新宿でドリーを見かけたけれど、やはり聞き入れてもらえなかった。

しかし彼女は悪魔を説得していた。

悪魔も、彼女の言葉に感じ入る所のあるような雰囲気で、大人しくどこかへ去っていった。

変わっているのは彼女なのか、悪魔なのか―――しかし新たな可能性を垣間見た気がする。

悪魔は意思疎通の適わない、対話不可能な存在ではない。

それは何かの僥倖となりうるのか、現状、争い、利用する事しかできない自分達が、選び取れる道の1つを示唆されたように感じた。

 

渋谷、宮下公園。

「オマエら何しに来た!」

そんな二階堂の一声とともに生じた、思いもかけない対立。

「狩りのジャマだ、目障りなんだヨ、引っ込んでろ!」

「めっ、目障り?―――あんたこそ、何を企んでんのよ、このウニ頭!」

「あ?今、何つったテメェ、死んだぞクソアマ!」

「んもぉ〜頭に来たっ!レン!あんな奴に負けないからね!」

「ヘッ、おもしれぇ、いいぜ、やってやンよ」

多分、この流れは、柚子が悪い。

しかし二階堂の思惑も気に架かる。

人の声が聞こえると立ち寄った先で、宮下公園の一角に悪魔を追い込み、文字通り『襲っていた』二階堂と本多。

どうやら、悪魔達を競り落とす、悪魔オークションで使用する魔界通貨マッカ収集が目的らしい。

しかし、何故それほどマッカが必要なのだろう。

強い悪魔を手に入れるため、それは分かる、では何故強い悪魔が必要なのか。

自ら死線に身を投じない限り、戦力を増強する理由もないだろう。

―――まさか、そのつもりがあるというのか。

二階堂は、自分に勝つことができたら、持っているCOMPも、マッカも、全部和哉達に渡すと言った。

「その代わりヨ?」

口元に滲んだ不敵な笑みに、柚子が僅かに尻込みする。

「な、何よ?」

「オレが勝ったら、オマエら全員のCOMPを置いて行きやがれ!」

やむを得ず、辺りに集められた悪魔の掃討数を競う羽目になってしまったけれど、理由はどうあれ戦うのであれば、勝つまでだ。

まして、今COMPを取り上げられてしまったら、ベル・デルどころの話ではなくなる。

くだらない因縁に巻き込まれて不当な目に遭うのは不本意だ。

いつも以上に気合の入った柚子のお陰もあって、掃討数4、二階堂達は1。

「おーおー、マジかよ、やってられねぇぜ!」

4:2の人数ハンデを差し引いても、圧倒的な実力差を見せ付ける結果となった。

「クククッ、負けンのか、オレが?こんな奴らに、負けんのかヨ!」

思いもかけず、自身の成長の度合いを目の当たりにして、和哉は少し驚いていた。

悪魔との戦いには随分慣れたつもりでいたけれど、それでも、対峙するたび沸き起こる死の恐怖や不安は拭いようもない、そういった負の感情を理性で無理矢理ねじ伏せて戦ってきた。

わけの分からない存在相手に立ち回るより、以前人間を相手にしたときのほうがずっとやりやすかった。

だから知らずにいたけれど、もしかしたら、自分は思うよりずっと状況に馴染んでいるのかもしれない。

悪魔を使う才が、知れず、眠っていたのかもしれない。

「クソッタレ!オレは負けたくねぇ!」

二階堂が咆えた。

「こんなんじゃ、何も掴めねぇ、何も、守れねぇ!」

拳を握り締め、天を、何かを、睨み上げる。

「チカラ―――チカラだ、神でも悪魔でも、何でもいい!」

切望の咆哮と共に周囲に妙な気が満ち始めていた。

和哉以外、誰も気付いていない様子だった。

胸騒ぎにCOMPを握り締めていると、二階堂の魂の叫びが天を穿ち、公園内に轟く。

「何もかも!全てブッ壊せるだけの、強ぇチカラをよこしやがれ!」

 

『見える、見えるぞ、お前の無念が、力を欲する心の叫びがな』

『ククククッ―――さぁ、呼べ、我が名を、貴様の願いを叶えてやる!』

 

雷が落ちた。

閃光の中より現れた、獅子頭の魔人。

一瞬脳裏にベル・デルの姿が過ぎる。

同じくらい強烈な威圧感を纏っているけれど、魔人の視線は二階堂一人に真っ直ぐ絞られていた。

「お、オマエは?」

『我が名はパズス、貴様の願いを叶えてやろう』

本多が、獅子頭の魔人を、熱風の王、悪霊の主と呼ぶ。

そんな存在を、二階堂は自力で引寄せたというのか。

「おもしれぇ、COMPナシでも喚び出せるじゃねえか」

二階堂の肩が揺れる、笑っているらしい―――異形を目の前にして、それでも彼は笑ってみせた。

「パズス、か、気に入ったぜ、テメェの力、見せてもらおうか?」

悪魔狩りだ、と、二階堂が言い放つ。

パズスは良かろうと頷いた。

『相応しい場所へ移るぞ、我が風に乗るがいい』

轟音と共に風が荒れ狂い、咄嗟に目を閉じた和哉達が、再び宮下公園の風景を目にしたときにはもう―――二階堂の姿は、パズスや本多共々、どこにもいなくなっていた。

動揺と不安を孕んだ沈黙の中、不意に、ねえ、と、どこか怯えた圭介の掠れた声が聞こえた。

「さっきのアレって、悪魔を喚び出して、契約したように見えたけど―――COMPには、そんな機能ないはずだよ」

「ああ、アイツ、一体何をしたんだ」

篤郎が首を捻る。

「初期起動時以外、悪魔との契約は、オークションでしか出来ないはずじゃ」

「だとしたら、パズスは、どういう理由で出てきたんだろう?」

「強い意志が可能にしたのかな」

「強い意志」

和哉の言葉を反芻しながら、圭介が眼鏡の奥の瞳を眇めた。

逆に、篤郎は、何か気付いた様子で、急に慌てて和哉を振り返り、語気を荒くする。

「だとしたら大問題だぜ、悪魔は人間の欲望に応えるために現れるんだろ?」

―――この世に、その形がどうあれ、欲を持たない人間など存在しない。

「色んな奴等が欲望のために勝手に悪魔を喚び出し始めたら、東京はどうなるんだ!欲望のままに悪魔を使う世界、そんな事になったら、力だけが世界のルールになっちまう!」

「人は、そこまで愚かじゃない」

「そう信じたいけどな」

首を振り返して、篤郎が少し項垂れる。

「これだけの悪魔が喚ばれてるんだ、かなり危険な状況だと思うぜ?」

「人間の強い欲望が、悪魔を喚び寄せる、か」

圭介もまた、何か思うところのある様子だった。

顎に手を当て思索に耽っている。

「でも、今までだって欲望を持った人はいたはずなのに、今になってどうして」

「COMPのせいかもしれないし、悪魔が出やすい世界になっちまったのかもしれないな」

「でも、パズスって凄い悪魔なんだよね?そんな悪魔を、オークションもせず直接契約するなんて」

二人は、今目の前で起きた出来事を、それぞれ受け止めかねている様子だった。

もしくは自分なりに噛み砕いて納得しようとしているのか―――和哉は、何故か分からないけれど、起るべくして起こった出来事の様な、そんな思いがしていた。

二階堂は出会った当初からずっと何か思い悩んでいた。

本多は、自らの意志で動いているように見せかけて、彼は多分流されているだけだろう、状況に、自分の状に、立場に、流され、衝動的に動いている。

けれど二階堂は違う、彼には目的がある、それをついさっき感じた、何かは分からない。

そのために力を欲し、強い悪魔が想いに応えたというのなら、今の出来事は必然―――そういえば、直哉もこの世で起るあらゆる出来事には全て意味があると以前話していた。

(それなら、このタイミングで、オレたちが引き金になって、カイドーが強い力を手に入れたことにも、何か意味があるのかな)

「ああああ!」

急に上げられた大声に、思わず肩が揺れた。

篤郎と圭介も目を丸くして振り返る。

叫んだのは柚子だった。

「どうしたっ、ユズ!」

緊迫した表情の篤郎に、柚子は怒りの形相を浮かべて、両の拳を握り締める。

「アイツ、負けたくせに、COMPどころか、マッカも置いていかなかった!」

―――張り詰めていた空気が一瞬で解けた。

和哉達は、文字通りポカンとしてしまった。

確かに、約束したけれど。

「あの〜」

「アイツ、今度会ったら絶対取り上げてやる!ただじゃおかないんだから!」

「ソデコさんってば」

「ソデコって、ゆーなあああ!」

とばっちりで殴られる篤郎を眺めながら、和哉と圭介の溜め息が重なる。

熱風とまでは行かない、生ぬるい微風が、汗ばんだ肌の上を撫でて通り過ぎていった。

 

 様々なイベントの開催会場として有名な、九段下の武芸館。

敷地内に至る出入り口付近は意外に狭く、また、周囲を緑に囲まれているため、初見では気づかない事もあるらしい。

遠目に趣のある屋根を見つけて、向かう途中、息を切らして駆けてくる女性と会った。

女性は武芸館近辺で翔門会信者らしき人々に襲われ、更に仲間になれと脅迫まがいの勧誘を受けたと、和哉達にも注意を促して去っていった。

不穏に感じて駆けつけてみれば、イベントが行われていた様子もないのに、堅牢な鉄の門扉が開かれている。

その向こうの武芸館敷地内に屯している、オレンジ色のローブを着込んだ集団を見つけた。

「翔門会?」

しかしどうも様子がおかしい。

翔門会信者らしき一団も、すぐ殺気立った様子で駆け寄ってきた。

「何者だ、オマエたち、まさか!」

「いや待て、オイ、貴様らもCOMPを持っているな?」

「それを寄越せ!力は使ってこそ意義がある!」

「力を持つ者が、持たぬ者を支配するのだ!」

問答無用で悪魔を召喚して襲い掛かってくる。

これは翔門会などではない。

少なくとも、今まで、一方的な暴挙に及ぶ信者の姿を見たことがない。

「オマエたち、翔門会じゃないな?」

「あんなところ、辞めてやった!このCOMPがあれば何でも出来る!我々は自由だ!」

剣先が交わる寸での所で、突然待ったが掛けられる。

新手かと身構えた篤郎に、後からやってきたオレンジ色のローブを着た別の集団は、早まらないでくれと呼びかけてきた。

「我々は、己の欲望を満たすためにCOMPを使おうとした脱走者を、捕らえに来ただけです」

「こんな時に、人々を救うための力を我欲のために使うなど、あってはならぬ行為です」

「あなた方にはご迷惑をおかけしました、後は我々にお任せ下さい」

左右を翔門会信者らしき姿に挟まれて―――目の前で対峙する一団は当然、しかし、次いでやってきた彼らも安易に信用できないと思ったけれど。

「最後まで手伝うよ」

和哉の一言で、篤郎たちの腹も決まったらしい。

「そうだな、乗りかかった船だ、それに、翔門会には借りもあるからな!」

戦いの火蓋は切って落とされた。

―――結局、後から現れた人々は、本当に翔門会の正式な信者であった。

COMPを奪われ、抗う術を取り上げられた元信者達を、信者が取り押さえている最中、フッと涼やかな風が吹き抜けていく。

「また、お会いしましたね」

「アマネ」

「これまでご無事で何よりです」

オレンジ色のローブの間を優雅な足取りで進み、和哉達の前まで来て、軽く会釈した。

いつの間に現れたのだろう。

物憂げな表情の九頭竜天音は淡い溜め息を漏らす。

「このたびは、我々の不始末を、処理して頂いたようですね」

元信者達に視線を留めると、僅かに瞳を眇めた。

「彼らはCOMPを持ち出し、私利私欲のために使おうとしていました―――この者たちが罪を犯す前に、あなた方に倒されて幸いでした、翔門会を代表してお礼を申しあげます」

わずかに暮れかけた空から差し込む陽光に照らされた、天音の姿は一層神秘的な雰囲気を湛えていた。

澄んだ双眸が何かを見定めるように和哉に向けられる。

「あなた方の運命に働きかける、大きな力が見えます」

それは、ベル・デルとの一戦を指して、告げているのか。

「あなたは、これから運命の分岐点を迎えるでしょう」

余命なら理解している。

今日、これから、自分達が何をしなければならないのかも。

「今夜の危機を乗り越えるカギが何処にあるか、すでに貴方はご存知のようですね」

微笑んだ天音の姿が、やけに空々しく感じられた。

「そのまま進まれると良いでしょう、では、失礼します」

優しく、穏やかで、それでいて突き放すような微笑。

彼女の年齢がふと気にかかる。

自分より年下じゃないのか、それなら、16歳より若いという事になる、けれどたった数十年生きた程度であんな笑い方が出来るようになるものだろうか。

再びゆったりとした足取りで去って行く後姿を見送って、和哉は何とも言えない気分を噛み締めていた。

篤郎が、翔門会も大変みたいだな、と人事めいてぼやいていた。

「まぁ、あれだけ信者がいるのに、悪用しようって考える奴が多くないのは、凄い事だけどさ」

「罰則がキツイんだろう」

「たしかに、悪用者を捕まえようとするくらいだから、罰則はキツイのかもな」

そうなのか?

本当に、罰則だけで成り立っている結束なのか。

―――今は天音の事を考えている場合じゃないと、薄水色の空を見上げながら篤郎に声を掛ける。

「所で今、何時?」

ハッとして、慌てて腕時計を確認した篤郎が、ゴクリと喉を鳴らした。

柚子と圭介も各々立ち上げたCOMPの画面を緊張した面持ちで見詰めている。

和哉は目を閉じた。

「レン」

そっと瞼を上げて、篤郎を見つめると、頷き返す。

「まず、永田町、だよな」

「―――うん」

行こう。

風が吹いた。

ビル風とは少し違う、妙な突風だった。

和哉の全身を嬲るように巻き込んで通り過ぎていく。

胸に蟠り続けている言い様のない気配―――落ち着かない、ただ予感だけが込上げてくる。

(どうして)

突然脳裏に直哉の姿が浮かんだ。

不敵な笑みを思い出していた。

大丈夫かと篤郎から声をかけられて、はたと我に返った。

「行こう、ヤドリギを手に入れないと」

歩き出す和哉の後に、篤郎たちが続く。

誰も気付いていないだろう、誰にも―――気付かせてはいけない、そう思う。

(余計な事気にさせちゃいけない、今は、生きるために闘うんだ、そのことだけ考えるんだ)

どこか遠く―――温い風に乗って、耳に馴染んだ笑い声が微かに聞こえたような気が、した。