ベンチに腰掛けながら、街の明かりがなければ、月も星もこんなによく見えるものなのかと思う。
プロメテウスが文明の火を与えて、人は多くを作り出した。
その結果、神秘は失われ、いまや世界に神などいないのだと語っていた、直哉を思い浮かべる。
(だとしたら、世界には悪魔しかいないのかな)
神頼みなど馬鹿らしいと笑うだろう。
そんなつもりは和哉にもない。
(でも)
今の状況は、神にでも縋りたくなるものだ。
暑さに責められ、悪魔に追われ、満足に食べるものもなく、安心して休める場所も無い。
この日本で、どれだけ豊かな暮らしを享受していたか思い知らされる。
世界には多分、これに近い状況の国も沢山あるだろう。
和哉達は昨日同様、日も暮れてきたという事で、渋谷の宮下公園を今夜の寝場所に求めた。
公園内は昨日より人の数が多く、誰も不安げな表情で蹲って朝を待っている。
ラプラスメールの最後の一文。
全日怪物の目撃が多数、『悪魔』と暫定的に呼称。
(悪魔)
目の当たりにするまでは物語の世界の住人だった、人と違う異形の存在。
昨日はまだ混乱の最中にあって、COMPを使う事も、悪魔の力を使役する事にも、ただ不安を覚えるばかりだった。
(いや、違う)
正確に言えば、和哉はこの状況に慣れてしまうことが怖かった。
必要だからと使い、仕方がないと切り捨てる、けれどそこで失われたものは、多分二度と戻ってこない。
(その証拠に俺は、今日、暴動に備えて、人間相手の戦いに慣れておこうなんて考えたんだ)
常識的道徳的に考えれば忌諱すべき思考、少なくともまともではない。
(でも、必要なんだ、俺はそんなに強くない、守るためには捨てなきゃならないものもある)
危機的状況下でどんどん化けの皮が剥がされていくようだ、本音は、本性は、多分氷のように冷ややかで、欺瞞と自己愛に満ちている。
(そういうのは、嫌なんだけどな)
明日で死ぬのかもしれないんだと、頭上の数字を確認しながらぼんやり思った。
今日の運命を全て覆しても見返りは無かったから、やはり明日、死の運命を変えるしかないのだろう。
「おーい、レンー!」
水汲みに出ていた篤郎と柚子が戻ってきた。
「ホラ、お前の」と水を詰めたペットボトルを手渡されて、和哉は有難うと答える。
「最後のライフラインだよな、電気無くてもどうにかなってるけど、水無くなったら最後だよ、まあ、政府はあてになんねーみたいだけど」
「やめてよアツロウ」
「ああ、悪い」
和哉の両隣に腰を落ち着けた二人は、今日の出来事を話し始めた。
密かに出回っていた改造COMPの流出元、明日にでも起こるだろう暴動の危機、ハルを探していた怪しげな人物に、それぞれの思惑で動いている封鎖内で知り合った人々。
そして、いよいよ明日に迫った余命の期限と、不死の悪魔ベル・デル。
あんまり考えたく無いよな、と呟いて、篤郎が黙り込んだ。
柚子も暗い表情で俯いている。
和哉は、スイと漆黒の空を見上げた。
―――何だろう、さっきから胸の奥がざわついて仕方ない。
(今日も、明日も、何も変わらないよな、俺達は明日も運命を乗り越えて、明後日に命を繋げるんだ)
闇の中でチラチラと瞬く星の光は、何億光年の彼方から届くものもあるという。
それは地球の時間に換算すると何年、何十年、もっと長い時間かかる事もあって、今はもう無い星の光を見ているのかもしれないと、そんな話を従兄から聞かされたときは、ロマンチックな話だと感激した。
(いつの間にか無くしてしまうものもある、そんなつもりが無くても、失う事だってある)
今どこにいるのだろう。
今日は結局メールを寄越さなかったなと、胸を過ぎる不安から無理矢理目を逸らす。
(ともかく、明日、封鎖から出るか、運命を変えるんだ)
生きていればきっと会えるだろう。
レン?と柚子の声が聞こえた。
「どうかした?」
「大丈夫」
振り返って和哉は笑う。
この予感が何であれ、いずれ時は訪れる。
今は体を休めて、明日に備えるべきだろう。
「星が綺麗だと思ってさ」
「まあ、都心じゃこんな夜空見られないよなぁ」
篤郎が空を見上げながら寄りかかってくるので、思わず声を立てて笑ったら、柚子までおずおずと寄り添って空を見上げた。
「怖いけど、綺麗だね」
「ああ、星だけは変わんねえな」
「私たち、明日もきっと勝てるよね」
「レンもオレもいるんだから、何も心配いらねえよ」
「うん、レン、頼りにしてる」
「ちょっと、オレは?」
「ついでに頼りにしてあげる」
「(ついで)で(あげる)かい」
さて、そろそろ寝ようかと和哉は二人に声をかけた。
「そうだな、そうするか」
「今日は順番どうするの?」
「ん?ああ、見張りか、そうだなあ、じゃあ今夜は最初にレンが寝ろよ、んで次にソデコ、最後がオレ」
「ソデコってゆーな」
「オレは最初がいいかな」
「は、何?」
「朝まで二人の寝顔見てるのヒマだ、オレ、寝起きは暫く頭働かないし」
「私は最後がいい」
「何で?」
「だって、夜起きてるの怖いもん」
「お前ら、わっがままだなあ〜!」
篤郎が天を仰いで呻いた。
けれど割りの合わない目に遭わされる事に慣れている友人は、今回もしょんぼりと肩を落としながら、はいはい分かりましたと片手を振ってうなだれた。
「好きにすれば良いだろ、もー、じゃあ最初はレン、次にオレ、最後はユズって事でいいか?」
「うん」
「アリガト、アツロウ!」
「はぁ、もお」
オレは寝る。
腕を組んでベンチの背凭れに寄りかかる姿に、今度は和哉が体を寄せてフフと笑った。
「何だよーもう、寝るんだから、邪魔すんなよー」
「ハイハイ、ごめんなさい」
「私ももう寝るね、レン」
「ん」
起き上がった和哉は、そっと凭れてきた柚子の肩にいつものように腕を回して、夜風から守るように華奢な姿を抱き寄せた。
余程疲れていたのだろう、程なく二人は寝息を立て始める。
安堵の気配に頼られながら、けれど和哉はたった一人、消えない胸の不安に、何故か従兄の姿ばかり思い出していた。
(ナオヤ)
どこかで無事でいてくれたらいいと思う。
また会えたら、何故悪魔召喚プログラムを作成したのか、そのシステムを組み込んだCOMPをどうして自分達に与えたのか、理由を聞かせて欲しい。
もしかしたらこの封鎖に巻き込むつもりで呼び寄せたのかもしれない、胸に秘めている真意も。
(知らないこと、分からないことばかりだ、もしかしたら俺は自分の事ですら、気付いていない何かがあるのかもしれない)
夜空で星が瞬いている。
あの光の元は、果たして今も現実に存在しているのだろうか。
―――今夜は多分、夢など見ない。