ヤドリギは手に入れた。

戦い破れた悪魔使いたちは、妙な事を口走っていた。

「オマエたち、何も知らないんだな?」

「これは愉快だ」

途端、あれほど頑なだったのに、あっさり和哉達にヤドリギを譲渡して去っていった。

彼らの目的や、何故ベル・デルに対抗しようとしていたのか―――分からない。

 

けれど今、そんなことはどうでもいい。

時刻は18時を少し回った頃合。

和哉達は青山霊園にいる。

 

ここに来る途中、通りがかった表参道で『君にだけ』と声を掛けられて、和哉は神谷からハルの話を聞かされた。

D−VAの元ヴォーカル、アヤ。

ハルが大切そうに口にしていた恩人の名前、彼女は、神谷の恋人でもあったらしい。

海外留学しているというのは、やはり、神谷がハルを傷つけないために吐いた嘘だった。

アヤはある日突然行方が知れなくなったという。

そして、そのせいでハルが不安定になる事を、神谷は恐れていた。

恐らく彼も気付いているのだろう、既に彼女が半ば生を放棄しかかっていると―――これ以上ハルが傷つかないようにしてやって欲しいと縋るように託されてしまった。

「アイツの事を、頼むよ」

重い言葉だ。

期待に添いきれる自信はない、けれど、今日を生き抜かなければ、神谷の想いに応えようもない。

 

「青山霊園、ついに来たね」

こんな時間に墓場になんて、盆や彼岸の時期でなければ、足を運ぶ事もない。

昼間でも不気味に感じる死者達の寝床、けれど、今日はやけに殺気立っている。

興奮気味の圭介に、頷き返す篤郎も緊張の面持ちでCOMPを握り締めていた。

「ああ、いよいよ、運命の時―――あのバケモノとの対決だ」

「他に生きる道はないんだ、やるしかないよ」

「ああ、オレたちは死なない!」

昼間の光景が蘇ってくる。

「絶対にアイツを倒して、この運命を乗り越えてやるんだ!」

「絶対に死ぬなよ!」

無意識に呼びかけていた。

振り返った篤郎が、しっかりと頷き返してくれる。

「よし!頼りにしてるぜ、レン!」

―――まだ何も起きない。

篤郎は辺りをキョロキョロと見回す。

「お、おい、レン」

「何?」

「ちゃんとヤドリギは持ってるよな?」

風が吹いた。

生ぬるい風だ。

「オレたちの予想が正しければ、オマエの持つヤドリギじゃなきゃ、ベル・デルを倒す事は出来ない!」

緊張と興奮が肌に玉の様な汗を滲ませる。

昼間、和哉達は件の魔王から命からがら逃げ出した。

(何一つ太刀打ちできなかった)

手の中に握り締めた、小さな植物のストラップ。

こんなもので本当にどうにかできるのだろうか。

「さぁ、いよいよ時間だぜ?」

―――託された自分が、やるしかないか。

「ラプラスメールの通りなら、ここにベル・デルが現れる!」

信じろ、と、自分に言い聞かせた。

足元から這い登ってくるようないような気配を感じて、咄嗟に振り返った先、墓地のほぼ中央、大気が揺らぎ、石畳の間から邪な輝きが漏れ出してくる。

「来た、あそこだ!」

轟音と共に石畳が砕け、幾筋もの鎖が飛び出した。

その合間にゆっくり立ち上がる銀色の魔人。

威圧的な雰囲気を纏って周囲を睥睨する姿、見上げるような巨躯、そして何より、歪に浮かべられた不敵な笑み。

『美しき者、王たる主、ベル・デルの、消して傷負うこと無き盟約に、年若きヤドリギのみ契ること能わず』

昼間COMPから抽出した一節が頭の中を巡った。

以前は逃げ出した相手、けれど、今―――和哉は自らの意志で、この場所に立っている。

未来を勝ち取るために。

明日に命を繋げるために。

(殺す)

何の前触れも無く、想いもよらない感情が湧き上がり、僅かに動揺してしまった。

どうしたんだ、いきなり。

俺は、こんな事を考える人間だったっけ?

手の中でヤドリギが急速に熱を帯び始めたように感じていた。

これは、何だ。

一体どうしたんだ、何が起ろうとしている。

「―――時は満ちた、黄昏の時間は訪れ、汝らは我がために涙するのだ」

漆黒の空高く両手を掲げて、魔王は現世に顕現した喜びを全てに向けて咆えていた。

それは邪な歓喜、ベル・デルは、全ての命を喰らい尽くすつもりだろう。

感情の映らない胡乱な双眸が、ただ殺気だけを滲ませて和哉に向けられた。

「さぁ、始めようか、ニンゲンどもよ―――汝の血を我に捧げよっ!」

同時に、周囲に悪魔が複数耐出現する。

恐らくベル・デル配下の悪魔達だ。

篤郎がこちらは任せておけと叫んだ。

「絶対、負けない!この前とは違うんだから!」

「ああ、こっちにはヤドリギもある!見せてやろうぜ、人間の力を!」

「ボクたちの余命を握る悪魔―――行くよ、みんな、絶対に生き残ろう!」

夕闇に沈む青山霊園で、今、まさに、戦いの火蓋は切って落とされたのだった。

全員が各々の意志で、整然と並んだ墓石の間を駆け出していく。

皆の信頼と願いが、和哉の両肩にかけられている。

(負けられない)

前方で居丈高と身構えている魔王を睨み据えた。

―――全く、馬鹿げていると思う。

ほんの数時間前に遭遇したときは、何一つ打つ手の無い相手だったのに、今は殺すつもりで立ち向かおうとしている。

可能性はこの手の中に握り締めた、小さな植物の欠片1つ。

正気の沙汰とは思えない。

ベル・デルに関する情報が単なる古典の一説としての意味しか持たず、ヤドリギに何の効果も発露しなければ、和哉達の行動は風車に挑んだドンキホーテそのものだ、愚劣極まりない自分達を呪いながら、短い生涯の幕を下ろすことになるだろう。

(それでも)

未知の可能性でも、信じて、縋るより他にない。

運命の歯車が高速で回転しているように感じる、その定めが敗北なら、俺たちはただ死ぬだけだ。

やるしかないんだと身構えた。

ベル・デルが嘲笑うように体を揺らす。

「感じる、感じるぞ!貴様の血をよこせぇっ!」

悪魔の力を持ってしても抗えない、ヤドリギは一つ、この身も一つ、それなら。

「タイマン張って、負けたことないんだ、これでも!」

銀の、鎖が撒きついた、太い腕が伸びてくる。

素早く下を潜り抜けて、ヤドリギを握った拳で力一杯殴りつけた。

ベル・デルに触れる瞬間、和哉の腕全体に熱が生じ、直後に肉を打った確かな感触と、くぐもった呻き声が頭上から漏れ聞こえる。

「ぐおぉぉっ、ば、バカな」

脇腹に重い衝撃。

跳ね飛ばされて、近くの墓石に叩き付けられる寸前、何かクッションのような物が和哉の体を受け止めた。

肌に触れた感触がひんやりとして柔らかい。

「オマエ?」

振り返って、和哉は僅かに驚いていた。

召喚していないのにどうやって現れたのだろう。

雪だるまの妖精は和哉の心中を見透かしたようにヒーホーと愛らしく鳴き、笑った。

「キャラメル貰ったホ!ご主人の事、よろしくって言われたホ」

「誰に?」

「それはナイショだホ」

雪玉のような丸い手で和哉の体をトントンと叩く。

叩かれた部分から柔らかな光があふれ出して、同時にあちこちの痛みが引いていった。

「オイラ、ベル・デルになーんもできないけど、ご主人助けるくらいだったら、お役にたてるかもだホ」

「そっか」

立ち上がった和哉は雪だるまの妖精の頭を軽く撫でた。

ヒヤリとしているのに、なぜか温かく感じる。

自分にも、二階堂のときと同じことが起ったのだろうか。

振り返ると、ベル・デルは、何故だ、何故だと混乱している様子だった。

和哉は再び手の中のヤドリギを握り締めながら、身構える。

(これは有効だった、あの情報は間違っていなかった)

それなら―――

傍らから小さく、ヒーホーと聞こえてきた。

「それなら、俺を、手伝って」

「了解だホ!」

―――悪魔だって色々だ、こんなに気のイイヤツも、いるじゃないか。

二階堂の志を汲んで、力を貸すと現れた者もいた。

想い自体は邪なものかもしれないけれど、知った事ではない、現にこうして力となり、助けとなっているのだから、その事実だけで十分だ。

倒すべきは『悪魔』ではない。

こちらの命や尊厳を冒そうと、敵愾心を抱き対峙してくる障害、遍く全ての『敵』となる存在。

和哉は軽く肩を回した。

「今、言ったけどさ」

背後からひっきりなしに戦いの気配が伝わってくる。

篤郎が、柚子が、圭介が、和哉のために露払いをしてくれている。

「殴り合いで負けたことないんだ、これでも」

見た目のイメージと違う、と、言われた事を思い出して、微かに笑った。

和哉は笑っていた。

笑いながらヤドリギを握り締めた。

「だから、オマエ―――消すよ」

唸り声を上げて、ベル・デルが炎を吐き出す。

咄嗟に避けたけれど、幾らか体を掠り、けれど構わず焼け焦げた拳で二度、三度と殴りつけていく。

ベル・デルの腕も容赦なく和哉の体にめり込んできた。

重い衝撃に跳ね飛ばされそうになるのを、両足を踏み締めて堪え、そのまま所構わず拳を叩き込む。

殴られ、殴り返されて、意識が遠のきかけた和哉の体に、柔らかな光がフワリと伝わってきた。

「頑張れホ!負けちゃダメだホ、ご主人!オイラがついてるホ!」

あちこちズキズキと滲んでいた、重い痛みが和らいでいく。

ふざけた真似を、と、呪うような声が聞こえた。

ハッと見上げたベル・デルが片手を翳し、雪だるまの妖精に狙いを定める。

「やめろ!」

和哉は咄嗟に身を翻し、雪だるまの妖精をかばうように背を向けた。

「ご主人、ダメだホ!」

熱波が届く手前で、和哉の脇をすり抜けて、雪だるまの妖精が盾となり、一瞬で消滅した。

振り返ると、魔力で作り出した炎が細切れになり消えて行く向こうに、双眸をぎらつかせた魔王の姿が見える。

―――通常、COMPを用いて使役している悪魔達が、真実消え去る事はない。

存在を保てない程のダメージを受けた場合、一時的にどこかへ姿を消すだけだ。

それが何処なのかは知らないし、分からないけれど、暫くして呼び出せば再び同じ悪魔が現れる。

(でも、今のアイツは)

正規の手順を用いて、召喚したわけではなかった。

勝手に和哉のCOMPから姿を現した、だからこそ、不安に思う。

(いいや)

グッと目を閉じて、すぐに開くと、和哉は素早く身構えた。

今は他のことにかまけている場合ではない―――倒さねば、目の前の敵を、消滅させなければ。

靴底で地面を蹴りつける。

ベル・デルが片腕を伸ばした、また何かするつもりだろう、しかし、和哉の方が僅かに早かった。

横っ面を思いきり殴りつけてやった。

よろめいたベル・デルに、踊りかかるようにして、更に一撃、続けて一撃。

「グッ、グォオオオオォォッ!」

体が軽い。

全身の血が沸騰して、滾る。

身悶えしているベル・デルに、更にもう一撃。

「人間風情が、我を!」

銀のくぼんだ双眸がギラリと赤い光を放った。

瞬間、赤い波動が放たれて、クラリと視界が揺らいだ和哉の体を、重みのある一撃が殴りつける。

吹き飛ばされた先で、けれど和哉は倒れ付す事無く、両手両足を使ってどうにか石畳の上に着地した。

ためらうことなく即座に駆け出し、体のあちこちで疼く痛みや、四肢から上がる悲鳴の全てを無視して、大きく腕を振りかぶり、力一杯繰り出した。

「消えろおおおっ」

拳の先が確実にベル・デルを捉え、穿つ。

くぐもった声を聞きながら、軽く引いた腕を上に向けて、今度は両足のバネを使い、一撃。

「き、貴様、なぜ、ヤドリギを!」

ドオン、と、土煙が舞い上がった。

仰向けの巨人の脇に着地した和哉は、軽く腕を振って露払いをしながら、今更気付いたのかよ、と、冷めた瞳を僅かに眇めた。

間をおかず、腹の上に飛び乗り、膝をついて、腕を構え、心臓の真上に狙いを定めた、手の中でヤドリギが発火しそうなほどの熱を帯びる。

「まさか、そうか、またしても、ロキめが!」

無言でひと突き。

和哉の腕が肘の辺りまでベル・デルの体にめり込んだ。

「グォオオォォッ」

苦悶の表情を浮かべて、ベル・デルが咆える。

「力が、我の力が吸われてゆく!」

同時に、和哉の内側で異様な感覚が沸き起こっていた。

力がうねり、全身を巡る。

何かが体中を作り変えて行くような気がする―――いや、これは、元から俺の内にあった?

「バカな、貴様などが」

何か触れたそれを、掌のヤドリギを押し付けるように指を開いて握り砕くと、断末魔の叫びが迫り来る宵の闇を揺らした。

ベル・デルの姿が赤い光の柱に変わり、中空で球形に変化する。

そのまま素早く飛来して、和哉の胸の中に吸い込まれるようにして消えていった。

同時に辺りを満たしていた殺気は消え去り、悪魔達の姿も次々と消えていく。

和哉は、石畳の上にペタリと座り込んだまま、呆然と空を見上げていた。

今のは一体なんだったのだろう。

そうしてふと気付く―――朝からずっと感じていた胸騒ぎが、いつの間にか収まっている。

そっと片手を開いて見ると、ヤドリギは傷ひとつ無いそのままの形で和哉の手の中に納まっていた。

(こんなもので、アレを倒せたのか)

悪魔ってよく分からないな。

どこか気の抜けた事を考えながら、再び見上げた頭上で、浮かんでいた数字が『0』から『3』にゆっくり変化していった。

―――夏の、温い風が吹き抜けていく。

「お、終わっ、た?」

柚子の声に、意識を引き戻される。

「私たち、生きてるの?」

青山霊園は、あちこち壊れたり崩れたりしているものの、何事も無かったように静まり返っていた。

風に揺れる木の音、蝉の声、湿気を帯びた夏の大気が肌に滲む。

「そ、そうだ、レン!オレたちの余命って、一体、どうなってる?」

「3になった」

振り返って答えると、篤郎がうおおお!と空に咆えた。

「やったじゃん、オレたち!」

顔をくしゃくしゃにして、笑う。

「また死の運命を変えたじゃん!くそーっ!嬉しいぜ!」

はしゃぐ様子に和哉も微笑みながら、そっと胸に手を置いていた。

アレは何だったのだろう。

ベル・デルが変化して体の内側に入ってきたような、力を吸い取ったような、妙な感覚がした。

今は何も感じないけれど、まさかこの身に魔王の力が移り宿りでもしたというのか。

(そんなこと、あるのかな)

ふと思う。

(最後に呪われたりとかしたわけじゃ、ないよな)

不気味な予感を軽く首を振って払い退けて、ふと思い立ちCOMPを開くと、画面に契約悪魔の一覧を呼び出す。

いた、と、小さく呟いて、和哉はようやく安堵に胸を撫で下ろしていた。

「ちょ、ちょっと待って!」

急に柚子の声が聞こえたので、COMPを閉じて、和哉も篤郎たちと共に顔を向ける。

「ん?何だよ、ソデコ」

「だって、どうして3なの?」

全員ではっとする。

青褪めた柚子が、肩を震わせている。

「だって、封鎖内の人たちは、みんな4のはずでしょ!?私たち、1日足りないじゃない!」

「確かにそうだね」

圭介が静かに答えて呟いた。

「ボクたちの余命は、ベル・デルを倒した今でも、他の人たちより1日短い―――これは、何を意味しているんだろう?」

「まだ、まだ何か、あるのかな?」

項垂れた柚子の声には、不安と恐怖が色濃く滲み出していた。

「ウェンディゴやベル・デルみたいな、何かと戦わなきゃ、いけないのかな」

「チクショウ、まだ何かあんのかよ、いい加減、封鎖の解除に集中したいぜ!」

焦燥感を滲ませて、篤郎が足元の石畳を軽く蹴り飛ばし、柚子も「うん」と頷く。

「落ち込んでも仕方ないよ」

対して、圭介は冷静な声でそう告げた。

「3日の猶予を与えられた事には変わりないんだ、素直に喜ぼう?その間に全ての悪魔を何とか出来れば、3日後の死もさけられるかもしれない」

「そ、そうだな!」

気を取り直した篤郎が振り返り、拳を握り締める。

「よし、とりあえず悪魔を何とかする方法を、探そうぜ!」

和哉も頷き返した。

「情報を集めよう」

「ああ、それってやっぱり悪魔の事を知ってそうな連中に聞くのが一番だよな―――まぁ、ナオヤさんが見つかれば一番手っ取り早いけど、居場所は分からないし」

他に当てになりそうなのは、翔門会の信者達だろう。

「簡単に話してくれそうにないなぁ」

難しい顔で篤郎が腕を組む。

「ねぇ、新宿で会った男はどうかな?」

柚子が一同を見回した。

「あの人さ、前に会った時も、ベル・デルに関する事や、ヤドリギの事も話してたでしょ?」

確かに、男はヤドリギの情報自体を与えてくれたわけではないけれど、ベル・デル対策のヒントをくれた。

「他にも何か、知ってそうな気がしない?」

四人は顔を見合わせる。

「よし」

篤郎が手を打った。

「ダメで元々だ、とりあえず、神無伎町へ行ってみるか!」