Light Prayer3RD DAY

 

 ねえ、なおや。

―――幼い頃の自分が、従兄弟に問いかけている。

従兄弟は赤い瞳を細めるようにして、和哉の髪をそうっと撫でながら、何だ、と静かに答えた。

「かみさまは、どうしていじわるなの?」

「そうだな、それは、神も完全な存在ではないからだろうな」

「かみさまは、いちばんえらくて、いちばんすごいんじゃないの?」

「そんな事はない、もしそうであれば、何かを選び、何かを切り捨てるような真似などしないだろう、取捨選択を行う必要があるという事は、すなわち完全でない何よりの証だ」

「そうかー」

けれど当時の自分は話の半分も理解できていなかった。

それは従兄弟もお見通しだったのだろう、クスッと笑って、また和哉の髪を指で梳き、軽く背中を叩いてくれる。

「お前は神を信じるか?」

和哉は無邪気に答える。

「しんじるー!」

「では―――神と俺なら、どちらを信じる?」

考えるまでもなく、傍らで横になっている温もりに抱きついた。

「なおや!」

すると従兄弟は―――兄は、心の底から嬉しそうに笑って、和哉をぎゅっと抱きしめたのだった。

「ああ、そうだな」

耳元に寄せられた唇から紡がれる、甘く密やかな囁き。

「俺もお前を信じている―――だから、お前は、お前だけは、決して俺を裏切ってくれるな、いいな和哉?俺の傍から離れるな、俺の言葉だけを聞き、俺にだけ誓いを立てろ―――俺は、お前の全てを全力で守る、だからお前も、俺の全てを受け入れろ」

「はい」

まるで神のように傲慢で強引な兄。

その兄からキスを施され、まどろむ瞬間がこの上なく幸せだった。

今も変わらず自分にとって世界と等しい存在感を持ち続ける、その人の名は、蓮見直哉。

蓮見和哉が神より信じ、両親よりも敬う、世界にただ一人きりの兄。

誰よりも、何よりも、時には自身すら犠牲にして和哉を愛してくれた、守ってくれた、その彼が自分にCOMPを託した理由は何なのだろう。

(分からない)

懐かしい記憶が巡る。

愛しい兄の姿が、巡る。

(分からないよ、直哉)

手を伸ばしても、直哉は追って来いと言わんばかりの笑顔で遠ざかっていく。

(直哉!)

 

―――ハッと目が覚めた。

 

直後刺し貫くような朝の光に呻き声を漏らして再び瞼を閉じると、身じろぎする。

体中ベトついて気持ち悪い、あちこち軋むように痛い。

(ああ、そうか)

ここは渋谷区―――宮下公園のベンチだと、ようやくまともに動き出した頭を軽く振りながら、だるさを払いのけていると、「おーい」と馴染みのある声が聞こえてきた。

まだぼんやりしている和哉の元に、ペットボトルを持った篤郎が駆け寄ってくる。

「よーう、レン、起きたか!」

「うん」

そのまま隣に腰掛けて、冷たいボトルの表面を頬に押し付けられた。

「うっ」

篤郎があっけらかんと笑う。

「汗メチャクチャかきながらでもグッスリだよなぁ、お前」

「んー」

「ダルイか?」

パチパチと瞬きを繰り返すと、和哉は顔を上げて軽くため息を漏らす。

「そういうアツロウは元気そうだな」

篤郎は少し照れ臭そうに笑って、「飲めよ」とペットボトルを手渡してくれた。

今日で封鎖三日目。

ただ閉じ込められているだけではない、昨日も、一昨日も、悪魔と戦い、何度も命の危険に晒された。

そして今朝の自分達の頭上に浮かび上がっている数字は―――ゼロ。

それはつまり、本日中に死ぬという残酷な未来を指し示している。

キャップを捻って、冷たい水道水の感触で喉を潤しながら、死んでたまるかと腹の底で唸った。

一方的な現実に屈してたまるか、生き残るんだ、絶対、生き抜いてやる。

濡れた唇を手の甲で拭う和哉の元に、今度は支度を済ませた柚子が「おはよう」と姿を見せる。

「避難所で寝起きするのに慣れてきたみたいで、何だかちょっとフクザツね」

苦笑いを浮かべながら和哉の傍らに腰掛けて、小さく溜め息を漏らした。

「そうだな、それにさ、今日脱出できなければ、二度目の運命の日だぜ」

「―――朝から思い出したくなかったよ、でも、もうやるしかないんだね」

「そうだな」

出来ることは全部やろう。

篤郎の言葉に、和哉と柚子も頷き返す。

「絶対に、生き残るんだ!」

和哉の言葉に呼応したかのように、それぞれが所持するCOMPからメール着信を告げる電子音が響いた。

「と、ラプラスメールだ」

パクンと開いて覗き込んだ画面に綴られていた文字。

18時頃、港区青山、青山霊園―――不死の者【ベル・デル】の復活、犠牲者300名以上。

「何、これ」

それは、思いもよらない未来だった。

犠牲者300名以上。

「300名って、そんな」

柚子の声が震えていた。

篤郎のCOMPを持つ手も僅かに震えている。

「ベル・デル!ついに来たな、悪魔の親玉だ」

惨事の幕開けは青山霊園。

初めて悪魔と戦った因縁の場所。

「不死身の悪魔だよね?」

思わず確認するように尋ねた和哉の言葉に、柚子がうん、と小さな子供のように拙い仕草で首を振る。

「少なくとも、悪魔はそう言ってたよね、どうすればいいんだろう」

「とにかく夕方までに山手線を出る方法を探そう、オレ達には時間がないんだからな」

「うん、絶対死にたくないよ、早く逃げよう?」

重苦しい雰囲気の中で、和哉は、僅かに納得の行かない想いを抱いていた。

逃げて、どうなる?

それ以前に逃げられるのだろうか、この封鎖から、本当に脱出可能なのか?

不死身という事は死なないという事だ、そんな奴に対抗する手段なんて持っていない。

遭遇すれば死は免れないだろう。

哀れな骸と成り果て、犠牲者の中に名を連ねる前にさっさと逃げてしまえ、それは理解できる。

けれどこの二日の間、自衛隊の完璧な包囲網は微塵も揺るがず、まして、自分達はまだ何一つとして有効な手段も、有益な情報も、入手できていない。

それなのにこの包囲網から逃れる?どうやって?

それに逃げてどうなる。

封鎖の中や、封鎖を行っている自衛隊に、不死の悪魔をどうにかできるような切り札が存在するのか?

―――たとえ今、逃げられたとしても、結末は変えられないのではないか。

(だからって、俺に何が出来るっていうんだ)

分からない。

何も分からず、手の打ち様も無い今は、やはり逃げるしかないのだろうか。

和哉は思わず空いているほうの手を膝の上でギュッと握り締めていた。

掌に爪が食い込み、僅かな痛みが滲むように伝わってくる。

ふと気配を感じて視線を移せば、そこに見覚えのある姿が控えめな様子で佇んでいることに気付いた。

「あ、ごめんね、話し中だったかな?」

「ケイスケ君」

柚子も驚いた表情を浮かべる。

確か彼はドリーと行動を共にしていたはずだ、それが何故、今、1人でここにいる?

「どうしたの?」

途端、圭介の表情が僅かに強張った。

「キミたちを探していたんだ」

何かあったのかと問いかけた和哉に向き直る。

「うん、ちょっと困った事になったんだ、ミドリちゃんの事なんだけど―――彼女にCOMPを持たせたのは、失敗だったかもしれない」

和哉は改めて、篤郎、柚子と顔を見合わせていた。

「話を続けて」

促された圭介はどことなく歯切れが悪い。

「うん、彼女はCOMPを使って人助けをするって言い始めたんだ、彼女が悪魔から身を守るための手段になればいいと思ってCOMPを渡したわけだけど」

ふと昨日の光景が和哉の脳裏を過ぎっていた。

「余命が減った?」

じっと見据えられて、圭介が頷き返してくる。

「やっぱり、キミも気づいていたんだね?人助けをするって言い始めてから、彼女の余命が減ったんだ」

「ええっ!」

柚子が声を上げる。

同時に圭介の溜め息が重なった。

「だからCOMPを手放すように言ったんだけど、聞き入れてくれないんだよ」

「でも、ミドリちゃんは誰ともグループを組んでないんでしょ?だったら、自分の余命も見えているはずじゃ」

「もちろんだよ、でも彼女は頭の上にある数値が自分の余命だなんて気づいてもいない」

「ボクも説明しようとしたけど、彼女は全然、聞いてくれないんだ」

項垂れて、苦しげな表情で吐き出すように残酷な結末を予言する。

「このままじゃ、明日には彼女が死んでしまう」

再び顔を上げた圭介は神妙な面持ちで、真っ直ぐに和哉を見詰めてきた。

「だからキミたちに、何とかして彼女を説得するのに、手を貸して欲しいんだ」

「どうする、レン、決めてあげてよ」

柚子に促されて、和哉は、篤郎と柚子を交互に伺う。

「助けてあげてもいい?」

三人で行動している以上、全員の意志が同じでなければ、破綻や不和の元となる。

そんなものを今更気遣うような間柄ではないけれど――― 一応、お伺いを立てた和哉の心中を、どうやら二人はあっさり見抜いた様子で、クスリと笑いあってから先に柚子が肩を竦めて見せた。

「気にしてくれてありがと、でも、いいよ、やっぱり自分のために友達を見捨てるとか、何か違う気がするし」

「だな」

「助けてあげよう?」

圭介が嬉しそうに笑う。

「ありがとう、キミたちと知り合えて、本当に良かった!」

そして自身のCOMPをグループ登録すると言った途端、篤郎の表情が険しくなった。

いいのかと尋ねた和哉に、圭介はどういう意味かと首を傾げる。

「―――レンが言っているのは、余命の事だよ」

篤郎の声が重く淀み、ハットの影から覗く瞳には暗い影が滲んで揺れる。

「オマエには、オレたちの余命が見えてるんだろ?」

「ああ、何だ、そんな事かい?」

「そんな事じゃねえよ!」

突然声を荒げた、その気持ちは、和哉にも十分理解できた。

そんな事、などで済ませられる問題ではない。

兄の創り上げた余命演算システムは、製作者の気質同様、正確に、冷徹に、運命の数値を算出する。

ただ、唯一の救いは、未来は常に不確定であること、それゆえ余命の数値を変える事も可能である。

だからこそ和哉達は今日まで幾度となく死の運命を塗り替える事ができた。

しかし何も知らぬまま、無為に過ごしていれば、今日という日は訪れなかっただろう。

恐らくは捻くれ者の兄のこと、単純に和哉たちを救う目的で用意したわけでは無いと思うが、それでも、このシステムによる恩恵は大きい。

そして現在単独行動中の圭介には、自分や他の人々の余命が見えているはずだ。

和哉のCOMPをホストとしている篤郎や柚子には、自分も含めた人々の余命は見えない。

ネットワークを共有した結果がどうなるか分かっているはずなのに、何故軽々しくそんな事が言えるのか、和哉も、圭介の心中が気になった。

「オレたちは今日、死ぬんだぞ!それなのにオマエッ」

「変だよね」

しかし圭介はうっすら笑みすら浮かべていた。

「一度は逃げ出したボクが、キミたちと運命を共にするんだ」

篤郎だけでなく、柚子も怪訝な瞳を圭介に向けている。

「でも、ほんの少しだけど、分かったんだよ」

「何が?」

圭介の瞳が和哉に注がれる。

決意と、そして、僅かな戸惑い―――何故か疑念の様なものが脳裏を掠めた。

「キミたちの強さ、かな、本当に生きたいっていう気持ち、他の人を助けたいっていう想い―――そんなものもなく、ただ逃げ回るより、ボクはちゃんと生きていたいんだ」

「ケイスケ」

圭介は篤郎をちらと伺うと、COMPを操作して、フッと微笑んだ。

同時に頭上の数値が4から0へと変化する。

「さ、これでボクはキミたちの仲間だ、よろしく頼むよ、蓮見君」

差し出された手に「よろしくね」と言って腰を浮かせ、握手を返した。

―――やけにあっさりしている。

まだ早朝だというのに、夏の暑さがジワリと肌に滲み、背中を汗が伝い落ちていく。

まあ、いいか。

そう思った。

圭介の思惑がどうであれ、自分には、この両手で叶えられる限りの事しかできない。

極限下で疑ってばかりでもいられないだろう、それよりまず、行動すべきだ。

頭上を仰ぎ見た圭介が「ああ」と感慨深げに声を漏らした。

「余命表示が消えた、やっぱりだ」

「余命表示機能は、所属するグループのホストにしか見えないらしいんだ」

「うん、ボクも聞いた事はあるよ、でも、実際に見たのは初めてだから」

圭介は妙に興奮した面持ちで篤郎を振り返り、再び和哉を見る。

「さすがにキミたちは詳しいね、死の運命を乗り越えて来ただけあるよ」

「ま、それなのに、今日もまた0なんだけどな?」

「あはは、ボクも頑張るよ、絶対に生き残って、ミドリちゃんも助けてみせる」

「ああ、そうだな」

改めて、篤郎からドリーの余命を尋ねられて、圭介の表情がグッと引き締まった。

「ミドリちゃんが人助けをするって言い出した途端、余命が2になったんだ、つまり今日は1になっているはずなんだけど、彼女はこの危機に気付いてないから」

「まずは今日の自分達だ」

「そうだよね、私たちの今日を越えないと、明日のミドリちゃんを救えないもん」

和哉の言葉に、柚子が頷き、圭介も固い口調で答える。

「そうだね、分かってる、とりあえず、ボクらが今日を生き延びる事を最優先にしよう」

誰かを助ける余裕は、まず、自分自身を充足させなければ、出来はしない。

「でもミドリちゃんを見かけたら、説得する事だけは忘れないで欲しい、早くに気持ちが変われば、その事で余命を増やす事が出来るかもしれないから」

「ところでさ、ケイスケ、オマエ何でそんなに、あの子にこだわるんだ?」

「えっ」

「もしかして、ははぁ、そういう事?」

急に声の調子の変わった篤郎が、からかうような視線を圭介に向ける。

「ちっ、違うよ!」

即座に慌てだした圭介の頬が、僅かに赤く染まっていた。

「ただ、その、ボクは」

「ただ?その?―――何だよ?にっひっひっひ」

「ちちちち、違うって!」

楽しげな様子を呆れ顔で眺めている柚子と、すっかり冷やかしモードに入った篤郎とを見て、和哉は微かに笑んでいた。

時折、失われてしまった日常の片鱗が、こうして目の前に現れる。

それはとても懐かしく、とても愛しい、なんとしても取り戻したい風景。

ほんの2日前まで自分達は何気なくこうした会話を楽しんでいたはずなのに、今、どうしてこうなってしまったのか。

圭介は急にしんみりした口調で、僅かに首を項垂れた。

「ボクは昨日、ミドリちゃんがCOMPを持つ事を止めようとしなかった―――それどころか、彼女に言われるままCOMPの使い方を教えてしまった事で、彼女の余命を減らしてしまったんだ」

真顔に戻った篤郎が、僅かに申し訳なさそうに眉を寄せていた。

柚子も黙り込んでいる。

「彼女を助けたかった、でもこのままじゃ、ボクのせいで彼女を殺してしまう事になる」

「―――ふぅん、そうか」

短く呟いて、急にニコリと笑うと、篤郎は圭介の肩をポンと叩いた。

「ま、オマエらしいって言えば、オマエらしい理由なのかもな!」

圭介も笑い返す。

二人の間に、静かに通じ合うものを、和哉と柚子も感じ取っていた。

「さて、それじゃ行動開始だ!レン、どうすんだ?」

クルリと振り返った篤郎に、和哉は咄嗟に頷き返す。

「それじゃ、ミドリを探そうか」

「たはー!」

途端、篤郎は大げさに声を上げながら、額にパシンと手を当てて空を仰いだ。

「オマエって奴は!」

「え?」

「自分の余命、理解してんのか、ミドリちゃんより出口だろ?」

「あっ」

何だ、ちゃんと分かってるんじゃないか。

呆れ顔の篤郎に、和哉も内心密かに呆れながら、さっきまでの友情トークはどうしたんだよと胸の中だけで呟いておいた。

雰囲気で物を言うものじゃない。

それに、今更そんなこと、言われなくても分かっている。

―――本日18時までに何らかの手段を講じなければ、俺たちは間違いなく死ぬ。

(そんなつもりない、やれることがあるなら、全部やってやる)

暢気な篤郎は、それも和哉のいい所だと褒めてくれた。

気のいい、優しい友人。

篤郎を失いたくない。

勿論、柚子も、直哉も、絶対に失いたくない。

知り合ってしまった人々、誰の命も失われて欲しくない。

ふと見上げた空の青さが急に鬱陶しく思えて、和哉は額に滲み出した汗を拭い捨てた。

夏が嫌いになりそうだな。

歩き出す三人の後に続くようにして、宮下公園を後にした。