正午近くなると太陽も頭上に近付き、いよいよ暑さが増してくる。

顔を上げる気にすらならなくて、照り返しの熱で陽炎の様に揺らめいているアスファルトに視線を落としながら、少し前の出来事を思い返していた。

 

朝、ひとまず望月の安否をもう一度確認しておきたいという篤郎の言葉で、まずは神田へ向かった。

その途中で再び東海林に出会い、色々と情報交換をすることが出来た。

悪魔の存在は既に封鎖内部の人々の知るところとなっているらしい。

(でも、ベル・デルの情報はまだ出回ってないみたいだ)

他には、どうやら改造COMPを所持する者が増えているようで、4日後に世界が滅びるという噂がまことしやかに流れているようだ。

現在、封鎖内部の人間に表示されている寿命は最大で4。

ゆえにこれは自分達と同じように悪魔を使役する人々が話しているのだろう。

しかし事情を知らなければ、きっと悪戯に不安を煽られてしまう。

だが、現状有効な対抗手段など何も無いため、これに関してはどうすることもできない。

以前望月が話していた、暴動の可能性がいよいよ濃厚になりつつあることだけ胸に留めておくことにした。

―――色々、厄介なことになりつつある。

厄介といえば、その後、結局望月は見つからず、ついでと再び足を向けた赤坂トンネル内で、和哉達は今更のように悲惨な現実を目の当たりにする羽目になった。

昨日、悪魔と交戦後、発砲してきた兵士の1人、政府の特殊機関に所属するという飯綱ミサキとの出会い。

初めこそ警戒心むき出しだった彼女は、最終的に和哉たちを信用に足りる相手と認めてくれたらしい。

そして幾つかの情報を開示してくれた。

正直、政府の機関に所属する人間が、機密事項を民間人に話してしまっていいものかとも思ったけれど、恐らく彼女も自己認識できていない範疇で混乱しているのだろう。

この封鎖内で、まともな精神を保ち続けることの方が、よほど困難だ。

そして飯綱の与えてくれた情報は、現状和哉達にとって必要なものでもあった。

山手線内部の封鎖は、やはり、突如出現した悪魔達を封じ込めるためのものであるらしい。

悪魔が何故、現れたのかは分からない。

ただ、悪魔は人や動物に化けることができるらしく、既に被害が発生していること、だからこそ、国家は総力を挙げて、あらゆる自律動作可能な存在、それこそ、虫一匹通さない気構えでこの封鎖を実施しているのだと告げられた。

そして話の最中、上野で大規模な暴動が勃発したらしい。

強引に封鎖を突破しようとした民間人が、それこそ何十人も自衛隊に射殺されたそうだ。

負傷者は数百名にも上る。

この暑さ、そして、まともな治療施設も、手段もない状況下で、彼らの後どれ程が命を落とすのだろう。

考えたくもない。

篤郎も、柚子も、圭介も、ただ黙って唇をかみ締めていた。

誰もあてにならない、すぐ傍には常に悪魔による殺害の危機が存在し、食べ物も無く、救いの手も差し伸べられない、自分たちが知らないだけですでに何人、いや、何百人死んでいるのか、想像もつかない。

それに―――このままでは、4日後、確実に恐ろしいことが起こる。

封鎖内部にいる人々の余命表示は最大4日、つまりどれ程生きながらえても、封鎖から出られない限り、4日後には確実に全ての人々が死に絶える。

(それは、封鎖内部だけの話なんだろうか)

ふと思う。

封じ込めるだけで、対抗手段を持たない自衛隊に、一体何が出来るのだろう。

処理できるのならすでに始めているはずだ、危ないものに蓋をして、それでお終いにはならない、まして、日本国民数億の命がかかっているなら尚更、たかだか山手線内部封鎖程度で済ませるわけがない。

何もしないのでは無く、何もできないのではないのか?

それなら―――それなら、4日生き延びたとして、それからは?

本当に封鎖の外に出られれば安全なのか?

ひょっとして、ただ示されていないだけで、彼らの生命も長くないのでは―――余命表示は最大7日だと仕様説明のメールになかったか。

飯綱は言っていた。

「でも、それでも、悪魔の侵攻によって、日本全土を失うよりはマシなのよ!」

「活発化と表面化の進む悪魔に対して、既存の武器はほとんどと言っていいほど、効果がないわ」

「だからこそ我々は、奴らに対して有効な対抗手段を見つけ、そして可能であれば、悪魔が発生した理由をつきとめて、何としてでも、悪魔を根絶やしにしなければならないの!」

その後、圭介に問われて、初めて身分を明らかにした。

「私は、飯綱(イヅナ)ミサキ一尉、悪魔を一掃するためにやって来た、特別対策チームの1人よ」

悪魔に対抗する手段として、僅かでも情報が欲しい。

望まれて話した、4日という日数を聞いた途端、飯綱の顔色がサッと青褪め、何か知っているようなそぶりを見せていたけれど、結局それ以上聞き出すことは望めないまま、強引に赤坂トンネル内から追い出されてしまった。

4日。

結局何も分からないままだ。

現状対抗する手段を持たない政府が、4日後、何か大きな、引いてはいけない引き金を引くのだろうか。

けれどその引き金を引いた所で、すでに2日過ぎているのに有効な手段を見つけられていない現状を、どう覆そうというのか。

「やっぱり、政府は悪魔の存在を知ってて、今回の封鎖を行ったんだな」

「うん、しかも、相当な覚悟で封鎖を始めたみたいだね、絶対に封鎖の外へ悪魔やCOMPを出す気はないように思えたよ」

「他の出口を探そうか」

「時間のムダだと思うよ」

圭介の言葉に、篤郎と柚子がギョッとした表情で振り返っていた。

けれどどこかに諦観の様相も見て取れる。

「な、ケイスケ、オマエ何てこと言うんだよ!」

そう、怒鳴っていたけれど、篤郎も理解し始めているのだろう。

淡々と続ける圭介を、和哉は黙って見ていた。

「ごめん、でも、こんな状況だから、余計ムダにする時間は無いと思うんだ―――だって考えてもみてよ?彼らは決死の覚悟で封鎖を敢行した、それなのに、ほんのわずかな隙間でも、ボクらを見逃すようなミスをすると思うかい?」

恐らく、この封鎖に出口なんてない。

それは思っていたけれど、口に出さずにいた言葉だった。

クソッタレと吐き捨てた篤郎に、けれど和哉は諦めるつもりは無いと告げる。

「うん、蓮見君の言う通りだ」

きょとんとした瞳が、和哉と圭介を交互に見詰めていた。

追い詰められている状況だからこそ冷静でいなくては。

意地の悪い兄から散々学んだ事だ、いちいち挑発に乗っていては拉致が空かない、今、運命は俺たちを嘲り、理性を奪おうとしている。

「どういう意味だ?」

「言葉の通りだよ、ボクも、蓮見君も、諦めるなんて一言も言ってない」

「えっ、だって今、出口なんかないって」

「その通りだよ、この封鎖に出口はない、だったら原因を取り除いて、封鎖自体を解除するしか方法はないんじゃないかな」

「ちょ、ちょっと待てよ、原因を取り除くって、どういう意味で言ってるんだ?」

「まさか、自衛隊を蹴散らして、外に出ようっていうんじゃないよな!」

そんなわけないだろうと返した和哉に、圭介もボクらがそんなこと考えるわけが無いと同調してくる。

俺は一体いつ圭介と意志を共有するようになったんだろうかとふと思った。

「原因って言うのは、悪魔の事だよ」

そうして、圭介は、とにかく悪魔をどうにかすれば封鎖を解除できるだろうという、新たな道を指し示した。

理屈として理解できるが、具体的な手段が無い以上、今は単なる絵空事でしかない。

当面、ベル・デルを警戒するということで、話は一区切り着いた。

アレコレ考えた所で、結局、今の自分達はベル・デルをどうにかする以外、明日を迎える手段などない。

突きつけられた現実に気圧されそうになる。

それでも、進まなければ。

前を向いて、この両足で、挑んでいかなければ。

夏空を睨み上げる。

そしてふと、自分はいつから、こういう物の考え方をするようになったのかなと、思った。

「ねえ」

ふと擦り寄ってくる気配を感じて、隣を窺うと、不安げな眼差しの柚子と目が合う。

「―――どうした?」

いつの間にか隣に来ていた。

一同は、今、僅かばかりの涼を取れる日陰で、小休止を取っていた。

この辺りは恐らく、そろそろ渋谷から新宿に至る頃合だろうか、少し離れた場所で圭介と篤郎が活発に意見を交換し合っている。

元気なものだなと他人事のように思い、和哉は熱を孕んだ風に身を委ねながら、思索の最中にあった。

「ごめんね、疲れてるのに、話しかけたりして」

「いや」

首を振る和哉に、柚子は少しホッとしたように瞳を細めて、そのまま自分のつま先を見る。

「ねえ、今更だけど」

「うん」

「私―――凄く怖いよ」

華奢な片のラインが僅かに震えた。

「―――さっきケイスケ君が言ってたじゃない、レンも、封鎖に出口なんかないって」

「うん」

「それなら、多分、私たちの寿命に関係している、ベル・デルをどうにかしようって、そういう話になったんだよね?」

「そうだね」

「でも、そんなこと本当に出来るの?」

和哉は柚子を見詰める。

柚子はこちらを見ようとしない、そうすることで、現実からも目を背けようとしているように思えた。

「レンだって言ってたじゃない、不死身の悪魔でしょって」

「ああ」

「不死身って、死なないってことだよね?」

「そうだね」

「それをどうにかって、出来るの?私たち、本当に逃げられるの?」

「ユズ」

「怖いよ、私、ずっとずっと怖かった、でも今はもっと怖い、逃げられないのに、相手は悪魔で、不死身で、なのにどうやって『どうにか』するの?私たちに何が出来るの?―――私は、どうなっちゃうの?」

細い指先がためらいがちに、けれど、強く和哉の腕を握り締めた。

「怖い、レン、怖いよ」

その上にそっと手を重ねる。

柚子がハッとしたように和哉を見上げて、その頬が淡く色付いていた。

「大丈夫」

笑いかける。

根拠なんて何一つ無い、無責任で偽善に満ちた言葉だけれど、発さないよりましに違いない。

「ユズは、大丈夫、絶対に、俺が保証する、だから心配しないで」

本心からの言葉だった。

そのための力があるなどと、まさか自惚れてはいない、確実な手段があるわけでもない、それでも本心からそう告げた、柚子も、篤郎も、直哉だって守る、守ってみせる。

誰一人死なせはしない、絶対に。

(そのためには何だってしてやる)

だから告げた。

「きっと、どうにかできるよ」

投げやりで他人任せの言葉では無く、自分がどうにかするという、強い意志を込めて。

柚子はまだ不安げな眼差しのまま和哉を見詰めている。

ほんの僅か、怯えすら見て取れて、和哉は不意に強張っていた両肩から力を抜いた。

「これまでだって、ギリギリ、どうにかやって来れただろ?」

「でも」

「ユズ、ほら、アレだ」

「アレ?」

「四人揃って、もんじゃうめぇって」

「え?」

丸くなった瞳が何回か瞬いて、それを言うなら、と、柚子の桜色の唇が動いた。

「三人寄れば文殊の知恵、でしょ?」

「あ」

「もう、レンってば」

ようやく笑顔が浮かぶ。

幼馴染の少女の、この屈託のない微笑が好きだった。

いつも傍にあった笑顔だ、遠くなった日常を思い出させてくれる。

和哉も微笑み返しながら、柚子の髪に軽く触れて、少しぱさついている表面をそっと撫でた。

「―――凄いね、レンって」

「そう?」

「うん、そう、えへへ」

すっかり持ち直した様子で笑い、赤くなった頬を隠すようにして、不意にパタパタと走り去っていった。

ピンク色のスカートがひらりと揺れる様子をボンヤリと眺める。

元気になってくれたなら、良かった。

くだらない冗談を言った甲斐があったというものだ。

「よっ、色男」

入れ替わりでやってきた篤郎が、隣にかけながら和哉の肩を軽くポンと叩いた。

「さっきチラッと聞こえたけど、なんか格好つけてただろ?」

「そうかも」

「ったく、これだからなぁ、お前って本当に天然」

「何、それ」

「にっしっし!」

圭介はさっきの場所で眼鏡を拭いている。

話し合いは一段落ついたらしい、ペットボトルの水を一口飲むと、篤郎はフウと息を吐き出した。

「なあ、レン」

「ん?」

「―――俺ら、助かるよな」

今度は―――優しい慰めの言葉など、かけてやらない、そのつもりもない。

代わりに肘で軽く脇腹を突いてやった。

あいてっと声を上げて、篤郎が不満を露に眉間を寄せる。

「なんだよ!」

「お前までそんな事言うから、おしおき」

「何でソデコは良くて、俺はオシオキなんだよ!」

「アツロウは、まさか俺がヘッチャラだとか、思ってるのか?」

不意に黙り込んだ。

僅かに俯いて、悪い、と呟いた額を、指で弾いてやった。

顔を上げた篤郎が再び「痛ぇな」と今度は笑う。

「そうだな」

「うん」

「やるしか、ないんだもんな」

「そうだ」

「俺らがしっかりしておかないと、格好付かないもんな」

「ユズに格好つけたいんだ?」

「そりゃまあ、でも、どっちかって言うと俺は」

そして視線を背けて、篤郎は空を仰ぎ見ると、暑いなあとぼやいてシャツの胸の辺りをつまんで動かす。

蝉の声すらしない、雑踏も、車の音も、街が生み出す音が何一つ聞こえてこない。

ただ通り抜けて行く風と、倦んだ表情の人々、交わされる生気の無い声、どこかから響いてくる破壊音、怒号、人でない者達の鳴き声。

遠くへ攫われそうになる意識を、どうにか今に繋ぎとめる。

「生き残るんだ」

傍らで篤郎が呟いた。

「生きて、この封鎖を出て」

「うん」

「そんで、とりあえず風呂入って、冷たいコーラ飲んで、冷房の効いた部屋でネット三昧するんだ!」

間を置いて噴出していた。

思った事をそのまま口に出して伝える。

「―――アツロウらしい」

「だろ?」

笑った声に頷き返す。

「だったら、オレは、ナオヤの所でアイス食べて、ゴロゴロして、DVD観まくる」

不意に篤郎が口を尖らせた。

「何でナオヤさんのトコなんだよ」

「居心地良いんだ」

「だったらオレも、ナオヤさんにプログラミング見てもらう」

「それじゃオレが退屈するから却下、アツロウは家でインターネットでもしてろよ」

「ひでえ!レンだってDVD観てるなら一緒だろ!何でオレをハブろうとすんの?―――やっぱりお前、ナオヤさんと」

不意に、背後からの殺気と、地を這うような「ア〜ツ〜ロ〜ウ〜」の声に、篤郎がビクリと体を震わせた。

「何してるの!」

「そ、ソデコちゃん?」

「このあっついのに、そんなにレンに引っ付いて!やめて!レンが嫌がってるでしょ!」

「いや、別にレンは嫌がってなんか」

「優しいから言わないだけなの!とにかく引っ付くな!アツロウのクセに!」

「ちょ、ちょっと、クセにって何だよ、ていうか何でオレだけ怒られてんの?ソデコちゃん!」

「ソデコってぇ、ゆーなああああ!」

容赦ない手刀の一撃。

篤郎は「あいたぁ!」と悲鳴を上げて、前のめりに転がるようにして逃げ出した。

その後を柚子が追い駆けていく。

やれやれと息を吐いた和哉の傍で、別の笑い声が聞こえてきた。

「君たちは、本当に仲が良いんだね」

圭介が肩を竦ませる。

「少し、羨ましいかな」

「アレで仲がいいと、言っていいの?」

「僕には凄く楽しそうに見えるけれど?」

更に一発、二発と叩かれて、逃げ惑う篤郎に、柚子は容赦するそぶりすら見せない。

顔を見合わせて笑った和哉と圭介の傍らを、熱を孕んだ風が通り過ぎていった。

僅かな暇のささやかな風景。

この安らかな時がずっと続いてくれたらと、走り回る二人や、圭介の頭上に表示された数字を眺めて思う。

封鎖のどこかに、まだ直哉はいるのだろうか。

(今頃どうしてるだろう)

今日もメールの着信は無く、安否も、居場所も、依然として知れない。

今頼っても仕方のない相手だけれど、想わずにいられない。

夏の日差しに炙られる街並みを眺めながら、不意に溜め息が漏れていた。

(ナオヤだったら、こんな状況簡単にひっくり返して、封鎖から出られたかな)

今朝の夢が僅かに胸を刺す。

(いいや、ナオヤはいないんだ―――自力で、何とかするしかない)

ポケットの中で、COMPが微かに震えたような気がした。