赤坂トンネルに辿り付いた三人を、悪魔と自衛隊員が出迎えてくれた。

トンネル入り口でたむろしていた悪魔達を追い払い、騒動に気づいた自衛隊員に見つかって銃口まで突きつけられたため、必死の思いで逃げ出したのだった。

その後、更に衛国寺で悪魔の集団と対峙した。

しかしこちらは居合わせた二階堂と本多が加勢してくれたため、勝負は呆気なく付いた。

一連の出来事で分かった事が幾つかある。

まず赤坂トンネル。

自衛隊員、と形容したけれど、厳密にはその類に当て嵌まらないらしい、篤郎が彼らの制服を見て首を捻っていた。

「警察とか自衛隊なんだろうけど、どっちとも微妙に違ったような」

しかし、民間人に問答無用で銃口を突きつけるとは、正気の沙汰と思えない。

『汚染地域』、『ターゲット』と、彼らの言葉もいまいち要領を得なかったが、もしかしたら昼間の男達のように、すでにCOMPを悪用して封鎖を突破しようとしている輩が出始めているのかもしれない。

(それと、ベル・デル)

衛国寺の悪魔達も口にしていた名前。

悪魔はCOMPを操れるらしい。

恐らく元の所有者をどうにかして奪ったか、拾ったものだろうか、トンネル前で同胞を召喚していた。

悪魔が呼んだ悪魔に契約は通用しない様子で、個々は自由に動き和哉達に牙を剥いてきた。

状況を鑑みるに、これからは更に封鎖内を悪魔が跋扈するようになるだろう。

篤郎の提案で、三人は神田を目指して歩いていた。

望月を案じているに違いない。

(確かに、不安が膨らむようなことばかり、立て続けに起こり過ぎた)

件のベル・デルは不死だそうだ。

池袋、18時、犠牲者50名以上。

(そんなもので済むわけがない)

けれどその日は着実に近付きつつある、頭上の数字も1のままだ。

(悪魔の親玉なんか呼び出して、奴等はこっち側に悪魔の王国でも作るつもりなのか?)

ふと幼い頃、寝物語に聞かされた、神々の物語が脳裏を過ぎっていた。

(そうなったら、ナオヤは喜びそうだよな)

神を毛嫌いしていた従兄が、まさかそんな思惑込みでCOMPを作ったのかと思い、苦笑いが漏れていた。

暑くて、視界と思考がグラグラ揺れている。

「レン」

ポンと肩を叩かれて、振り返ると疲れた顔をした篤郎が弱々しく笑いかけてくる。

「そろそろ休憩しておこうぜ」

「そうだな」

近くの日陰を探して、腰を下ろした。

普段なら、従兄から場を弁えない所作を厳しく禁じられていたから、絶対に路上に座り込んだりしない。

けれど疲労には逆らえなくて、正午を回った灼熱の日差しに、雨の一滴でも降らせてくれよと睨み上げた空は憎らしいほど晴れ渡っている。

柚子がそっと寄りかかってくるので、日に焼かれてぱさついた髪を撫でてやった。

水を一口飲んだ篤郎が「暑いなあ」と呟いてこちらを向いた。

そのまま視線だけで訴えてくるので、応えて和哉は小さく頷き返す。

柚子は封鎖内で疲弊していくばかりだ、けれど篤郎は、少なくとも冷静に状況を見極めようと努めている。

もしかしたら和哉がさっき考えていたよからぬ事も気づいているかもしれない。

衛国寺で別れた二階堂と本多の動向も気になっている。

(あいつら、強い悪魔を集めて一体何するつもりなんだ、やっぱり封鎖を突破する気なんだろうか)

けれど今更、封鎖を抜ければ全て解決すると考えられなくなりつつあった。

(不死って事は、死なないって事だ、そんなのとどうやって戦う?どうやって追い返すんだ?こちらに来ないようにする手立てはあるのか?)

頭の中身が茹って蒸発してしまいそうだ。

和哉は、一昨日までどこにでもいる普通の男子高校生をしていた。

しかし今、常に悪魔の襲撃に怯え、生命の危険に晒されて、明日の保証すら失われてしまった。

COMPを作ったナオヤなら、何か知ってるんだろうか)

一昨日姿を見たきり、メールが唯一生存を知らせてくれるけれど、それすら今日はまだ届いていない。

肌に熱気が滲みこんでくる。

―――もう、うんざりだ。

額の汗を拭って、霞む景色に首を振り、和哉はふらりと立ち上がった。

「レン?」

不安な柚子の声を聞きながら、篤郎に「ユズと待ってて」とだけ告げて歩き出す。

「って、どこ行くんだよレン、オイ!」

「すぐ戻るから」

「待てよ、一人でなんて危ないだろ、どうしたんだ急に?」

「レン?」

「レン!」

答えずに和哉は手近な飲食店の自動ドアの前に立った。

通電していない扉は勿論開かなかったけれど、構わず手を添えて、ぐいと力を込めて押してみる。

「ちょっと、レン!何やってるの!」

慌てて篤郎と柚子が駆け寄ってきた。

やめようとしない和哉の腕に縋って、柚子がやめなよと泣きそうな声を上げる。

「レン」

傍に来た篤郎は、しばらく和哉の様子を窺ってから、不意に鞄の中を漁りだすと、取り出したドライバーを差し出してきた。

「使えよ、こういう場面で役に立つとは思ってなかったけど」

「アツロウ!」

非難の声を上げる柚子。

二人は視線を交わして、これからいたずらをしようとしている子供のように微笑み会うと、和哉は自動ドアの隙間にためらいなくドライバーを差し込んだ。

「レン!」

「ごめん、ユズ、少し離れて」

(器物破損、住居不法侵入)

テコの原理で扉を開き、人一人分の隙間をつくって店内に入り込んだ。

店内に人の姿はなく、多少期待していた食料の類も見当たらなかった。

恐らく全て持ち出して避難所にでも行ったのだろう。

だが幸いな事に、ここもまだ水道が生きていた、ついでに綺麗なタオルも沢山発見できた。

柚子も結局、酷く不安げな表情で奥のテーブルについて小さく身を凝らせている。

後を篤郎に頼み、ドライバーとCOMPだけ持って、次に和哉は近くの衣料品店へと向かう。

出るとき篤郎と約束させられた、遠くに行かない事、何かあったら逃げ戻ってくる事。

(流石に、独断専行が過ぎたかな)

篤郎はいつだって和哉の行動を肯定してくれる。

それがどれ程嬉しくて心強いか、いつか伝えたいと思う。

(ただその分、こういう時はちょっと過保護気味だよな、あんまり長居すると探しにこられそうだ)

幾つか見繕って、無人のレジに財布から取り出した代金を置くと、無言で頭を下げた。

店を出て、小走りで二人の待つ飲食店に戻り、再び自動ドアの隙間をすり抜けて店内に入ると、篤郎が濡らしたタオルを手渡してくれた。

「有難う」

「お疲れさん、それ、買いに行ってたのか?」

「うん」

「買う、って」

奥から声がした。

明らかな非難の色を滲ませて、柚子が和哉たちを見ていた。

「また人のいないお店に勝手に入って、今度は泥棒してきたの?」

「代金はレジに置いてきたよ、お釣は貰ってないけど」

「それでいいの?またさっきみたいに入り口をこじ開けたんでしょ?どうしてそんな事するの?」

「ユズ」

「だってそれって犯罪じゃない!何で?レンはそんなことしない人だと思ってた!なのに」

酷いよ、と呟いて、項垂れたユズと、同じ様に黙り込んだ和哉を交互に見て、篤郎も視線を足元に落とす。

しん、と静まり返った店内に、暑さだけが満ちていた。

「ユズを不安にさせて、悪かったと思う」

ポツリと呟いた声を受けて、篤郎と柚子が和哉を見た。

「それは、ごめん、でも俺、自分がしたこと、いけなかったと思ってないよ」

ハッとした表情を浮かべる柚子に、和哉は改めて話し始める。

「悪い事だとは思う、しちゃいけない事をしたんだ、罰はいずれ、必ず受ける、この状況から抜け出せたら父さんと母さんにも話して、一緒に謝りに来てもらうよ、弁償だってする、といっても俺はまだ学生だから、親から借りなきゃ払えないけど」

「レン」

篤郎の声が小さく聞えた。

「俺はね、ユズ、納得できないかもしれないけど、この状況下で優先しなきゃいけない順位を結構冷静に決めたつもりなんだ、勝手に閉まってる店に入るのは犯罪だよ、でも、水もタオルもこんなにあるのに、どうして我慢して諦めなきゃいけないの?俺達は、この閉鎖の中じゃ、いつ死んだっておかしくない状況なのに」

「やめてよ!」

「ゴメン、そういう意味じゃない、でも今必要なんだ、法律っていうのは俺達が暮らしやすいように定められたものだろう?―――でもそれで必要なものを手に入れられなくなるんじゃ、意味ないじゃないか」

「でも、それは」

「ユズ、いい加減にしとけよ!」

耐えかねた様子で、篤郎が身を乗り出して叫んだ。

「レンはオレたちの為にこんなことしたんだ、オレたちもう限界だったじゃないか!レンはちゃんと悪い事をしたって、罪は償うって言ってる、わかってやってるんだよ!なのになんでお前までレンを責めるんだ、オレたちはレンの味方じゃないのか!」

「そんなの、私は頼んでない!アツロウが勝手に考えてるだけでしょ?私だってレンの味方だよ、でも私は、だからってこんなこと、これじゃ、朝見たコンテナの人たちと一緒じゃない!」

「違う!何言ってるんだお前、レンは、レンはなあ!」

「アツロウ!」

言い争っていた二人は揃ってビクリと肩を竦める。

滅多に大声を出さない、けれど、和哉の声は突き抜けるようによく通る。

店内に響き渡った一声の後、静かになった店内で、再び静かな声が響き始めた。

「それくらいにして、ユズも、怒ったら、余計暑くなるよ」

「レン!」

「有難うアツロウ、ゴメン、変な気遣わせて、ユズも本当にゴメン、こんなことは、もうこれっきりにするから」

「レン」

小さく呟いた柚子は、なんだか叱られた後のような目をしている。

和哉は苦笑いを浮かべて、傍に近づいていくと、衣料品店で買ってきた品物を差し出した。

「これ」

「何?」

「その、サイズは合うと思うんだけど、下着とシャツ、気の利いた渡し方できなくて悪い、レジの中漁って袋探すの、どうかと思ったから」

「えっ」

きょとんとしている柚子の前に、和哉はそれらを置いて、今度は篤郎に近付いていった。

「アツロウもシャツと下着、俺達一昨日から着替えてないじゃないか、一旦こっち着て、今着てるの洗濯しよう」

「って、お前、だからこんな事したのか?」

「うん、それと、もうひとつだけ」

「何?」

「お前達のためじゃないよ、俺が気持ち悪かったからさ」

巻き込んじゃって悪いな、と笑った和哉を見て、篤郎は急に目を潤ませると「バーカ」と言いながら軽く和哉の胸を小突いた。

「じゃあ、オレが勝手にそう思っとくよ、サンキュー、レン、洗濯しようぜ」

「まずは洗剤だ」

「ああ!」

頷きあった二人を「ちょっと」と、控えめな声が呼ぶ。

俯いていた柚子が、おずおずと顔を上げた。

「あの―――洗剤とかだったら、休憩室とかそういうところにあるんじゃない?飲食店だったら、エプロンとか洗ったりするのに使うでしょ、多分」

ポカンとする篤郎と一緒に柚子を見詰めていた和哉は、傍に歩み寄ると、ありがとう、と笑いかけた。

途端柚子は真っ赤になって再び黙り込んでしまい、その姿を見て篤郎が冷やかすように声をかける。

「おやぁ、ソデコちゃん、なーに赤くなってんだぁ?」

「なっ、てかちょっと!ソデコってゆーなって何度言わせんのよ、このバカアツロウ!」

「そういうのナシだろ?ったくお前はよ、いちいち世話が焼けるぜ、なあ?」

「レンに同意を求めないでっ」

ガタンと椅子から立ち上がった柚子は、着替えてくる、と言い残して、店の奥へ歩き去っていった。

苦笑いで振り返った篤郎に、和哉は改めて「ありがとう」と微笑んだ。

「ホント言えば、さっきのちょっと嬉しかった」

「何が?」

クスッと肩をすくめて、和哉は不意に篤郎に触れながら、頬にそっと唇を寄せる。

驚く篤郎からすぐに離れて、俺も着替えようかなとシャツの裾に手をかけた。

「れ、レン!」

小走りに駆け寄ってきた篤郎が、顔を真っ赤にしてその手の上に自分の手を添えてくる。

「ちょ、ちょっと待てよ、オレ若干ムラムラしちゃっただろ、どうしてくれんの!」

「知らない」

「レン!」

「アツロウも着替えなよ、さっさと洗濯済ませて神田に向かうぞ、マリ先生が心配なんだろ?」

「それは、そうだけど、でも!」

「じゃあ封鎖から出たら、何とかしてあげるから」

「ッて今じゃなきゃ意味ないだろうが!」

「だったらおあずけ、ホラ、あっちいって、着替えにくいだろ」

もうーと唸ってジタバタしている篤郎を笑いながら押し退けたら、店の奥から「なにー?」と柚子の声が聞こえてきた。

「何でもない、ユズ、洗剤あった?」

「うん、ちょっと待って、見つけたら声かけるから、あと、あのね、レン」

「ん?」

「着替え、してるから、こっち来ちゃダメだよ、でも洗剤取りに来るのは、レン一人で来てね」

「ッてオレは?」

「バカアツロウ!こっち来たら殺すわよ!いいわね!」

「酷ぇ、お前ら、揃いも揃ってオレの扱いが酷すぎる」

項垂れた篤郎は半ばヤケクソ気味に帽子を脱いで、そのまま服も脱ぎ始めた。

和気藹々とした空気の中に僅かな罪悪感を覚えつつ、和哉はもう一度胸の中で、優しい二人に感謝の言葉を告げていた。