晴れなかった。
ハルが死なずに済んだのは和哉のCOMPの影響であるらしい。
つまり、ハーモナイザーは所持者のみならず、一定範囲ない全ての人間に作用する機能、と、これは篤郎の所見だが、恐らく間違っていないだろう。
そしてハルが手持ちのシーケンサーで悪魔を召喚できるということも知った。
もっとも、シーケンサーは現在バッテリー切れで動作は出来ないらしい。
端子がCOMP用手動充電器とは噛み合わないらしく、篤郎がしきりに悔しがっていた。
「ま、動かなくてもさ?これは精神安定剤代わりになるから」
道具を使い倒す主義の篤郎は不思議そうに首を捻る。
和哉は微かに笑って、そういうのもあるね、と、ハルに返した。
「あはは!話せるね、キミ」
嬉しそうに笑ったまま、不意に身を寄せられた。
「ねえキミ、ちょっといい?」
「えっ」
柚子の声だ。
二人から少し離れた場所へ和哉はハルに腕を引かれる。
「うん、やっぱりそうだ、キミ、危ない香りがする」
「何」
「ふふ、キライじゃないね、キミみたいなタイプ」
瞳の奥を覗き込む、少し赤味がかったハルの瞳。
ジッと見詰め返して、和哉もポツリと呟く。
「さっきの」
「え?」
悪魔との何らかの関わりを匂わせるようなハルの言葉―――
自分たちより半年も前からシーケンサーで悪魔を呼び出していたという、その事と何か関係があるのだろうか。
(わからない事を今ここで訪ねてもいいのかな)
そう思いつつ、言葉は勝手に紡がれていた。
「さっき、どうして悪魔から逃げようとしなかったの?」
ハルは不意に黙り込む。
ややして、フフ、と笑い、パッと手を離すと、くるりと振り返って篤郎と柚子に向かい手を振った。
「それじゃ、今日はありがとう!アタシはもう行くから、また会えるといいね」
そのままどこへ行くともなく歩き去って行く。
華奢な背中を見送っていた、和哉の傍にいつの間にか二人が来ていた。
「まさか、あの人も悪魔を喚べるとはな、やっぱり悪魔はオレたちが知るより前から、ずっと東京にいたんだ」
「そうなるね、翔門会の人たちなんて、ずっと前から悪魔を使っていた感じだし」
そういえばレン、と呼ばれて振り返る。
「ハルの余命は!?前見たときゼロだったんでしょ?」
「2に増えたよ」
「きゃーっ」
やった、やったと柚子は飛び跳ねて大喜びだった。
篤郎も、他人の余命も変えられるのか、と、目を輝かせた。
「封鎖内の余命を全部増やすぞ」
「あ、そうか!6日っていう余命を増やせるかもしれないよね!」
「確かにそうだな、よし、望みが出てきたぜ!」
嬉しそうな二人に和哉も微笑を浮かべる。
考える事は山積みでも、目的は一つだけ、それは決して違える事など無い。
(生き残るんだ、絶対)
二人と一緒に。
(生き残ってやる)
今日のように余命を変えられる可能性があるのなら、尚更。
篤郎と柚子の会話はいつの間にかハルの様子についての内容にシフトしていた。
確かにロック歌手独特のポーズにしてはおかしいと思う。
首を捻っていた柚子が不意にはたと和哉を振り返ると唐突に身を乗り出してくる。
「ところでレン」
「えっ」
「ハルと何を話してたの?」
和哉は閉口し、間を置いて「別に」と答えた。
途端プッと頬を膨らませ、目つきの険しくなった柚子から睨まれてしまった。
「ふ〜ん、内緒なんだ?あーそう」
―――何なんだ一体。
傍らで篤郎がクツクツと肩を揺らしながら笑う。
急に間の抜けた雰囲気になってしまって、和哉は小さく溜息を漏らしていた。