「悪魔って便利だよなぁ」
神田の街並みを歩きながら篤郎がぼやいた。
和哉は苦笑いで頷き返して、柚子はただ溜息を吐いただけだった。
見つけた洗剤で靴以外の身につけていた衣類全て洗濯して、ついでに石鹸で髪と体も洗って―――店内を多少水浸しにしてしまい、本当に申し訳なく思うけれど、以前より格別に気分が良い。
洗濯の間、休憩室で発掘した制服も借用させてもらったから、それも改めて洗い直して元の場所に戻しておいたけれど、後で纏めて弁償しなければいけないなと思う。
濡れた衣服や髪の乾燥は、和哉がアイディアを出して、篤郎が微調整をかけた。
それは、悪魔の力を借りて熱風を起こし、一気に乾燥させてしまうという、最新家電もビックリの高性能乾燥法。
ものの一分もかからずに乾ききっていた、これなら、マメに洗濯や洗髪をしても問題ないだろう。
(あの店は暫く使わせてもらおう、これ以上迷惑かける場所を増やすのは良くない)
店主には悪いが、今だけは見逃して欲しい。
画期的な手法を編み出した篤郎は無邪気にその凄さと、悪魔の可能性の話をして、柚子に一蹴されていた。
和哉は二人のやり取りを聞いてただ笑い、そして密かに、現状に慣れつつある自分に憂鬱な思いを抱いていた。
(俺は、やっぱりろくでもない奴だ)
咎を受ける覚悟があっても、許されない事はあるだろう。
そこまでの悪事働いてしまったと後悔している訳ではない、要は心根の問題だ、つまり、必要に迫られれば何でもしてしまうような精神が自分に宿っているのだと改めて思い知らされて、それが僅かに辛い。
(暴動だって起こるだろ、欲求に弱いのは人間の性だ、俺には誰も責める資格なんてない)
ただ、責めはしないが、障害となれば何だって誰だって容赦なく排除する覚悟は、いつだってある。
溜息を漏らした和哉の耳に、不意に聞き覚えのある声が飛び込んできた。
「タダシ君、危ない事は、やめて?」
三人は顔を見合わせてから、声のした辺りに近付いていく。
そっと物陰から覗いてみると、黒いシャツを着た長身の青年と、白衣の女性―――二階堂と望月がお互い緊張した面持ちで向き合っていた。
不穏な空気は呼びかける声をためらわせて、ひとまず様子を窺おうと、三人は聞き耳を立てた。
「もしケガなんてしたら、お兄さんが悲しむもの」
二階堂がガードレールを蹴り飛ばして、望月は僅かに身を竦ませる。
「何度言わせんだ、アイツの事を口にするんじゃねぇ!」
「ごめんなさい、でも、元はといえば私が」
「聞えねぇのか?それをやめろって言ってんだヨ」
「ごめんなさい」
項垂れた望月を複雑な表情で二階堂は見詰めていた。
「クソヤロウ、普通に死ねばいいものを、オレの邪魔にばかりなりやがる―――フン、あんなアニキ、オレが殺してやりゃ良かったぜ」
「タダシ君!そんな事、冗談でも言わないで!」
噛み付いてきた望月に、二階堂も声を荒げて返す。
「テメエこそ首突っ込むな、アレはオレの獲物だ、オレが始末を付けてやんヨ」
お前は大人しく引っ込んでろ。
最後に吐き出すように告げて、踵を返した猫背の後姿が、乱暴な足取りで去っていった。
「ごめんなさいタダシ君」
見送る望月の声は、多分和哉達だけに届けられた。
「あなたの気持ちは嬉しいけど、私も引けない理由があるの」
(どういう意味だ?)
若干ためらい、けれどいつまでもこうしていても仕方ないと、意を決して近付いていった、和哉達の気配に気付いた望月がくるりと振り返って驚いた表情を浮かべる。
「あなた達」
そしてすぐ、バツの悪そうな表情で、見られちゃったわね、と呟いて笑った。
望月の笑顔はどこか寂しげに見えた。
二階堂の兄は、吸血鬼に殺されたらしい。
連続吸血事件。
被害者が体中の血を抜かれて死んでいることから命名された、最近世間を騒がせている猟奇事件の犯人は、今では本当に吸血鬼ではないかと思う。
望月が二階堂と幼馴染だった事実にも驚いたけれど、それ以上に彼女が連続吸血事件と係わりのあったこと、そして、被害者の一人が二階堂の兄と知って、因縁めいたものを感じずにいられない。
そして望月は、名言こそしなかったが、多分自身の手で復讐を遂げたいのだろう。
そうしなければ怒りを、憎しみを、そして、嘆きを昇華できないに違いない。
思い込んでいるだけなのか、実を伴った呪いなのか、そこまでは分からないけれど、望月の決意だけは本物だ、だから二階堂と言い争っていた。
「よぉ」
望月と別れたあと、路地裏からふらりと現れた二階堂に呼び止められて、改めて彼の口から兄の身に起こった出来事、そして吸血事件に対する二階堂の見解を聞いた。
二人が追い求めるのは兄の仇。
どちらもやりきれない思いを胸に抱いて、裁きの炎を滾らせている。
そして二階堂は、同時にいつまでも兄の面影を引きずり続ける望月に、若干焦れているようだった。
(つまり、三角関係をこじらせているわけだ)
自分と篤郎と、直哉のようなものかなと思って、違う違うと首を振る和哉を篤郎が不思議そうに見ていた。
柄にもなく照れていた二階堂の姿は、多分離れて待っていた篤郎と柚子には、ただ不機嫌に突っかかっていたようにしか映らなかっただろう。
不安げに見詰めていた表情が、それを如実に物語っていた。
「オレはアイツより年下だからヨ、いつまで経っても弟扱いだ、ったく、ムカついてしょうがねぇ」
なるほど、と頷いた和哉に、二階堂は「オマエさ、遊んでそうじゃんか?」などと言い出すので、少し睨んでやったら、今度は気に触ったら悪いと詫びられた。
寝は案外素直な男なのかもしれない。
二階堂はそのまま、年上の女の口説き方など知らないかと尋ねてきた。
本当にお門違いだ、年上の男なら、直哉の口説き方くらいなら教えてやれるかもしれないが。
(いや、無理だな、ナオヤは基本誰の言うことも聞かないし、俺の頼みだって、結局対価を要求してくるもんな)
それは手伝いだったり奉仕だったりと色々だけど、思い出したら少し不愉快な気分になって、和哉は適当に「何か困っている事を手伝ってみれば」と提案しておいた。
「困ってる事?あ〜、封鎖ん中にいる限り、いくらでもありそうだがヨ」
額面どおり受け取る、二階堂はやはり、根っこの部分は人情肌だ。
「アイツ、厄介事に首突っ込んでやがるからな、余計に心配だぜ」
二階堂の悩みは結局全て吸血事件に帰結しているようで、件の犯人を捕らえない限り進展も変化もありえないのだと、勝手に考えて、勝手に何か結論を出したらしい。
吸血事件の犯人を望月より先に始末してやろうと、微妙にずれた決意を固めていた。
「テメエ分かってんだろうがヨ、ゼッテーあの赤毛やオタクヤロウにこんな話するんじゃねぇぞ?もし話したら、その変なヘッドホン取り上げっからな?」
咄嗟にヘッドホンを抑えた和哉を見て、二階堂は始めてまともに笑ってみせた。
「じゃあヨ!」
肩をポンと叩いて、猫背の背中が再び歩き去っていく。
どこか浮かれた足取りを見送っていたら、駆け寄ってきた篤郎と柚子が何を話していたのかしきりに尋ねてきた。
「言うなって釘刺されてるんだ、話すと二階堂にヘッドホン取られる」
「何だそれ」
「とにかく、吸血事件がらみで情報があったら知らせて欲しいって頼まれたから、協力してやろう?」
「まあ、レンがそう言うなら協力するぜ」
「出口探しのついでだけどね」
「うん」
「そういえばナオヤさんの事、何か聞けたか?」
「いや、仲間内で連絡が取り辛くて、これ以上探すのは無理だって言われた」
「そうか」
「仕方ないよね」
和哉は二人を促して、とりあえず移動を再開した。
思い込みが激しくて直情的な二階堂と、柔和に見えて案外頑固な望月は、これからどう進展していくのだろう。
(一応、マリ先生の安否も確認できたし、目的は果たせたけれど、逆に心配事が増えたな)
事件を語った時の望月の表情、そして、兄を殺した犯人を憎み、兄を越えたいと足掻く二階堂。
各々断罪を望む二人は、共に手をとり戦えないのだろうか。
(そうすればマリ先生は目的を果たせるし、二階堂も格好良い所を見せられると思うんだけど、今の状態じゃ共同戦線は望み薄か)
一応、記憶の端に留めておこう。
歩く視界の先で、神田の街並みを彩る赤いちょうちんが風に揺れていた。