「俺は今日くらい人間が浅ましい生き物だと思ったこと無いぞ」

グッタリと疲れた顔をしている篤郎に、和哉は大丈夫かと声をかける。

「ん、へーき、お前こそ怪我してないか?」

「とりあえず無事」

「そりゃ良かった、お互い生きてて何よりだぜ」

篤郎の冗談に苦笑いを浮かべた和哉たちを、呼びながら柚子が駆けてきた。

危険だろうと残してきて正解だったと、少年達は顔を見合わせて笑う。

そして再び、今度は柚子と一緒に、背後でまだ黒山の人だかりができている運搬用コンテナを眺めた。

「皆、必死なんだよな」

篤郎の言葉に、柚子もなんとも言えない表情を浮かべている。

新宿、神無伎町にて。

自衛隊が投下していったコンテナ内には配給用と思われる非常物資が入っていた。

けれどこれは明らかにおかしい。

災害時の配給は、平等に物資が行き渡るよう政府が仕切るはずだろう。

しかしコンテナを投下したヘリコプターはまるで逃げるように飛び去っていったと、見ていた人が教えてくれた。

「これじゃ動物のオリにエサを放り込むみたいじゃないか!」

噴飯ものだと声を上げる篤郎の傍らで、和哉は手にした非常用と書かれている袋を眺める。

(やっぱりだ)

悪い予感ばかりが増えていく。

人々の頭上に表示されている余命は、最大でも『5

今日から5日後に何が待ち構えているのか、見当すらつかないけれど、今日明日を生き延びただけでは無意味の様な気がしてならない。

(まあ、死ぬ、って事だけは確実みたいだな)

死というのはただの言葉でしかなかった。

人はいつか死ぬ、けれど、死の訪れは誰にもわからない。

そして人は皆、今日明日死ぬと思わずに生きているから、伴う痛みも重みも無い。

けれど今は違う、状況が、自分自身が、甘ったれた願望を許しはしない。

(死にたくない、死なせたくもない)

不安気に黙り込んでいる柚子の手を取ると、驚いた顔がパッと和哉を見た。

「行こう」

振り返って篤郎にも声をかける。

帽子の下から覗く目を見たとき、自分と同じ様に、何か感じ取っていると気が付いた。

(俺達はとっくの昔に、政府から見捨てられているのかもしれない)

それでも、いや、だからこそ、運命のまま自分の人生を終わらせるのはゴメンだ。

抗える隙があるのなら、無駄でも無理でも立ち向かって、何をしてでも生き延びてやる。

(俺は死なない、アツロウとユズも、死なせたりしない)

その時ふと脳裏を過ぎった姿に、そういえば、と思い浮かべた不敵な笑みを、あの人は無事だろうかと和哉は焦がれるように思っていた。

 

結論を言えば、高速道路は使用できず、和哉達は再び封鎖から脱出するべく、出口を求めて山手線内を歩き回っている。

 

本多という男が教えてくれた。

彼も他数人の有志と共に首都高からの突破を試みたそうだが、自衛隊の包囲網に阻まれたらしい。

ただ、その事実は半ば予測の範疇であったから、(やっぱり)と同じ様に諦めた表情の篤郎と、一人ショックを受けていた柚子を励まして、三人は抜け道探しを再開した。

渋谷、新宿と進む間、何度も悪魔に襲われて、更に新たな気懸かりも幾つかできてしまった。

一つは表参道で偶然見かけた神谷と二階堂の姿。

二人はどこかから入手したCOMPについて話し合っていた。

もう一つは春沢を探している謎の人物。

目的そのものはわからないが、つまらない嘘を吐いていたから、春沢と会えたら忠告しておくべきだろう。

神田の書店が並ぶ一角を通り抜けていた途中、篤郎がふと足を止めた。

「あれ?」

視線の先に日陰で佇む若い女性の姿が見える。

気付いて振り返った女性も和哉達の姿を確認して、「アツロウ君?」と声をかけてきた。

「ああ、やっぱり、マリ先生だ!お久しぶり!」

駆け出した篤郎の後を和哉と柚子も追いかける。

途中、柚子が和哉の袖を引いて、声をひそめて訊いてきた。

「ねえ、ねえっ、レン、あの人って誰?」

「さあ」

白衣の女性は「久しぶりね」と篤郎に微笑みかけている。

「元気だった?」

「元気、元気!元気があふれて困ってますよ!」

「もう、あいかわらずね」

親しげな雰囲気の二人に、我慢しきれなくなった様子の柚子が声を上げる。

「ちょっと!アツロウのお知り合い?」

「おう、紹介するよ!この人は、中学時代に家庭教師をしてもらったマリ先生だ」

篤郎はくるりと振り返って嬉しそうに望月を差した。

望月麻里です、と、紹介を受けて、望月は和哉と柚子にニッコリ微笑みかけてくる。

柔らかな雰囲気の、優しげな女性だ。

「よろしくね、今は小学校の養護教諭やってます」

「えっ?それじゃ、保健室の先生になれたの?」

「うん、そう」

「おめでとう!」

自分の事のようにはしゃぐ篤郎を見て、和哉も思わず笑みが浮かんでしまう。

すると急に柚子が隣でソッポを向いてしまった。

気付いた望月が今度は意味深に笑うので、和哉は篤郎と顔を見合わせて首を傾げた。

「蓮見和哉です」

和哉は改めて、黙ってしまった柚子の分も自己紹介をする。

「それと、こっちは谷川柚子」

「はい、よろしくね、君達はアツロウ君の同級生?」

「はい」

「そう、仲良くしてあげてね」

「ちょ、ちょっと、いきなり何言ってるんですか、もーっ」

赤くなった篤郎を見て、今度は柚子も一緒に、三人で笑った。

久々の和やかな雰囲気の中、夏の熱を孕んだ風が、道路沿いの街路樹や電柱を伝うように吊るされている夏祭りの赤いちょうちんを揺らす。

ひとしきり世間話に興じた後、ふと表情を曇らせた望月は、封鎖に関わる深刻な未来を三人に語り始めた。

それは個々の生き死に以前に目の前に迫りつつあった、もっとずっと肉迫した危機。

「この状況が続いたら、体力の無い子供や老人が倒れたり、ストレスで暴力に走る人が出てくるはずよ」

極限下での暴動。

(そうか、俺達は悪魔の事ばかり考えていたけれど)

つい数時間前に神無技町で目にしてきた、自己中心で暴力的な人々の姿が脳裏に蘇ってくる。

「1人が暴動を起こせば、負の感情は他の人にも感染する、とても危険なことよ」

今の秩序は持ってあと一日だろうと望月は予見していた。

都心においてありえないほどの不自由、命の危険にまで晒されて、追い詰められた人の取る行動など容易に想像がつく。

思わず項垂れると、望月が和哉の肩をポン、と叩いた。

「でも、もしそんな事が起こっても、君たちは冷静な行動をしてちょうだい、お願いよ?」

顔を上げて、和哉はしっかりと頷き返す。

「はい」

極限まで追い詰められたら、自分だってもしかしたら、とは思う。

けれどそこに至るまでは、せめて自分の流儀だけは貫きたい。

「いいお返事でよろしい!花マルをあげましょうね」

望月はニッコリ微笑んで、篤郎と柚子にも「頑張ってね」と声をかけていた。

「それじゃ、みんなも気をつけて」

手を振る望月と別れて、和哉たちは再び歩き始めた。

望月を連れて行こうかとも思ったけれど、COMPを持っていない人間が自分達と行動を共にすることの方が今は危険だろう。

「―――ねえ、レン?」

そろそろ御茶ノ水に差し掛かる辺りを歩いていたとき、ふと柚子が不安げな声で和哉に呼びかけてきた。

「みんな、そんな簡単に、誰かを傷つけたり、悪い事を始めたり、しちゃうのかな」

ユズ、と篤郎が呟く。

燦々と照りつける真夏の日差しに、和哉はスウッと目を眇めた。

「ねえ、レン」

風景に混ざる、何ともつかない異質な物音。

鳥とは違う翼のはためき。

犬とは違う獣の息遣い。

かつての概念と秩序を呆気なく覆した、悪意を孕んだ異形の気配。

「私達助かるよね?」

「ソデコ」

「ねえ、レン、聞いてる?」

和哉はふと足を止める。

同じ様に立ち止まった篤郎と柚子が、ジッと和哉を見詰めていた。

「うん」

振り返ると、和哉は肌を射る真夏の日差しも、疲労で悲鳴を上げ続けている四肢の痛みも、今だけはと意識の外に追い遣って、力強く言い聞かせるように―――誰より、自分自身に言い聞かせるように、二人と向かい合って言葉を紡ぐ。

「死なないよ、誰も、封鎖の中で知り合った人も、アツロウやユズの大切な人たちも、誰一人死なせたりしない、俺たちは封鎖から出て、全員助け出すんだ」

封鎖に閉じ込められている全ての人とは言えない。

けれどせめて、言葉を交わした人達くらいは、どうにか。

「レン」

ユズの瞳が僅かに潤んで見える。

「うまくやってみせる、だから、俺を信じて」

「レン、お前」

「それに、俺の大事な人だって」

ポツリと呟かれた一言を聞いて、篤郎と柚子がハッとした表情を浮かべた。

「死なせやしない」

苦境に立たされて以来何度も思い浮かべた、誰より頼もしく想う従兄の姿。

(でも今は傍にいない、もしかしたら、もう封鎖から逃げて、俺達の為に何か手を打ってくれているのかもしれない)

従兄がここにいたなら、塞ぎこむ自分達を嘲笑うかのように、思いもよらない方法で問題を解決してしまうだろう。

どちらにせよ、生きてさえいてくれれば、きっとまた逢える。

COMPを用意してくれた事実以上に、彼が自分達を見捨てる可能性を、どうしても考えられない。

(だからせめて、それまでは自力で頑張るんだ、バカにされるのイヤだもんな)

和哉の横顔を見詰めていた篤郎が何か言いかけて、そっと唇を閉じた。

「レン」

シャツの裾を引いて「本当に?」と縋るように問いかけてくる柚子に、和哉は優しく微笑み返す。

「うん」

「ったく、もおー!」

急に傍で声がして、驚いた直後に頭を小突かれる。

「お前は!格好いいこと言っちゃって!そんなの、俺だってレンの事すげぇ信じてるっての!」

「わ、私だって!アツロウなんかよりずっと信じてるんだから!」

「なんかって、ちょっと待ってソデコちゃん」

「なによ、っていうか、ソデコってゆーなって言ってんでしょ!」

プイとソッポを向いた柚子に、篤郎が情けない声で「うえぇえ」と鳴いた。

和哉は咄嗟に噴出してしまった。

「レンまで!酷い!」

拗ねてしまった篤郎と、むくれている柚子を宥めにかかりつつ、心の底から改めて願う。

(俺達はやっぱり三人がいいんだ)

篤郎と柚子だけでもいい、絶対に守りぬきたい。

ようやく機嫌の直った二人を促して、和哉は再び閑散とした都会の街並みを力強く歩き始めた。

―――けれど、健気な心を嘲笑うかのように、正午を回った真夏の日差しは容赦なく地表を照らすのだった。