Light Prayer2ND DAY

 

 今朝もローター音で目が覚めた。

不快な感覚は相変わらず体中に纏わりつき、手足が泥のように重い。

こうなってくると逆に、まだ気温の上がりきっていない朝の空気の清々しさが心地良く感じられるけれど、視界に映る景色は、暗い顔で蹲る大勢の人々、上空を飛び交うヘリコプター、そして、傍らでまだ眠っている柚子の姿。

「おはよ」

和哉を起こした篤郎の目の下にもクマが見える。

恐らく、閉鎖内でまともに睡眠を取れている人間は、ほぼいないのだろう。

「おはよう」

答えて胸の辺りに凭れている柚子を窺っていると、「俺、水汲んでくる」と篤郎は三人分の空のペットボトルを持って、宮下公園内の施設に向かい歩いていった。

緊急事態のため開放されたこの施設からはまだ水の供給があるので、飲料水を確保するため大勢が利用している。

真夏の炎天下では、水の切れ目が命の切れ目だ。

「ユズ」

「ん、んん?」

眠たそうに目を擦って顔を上げた柚子が、和哉を見た途端一瞬ビクリと体を震わせたけれど、今朝は少し気まずそうな表情を浮かべただけで、すぐに控えめな笑みを浮かべながら「おはよう」と言った。

「あ、その、ゴメンね、私こんな格好してるから」

「いいよ」

「でも、あの、その、レンは昨日も私が風邪ひかないようにって、こうしてくれていたんでしょ?」

「ああ、まあ」

「その、ありがと、ね?」

和哉はクスリと笑いながら、柚子の頭を撫でた。

すると柚子は顔を真っ赤に染めて俯いてしまう。

この程度で恥らう幼馴染の可愛らしい仕草に目を細めていた和哉を、遠くからおーいと篤郎が呼んだ。

「レンー!って、んん?何やってんだソデコ」

「ななな、何でもない、何でもないんだからっ」

入れ替わりに立ち上がって「顔洗ってくる!」と駆け出した柚子の姿を見送って、アイツ何だと尋ねてきた篤郎に、和哉はただ笑って見せた。

「はいよ、レン」

「ありがとう」

ペットボトルを受け取り、重く淀む体を立ち上がらせる。

 

『昨日19時頃、青山霊園で発生致しました、爆発の原因は、流出した有毒ガスに送電線の火花が引火したものと確認されました』

『繰り返します、爆発の原因は、流出した有毒ガスに対する、火花の引火と判明致しました』

『各所及び駅付近で発生した有毒ガスは、可燃性であることが確認されており、現在も流出が続いております』

『現在、ガス流出の原因調査と、成分の分析が進んでおります』

『皆様には、引き続きご理解とご協力をお願いいたします』

 

「なーにが、だよなぁ」

どこかから聞えてきた拡声器越しの声を聞いて、篤郎はあからさまに顔を顰めると、空を仰いだ。

「いいなぁ、ヘリコプターはよ、のんびり空なんか飛んで、オレたちを嘲笑ってるみたいだぜ」

「そんな言い方しないの!」

いつの間にか戻ってきていたらしい柚子が、和哉と篤郎に近付きながら声をかけてくる。

ふと和哉と目が合って、仄かに頬を染めて口を閉じたけれど、いつも通り二人の輪に入ってきた。

「それにしてもさ、有毒ガスへの引火ね」

「ああ、どこまで嘘か分らないけど、いよいよ、政府を信用するわけにはいかなくなったな」

「まぁ、まさか政府が『爆発は翔門会が悪魔と戦ってたせいです〜』なんて、言えないよな」

和哉はCOMPを開くと、昨日までのメールを改めて読み返していく。

篤郎と柚子は、政府が悪魔の情報を意図的に隠し、なおかつ封鎖内部の状況も把握した上で、現状維持を選択しているのではないかといった話を続けていた。

(それなら根本的な問題の解決が必要だよな)

つまり、何故悪魔が出現したのかという事。

悪魔さえ出現しなければ封鎖は行われず、自分達が命の危険に晒される事も無かった筈だ。

最もシンプルで、けれど難解な問題、それでも匙を投げ出すわけにはいかないだろう。

目下封鎖から脱出する事を念頭において活動しているけれど、本音を言えばそれだけでいいのかという気持ちも若干芽生えつつある。

(この封鎖から無事に出られたとして、それで俺達は―――本当に生き延びられるんだろうか)

悪魔達は封鎖の中だけに留められているのか、そもそも、悪魔に人の兵器が通用するのか。

この封鎖は人間以外にも有効なのだろうか。

唐突に出現したようで、悪魔は確実に何か理由があって存在している。

だから原因を理解した上で対処しなければ、結局急場を凌ぐ事しかできない。

ただ逃げているばかりでは、確実な安全は得られないだろう。

(でも今は情報があまりに少ない、携帯は繋がらないし、テレビも映らない、何が、どうなっているのか)

その時不意に画面が切り替わり、メール着信の表示が現れた。

篤郎と柚子のCOMPにも届いたらしい、二人は会話を中断して、和哉の傍に寄ってきた。

「レン、お前んトコにも着たか?」

「ああ」

「読んでみようぜ」

メーラーを立ち上げて、本文を確認する。

ラプラスメールの予言を読んだ直後、脳裏に従兄の姿が過ぎって、和哉は僅かに表情を固くした。

「―――ねえ、これって」

「ああ」

篤郎が簡単に内容をまとめながら読み上げていく。

17時頃に芝公園で翔門会が悪魔を倒す、18時頃に池袋で死傷者50名以上、それと、どうやら今日一日で封鎖内の人全員が悪魔の存在を認識するらしい」

「池袋の犠牲者50名以上って!」

「とりあえず、一番気になるのはコレだな」

柚子が小さくなにそれと呟いた。

「で、でもさ!私達、昨日ちゃんと助かったじゃない、ねえレン!私達の数字って今幾つなの?」

1だよ」

「じゃあ、とりあえず、その事件に巻き込まれて死ぬことはないよね?」

「でも安心は出来ないと思う」

「えっ」

篤郎も「そうだよ」と頷く。

「余命は絶対じゃないって、昨日、自分達で証明したばっかだろ、増やせるだけじゃなくて、減るかもしれないんだから、油断は出来ないぜ?」

「うぅ、そっか」

「とにかく50名以上っていうのがひっかかるよな、まあ、17時の件は翔門会が何とかするみたいだし、悪魔の存在だっていずれ知れ渡ると思っていたからいいんだけど、昨日より悪魔が増えているのか、それとも、もっと強い悪魔が現れるからなのか」

急にCOMPをぱくんと閉じて、篤郎は深い溜息を漏らした。

「昨日で戦いにも大分慣れた気がしたけど、やっぱこういうの見ると、ビビるよな」

「まだまだ悪魔の事なんて何も知らないよね、戦うのに慣れても、安心できないよ」

深刻な表情で項垂れる二人を見て、和哉もCOMPをたたんでポケットに突っ込むと、それぞれの肩をポンポンと叩く。

「何とかなるさ」

「おいおいレン!」

篤郎が呆れたような表情を浮かべた。

「ほんっと、お前は楽観的だなぁ、ユズの言う通りだぜ?悪魔との戦いはスポーツじゃないんだ、負けたら死んじまうんだから、油断しないでいこうぜ」

(そんなの分かってる)

そのまま励ましあっている二人から、和哉は少しだけ視線を逸らした。

(不安だなんて口にしてたら、本当に悪いことが起こりそうで、俺は怖いよ)

立ち止まりかける足をどうにか動かし、不安に飲み込まれそうな心を必死に鼓舞して、あえて強気のフリをしているのに。

(やるしか、ないじゃないか)

まだどこか他人事の様な二人に気付かれないように溜息を吐いて、和哉は今後の予定を切り出した。

「またたくさん歩くのね」

昨日の強行軍を思い出したらしい、柚子の表情が曇る。

「地上以外を探そうか?」

「レン、さっきヘリコプター見たからって、思いつきで喋らないでよ」

まだ少しさっきの会話を引きずっているらしい。

何となくバツが悪くて黙り込んだ和哉を見て、柚子も少し気にしたような表情を浮かべてから、不意に空を見上げた。

「でも本当に空でも飛べたら、こんな封鎖なんて簡単に飛び越えられるのにね」

「封鎖を飛び越える?―――それだ!」

急に篤郎が声をあげる。

「首都高!」

「な、何?」

「首都高だよ、レン、ソデコ、線路を跨ぐ首都高からなら、もしかしたら封鎖を抜けられるかもしれない!」

「あ、ああ!そっか!そうだよね、首都高!」

「どうせこの状況下で車なんて走ってるわけないし、緊急事態だ、登っちまっても文句言われねえよ」

「渋谷駅からも近いよね、丁度いいかも!」

二人の視線が和哉に集まり、篤郎が「どうだ?」と合意を求めてくる。

「うん」

和哉はしっかりと頷き返した。

「首都高に上がってみようか!」

「おおっ」

「何もしないよりマシだもんね!」

ようやく目標が定まり、歩き始めた三人の頭上を、自衛隊のヘリコプターが爆音と共に飛び去っていった。