赤坂から神田に向かう途中にあったはずの店を探しに行く途中、集って進む悪魔の群を見つけて、和哉達は咄嗟に物陰に隠れた。

封鎖に閉じ込められて以来、何度こういう経験をしただろうかと、ふと思う。

抗う術はあっても、できれば戦いたくない、悪魔への恐怖というより、傷を負うことにいまだ慣れない。

しかしそれは当然とも思う、自分は、つい三日ほど前までは、ごく普通の高校生だった、たかだか三日で戦士の心得など身につかなくて当たり前だ。

悪魔達は野外音楽堂を目指しているらしい。

イヤな予感に、そっと後をつけてみると、扇状の観客席と向かい合う形で設置されたステージの上で、じりじりと悪魔に追い詰められている、覚えのある姿を見つけてしまった。

「ハルさん!」

柚子の悲鳴で、周囲の視線が殺到する。

ハルは驚いた表情で振り返った。

「アンタらは、どうしてここに?」

けれど、すぐ視線を背けて笑う。

丸めた肩がやけに小さく見えた。

「いや、そんな事よりも、危ないから逃げた方がいいよ―――すげー悪魔だらけでさ」

「ダメだよっ!諦めないで、今助けるから!」

「あ、うん」

―――彼女の、以前から纏っていた厭世観が、更に増している様に思う。

篤郎の声ですぐ意識を切り替えて、周囲の悪魔の数をざっと確認した、結構多い。

「ハルってただのインディーズ歌手だろ!どんだけ悪魔に狙われてんだよ!」

「何か、秘密があるのかも」

「そうかもしれないけど、今は目の前の事に集中しなきゃ!」

圭介の声と共に、各々行動を始める。

ここ数日の戦闘で大分お互いのタイミングが掴めるようになってきた、和哉は、篤郎と柚子にだけ指示を与える。

「ユズ、正面から向かって!アツロウは俺と一緒に右手から、まずは道を開く!ユズは援護頼む!」

「はい!」

「よっしゃ、任せとけ!」

ずっと一人で戦ってきた圭介は、自ら判断して動いてくれるだろうと思った。

実際その通りに、圭介は柚子と共に駆け出していく。

「さーて、んじゃ、早速始めますかっと!」

起動した篤郎のCOMPから獅子顔の狛犬と肌の青い魔人が飛び出した。

「トラロック、炎の乱舞!」

封鎖の一日目、和哉達の運命の岐路で、立ち塞がった強敵、雪男ウェンディゴ。

かつて死闘を繰り広げた悪魔の眷属を、紅蓮の炎がいともあっさり燃やし尽くしてしまう。

強さを実感する瞬間だった。

こうして、少しずつ、戦いに慣れていくのだろう、いずれ封鎖から出た後で、果たして俺たちは元の学生に戻れるのだろうか。

和哉の呼び出した雪だるまの王様が、ランタンを捧げ持ったカボチャ頭の悪魔を氷付けにして砕く。

「よし、いいぞ、アツロウ!」

「まかせろ、シーサー!」

獅子頭の狛犬がくるくると舞うように回転して、ハルと篤郎の姿が一瞬で入れ替わった。

今、舞台の上に篤郎が立ち、和哉のすぐ傍には、ハルがいる。

「頼んだぜ、レン!」

和哉は素早くハルの手を引いて、舞台に気をとられて客席の前のほうに集まっていた悪魔達から一気に距離を取った。

その、集合していた悪魔達に、追いついた柚子と圭介、そして、舞台の上から飛び降りた篤郎が、悪魔を従えて挑みかかって行く。

交戦する様子を眺めて、ハルが「どうして」と小さく呟いていた。

「傍から離れないで」

それだけ告げて、和哉は引き返して来た数匹の悪魔と対峙する。

「アーヴァング、来い!」

げっ歯類のビーバーに酷似した、けれどその数倍大きな姿の、茶褐色の毛並みの悪魔が和哉のCOMPから飛び出した。

艶めかしい姿の女悪魔達が、悪魔が吐き出した氷の息吹に凍らされ、倒れる。

その傍らで翼を広げた巨鳥の体を、和哉が放った雷が貫いた。

「ハルに近付かないで!」

柚子の傍らには、青い肌をした男の悪魔と、そして、ウェンディゴの眷属が使役されている。

「悪く思わないでくれよ―――噛み殺せ、ペントドラゴン!」

圭介のCOMPから現れたドラゴンが巨躯を駆り長い首をひと薙ぎすると、千切れた蛇の頭が幾つも転がり、塵となって消えた。

悪魔達は次第に追い詰められ、戦意を失い、やがては散り散りに逃げ出していった。

禍々しい気配が消え去った後の野外音楽堂には戦いの痕跡だけが残り、やけに広く感じられる。

「―――いなく、なったか?」

駆け寄ってきた篤郎に、油断無く辺りを見回してから頷き返すと、何か言いかけた背中を押し退けるようにして走ってきた柚子がハルに飛びついて、大丈夫か、怪我は無いかと、必死に具合を伺いだした。

「大丈夫?」

後から追いついてきた圭介に気遣われて、篤郎は呆れ顔で溜め息を吐いた。

その様子に苦笑いしながら和哉はCOMPでホスト権限のバイタルチェックを四人分行い、大きな怪我も、深刻な被害も、受けていない事を確認する。

随分戦いが上手くなったものだ。

COMPをポケットに戻しながら思う。

柚子の勢いを持て余していたハルが、不意に、ハハ、と笑い、気の抜けた様子で肩を竦めた。

「参ったね、アンタたちのやる気、少しは見習いたいよ」

「ハル、ここは危ないから、とりあえず外に出よう?」

「ああ、分かった分かった」

柚子に腕を引かれるままに歩き出す。

和哉たちも続いて、野外音楽堂の外へ出ると、こちらの悪魔もいなくなっていた。

恐らくは、逃げ出して行く同胞達を見て、同じように逃げたのだろう。

ハルから「まぁ、ありがとね」と、改めて礼を言われた。

「ここまで何とか逃げてたんだけど、今回はマジでやばかったわ」

しかし言葉ほど感謝も、助かった喜びも感じられない。

思わず尋ねていた。

「どうして生きたくないの?」

「こら、レン!」

即座に柚子から非難される。

けれど、それは、柚子も同じように感じていた証明でもあった。

ハルは生き延びたことにも、自身の命にも、頓着していない。

「ハルさんに、何てこと言うのよ!」

「―――鋭いんだね?」

柚子の声を遮るようにハルが答える。

「でも、答える義務はないでしょ」

「確かにね」

「はは、分かってんじゃん、大人なんだね、アンタ」

挑むような瞳が、真っ直ぐ和哉を捉えていた。

けれどすぐに視線を逸らし、全てを拒絶しようとする。

不穏な気配―――柚子が不意にわざとらしく笑い、まぁ良かったと強引に話をまとめてしまった。

「あ、そういえば!」

ふと思い出したように、ハルを探していた怪しげな人物がいると、当人に話し始める。

ハルはやはり他人事の様な顔をしていた。

何故なのだろう。

細い腕に抱えられた電池切れのシーケンサーを見て、それが動けば身を守れるのにと、惜しむような篤郎の言葉に、軽く笑い声を立てる。

「はは、電池が切れちゃどうしようもないよ、仕方ないさ」

しかし、その時不意に、ハルの瞳に沸き起こった感情の波に気が付いた。

「まぁ、本当は何とかして、中のデータを見たんだけどね」

咄嗟に「何が入っている?」と尋ねると、ハルは和哉をちらと見てから、シーケンサーの表面をそっと撫でた。

「このシーケンサーの持ち主から、宿題が出てるからさ、その人がこのシーケンサーに入れてった曲を、最後まで完成させろってね」

鍵盤の一つを指で押す。

勿論、音は鳴らない。

「ま、一通りは覚えてはいるけど、やっぱりペースは遅くなるもんだね」

「こんな時でも曲作りっスか、さすがミュージシャン!カッコいいっスね!」

感心している篤郎の姿が、なんとも場違いだ。

柚子も瞳を輝かせてハルを見詰めている。

圭介はどこか上の空で篤郎と柚子を眺めていた。

三人をそれぞれ見て、声をあげて笑った後で、ハルが改めて和哉を振り返り、見る。

「ねぇ、アンタさ、蓮見和哉だっけ?」

猫の目のように気まぐれに変わるハルの瞳は、どこか艶めかしく、誘われているような気すら抱かせる。

「面白い奴だね、その内、ゆっくり話そうよ、おごるからさ」

「楽しみにしてる」

「はは、言うじゃん、格好いいよ、アンタ」

細い指が肩にポンと触れた。

「じゃ、またね」

そのままクルリと後ろを向いて、さっさと歩き出す後姿を、誰も追いかけることなく見送った。

彼女の背中が、差し伸ばす手を拒んでいたからだろう。

しかし、これほど悪魔に襲われやすい彼女が、次また危機に陥った時、果たして誰か都合よく救いの手を差し伸べてくれるのか、ハルは、何故破滅を厭わないのか。

「ねえっ」

不意に腕を引かれて振り向くと、なぜか不機嫌顔の柚子と目が合った。

「今のって、どういう意味っ!」

傍で篤郎が「あー怖い、怖い」と、揶揄するような声を上げる。

「ソデコにライバル登場だ、レンを取られちゃうぞ〜っと」

「なななな、何言ってんの!別に私はレンがどうとか」

再びこちらを見た柚子の顔が、見る間に赤く染まっていくのを、何となく珍しいものでも見る様な気分で眺めていた。

突然振り返り、篤郎に拳を振り上げて殴りかかって行く柚子から、篤郎も脱兎の如く逃げ出していく。

「待ちなさい!この、バカアツロウ!」

何となく場が和んでしまった。

ハルに馳せていた想いを引き戻して溜め息を吐くと、再び背後から声がかかる。

「蓮見君」

振り返ると、今度は圭介が、やけに神妙な面持ちでこちらを見ていた。

「これからも、今みたいな人助けを続けるつもり?」

「どうしてそんな事を?」

「あの、さ、人助けはもちろん、悪い事じゃないし、さっきの人みたいに、悪魔に抵抗感のない人だったら、何も問題ないと思う」

視線を逸らして言い淀む。

「でも、やっぱり普通の人は悪魔を恐れると思うんだ、もちろん、悪魔使いもね、普通の人には、ただの悪魔とボクらの仲魔なんて、区別は付かないだろうから」

「かん違いされる?」

「うん、そうなんだ」

圭介の懸念がようやく分かった。

和哉はじっと圭介を見詰める。

「今回の事件が悪魔使いの仕業だって見られてしまうと思うんだよ、だからボクらは、普通の人たちに、悪魔を使っているなんて見られちゃいけないと思うんだ、そして少なくとも、ボクはそうして来た」

「気をつけるよ」

「あ、ごめん、別に責めたかったワケじゃないんだ」

慌てて否定した後で、不意に、圭介の瞳が、今ここにいない姿を捜し求めるように、眼鏡の奥で眇められた。

「ただ、ミドリちゃんの事が、気になって」

和哉も、髪の長い少女の姿に想いを馳せる。

随分直情的だった、彼女は、今頃どこで何をしているのだろう。

「ミドリちゃんは、正義の味方だとか言って悪魔を見せびらかしてる、このままじゃ、ダメだよね」

それは誰に対する、何の確認なのか。

「ごめん、何言ってるんだろう、ボク、忘れてくれていいから」

圭介に掛ける言葉を探している間に、息を切らした篤郎と柚子が戻ってきた。

篤郎は柚子にしこたま殴られたようで、口を尖らせながらしきりに不満をぼやいている。

そこに再び柚子から笑顔で凄まれて、慌てて和哉の隣に身を寄せてきた。

「それにしてもさ、悪魔があれだけハルを狙う理由って、一体、何なんだろうな」

原初の言葉。

悪魔達は、そんな事を言っていなかっただろうか。

原初の言葉とは一体なんだろう。

篤郎と、そして、柚子もしきりに首を捻っている。

「どっちにしろ、今、結論を出すには、情報が少な過ぎるな」

確かにそうだ。

ベル・デルにしたって、まだあの怪しげな男から聞いた、根拠も確証もない情報しか得られていない。

このままでは、明日のドリーや、ハルより早く、和哉達に破滅の未来が訪れてしまう。

柚子がしきりにハルの余命を気にするので、数値を教えてやった。

一日。

たった一日なのと、柚子が叫ぶ。

「余命が明日までって、本当にハルって狙われてるんだな」

しみじみと呟き、何とかしてやろうぜと笑った篤郎は、すぐ口元に彼らしくない皮肉な笑みを滲ませた。

「オレたちが明日まで生きられたら、だけどな」

全員が僅かに項垂れ、頭上から照りつけてくる日差しが、足元に短い影を作っていた。

もうすぐ正午を廻る。

強すぎる光に炙られた肌が、ジリジリと焦げ付くような痛みを滲ませている。

「行こう」

立ち止まっているわけにはいかない。

迷っているヒマなどない。

悩む暇があれば、歩け。

進みだした和哉の後に篤郎が続き、柚子と、そして、圭介がついてくる。

人気の無い、あちこち破壊されて、崩壊した都心の風景は、真昼だというのにどこか不穏な雰囲気を孕み、四人の前に広がっていた。