武道館から移動を始める頃には、辺りはすっかり茜色に染まっていた。

そろそろ五時を回る。

今日はもう切り上げて、改めて明日出口を探そうということになり、和哉達は比較的安全に一夜を過ごせそうな場所について話し合った。

「っていっても、ここから移動できる範囲でいちいち安全確認できる時間じゃないよな、見つける前に夜になっちまう」

「青山霊園は?」

「レンっ」

「ごめん、冗談」

「ハハハ、俺もあそこだけはゴメンだぜ、そだな、じゃあ、渋谷の宮下公園とかでどうだ?」

水道とトイレが設備されてあるという理由でひとまず行き先は決定した。

途中、踏み込んだ青山霊園で再び悪魔に遭遇して―――妙なものを発見してしまった。

それは所有者不明のCOMP

霊園内に無造作に放り出されたままの画面からは怪しい光が漏れ、悪魔が無作為に召喚されていた。

狭い画面を潜り抜け、出現した悪魔は問答無用で和哉達に襲い掛かってきた。

どうにか全ての悪魔を倒して暴走COMPを停止させたのだが、今回の戦いで新たに確認できた事がある。

まず、悪魔召喚プログラムさえ稼動していれば、召喚された悪魔は自由意志の元行動できる事。

切欠は人の手で作らなければならないだろうが、その後契約の有無は関係ないというわけだ。

ただし一度に大量の悪魔は通り抜けてこられない様子で、悪魔たちは一定の間隔を置いて一体ずつ出現した。

つまり、起動したCOMP及び悪魔召喚プログラムは、それのみで魔界―――そんなものが存在すればの話だが―――との接点足り得る訳だ。

生き残るための手段として安易に活用してきたCOMPだが、ここへ来て急に、和哉はこの小さな端末が恐ろしいものだという認識を新たにしていた。

(ってことは、もし俺が悪魔に殺されて、COMPを起動させたまま所有権を失えば、これもただ悪魔を増産するだけの装置になるって事だ)

そんなとんでもないものを―――今更だが、直哉は創り出してしまったのか。

従兄の本心がますます遠ざかってしまったようだ、和哉を守るためでも、翔門会の依頼が理由でもないような気がしている。

(だとすれば直哉は一体何を考えているんだろう)

悪魔召喚プログラムはただの便利な道具じゃない。

ともすれば世界を滅ぼしかねない、諸刃の剣だ。

(どうして、そんなものを)

宮下公園へ向かう間ずっと考えていた。

篤郎と柚子は他愛ない会話で不安を紛らわそうとしている様子だったけれど、どこか空寒い雰囲気が始終周囲に満ちていた。

 

 星が一つ、二つ、輝く。

都心の空で星を見ることは難しい、普段は排気ガスや街灯の明かりに紛れて、月すら朧に霞んで見える。

流れるヘッドライトの明かり、いつまでも眠らない街の気配、沢山の照明、ビルの明かり、街頭の明かり、店舗の装飾用の明かり。

そういったものが懐かしく感じるほど時間は経っていないはずなのに、深く濃い闇が封鎖内部全域に立ち込めているようだった。

昨夜に引き続き漆黒の夜だ。

時折吹く生ぬるい風だけが辺りの大気を僅かに揺らす。

公園の一角に腰を下ろして、和哉は小さく溜息を漏らしていた。

COMPの画面を開いては閉じる。

傍らで柚子が小さく寝息を立てていて、寒くないかと肩に腕をかけようとして、ふと昨夜の出来事を思い出していた。

篤郎に起こされて、ゴメンと詫びられながら見張りの交代を頼まれて、誤る事ないのにと苦笑しつつ次の見張りに着き、朝が近付いた頃、今度は柚子をと胸元に寄り添っていた姿をそっと揺すった。

「ユズ、起きて」

「ん」

目を覚ました柚子は不思議そうな顔をして和哉を見詰め、直後に悲鳴を上げかけたのだった。

和哉は咄嗟に柚子の口を塞ぎ、傍らで篤郎がムニャムニャと呟いていたが、目は覚まさなかった。

落ち着くのを待って手を離すと、散々どもりながら柚子はどうして自分は和哉の胸に凭れていたのか聞いてきた。

それで、和哉も漸く自身の無頓着加減に思い至ったというわけだ。

(ちょっと無神経過ぎたかな)

単純に肩が寒そうだったから抱き寄せていただけなのだが、夜目でも恥らう様子が明らかで、和哉は素直に謝罪して、その後簡単に理由を伝えた。

柚子はどうにか納得してくれた様子だったけれど、その後も若干ぎこちない雰囲気は残り続けた。

結局、そのまま有耶無耶になって和哉は眠ってしまったけれど、夜が明けるまで柚子がどんな気持ちで過ごしていたのか、想像すると若干申し訳ないような気がしてしまう。

また同じ目に遭わせたら、今度こそ機嫌を損ねてしまうかもしれない。

困ったな、と、少し考えて、それでも、もう一度同じ事をしてみてやっぱり怒るようならもうやめよう、と考え直し、柚子を引き寄せた。

細い肩は昨夜と同じ様にひんやりしていた。

(風邪でもひかせたら、いけないもんな)

小学校からの幼馴染だ、無下にはできない。

「―――レン」

反対側から囁かれて、和哉はちらりと横目で見た。

「何?」

「お前さ、昨日もそうしてたよな、目ぇ覚ましたユズに騒がれなかったのか?」

流石に篤郎は鋭い。

和哉は苦笑しつつ、少しだけ、と答えた。

闇に押し殺した笑い声が響く。

「ったく、ホント、お前って奴はよ」

「風邪でもひいたら大変じゃないか」

「ハイハイ、その優しいところがモテの秘訣かねえ」

「別に、モテてない」

「よく言うぜ、このタラシが」

軽く脇を小突かれて和哉は憤慨しつつ鼻を鳴らした。

宮下公園は多くのホームレスが住居として利用している事で有名だったが、区の意向により現在は小奇麗な有料運動場として改装工事の予定が着々と進んでいるらしい。

どこかのメーカーとのタイアップという話だったが詳しいことは知らない、ただ、そういう理由もあってか、現状況下の緊急措置として解放された施設内を比較的多くの人が野宿場所として選択しているようだった。

人が多い場所ではそれなりに安堵もあるが、悪魔相手にはあまり意味がないような気もしている。

(それに、一応人にも気をつけないと)

そういう意味で柚子を抱き寄せてもいる、男の自分なら殴られる程度で済むだろうが、女はそれ以外の被害に遭う可能性も高い。

和哉は隣の篤郎に再びチラリと視線を送り、アツロウ、と小声で呼びかけた。

「ん?」

「今日は俺が先に見張りするよ、その次に柚子を起こすから、お前は最後で頼む」

「おう、了解」

「あと、さ」

そっと手を伸ばして、体の一部に触れた。

そこがどこだか分からなかったが、篤郎はビクリと震えていた。

「レン?」

柚子を胸に抱いたまま、和哉はそっと体を傾けて篤郎に凭れかかる。

「―――どうした?」

多少緊張した声が返ってきた。

和哉は、暫く黙り込んで、怖いんだと静かに答えた。

「今日一日で、オレたち随分まともに悪魔と戦えるようになったじゃないか」

「あ、ああ」

「昨日は必死で考える余裕も無かったけど、今日はオークションで悪魔競り落としたりもした、邪教の館とかいうのはまだ使ったことないけど、それだって多分明日か、明後日にはきっと、必要に迫られて使うんだろう」

「まあ、そのためにナオヤさんが用意してくれたツールだからな」

利用できるものは使えばいいじゃないか、そう篤郎は言った。

和哉は小さく溜息を漏らす。

「―――そうやって、便利だから活用して、必要だから利用して、色々な事に慣れていって、そしたらオレたちは―――オレは、何だか」

不意に口を閉じる。

それ以上言う事はためらわれて、そのまま黙り込んでしまった。

不安は常に目の前に在り続けている。

死ぬかもしれない不安、余命の不安、悪魔の不安。

(そして、オレ自身への不安)

あの男の死体もいつの間にか遠い記憶のようにおぼろげになり始めている。

不意に手をキュウッと握り返された。

振り返ると、篤郎が和哉を見ていた。

「大丈夫だよ」

闇の向こうに優しい笑みが透けて見える。

「何があっても、オレはオマエの味方だから」

アツロウ、と呟いた和哉の言葉を受けて、篤郎はもう一度手を強く握った。

「これは今のオレたちに必要な変化だ、ナオヤさんだってそのつもりで作ってくれたんだろう、だから使っていい力なんだよ、レン、別に怖いことなんてないさ、オマエにはオレがいて、オレにはオマエがいる」

「でも」

「人類史だって、かつては写真撮られただけで魂抜かれるとかマジに思われてた時代もあったんだぜ?」

ありえないよなーと軽い調子で笑う篤郎に、和哉も何だか毒気を抜かれてしまった。

「だからさ、いいんだよ、レン、怖がらなくていいんだ、オレたちは生き残る、それが今は一番大事な事で、このプログラムが何なのかとか、そういうのはオレの専売特許だから、オマエの分も頑張って考えるよ、だからオマエは前だけ見ていればいい、オレは必ずついて行くから」

「強いな、アツロウは」

「んなことねーって」

不意に篤郎の気配が近付いてくる。

至近距離で目が合った後、次いで唇が触れ合った。

篤郎は離れてから照れたような表情で視線をつま先に落としていた。

「オレは、さ、レンがいてくれるから、頑張れるんだよ」

ぬるい風が肌を掠める。

「オレだって怖いさ、ユズの手前格好つけてるけど、本音は怖くて堪らない、一緒だよ、でも、オレにはその、レンがいてくれるから、だから格好つけていられる、大丈夫だって信じてられんだ」

「アツロウ」

「オレが格好悪ぃのなんて、オマエが一番お見通しだろ?」

へへへっと篤郎は笑う。

「だからレンだけは後ろなんか振り返らないでいてくれよ、頼むから」

唇が触れ合った。

もう一度、二度、三度。

「―――ヤバイな」

言葉と共に漏れた篤郎の吐息が熱い。

「ちょっと興奮してきたかも、戦場の兵士な気分だ」

「何、それ」

「命の危険に晒されると子孫繁栄のスイッチが入るんだと、実際戦場にはホモが多いらしいぜ」

「バカ、落ち着け」

「しないって、ユズもいるのに、これ以上は流石にマズイだろ」

それでも、和哉も体の奥に妙な火照りを感じ始めていた。

自分から振っておいて何やってんだと自身を諌めつつ、苦笑いの視線を篤郎と交わす。

「ユズが知ったら怒るかな」

「それ以前に気持ち悪がられそうだ」

「俺は命の危機を感じるな」

「バカ、そろそろ休め、寝ておかないと明日持たないぞ」

「はぁ、けど腹減り過ぎて正直寝るどころじゃないけどな」

「まあね」

篤郎が凭れかかってくる。

和哉は少し体を起こして、肩口に寄せられた帽子の感覚に唇で触れた。

「やめろよー」

クスクスと笑い声が闇に溶けた。

「そんなことされたらオレ、我慢効かなくなっちゃうだろ」

「そうしたら、オレがよく眠れるように、鳩尾に一発食らわしてやるから」

「相変わらずヒデー、やっぱナオヤさんの従弟だ、似てるぜお前」

「やめてよ、心外だ」

「ナオヤさんもそんな風に言いそうだ、ハハッ、おやすみ」

「―――うん、おやすみ」

和哉もコツンと頭を寄せた。

さっきまであれほど暗いばかりだった夜の闇が、ほんの僅か見通せたような、そんな気がしていた。

 

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